第23話:古き龍の囁き ~廃墟に灯る決意~
変わり果てたエルフの故郷、シルヴァンの郷。その地下深くに奇跡的に残されていた古い避難区画が、俺たち四人の束の間の休息場所となっていた。外の惨状――破壊された家々、焼け落ちた神樹、そして同胞たちの無念の痕跡――とは裏腹に、この地下空間は不思議な静けさと、エルフ族の古い時代の面影を留めていた。ティアーナが作ってくれた【継続発光結晶】の柔らかな光が、壁に刻まれた流麗な紋様をぼんやりと照らし出している。
強化ウルフのアルファ個体を含む群れとの激戦は、俺たち全員に大きな消耗をもたらした。特に、最後の局面で力の一部を解放した俺の体は、魔力こそ回復しつつあるものの、深い疲労感に包まれていた。
「……皆、まずはしっかり休んでくれ。アリシア、回復を頼めるか」
「うん、任せて! ハイヒール! それと、この薬草も使ってみて。疲労回復に効くはずだから」
アリシアが、手の甲の紋章を淡く輝かせながら回復魔法を発動し、さらに自作の軟膏を差し出す。彼女の魔力量も成長しており、回復量も増している。冬の間の地道な鍛錬、そして実戦経験が、彼女を確実に成長させていた。温かい光と薬草の香りに包まれ、俺たちの傷と疲労が和らいでいく。
「サンキュ、アリシア。お前がいなけりゃ、とっくに俺たち野垂れ死んでたかもな」
カイルが、治療を受けながら軽口を叩くが、その声には感謝の色が滲んでいる。
「もう、お兄ちゃんったら大袈裟だよ。でも、皆が無事で本当によかった……」
アリシアは頬を染めながらも、安堵の息をつく。
「アリシアさんの回復魔法と薬草は素晴らしいですね。それに、レンさんのあの最後の力も……」
ティアーナが、俺の方を見ながら静かに呟く。彼女の青い瞳には、まだ驚きと、そして何かを探るような深い色が浮かんでいた。
数時間かけて、ようやく俺たちは動ける状態まで回復した。激戦を乗り越えたことで、互いの絆がさらに強くなったのを感じる。
「あの狼の魔物の大きい個体は強敵だった。それでも、俺たちが連携し、切り札を使って、ようやく倒せた相手だ。これから向かうであろう黒幕の場所には、あれ以上の敵がいる可能性も十分にある。油断はできない」
俺の言葉に、皆の表情が引き締まる。互いの成長を喜び合うと同時に、これから立ち向かう脅威の大きさを再認識した。
◇◇◇
俺たちは地下避難区画で休息と準備に専念した。アリシアの回復魔法と薬草、そして俺自身の回復魔法で体力と魔力を完全に回復させ、俺がストレージから取り出した保存食で食事をとる。カイルは武器の手入れと周囲の警戒、俺は入手した黒幕の座標とマッピング情報を改めて照らし合わせ探索ルートを検討、ティアーナは回収したウルフの制御魔道具のさらなる解析や、この避難区画に残されていた古いエルフの遺物(破損した魔道具や、読めない文字で書かれた石板など)の調査を進めていた。
ティアーナは、時折一人で地上に出て、変わり果てた故郷の跡地を巡っていた。彼女が何を思い、何を感じているのか、俺たちには計り知れない。ただ、戻ってきた時の彼女の瞳には、悲しみと共に、必ず仇を討つという強い決意の色が、以前にも増して濃くなっているように見えた。
そんなある夜。避難区画の中央で、俺たちが焚き火(換気はティアーナが改良した魔道具で行っている)を囲み、今後の作戦について話し合っていた時のことだった。ティアーナが、何か意を決したように、静かに俺の名前を呼んだ。
「……レンさん」
その声には、普段の冷静さとは違う響きがあった。俺とカイル、アリシアは、自然と彼女に視線を向けた。
「先日の戦い……あのウルフを倒した時の、あなたの力について、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
やはり来たか、と思った。むしろすぐに聞かなかったのが不思議なくらいだ。あの力を見られて、彼女が何も尋ねないはずがない。
「剣から放たれた、あの巨大な炎の奔流……そして、その時にあなたの手の甲で赤く、強く輝いていた龍の紋章……。あれは、私が知るどんな魔法とも違いました。人知を超えた、圧倒的な力の奔流……」
ティアーナは、真っ直ぐな青い瞳で俺を見つめ、静かに、しかし強い確信を込めて続けた。
「私たちエルフには、とても古い伝承があります。それは、世界の成り立ちや、古代の戦いについて語り継がれてきた物語……。その中に登場する伝説の存在――『龍覚者』。その力の特徴が、あなたの見せた力と、そして……龍覚者の周囲に現れるという……お二人に現れる紋章、、あまりにも、酷似しているのです。レンさん、あなたは、もしや……?」
龍覚者――その言葉が、静かな地下空間に重く響いた。俺は息を呑んだ。自分の力の正体について、はじめて言及されたからだ。カイルとアリシアも、驚きに目を見開いている。
「ティアーナ、その『龍覚者』について、もっと詳しく教えてくれないか? 俺たちは、何も知らないんだ。俺がこの力を手に入れた経緯も、まだ話していなかったしな……」
俺は、古代遺跡で謎の宝珠に触れたことで、この力と紋章を得た経緯を、初めて三人に打ち明けた。そして、ティアーナに、彼女が知る龍覚者の伝説について語ってくれるよう頼んだ。
ティアーナは、俺の話を静かに聞き終えると、焚き火の揺らめく炎を見つめながら、遠い過去に想いを馳せるように、ゆっくりと語り始めた。それは、彼女が幼い頃、故郷の長老から何度も聞かされたという、エルフ族に伝わる古い古い物語だった。
「むかしむかし、この世界がまだ若く、星々が今よりもずっと近くに輝き、森がもっと深かった時代のお話です……」
彼女の声は、静かな地下空間に染み渡るように響いた。
「その頃、地上は『星の民』…私たちエルフは精霊の民と呼んでいますが、彼らが強大な魔法の力で世界を支配していました。彼らは永遠に近い時を生き、私たちでさえ及ばぬほどの高度な文明と、自然の理そのものを操る魔法技術を持っていたそうです。ですが、その力故に傲慢になり、他の種族…人間や獣人、そして私たちエルフの一部をも、まるで道具のように扱い、支配していた、と伝えられています。それは長く、暗い時代でした……」
「そんな過酷な時代に、虐げられていた人々の中から、ついに立ち上がる者たちが現れました。八人の英雄です。彼らがどこで、どのようにしてその力を得たのか…それは、もう誰にも分かりません。ある古い詩には、天から降ってきた『龍の涙』と呼ばれる星のかけらに触れたと謡われ、また別の伝承では、大地の奥深くに眠っていたという『龍の心臓』…あるいは『龍の器と呼ばれる脈打つ宝珠に選ばれたことで、その身に大いなる力を宿したとも言われています」
(龍の器……! やはり、俺が遺跡で触れたあの宝珠のことか……あれが、龍の力を宿すための……)
「確かなのは、彼らがその身に龍の紋章を刻まれ、人知を超えた力…龍の力を宿すようになったということです。人々は、畏敬と希望を込めて、彼らを『龍覚者』と呼びました。そして、その龍覚者の強い想いに魂が共鳴し、力の一部を分かち合い、共に戦う特別な仲間…それが『共鳴者』と呼ばれたのです」
ティアーナは、そこで一旦言葉を切り、俺、カイル、アリシアの手の甲に視線を送った。俺たちの絆もまた、この伝説と同じものだというのだろうか。
「伝承によれば、龍覚者は8人いたとされています。それぞれが、世界の根源を成す8つの属性…火、水、風、土、光、闇、雷、無…に対応する、異なる龍の力を宿していた、と」
(火、水、風、土、光、闇、雷、無……8つの属性。俺は火の力を使ったから、火の龍覚者……? なら、他の7つの力の龍覚者も、かつて存在した、あるいは……今も?)
「8人の龍覚者たちは、それぞれの力を合わせ、多くの仲間たちと共に、精霊の民に敢然と戦いを挑みました。それが、長く、激しい戦い――『精龍戦役』の始まりです。龍覚者たちの力は凄まじく、天変地異を起こし、精霊の民が誇る古代魔法や、空飛ぶ城塞をも打ち破ったと、英雄譚には語られています。そして、多くの犠牲の果てに、ついに人々は勝利を掴み、精霊の民を歴史の表舞台から退け、世界は人間の時代を迎えた……と」
ティアーナは、一息つき、少しだけ寂しげな表情で続けた。
「戦いの後、龍覚者たちがどうなったのか……それも、はっきりとは分かっていません。力を使い果たして消滅したとも、その強大すぎる力を恐れた人々や、生き残った精霊の民によって、『龍の器』と共に世界各地の古代遺跡の奥深くに封印されたとも……。確かなことは、それ以来、龍覚者は歴史から姿を消し、その存在は忘れ去られ、今ではただの伝説、私たちエルフでさえ、おとぎ話の一つとして語り継いでいるに過ぎません」
語り終えたティアーナは、静かに俺たち三人を見つめた。
「……けれど、レンさんのあの力、そしてアリシアさんとカイルさんに現れている紋章……『共鳴』は……。偶然にしては、あまりにも、古き伝説と符合しすぎているのです。あなた方は、もしかしたら……数千年ぶりに現れた、本物の龍覚者と共鳴者なのかもしれない、と私は……そう思わずにはいられないのです。伝承によれば、それは龍覚者の力に共鳴し、その一部を分かち合い、共に戦う特別な仲間――『共鳴者』の証だとされています」
カイルとアリシアが自身の手甲をまじまじと見つめる。
「だから、レンがピンチになった時、力が湧いてきたり、手の甲が熱くなったりしたのか……」
「じゃあ、あの時、ジェネラルと戦った時に感じたレンとの繋がりは……本当に……」
アリシアも、驚きと納得が入り混じった表情で自分の手甲を見た。
自分たちの身に起きた不可解な現象――力の覚醒、紋章、共鳴――が、数千年前の伝説の戦士たちと繋がっている…? 事実だとしたら、あまりにも壮大すぎる。
◇◇◇
ティアーナの語る、壮大で、そしてどこか物悲しい伝説。それは、俺たちが抱えていた多くの疑問に、一つの可能性を示唆するものだった。しばらくの間、避難区画は静寂に包まれ、俺たちはそれぞれ、衝撃的な事実を咀嚼しようとしていた。
「俺が……龍覚者……」
俺は自分の体に存在している力の意味を、ようやく理解し始めた。遺跡で触れた宝珠が『龍の器』。俺に宿った力が『龍の力』。だが、なぜ俺が?
「レンと繋がってるから、紋章が出たり、力が湧いてきたりしたのか! すげえ! …ってことは、俺たちも伝説の英雄の仲間入りってことかよ!? なんか、スケールでかすぎて実感わかねえな……!」
カイルが、興奮と戸惑いが入り混じった声で叫ぶ。彼は意外とこういう英雄譚は好きらしい。
「龍覚者……共鳴者……」
アリシアは、不安そうに自分の手の甲を見つめている。
「なんだか、すごい話だけど……。だからお兄ちゃんと私は、手の甲に紋章が出た時に共鳴者になって魔力総量が大きく上がったのかな?……でも、レンが龍覚醒者……そんな大きな力を一人で……大丈夫なのかな……?」
彼女は、力の謎よりも、俺自身の身を案じてくれている。その優しさが、今は少しだけ胸に痛い。
次から次へと湧き上がる疑問。俺たちは再び議論を始めた。だが、ティアーナの知る伝説も断片的であり、答えは見つからない。力の完全な制御方法も、その代償も、そして俺たちがなぜ今、この力に目覚めたのかも、何も分からない。
「……今はまだ、情報が少なすぎるな」
しばらくして、俺は結論付けた。
「俺たちが龍覚者や共鳴者である可能性は高い。だが、それが何を意味するのか、これからどうなるのか、全く分からない。それに、この力はまだ不安定で、制御も不完全だ。使い方を誤れば、大きな災いを招くかもしれない」
俺は仲間たちの顔を見回す。
「この力のことは、今は俺たちだけの秘密にしておこう。エルム村の皆にも、ドルガン村長にも、まだ話すべきではないと思う。余計な混乱や不安を招くだけだ。俺たちがこの力を完全に理解し、制御できるようになるまでは……」
「……そうだな。それが賢明かもしれん」
カイルが同意する。
「……わかりました」
ティアーナも、静かに同意を示した。
「ですが、レンさん。その力が本物なら、あなたは大きな宿命を背負われたのかもしれません。決して、一人で抱え込まないでください。私たちもそして仲間として、共にいますから」
ティアーナの真摯な言葉に、カイルとアリシアも力強く頷く。そうだ、俺は一人じゃない。この信頼できる仲間たちがいる。
龍覚者の謎については一旦保留とし、目の前の脅威を打倒し、エルム村と、この森の平和を守ることを最優先目標とすることを、俺たちは改めて確認し合った。この秘密を共有したことで、俺たち四人の絆は、さらに強く、特別なものになった気がした。
◇◇◇
龍覚者の伝説。それは、俺たちの存在意義を揺るがすほどの大きな謎だった。その謎に触れたことで、俺たちは自分たちが置かれた状況の異常さと、背負うかもしれない運命の重さを改めて認識した。だが、同時に、仲間と共に未来を切り拓こうという決意もまた、強くなっていた。
出発の朝。ティアーナは一人、廃墟となったシルヴァンの郷の、今は静かに眠る同胞たちの魂に、改めて別れを告げた。戻ってきた彼女の表情には、深い悲しみの色は残しつつも、迷いのない、未来を見据える強い光が宿っていた。
「……父様、母様、皆さん。必ず、あなた方の無念を晴らします。そして……私は見つけました。新たな希望を、信頼できる仲間たちを。だから、見ていてください。私たちが、未来を切り拓くのを」
彼女の小さな呟きが、静かな地下空間に響いた。
俺、カイル、アリシアもまた、エルム村の仲間たちを想い、そしてティアーナと共に戦う覚悟を決めた。
「よし、行こう」
避難区画の出口で、俺は仲間たちに声をかけた。三人が、力強く頷く。
「ああ。何が来てもこの剣と盾で守ってやるぜ!」
「うん。皆で、必ず無事に帰ろうね」
「……はい。行きましょう、私たちの未来のために」
俺たち四人は、廃墟となったエルフの里「シルヴァンの郷」を後にし、北東の山脈地帯――古代遺跡へと、固い決意を胸に歩き出した。
どんな罠が待ち受けているのか?そして、龍覚者としての俺たちの運命は?
分からないことだらけだ。だが、俺たちには仲間がいる。育まれた絆がある。そして、守るべきものがある。




