第2話:サバイバル開始、森の探索
古代遺跡の入り口から外へ出ると、先ほどまでの喧騒が嘘のように森は静まり返っていた。木々の間を抜ける風の音と、遠くで聞こえる鳥の声だけが耳に届く。俺はまだ熱を持っている気がする右手の手の甲を見つめ、そして大きく息を吐いた。
(……生き延びた)
ゴブリン二匹に襲われ、絶体絶命かと思ったが、結果として俺は生き残り、奴らを返り討ちにした。レベルも上がり、スキルまで手に入れた。不幸中の幸い、いや、転生という状況自体を考えれば、望外の結果と言えるのかもしれない。
だが、安堵ばかりもしていられない。ゴブリンを倒せたのは、あの遺跡の中で謎の宝珠に触れたおかげだ。あの時、右手の紋様が熱を帯び、体が勝手に動き、拳からは炎が出た。明らかに異常な力。
(あの力は、一体何だったんだ? そして、今も使えるのか?)
それが一番の問題だ。あの力が常時使えるなら、この先生きのこるのも多少は楽になるだろう。俺は意識を集中し、ゴブリンに炎を放った時の感覚を思い出そうとした。右手に力を込め、魔力を流すイメージ。
「……ん?」
しかし、何も起こらない。右手の紋様は静かなままだし、拳が炎を帯びる気配もない。身体能力も、ゴブリンを殴り飛ばした時のような、超人的な感覚は失われていた。
(ダメか……。あの力は、常に使えるわけじゃないのか?)
もう一度ステータスを確認する。
名前:レン
種族:人族
レベル:3
HP:150/150
MP:600/600
力:30
耐久:25
魔力:180
知力:50
敏捷:32
【スキル】
火魔法 Lv.1
身体強化 Lv.1
魔力感知 Lv.1
【称号】
???
レベルもステータスも、ゴブリンを倒した直後から変化はない。スキルも存在している。「身体強化 Lv.1」というスキルがあるのだから、これを使えば多少は強くなれるはずだ。
試しに「身体強化」の発動をイメージしてみる。すると、微かな魔力(MP)が消費される感覚と共に、体が少し軽くなり、力が込めやすくなった気がした。
(なるほど。身体強化スキルはMPを消費して発動するタイプか。ゴブリン戦の時の、あの異常なパワーとは明らかに違うな)
あの時の力は、もっと根源的な、爆発的なものだった。スキルとは別次元の……もしかしたら、あの「???」の称号と関係があるのかもしれない。あるいは、あの右手の手の甲の紋様。あの紋様が熱を帯びた時に、力が発動したような気がする。
(感情の高ぶり……か。確かに、あの時はゴブリンに追い詰められて、死ぬかもしれないという恐怖と焦りがあった。それが引き金になった?)
だとしたら、あの規格外のパワーは、そう簡単には使えない切り札のようなもの、と考えるべきだろう。普段の俺は、レベル3の15歳の少年、ということだ。
(まあ、それでもレベル1の時よりは遥かにマシだが……油断は禁物だな)
力30、敏捷32という数値が、この世界の15歳としてどの程度なのかは不明だが、ゴブリンを素手で殴り殺せるほどの力ではないだろう。通常時は、あくまで知恵とスキルで立ち回る必要がある。
「さて、と……」
俺は気を取り直し、今後の行動計画を立てることにした。まずは生き残ること。そのための具体的な課題は山積みだ。
第一に、安全な寝床の確保。この遺跡はゴブリンの死体があるし、何より薄気味悪い。早々に立ち去りたい。夜行性の危険なモンスターがいる可能性も考えると、無防備に野宿するのは自殺行為だろう。
第二に、水と食料の確保。幸い、遺跡の近くに水たまりがあったが、あれが常に飲めるとは限らない。安定した水源を見つけ、食料を調達する方法を確立する必要がある。
第三に、周囲の状況把握。ここは一体どんな場所なのか? どんなモンスターが生息しているのか? そして、人里はどこにあるのか? 手に入れた「魔力感知」スキルを駆使して、情報を集めなければならない。
(優先順位としては、まず寝床だな。日が暮れる前に、少しでも安全な場所を見つけたい)
俺は遺跡に背を向け、森の中へと足を踏み出した。むせ返るような緑の匂いと、湿った土の感触。どこまでも続くかのような巨大な樹木。まさに未開の森、といった様相だ。
「まずは、『魔力感知』、か」
スキルウィンドウの説明によれば、「周囲の魔力の流れや存在を探知する」能力らしい。具体的にどう使うのかは不明だが、とりあえず意識を集中し、周囲に注意を向けてみる。
すると、最初は何も感じなかったが、集中を続けるうちに、微かな「何か」を感じ取れるようになってきた。それは、空気中に漂う希薄なエネルギーの流れのようなもの(これがマナか?)や、生き物の気配のようなものだった。
(なるほど、これが魔力感知……。まだ曖昧だが、練習すれば精度が上がりそうだ)
特に、強い魔力を持つ存在――つまり、モンスターの気配は、比較的捉えやすい気がする。これなら、危険な生物を事前に察知して回避できるかもしれない。これは大きな武器になる。
俺は魔力感知で周囲の気配を探りながら、寝床に適した場所を探して歩き始めた。条件としては、雨風をしのげて、外敵から身を守りやすく、できればモンスターの気配が薄い場所。
しばらく森の中を彷徨う。巨大な木の根元、岩陰、小さな窪地などをチェックしていくが、なかなか「ここだ」と思える場所は見つからない。どこも開けっ広げだったり、逆にジメジメしすぎていたり。
(前世でキャンプの経験でもあれば、もっとマシだったんだろうが……生憎、インドア派のサラリーマンだったからな)
それでも、35年分の人生経験で培った観察眼(というほど大したものでもないが)と、わずかな知識を総動員する。風向き、日当たり、地面の状態、周囲の植生。サバイバル番組で見たような知識の断片を繋ぎ合わせ、少しでもマシな場所を探す。
日が傾き始め、森が薄暗くなってきた頃、ようやく手頃な場所を見つけた。それは、少し小高くなった丘の中腹にある、浅い岩窟だった。入り口は狭いが、中は大人が数人横になれるくらいのスペースがある。奥は行き止まりになっており、背後を襲われる心配はない。何より、魔力感知で探ってみても、この周辺には強いモンスターの気配が感じられなかった。
「よし、今日はここにしよう」
俺は岩窟の中に入り、まずは床を掃除した。小石や木の枝を取り除き、近くから集めてきた枯れ葉を厚めに敷き詰める。これで少しは地面からの冷気を遮断できるだろう。簡素だが、無いよりは遥かにマシな寝床が完成した。
次は火の確保だ。夜の森は冷えるだろうし、明かりにもなる。それに、もしもの時の武器にも……なるか?
俺はスキル「火魔法 Lv.1」を試してみることにした。MPを消費する感覚と共に、指先に意識を集中し、発火をイメージする。
ボッ!
指先に、小さなオレンジ色の炎が灯った。ライターの火くらいの大きさだ。
「おお……!」
本当に魔法が使えたことに、改めて感動する。これがあれば、火起こしには困らない。俺は岩窟の入り口近くに、枯れ枝や枯れ葉を集めて焚き火の準備をした。そして、火魔法で簡単に着火する。パチパチと音を立てて燃え上がる炎は、物理的な暖かさだけでなく、心にもわずかな安らぎを与えてくれた。
さて、次は水と食料だ。幸い、寝床を探している途中で、綺麗な水の流れる小川を見つけていた。水筒代わりになるものはないかと探してみると、都合よく大きめの葉っぱ(水を弾きそうな、ロウ質のもの)があったので、それを丸めて簡易的な器を作り、何度か往復して岩窟まで水を運んだ。煮沸消毒した方が安全だろうが、今はそこまでする余裕はない。祈るような気持ちで一口飲む。冷たくて、少し土の匂いがしたが、十分に美味しく感じられた。
問題は食料だ。空腹はすでに限界に近い。森の中を歩き回りながら、食べられそうな木の実や草を探してはみたが、何しろ知識がない。見た目が美味そうでも、猛毒を持っている可能性だってある。下手に手を出すのは危険だ。
(となると、やはり狩り、か……)
ゴブリンは倒せたが、あれは例外だ。今の俺の身体能力で、素早く動き回る野生動物を捕まえるのは至難の業だろう。
(罠……だな)
前世で見たサバイバル知識を思い出す。木の枝と蔓のような植物を使って、簡単な輪罠をいくつか作り、小動物が通りそうな獣道に仕掛けてみることにした。上手くいく保証はないが、何もしないよりはマシだろう。
罠を仕掛け終え、岩窟に戻る頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。焚き火の炎だけが、暗闇の中で揺らめいている。
結局、今日の食料は確保できなかった。空腹が腹の底からじわりと訴えかけてくる。仕方なく、水を飲んで空腹を誤魔化す。
(初日からこれか……先が思いやられるな)
岩窟の奥、枯れ葉のベッドに横になる。硬い地面と、森のざわめき。慣れない環境に、なかなか寝付けない。孤独と不安が、暗闇と共に心を蝕んでくる。
(本当に、俺はこの世界でやっていけるのか……?)
35歳の精神年齢とはいえ、中身はただの平凡なサラリーマンだ。サバイバルのスキルもなければ、屈強な肉体もない。あるのは、中途半端な知識と、まだ使いこなせない謎の力だけ。
(……いや、弱音を吐いている場合じゃない)
俺は頭を振って、ネガティブな思考を追い払う。生き残ると決めたのだ。面白い人生を送ると決めたのだ。そのためには、まず今日を、明日を、生き延びなければならない。
幸い、スキルがある。「魔力感知」で危険を避け、「火魔法」で火を確保できる。知力も高いはずだ。考えろ。工夫しろ。諦めなければ、道は開ける。
俺は焚き火の炎を見つめながら、思考を巡らせた。罠の改良、食料になりそうな植物の見分け方、安全な行動範囲の拡大……。やるべきことは無限にある。
いつの間にか、空腹と疲労が睡魔へと変わり、俺の意識は深い眠りへと落ちていった。
◇ ◇ ◇
翌朝、鳥の声で目を覚ました俺は、まず罠を確認しに向かった。期待はしていなかったが、なんと、仕掛けた輪罠の一つに、ウサギのような灰色の毛皮を持つ小動物がかかっていた。
「よしっ!」
思わずガッツポーズが出る。初めての獲物だ。しかし、喜びも束の間、まだ息のある獲物をどう仕留めるか、という現実的な問題に直面する。多少の罪悪感と躊躇いを覚えつつも、生きるためには仕方ないと割り切り、近くにあった手頃な石で……なんとか処理した。前世では考えられない行為だが、これも異世界サバイバルだ。
岩窟に戻り、獲物の解体に取り掛かる。もちろん、やったことなどない。ナイフもないので、鋭利な石を探してきて、見様見真似で皮を剥ぎ、内臓を取り出す。当然、上手くいくはずもなく、肉はボロボロ、あたりは血と臓物で酷い有様になった。
(うへぇ……これはキツイな……)
それでも、貴重な食料だ。捨てるわけにはいかない。火魔法で起こした焚き火に、木の枝に刺した肉をかざして焼いていく。塩も胡椒も、もちろんない。ただ焼くだけ。
やがて肉が焼け、香ばしい……とは言い難い、生臭さと焦げ臭さが混じった匂いが漂ってきた。見た目も黒焦げの部分と、まだ赤みが残る部分が混在している。
(……まあ、食えないことはない、だろ)
覚悟を決めて、かぶりつく。
「……っ!?」
硬い。筋っぽい。そして、猛烈に生臭い。焦げた部分は苦く、火の通りが甘い部分は妙に生々しい。味付けがないので、ただただ肉本来の(あまり美味しくない)味が口の中に広がる。
(まずい……! これは想像以上に酷い……!)
前世で食べていた、あらゆる食事が恋しくなる。コンビニの弁当ですら、今は神の食べ物に思えるだろう。
それでも、俺は必死に肉を咀嚼し、飲み込んだ。生きるためには、食べなければならない。贅沢は言っていられないのだ。
不味い肉をなんとか腹に収め、強烈な徒労感に襲われる。食事がこれほど苦痛だとは。
数日間、そんな生活が続いた。罠にかかる獲物は、毎日とはいかないまでも、数日に一度は何かしら捕まった。ウサギもどきだけでなく、大きなネズミのような生き物や、見たこともない鳥など。どれもこれも、ただ焼いただけでは絶望的に不味かった。
時には、勇気を出して木の実や草を口にしてみた。前世の知識で「これは食べられそうだ」と思ったものを選んだつもりだったが、結果は散々だった。強烈な苦味や渋みに顔を歪め、腹を下したり、舌が痺れたり。
(サバイバル、舐めてた……)
まさに身をもって、食料確保の難しさと、知識の重要性を痛感した。
そんなある日、いつものように不味い肉と、試しにかじってみた妙なキノコ(少量にした)を食べた後、ステータスウィンドウに変化が現れた。
【スキル】
(略)
毒耐性 Lv.1 (New!)
「……毒耐性?」
【毒耐性 Lv.1】:弱い毒に対して、ある程度の耐性を得る。
(なるほど……不味いものや怪しいものを食べ続けた結果、耐性がついた、ということか)
なんとも皮肉なスキルの獲得だが、この先生きのこる上では役立つかもしれない。怪しいものを食べても、腹を下す程度で済むようになる、とか。
不味い食事にも、少しずつだが慣れてきた(というより、感覚が麻痺してきたのかもしれないが)。相変わらず美味しくはないが、「生きるための燃料」と割り切って腹に入れることができるようになった。
サバイバル生活は、食料確保だけではない。寝床の改良も進めた。岩窟の入り口に、木の枝や葉で簡単な風よけを作り、焚き火の熱が逃げにくいように工夫した。夜の冷え込みが、少しだけ和らいだ気がする。
また、合間を見てスキルの練習も欠かさなかった。
「魔力感知」は、最も重要なスキルだ。意識的に使い続けることで、感知できる範囲や精度が少しずつ向上しているのを感じる。最初は曖昧だったモンスターの気配も、その位置や大まかな強さ(魔力量の多寡)を感じ取れるようになってきた。おかげで、何度か危険なモンスター(おそらくゴブリンよりも強い)との遭遇を避けることができた。
「火魔法」は、火起こしには非常に便利だが、それ以外の使い道はまだ模索中だ。小さな炎を安定して灯し続ける練習をして、夜間の明かりとして使えるようにした。攻撃手段としても使えるかもしれないが、MP消費を考えると、むやみには使えない。
「身体強化」も同様だ。MPを消費するため、常用はできない。いざという時のための切り札、あるいは短時間の作業効率アップに使うくらいだろう。
(やはり、あのゴブリン戦の時の力が鍵になる……。どうすれば、意図的に発動できるんだ?)
右手の手の甲の紋様を撫でながら、思考を巡らせる。感情の高ぶり? それとも、何か別の条件が? この謎の力と、「???」の称号。これらを解明することが、今後の大きな課題となりそうだ。
遺跡周辺の探索も、少しずつ範囲を広げている。「魔力感知」を頼りに、危険なモンスターのテリトリーを避けながら、地理の把握に努める。森はどこまでも深く、似たような景色が続くため、迷わないように木の幹に印をつけたり、特徴的な地形を目印にしたりと、慎重に進めている。
今のところ、人里に繋がるような道や、人工的な痕跡は見つかっていない。この森がどれほど広大なのか、見当もつかない。
(焦っても仕方ない。今は地道に、できることをやるだけだ)
サバイバル生活は、決して楽ではない。不味い食事、硬い寝床、常に付きまとう孤独と不安。だが、不思議と絶望感はなかった。前世の灰色だった日常に比べれば、毎日が生きるか死ぬかの連続であるこの状況は、ある意味で「彩り」に満ちているとも言える。今は耐え、学び、力を蓄える時だ。
焚き火の炎がパチパチと音を立てる。岩窟の外からは、夜の森の様々な音が聞こえてくる。獣の遠吠え、虫の声、風が木々を揺らす音。俺は不味いが貴重な焼き肉の残りを口に運び、ゆっくりと咀嚼する。明日もまた、厳しい一日が始まるだろう。だが、今はただ、この簡素な寝床で体を休めよう。
(必ず、この森を抜けてやる……)
静かな決意を胸に、俺は再び眠りについた。右手の手の甲の紋様が、焚き火の光を受けて、一瞬だけ赤く輝いたような気がした。