第64話:陽だまりの錬金術師と大陸の契約
山賊のガレックを打ち倒し、山賊団を壊滅させた後、俺たちは砦の一番安全な一室で束の間の休息を取っていた。地下牢から解放された人々も、ひとまずはここに保護している。
外では、陽動を終えて合流したカイルとイリスが、残りの山賊たちが仕掛けた罠の解除や、砦の防御体制の確認を進めてくれていた。
一方、フィーナは、人の姿に戻った後、まるで電池が切れたかのように、深い眠りに落ちてしまっていた。ティアーナが彼女の体を調べたところ、永い眠りと魔力封じの首輪の影響で極度に消耗しているが、生命に別状はないという。
地下牢の戦闘で負った傷は、俺自身のものも含め、アリシアの献身的な治療のおかげでほとんど塞がっていた。彼女は、疲れた顔も見せず、今も解放されたドラグニアの民、一人ひとりの容態を丁寧に診て回っている。
「もう大丈夫ですよ。傷は塞がりましたから、あとはゆっくり休んで体力を戻してくださいね」
「ああ…ありがとう、お嬢さん。あんたは命の恩人だ…」
若い母親の手を優しく握り、温かい言葉をかけるアリシア。その姿は、まるで聖母のようだ。彼女の存在が、この絶望的な状況にどれだけの安らぎを与えてくれていることか。
俺は、そんな彼女の姿を見守りながら、今回の戦いで得たもう一つの戦利品――山賊たちが溜め込んでいた財宝――の検分を行っていた。
ガレックの私室と思われる部屋には、金貨や銀貨が詰まった革袋、見慣れない宝石や装飾品、そしていくつかの質の良さそうな武具が乱雑に積まれている。
「オリヴィア、これだけの量があれば、当面の活動資金にはなるだろうか?」
俺の問いに、オリヴィアはいくつかの金貨を手に取り、その刻印を確かめながら頷いた。
「ええ。ドラグニアの金貨だけでなく、帝国や連合王国の通貨も混じっていますわね。これだけあれば、都市で情報を集めたり、物資を調達したりするには十分すぎるほどでしょう」
「よし。なら、これも俺のストレージに格納しておく。と思ったが、オリヴィアも少し持っておくか?」
「いえ、管理はレンさんにお願いします。私が持っていても、すぐに使う場面がなく旅の荷物になるだけですから。」
「わかった。基本的に一緒に行動するから問題ないと思うが、お金が必要な時に言ってくれ。」
俺は財宝を一つ残らずストレージに収納した。これで、大陸での活動における最初の課題だった資金問題は、ひとまず解決したと言えるだろう。
◇◇◇
俺が財宝の整理を終えて広間に戻ると、アリシアが、一人の若い女性と何やら専門的な話で盛り上がっているのが見えた。物静かだが、鋭い観察眼を持つ、救出したドラグニアの民の一人だ。
「……なるほど。この【月光草】の成分を、こちらの【清浄花】の蜜で練り合わせると、治癒効果が増幅されるだけでなく、保存性も高まるのですね。素晴らしい発想ですわ、アリシアさん」
「えへへ、そんな。でも、エラーラさんのその『抽出』っていう技術もすごいわ! 私、いつも薬草を煮詰めることしか考えてなかったけど、そうすればもっと純粋な成分だけを取り出せるのね!」
エラーラ・ヴァンス。彼女は、アリシアが使う薬草の希少性や、俺が持っていたポーションの調合方法に専門的な質問を投げかけ、自らがドラグニア王家に仕えた錬金術師であることを明かしてくれた。
「錬金術師……?」
俺が興味を引かれて声をかけると、エラーラと名乗った女性は、少し驚いたようにこちらを振り返り、控えめに頭を下げた。
「はい。レン殿。わたくしはエラーラ・ヴァンスと申します。王家の研究室で、主に薬学と鉱物学を研究しておりました。アリシアさんの薬草に関する知識は、わたくしの知らない分野も多く、大変興味深いですわ」
アリシアの薬草学は、自然の恵みをそのまま活かす、いわば伝統的なハーブ学だ。それに対して、エラーラの錬金術は、物質を分解し、再構築することで、新たな効果を生み出す科学的なアプローチ。似て非なる二つの知識は互いを強く刺激し合ったようで、二人の間にはすでに友情と、研究仲間としての確かな絆が芽生え始めているようだった。
「レン殿がお持ちになったという素材……先程アリシアさんに見せていただきましたが、驚きの連続でした。あのような高純度の魔力を持つ植物や鉱物は、大陸ではほとんど見られません。もし、それらをわたくしの錬金術で加工することができれば……」
エラーラの瞳が、研究者としての強い探求心の光で輝く。その才能と情熱を、このままにしておくのはあまりにも惜しい。彼女のような専門家が仲間になってくれるなら、これほど心強いことはない。エルム公国の技術力は、飛躍的に向上するだろう。
俺は、意を決して彼女に提案した。
「エラーラさん。その素晴らしい探求心と技術、もしよろしければ、我々の土地でその力を振るってみませんか?」
俺の突然の申し出に、エラーラは驚いたように目を見開いた。
「え……? ですが、わたくしは今は身一つ。お役に立てるかどうか……」
「俺たちの土地は、山脈の向こうにある、まだ始まったばかりの小さな国です」
俺は、彼女の不安を払拭するように、誠実に語りかけた。
「ですが、そこには始原の森という、あなたが驚くような未知の素材が無限に眠っています。そして何より、ティアーナのようなエルフの魔道具師や、ゴードンのようなドワーフの鍛冶師、アリシアのような薬草師がいます。皆、種族や過去に関係なく、新しい未来を築こうとしている仲間たちです」
俺は、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて続けた。
「あなたのような錬金術師が加わってくれれば、きっと、誰も見たことのないようなものが生まれるはずです。あなたの知識と技術を、存分に発揮できる場所だと約束します」
俺の言葉に、エラーラはしばらく黙って俯いていたが、やがて顔を上げた。その瞳には、もはや不安の色はなく、自らの未来を掴み取ろうとする、強い意志の光が宿っていた。
「……未知の素材……エルフやドワーフの技術……。分かりました、レン殿。このエラーラ・ヴァンス、あなたという方に、そしてあなた方が築く未来に、わたくしの全てを賭けてみましょう。この知識と技術、存分にお役立てください」
彼女はそう言うと、錬金術師として、そしてエルム公国の新たな仲間として、力強く、そして誇らしげに微笑んだ。
◇◇◇
数刻が経ち、救出された人々の体力も回復してきた頃、鎖で壁に繋がれていた男が、改めて俺の前に進み出て、深々と頭を下げた。彼の顔にあった傷や痣は、アリシアの治療でもうほとんど目立たなくなっている。
「レン殿、そして皆様。この度の御恩、レンブラント商会当主、クラウス・レンブラント、生涯忘れることはありません。この命、そして我が商会の全てを懸けて、必ずやお報いいたします。なんなりと、お申し付けください」
その堂々とした名乗りと立ち居振る舞いは、彼がただの商人ではない、大組織を率いる長としての器を持っていることを示していた。
「顔を上げてください、クラウスさん。あなたも、ドラグニアの方々も、無事で何よりです」
「いえ、このままでは私の気が収まりません。あなた方は、私の命だけでなく、我が商会の未来、そしてあの方々……ドラグニアの民の希望をも救ってくださった。金品などで返せる恩ではありません。どうか、私にあなた方のお力になる機会をいただけないでしょうか」
彼の真摯な言葉に、俺は隣に立つオリヴィアと視線を交わした。彼女もまた、静かに頷き、俺に同意を示してくれる。
「クラウスさん。では、一つだけお願いがあります」
俺がそう言うと、クラウスは「なんなりと!」と身を乗り出してきた。
「俺たちは、ある辺境の地で、自給自足の共同体を築いています。そこでは、大陸では手に入らないような、非常に質の高い特産品が採れるのですが……いかんせん、外界との繋がりがなく、それを売る術がないのです」
俺はストレージから、先日エルム公国で精製したばかりの、雪のように真っ白な塩の結晶が入った小袋と、砂糖の塊をいくつか取り出し、彼の前に差し出した。
「これは……!?」
クラウスは、商人としての鋭い目で、塩を少量指に取り、舐めた。次の瞬間、彼の目が驚愕に見開かれた。
「なっ……! この純度と旨味……! 苦味や雑味が一切ない……だと!? まさか、これが塩……!? そして、この甘い結晶は……蜂蜜とは全く違う、純粋で気品のある甘さ……!」
彼の驚きは、本物だった。
「クラウスさん。あなたに、我々の『目』となり、『腕』となって、これらの品を大陸で広めてほしいのです。もちろん対等な商売として。あなたに、我々の交易パートナーになって頂きたい。」
俺の言葉の意味を、クラウスは瞬時に理解した。彼の顔から、感謝の色が消え、商人としての興奮と野心の色が浮かび上がる。
「……まさか……あなた方は、これほどの品を安定して供給できると? それに、あの錬金術師の嬢さんが作るであろう薬品も……」
「ええ。あなたさえよければ、いくらでも」
クラウスは、ゴクリと喉を鳴らした。そして、顔を上げると、これまでで一番の、満面の笑みを浮かべた。
「……面白い! 実に面白い! レン殿、あなたという方は、本当に底が知れない! ええ、ええ、喜んで! このクラウス・レンブラント、あなた方の商人として、この命、燃やし尽くしてみせましょう!」
俺がそう言って手を差し出すと、クラウスはその手を固く握り返した。
「ありがとうございます! このクラウス、必ずやあなた方のお力になってみせます!」
「ああ、頼りにしています。それで、クラウスさん。早速ですがもう一つお願いがあるのですが良いでしょうか?」
俺の真剣な口調に、クラウスは表情を引き締めた。
「なんなりと、お申し付けください」
「あなた方の情報網を使い、大陸各地に散らばっているであろう、ドラグニア王国の民の行方を探すことは可能でしょうか?特に、元騎士団や、国を動かしていた文官たちの情報を集めたいのです」
俺の依頼に、クラウスは深く頷いた。
「なるほど……。承知いたしました。帝国に国を奪われた者たちですな。彼らの多くは、身分を隠して潜伏しているはず。一筋縄ではいかないでしょうが、我がレンブラント商会の情報網を駆使すれば、必ずや手がかりを掴んでみせましょう」
彼はそこで一度言葉を切り、商人の顔に戻って続けた。
「そのためにも、まずは一度、私の拠点である交易都市に戻り、指示を出す必要があります。数週間ほど、お時間をいただけますかな? 必ずや、有力な情報と共に、あなた方の元へ戻ることをお約束します」
「ええ、もちろんです。頼りにしていますよ、クラウスさん」
◇◇◇
クラウスが、護衛として付けたカイルと共に砦を発った後、オリヴィアは、救出されたドラグニアの民を広場に集めていた。彼らの顔には、まだ不安の色が浮かんでいる。
オリヴィアは、彼らの前に静かに立つと、王女として、そして一人の同胞として、語りかけた。
「ドラグニアの民よ。皆、よくぞ生き延びてくれました。わたくしが、オリヴィア・フォン・ドラグニアです」
その名乗りと、彼女が放つ気高いオーラに、民衆の間にどよめきが広がる。
「故郷は、帝国によって蹂躙されました。ですが、我々は全てを失ったわけではありません。見てください」
彼女は、俺たちを指し示した。
「ここには、我々の苦しみを理解し、共に戦ってくれる、力強く、そして心優しき仲間たちがいます。そして、我々が再起を誓える、エルム公国という安住の地が待っています。もはや絶望はありません」
彼女は、一度言葉を切り、民衆一人ひとりの顔を見つめながら、より一層力強い声で続けた。
「故郷を失った悲しみは、決して消えることはないでしょう。ですが、我々はここで立ち止まるわけにはいかないのです。このエルム公国という新たな大地で、我々はもう一度、民が笑って暮らせる国を、我々の手で築き上げることができる。わたくしは、そう信じています! そのための第一歩を、わたくしと共に、踏み出していただけますか!」
オリヴィアの魂からの演説に、ドラグニアの民の目に、再び希望の光が灯った。彼らは、涙ながらに王女の名を呼び、再起を誓った。
こうして俺たちは、クラウスという大陸で最も頼れる協力者、そしてエラーラという国家の技術力を飛躍させる新たな仲間を得た。エルム公国は、大陸での活動における最初の、そして最も強力な足がかりを、確かに掴んだのだ。




