第56話:山脈を穿つ希望、新世界への準備
エルム公国の建国宣言から、数週間が過ぎた。
中央広場には活気ある声が響き、新たに整備された区画では槌音がこだまする。温室では緑の野菜が育ち、工房の炉の火は絶えることがない。それは、俺たちが夢見た平穏な日常の光景。だが、この平穏が脆い土台の上にあることを、俺たち国の中心に立つ者たちは誰よりも理解していた。
その日、公王執務室と名を変えた旧盟主室には、俺、アリシア、ティアーナ、カイル、そしてオリヴィアとイリスの六人が集い、大陸側の地図を囲んで最終的な戦略会議を開いていた。
「大陸各地に散った我が民の潜伏先として可能性が高いのは、帝国との関係が冷え込んでいるアルトリア王国の辺境都市、そして中立を謳うレヴァーリア連合王国の自由都市……。まずは、これらの場所で情報を集めるのが現実的かと」
オリヴィアが、王女としての知識と経験に基づき、いくつかの候補地点を指し示す。その表情は真剣そのものだ。
「だが、問題はどうやってその大陸へ渡るかだ」
カイルが、腕を組んで唸った。
「始原の森を外界と隔てる、あの峻険な山脈。あれを越えなければ、話にならない」
俺たちの前に立ちはだかる、物理的で、そして絶対的な障壁。その山頂付近は、ゴードンさんの証言によれば、凶悪な飛竜種、ワイバーンの巣窟と化しているという。
「俺たちの力があれば、ワイバーンの群れを突破すること自体は可能かもしれない。だが、それは得策じゃない」
俺は、皆の顔を見回して言った。
「俺たちが山頂のワイバーンを排除してしまえば、帝国側にとっても山脈を越える障害が一つ減ることになる。連中がどんな技術を持っているか分からない以上、それは避けたい」
「レンさんのおっしゃる通りです」
イリスもまた、険しい表情で同意する。
「そもそも大軍で山脈を超えるのは難しいと思いますが、帝国の少人数の精鋭が山脈を越える手段を得てしまえば、このエルム公国はもはや安住の地ではなくなります。山脈は、我々を守る天然の要塞でもあるのですから」
力で突破すれば、自らの首を絞めることになりかねない。かといって、他に道はない。まさに八方塞がり。重い沈黙が、部屋を支配した。
その沈黙を破ったのは、俺の声だった。
「山を越えられないのなら……」
俺は、地図の上に描かれた巨大な山脈の稜線を、指でなぞった。
「山を、穿てばいい」
「……は?」
カイルが、間の抜けた声を上げた。他のメンバーも、俺が何を言っているのか理解できないといった表情で、目を瞬かせている。
俺は、皆の顔を見回し、自らの計画を語り始めた。
「山頂を越えるのが危険なら、山の中腹に、俺の魔法で直接トンネルを掘る。山脈を貫通し、反対側の麓へと抜ける、俺たちだけの秘密の通路を創り出すんだ」
「トンネル!? 正気かよ、レン!?」
カイルが、信じられないといった様子で叫ぶ。
「山脈を……魔法で……?」
ティアーナも、魔道具師としての常識を覆す発想に、目を丸くしている。
「理論上は可能かもしれませんが……必要な魔力量、そして何より、巨大な山脈の内部構造を正確に把握し、崩落させずに掘り進めるなど……神々の御業の領域ですわ!」
「俺のマッピング能力なら、山脈内部の岩盤の強度や、マナの流れ、空洞の位置まで、ある程度は正確に把握できる。その情報をもとに、最も安全で、最短のルートを割り出す。そして、俺の魔法で掘削するんだ」
俺は立ち上がり、仲間たちにそれぞれの役割を提示した。
その壮大な、しかし緻密に計算された計画に、仲間たちは言葉を失いながらも、次第にその瞳に決意の光を宿していく。
不可能かもしれない。だが、レンが言うのなら――。
「……面白い! やってやろうじゃねえか!」
最初に沈黙を破ったのは、カイルだった。
「山に穴をぶち開けるなんざ、面白そうだ! 任せとけ、レン! 固え岩盤があったら、俺がこの剣と盾で粉々にしてやるぜ!」
「レンがそこまで言うなら……私も、全力でサポートするよ! 皆が安全に作業できるように、私の回復魔法で支えるから!」
アリシアも、力強く頷く。
「……分かりましたわ。前代未聞のプロジェクト……魔道具師として、これほど心躍る挑戦はありません。私の持つ全ての知識と技術を懸けて、トンネルの安全を確保してみせます」
ティアーナの瞳が、知的な探求心の炎で燃え上がる。
オリヴィアは、イリスと顔を見合わせ、そして俺に向き直った。
「レンさん。あなたの発想は、常に我々の想像を遥かに超えていきます。ですが、あなたの言葉には、それを実現させるという、揺るぎない説得力がある。……ええ、やりましょう。希望の道を、私たちの手で!」
彼女の言葉に、イリスも深く頷いた。
仲間たちの覚悟は、決まった。
◇◇◇
数日後。俺たち六人は、エルム公国から数日間歩いた、始原の森を隔てる山脈の中腹に立っていた。といっても、転移魔法での移動がほとんどなのだが。
ごつごつとした岩肌が剥き出しになり、吹き付ける風が肌を刺す。ここが、壮大なトンネル掘削計画の、記念すべき第一歩を踏み出す場所だ。
「マッピングによるルート選定は完了した。地盤も比較的安定している。ここから、山脈の反対側の麓まで、ほぼ一直線に掘り進む」
俺は、目の前にそびえる巨大な岩壁に向き直った。
「皆、準備はいいか?」
仲間たちが、力強く頷く。
「いくぞ! 俺たちの手で、大陸への道を切り拓く!」
俺は両手を岩壁にかざし、体内から莫大な魔力を練り上げた。龍の紋章が、俺の決意に呼応するように熱を帯びる。
「アース・クエイク!!」
俺が創り出した、土と岩を操る新たな魔法。魔力は螺旋状の槍となって岩壁に突き刺さり、地響きと共に、巨大な岩盤がまるで砂のように砕け、穿たれていく!
「地盤の歪み、許容範囲内です! このまま進めますわ!」
ティアーナが、改良した探知魔道具で内部構造を解析し、的確な指示を飛ばす!
「レン、魔力が落ちてきてる! 無理しないで!」
アリシアが、俺の消耗を気遣いながら、光魔法でトンネル内部を明るく照らし出す!
オリヴィアとイリスも、周囲を警戒し、万が一に備えている。
それは、ただの土木作業ではなかった。未来を創造するための、荘厳な儀式のようでもあった。
「……レンさん。あなたを見ていると、我が国に伝わる建国神話を思い出します」
轟音の中で、オリヴィアが俺の隣で静かに呟いた。
「龍覚者は、仲間と共に、不可能を可能にし、新たな時代を切り拓いた、と……。エルム公国の建国神話は、あるいは……今、この場所から始まるのかもしれませんね」
彼女の言葉に、俺は汗を拭い、不敵に笑って見せた。
「神話になるかどうかは分からないが……。俺たちの物語が、始まったばかりなのは間違いないな。毎日、少しづつ、山を掘り進めよう。」
希望のトンネルは、確かな一歩を、大陸へと向けて掘り進め始めた。それは、エルム公国の、そして大陸全体の運命を左右する、新世界への旅立ちの始まりを告げる、力強い槌音だった。




