第4話:森の少女と新たな力
第4話
巨大な影の目撃は、俺の心に深い警戒感を刻みつけたが、同時に人里への渇望をより強くもさせた。あのような存在が闊歩する森に、いつまでも一人でいるわけにはいかない。リスクを承知の上で、俺は行動範囲を広げ、人との接触を求めて探索を続けていた。
サバイバル生活で得た経験とスキルは、確実に俺を成長させていた。これらがあれば、ゴブリン程度のモンスターなら複数相手でも対処できる自信がついていた。また、あの遺跡での出来事がもたらした力は、決して小さくない。
その日も、俺は頭の中の地図を更新しながら、未踏のエリアへと足を踏み入れていた。鬱蒼とした木々が少し途切れ、比較的見通しの良い丘陵地帯に出た時だった。
「きゃあっ!」
鋭い少女の悲鳴と、それに続く獣の獰猛な咆哮が、静かな森の空気を切り裂いた。
(近い! まさか、人が……!?)
考えるよりも先に、俺は音のした方向へと駆け出していた。茂みを掻き分け、開けた場所に飛び出すと、そこには信じられない光景が広がっていた。
綺麗な長髪・黒髪の、16~17歳くらいの少女が、背にした大木を盾にするようにして、必死にナイフを構えている。その周囲を取り囲むのは、三匹の狼型モンスター。黒い毛皮を持ち、鋭い牙と爪を剥き出しにした、明らかに凶暴な肉食獣だ。既に少女の足元には、矢が突き立った二匹の狼が倒れているが、残りの三匹がじりじりと包囲網を狭めている。少女の肩からは血が流れ、呼吸も荒い。明らかに劣勢、いや、絶体絶命の状況だった。
(まずい! あのままじゃ!)
躊躇はなかった。ここで見捨てれば、俺自身の良心が許さない。それに、ようやく見つけたかもしれない「人」なのだ。
俺は一気に加速し、少女と狼たちの間に割って入るように飛び出した。
「――下がってろ!」
突然の乱入者に、狼たちは一瞬動きを止める。俺はその隙を見逃さず、一番近くにいた狼の喉元目掛けて、自作の石槍を渾身の力で突き出した。
グサリ!
確かな手応えと共に、槍は深く突き刺さり、狼は断末魔の短い鳴き声すら上げられずに絶命した。
「グ……ルル……?」
「アォン!」
残りの二匹の狼が、仲間が一瞬で屠られたことに驚き、警戒心を露わにして唸り声を上げる。同時に、背後の少女が息を呑む気配がした。
「あなたは……?」
少女の戸惑う声が聞こえるが、今はそれに構っている暇はない。狼たちは左右に分かれ、同時に襲いかかってきた。
(挟み撃ちか!)
右から来る! 俺は体を捻って鋭い爪をかわし、そのまま回転の勢いを利用して槍の柄で狼の側面を強かに打ち据える。
「キャンッ!」
体勢を崩した狼。そこへ、左からもう一匹が飛びかかってくる。俺は槍を地面に突き立ててそれを盾代わりにしつつ、空いた右手で狼の鼻先を殴打する。
「ギャンッ!!」
悲鳴と共に顔を押さえて転がる狼。勝機! 俺は即座に槍を引き抜き、体勢を立て直した狼に止めを刺すべく突きかかろうとした、その時だった。
ヒュンッ!
鋭い風切り音と共に、一本の矢が俺のすぐ脇を掠め、悶える狼の眉間に深々と突き刺さった。狼は痙攣し、すぐに動かなくなる。
(今の矢は……!?)
振り返ると、少女が短い弓を構え、凛とした表情でこちらを見ていた。肩の傷を押さえながらも、その瞳には確かな意志の光が宿っている。
「すごい……助かった」
俺が思わず呟くと、少女は少し頬を赤らめ、だがすぐに弓を構え直して言った。
「油断しないで! まだ一匹……!」
彼女の言う通り、最初に脇腹を打たれて体勢を崩していた狼が、再び牙を剥いて飛びかかってくるところだった。
「させるか!」
俺は槍を構え直し、突進してくる狼の勢いを正面から受け止め、渾身の力で押し返す。体重を乗せた一撃は、狼の突進を止め、怯ませるのに十分だった。そして、怯んだ狼の心臓目掛けて、正確に槍を突き込む。
「……グル……」
狼は短い呻き声を残し、その場に崩れ落ちた。
「ふう……終わった、か?」
周囲に敵の気配がないことを確認し、俺はようやく槍を下ろして息をついた。戦闘時間は短かったが、油断できない相手だった。
少女も弓を下ろし、警戒を解いたようだった。改めて彼女の方を見ると、肩の傷は痛むのか、顔を少し歪めている。
「大丈夫か? その傷……」
俺は近づきながら声をかけた。
「怪我は酷くなさそうだが……手当てした方がいい」
「え? あ、うん……ありがとう」
「俺は、レン…、旅の者だ。森で道に迷ってしまってね。君は?」
咄嗟に当たり障りのない自己紹介をする。
「私はアリシア。この近くの村に住んでるの。お兄ちゃんと一緒に薬草を採りに来てたんだけど……助けてくれて、本当にありがとう。あなたがいなかったら、私……」
アリシアは俯き、少し声を震わせた。
「気にするな。無事で良かった」
俺がそう言うと、アリシアは顔を上げ、少し安心したように微笑んだ。
「あの、良かったら、私の村に来ませんか? ここからなら半日もかからないし、お礼もできると思う。それに、あなたも森で迷ってるなら……」
「本当か!? それは助かる!」
願ってもない申し出に、俺は食い気味に答えた。
「うん。あなたは私の命の恩人だもん。そうだ、これ、塗っておくと少し楽になるよ」
アリシアはポーチから緑色の練り薬を取り出し、自分の肩と、俺の腕の軽いかすり傷(さっき狼にもらったもの)に手際よく塗ってくれた。薬草の知識は確かなようだ。ひんやりとした薬が心地よい。
俺たちがそうしていると、森の奥から大きな声が聞こえてきた。
「アリシアー! どこだーっ! 返事をしろー!」
声の主は、すぐに茂みを掻き分けて現れた。俺と同じくらいの歳、18~19歳くらいの少年だ。鳶色の髪と緑の瞳。がっしりとした体格で、腰には剣、左腕には木製の丸盾を装備している。
「お兄ちゃん!」
アリシアが駆け寄る。
「無事か、アリシア! 心配したんだぞ! こんな時間まで……って、その肩! それに、そいつは何だ!?」
今の俺と同い年くらいの――アリシアの兄だと思われる少年は、妹の無事と怪我を確認し、次いで俺の存在に気づくと、一瞬で険しい表情になり、盾を構えて警戒態勢をとった。鋭い視線が突き刺さる。
「お兄ちゃん、違うの! この人は……えっと……」
俺は視線を逸らさずに言った。
「森で道に迷っていた旅の者で名をレンという。彼女がモンスターに襲われているところに遭遇して、加勢させてもらった」
カイルは俺の言葉を聞いても、すぐには警戒を解かない。俺の姿、武器(自作の粗末な槍)、そして倒れている狼の死体を慎重に観察している。その目には強い疑念の色が見えた。
「……。まあ、妹が無事ならいい。怪我の手当ても必要だろう。村まで案内する。お前も、着いてくるか?」
ぶっきらぼうな口調だが、敵意は薄れたようだ。俺を値踏みするような視線は変わらないが。
「ああ、助かる」
俺は頷いた。
「よし、行くぞ。俺はアリシアの兄のカイルだ。よろしくな。アリシア、歩けるか?」
「うん、大丈夫だよ!」
カイルは妹を気遣いながら先に立ち、俺とアリシアはその後に続いた。
ようやく掴んだ、人里への道。アリシアという少女と、カイルという兄。彼らとの出会いが、俺の異世界生活をどう変えていくのか。期待と、一抹の不安。様々な感情が胸の中で渦巻いていた。
(まずは、この村で情報を集め、体勢を立て直す。話はそれからだ)
俺は決意を新たに、兄妹の後を追って歩き出した。森の木々の間から差し込む光が、少しだけ明るくなったような気がした。