第17話:冬に緑を呼ぶ温室 ~異種族の協奏~
エルム村に、エルフの難民たちが保護されてから数日が過ぎた。俺が指揮を執り、村人総出で建設した彼らのための仮設住居も完成し、彼らはひとまずの安住の地を得ることができた。
戦いで負傷した者たちも、俺とアリシアの回復魔法、そしてエルフ自身が持つ薬草知識によって、順調に回復へと向かっていた。
村には、人間、獣人、ドワーフに加え、エルフという新たな種族が加わり、以前にも増して多様な賑わいを見せ始めていた。しかし、その一方で、深刻な問題もまた、現実のものとして村に重くのしかかっていた。食料問題だ。
「……レンさん。備蓄食料の計算、出ました」
ある日の隊長室(俺の家の隣に建てられた小さな詰め所)。補佐役のアリシアが、羊皮紙の束を手に、厳しい表情で報告に来た。
「どうだった?」
「はい……。今年の秋の収穫は、レンさんの農業改革のおかげで例年よりは見込めますが、それでも……エルフの方々数十人を含めた全員が、厳しい冬を十分に越せるほどの量には、正直、足りません。特に、葉物野菜などの不足が深刻です」
アリシアの報告に、俺は眉をひそめた。分かっていたことではあるが、数字として突きつけられると、その現実は重い。燻製肉や保存根菜はある。だが、それだけでは栄養が偏り、特に子供や老人、そして慣れない環境にいるエルフたちの健康を損なう可能性がある。
「狩りを強化しても、限界がある。畑の本格的な収穫増は来年からだ……。冬の間、新鮮な野菜を供給する方法……何か、手はないものか……」
俺が頭を抱えていると、ふと、先日完成したばかりの「あるもの」が頭をよぎった。俺の家に試験的に設置された、あの床暖房システムだ。
(待てよ……あの【微温魔石ヒートプレート】。あれは、少ない魔力で安定した熱を持続的に供給できる。そして、アリシアが見つけてくれた【硬質光翅】の窓材。あれは光をよく通す……。熱と、光。これがあれば……もしかして!)
俺の中に、前世の知識が閃光のように結びついた。
「アリシア、カイル! ちょっといいか!」
俺はすぐに、訓練を終えて戻ってきたカイルと、薬草園の手入れをしていたアリシアを呼び集めた。そして、興奮気味に自分のアイデアを語り始めた。
「二人とも、聞いてくれ! もしかしたら、冬の間でも野菜を育てられるかもしれない!」
「えっ!? 冬に野菜を!?」
「本当か、レン? この辺りの冬は、地面も凍るほど寒いんだぞ」
驚く二人に、俺は自信を持って説明する。
「ああ。先日開発した床暖房の技術――あのヒートプレートを畑の地面の下に設置して、土を温めるんだ。そして、建物をあの硬質光翅の窓で覆って、太陽の光を取り込み、中の温度を保つ。そうすれば、外がどんなに寒くても、建物の中は作物が育つ環境を維持できるはずだ。俺がいた世界では、『温室』と呼んでいた施設だ」
「建物の中で野菜を……? そんなこと、本当にできるの?」
アリシアは目を丸くしている。
「床暖房を畑に使うってのか? 発想がぶっ飛びすぎだろ……」
「理論上は可能なはずだ。これなら、冬の間でも新鮮な葉物野菜やハーブを育てて、皆に供給できる。食糧問題の、大きな解決策になるかもしれない!」
俺の熱弁に、最初は半信半疑だった二人も、次第にその可能性に気づき始めたようだった。
「冬に……緑の野菜が食べられる……」
「もし本当にできたら……すごいことだぞ、レン!」
ちょうどそこへ、エルフたちの代表として村の会議にも参加しているティアーナが通りかかった。彼女は、俺たちの会話を耳にして、興味深そうに近づいてきた。
「……温室、ですか? 冬に作物を? 人間の考えることは、やはり面白いですね」
その青い瞳には、強い知的な好奇心が宿っている。
「ティアーナも、そう思うか? エルフの技術で、何か参考になるようなものはあるだろうか?」
俺が尋ねると、ティアーナは少し考えてから答えた。
「私の故郷シルヴァンの郷にも、特殊な植物を育てるための似たような施設はありました。ですが、熱源は地熱を利用したもので、これほど効率的ではありませんでしたし、採光も……あの硬質光翅のような優れた素材はありませんでした。レン殿の発想と、この村の技術を組み合わせれば、あるいは……我々エルフの知識も、お役に立てるかもしれません」
ティアーナの言葉は、俺の計画に大きな後押しとなった。彼女の持つ魔道具の知識と技術があれば、温室の実現性はさらに高まるだろう。
「よし、決まりだ! エルム村、冬の食糧危機脱出プロジェクト――温室栽培計画、始動だ!」
俺の宣言に、カイルとアリシア、そしてティアーナも、力強く頷いてくれた。
◇ ◇ ◇
温室建設プロジェクトは、すぐに開始された。しかし、最初の大きな壁にぶち当たった。それは、窓材となる【硬質光翅】の圧倒的な不足だ。
俺の家に使った分や、アリシアが以前見つけた分を合わせても、計画している温室(最低でも村の食料を賄える規模、つまり複数棟は必要だ)の壁と屋根を覆うには、全く数が足りない。
「やはり、原料となるクリスタル・ビートルを狩りに行くしかないか……」
俺がそう呟くと、ヘクターさんが厳しい顔で言った。
「レン隊長、クリスタル・ビートルは手強いぞ。特に成体はな。体長は3メートルを超え、鋼鉄並みの硬い甲殻を持ち、おまけに強酸性の液体まで吐きおる。並の猟師では手も足も出ん」
「だが、あれがなければ温室は作れない。行くしかないだろう」
カイルが、決意を込めて言う。
「危険なのは承知の上です。ですが、村の未来のためには、避けては通れない道でしょう。俺が隊長として、討伐隊を編成し、指揮を執ります」
俺はドルガン村長に許可を求め、村の精鋭を集めたクリスタル・ビートル討伐隊を結成することになった。メンバーは、俺、カイル、アリシア、猟師のヘクターさんさらに……。
「私も、行きます」
ティアーナが、静かだが強い意志を込めて申し出た。
「ティアーナ!? 君はまだ体調も万全ではないだろうし、危険すぎる!」
アリシアが心配して止めようとする。
「いいえ。この体は、あなた方の回復魔法のおかげで、もう十分に動きます。それに……」
ティアーナは、腰に提げた愛用の短剣に手をかけ、青い瞳に復讐の炎を宿らせた。
「故郷を滅ぼした魔物を操っていた黒幕への手がかりを掴むためにも、私自身も力をつけなければなりません。それに、クリスタル・ビートルの素材は、魔道具の材料としても非常に有用なのです。私が行けば、必ず役に立てるはずです」
彼女の強い決意と、魔道具師としての知識への期待もあり、俺たちはティアーナを討伐隊に加えることにした。彼女の存在は大きな力となるはずだ。
数日後、十分な準備を整えた討伐隊は、クリスタル・ビートルの生息地とされる、村から北西へ数日かかる森の中の洞窟へと向けて出発した。
道中は、カイルが先頭で警戒し、俺とティアーナが魔法と魔道具で周囲を探り、アリシアとヘクターさんたちが後方を固めるという陣形を取った。三人と、経験豊富な猟師、そしてエルフの魔道具師が加わったパーティーは、以前とは比較にならないほどの安定感があった。
途中で遭遇する魔物も、強力な個体が多かったが、俺たちの連携の前には敵ではなかった。カイルがで攻撃を受け止め、ティアーナが水魔法のウォーターランスやアイスバレットで敵の動きを封じ、アリシアが光魔法で弱点を狙撃し、俺が火魔法や土魔法で止めを刺す。
ボルグやヘクターさんたちも、的確な援護で戦闘をサポートする。協力して戦う姿は、まだぎこちなさはあるものの、確かな可能性を感じさせた。
そして、数日間の探索の末、俺たちはついに目的地の洞窟に到着した。洞窟の入り口には、巨大な甲虫が這ったような跡が無数に残されており、奥からは金属が擦れるような、不気味な音が聞こえてくる。
「……いるな。それも、かなりの数だ」
俺は魔力感知で内部の様子を探り、顔をしかめた。洞窟の中には、少なくとも十体以上のクリスタル・ビートルが蠢いている気配がある。
「よし、作戦通り行くぞ! カイル、前に出て奴らの注意を引きつけろ! ヘクターさんたちは側面から援護射撃! アリシアは回復と弱点狙撃! ティアーナは魔法で俺の援護を頼む! 俺が、奴らの硬い甲殻を破る!」
俺の指示に、全員が頷く。
「「「うおおおおおっ!!」」」
カイルの雄叫びを合図に、戦闘が開始された!
洞窟内は、激しい戦闘で、阿鼻叫喚の様相を呈した。
「グルルルッ!」
クリスタル・ビートルは、その巨体で突進し、鋼鉄のような顎で噛みつき、そして腹部から強酸性の粘液を吐きかけてくる!
「挑発!」
カイルが盾を構え、挑発の魔法で敵のヘイトを集め、酸液ブレスを弾き返す。黄金色の光が盾を覆い、強酸を防ぎきる。
「ウォーターウォール!」
ティアーナが水の障壁を展開し、仲間たちを酸液から守る。同時に、短剣を手に、エルフならではの俊敏さでビートルの側面や背後に回り込み、関節部の隙間を狙って切りつける。
「そこだっ!」
ヘクターさんたちの放つ矢が、ビートルの複眼や触覚といった弱点を的確に射抜く。
「アリシア! カイルの回復を!」
「うん! ハイヒール!」
アリシアの回復魔法が、カイルの傷ついた体を癒していく。
そして、俺は【魔鉄の剣】を構え、一体のビートルの前に立ちはだかった。
(硬い甲殻……だが、弱点はあるはずだ! 【鑑定】!)
名称:クリスタル・ビートル(成体)
種別:魔甲虫種
状態:興奮、敵意
【弱点】
腹部下面の軟質部、高熱による甲殻脆化
【情報】
鉱脈近くに生息する大型甲虫。非常に硬い結晶質…(以下略)
(弱点は腹の下と、熱か!)
「ティアーナ! 火に弱い! 俺が熱で甲殻を脆くする! その隙に腹の下を狙ってくれ!」
「了解しました!」
俺は無詠唱で火魔法を発動。ビートルの背中の甲殻に叩きつける!
凄まじい熱量で、硬い甲殻の一部が赤熱し、ヒビが入る!
「今です!」
ティアーナが、水の刃を作り出す魔法ウォーターブレードを、脆くなった甲殻の隙間から腹部へと突き刺す!
「ギシャアアアアッ!」
ビートルが苦悶の叫びを上げる。そこへ、カイルが連携して体当たりを食らわし、巨体をひっくり返す!
「アリシア!」
がら空きになった腹部の軟質部目掛けて、アリシアの光魔法であるライトアローとヘクターさんたちの鉄の矢が集中して突き刺さる!
そして、俺が最後に【魔鉄の剣】による炎の斬撃で止めを刺した。
この連携を繰り返し、俺たちは数時間に及ぶ激闘の末、洞窟内にいた十数体のクリスタル・ビートルを全て討伐することに成功した!
「……やった……やったぞ!」
カイルが、疲労困憊ながらも勝利の雄叫びを上げる。皆、傷つき、疲れ果てていたが、その顔には確かな達成感が浮かんでいた。特にティアーナは、初めての人間との共同戦闘で大きな戦果を挙げたことに、興奮と安堵が入り混じったような表情を見せていた。
そして、俺たちは戦利品である大量の硬質光翅と、副産物である硬い甲殻、体液を、ストレージに満載して、村へと帰還した。
◇ ◇ ◇
村に戻った俺たちは、休む間もなく温室の建設に取り掛かった。場所は、日当たりが良く、灌漑水路からの水の便も良い、畑に隣接する区画だ。まずは複数棟の建設を目指す。
俺が全体設計と土魔法による基礎工事、骨組み設置補助。ゴードンさんが木材と金属(一部、甲虫の硬い甲殻も利用した)による頑丈な骨組みを製作。ここまでは、以前の建築作業と同じ流れだ。
そして、今回のプロジェクトの鍵となるのが、エルフたちの技術だ。
ティアーナは、持ち帰った大量の硬質光翅の加工を一手に引き受けた。彼女の指示の下、他の若いエルフたちが、エルフならではの繊細な手つきと、ティアーナが改良した魔道具を使って、硬質光翅を均一な厚さの美しい「ガラス板」へと加工していく。その技術と速度は、ゴードンさんでさえ「……エルフの技は、やはり別格じゃわい」と舌を巻くほどだった。
同時に、ティアーナは【微温魔石ヒートプレート】の量産体制も構築した。彼女が設計した魔力回路の図面を元に、他のエルフたちが分業して部品を作成・組み立てていく。彼女たちの指先から生み出される魔道具は、まるで芸術品のようだった。設置と、魔力供給回路の敷設も、エルフたちが中心となって、正確かつ効率的に進められた。
一方、人間の村人たちも、カイルやボルグの指揮の下、資材運び、温室内の土壌作り(レンが作った堆肥やアリシアの緑肥を運び込む)、そしてアリシアが選定した種まきなどで協力する。
最初は、互いに遠慮があり、ぎこちない雰囲気もあった。だが、温室という共通の目標に向かって共に汗を流す中で、自然と会話が生まれ、身振り手振りを交えながら、互いの文化や技術を教え合う姿が見られるようになった。
「カイルさんの力は本当にすごいですね! あの大きな木材も軽々と!」
「ティアーナさんこそ、あんな小さな石から熱を生み出すなんて、魔法みたいだ!」
「エルフの弓は美しいな。今度、コツを教えてくれないか?」
「人間とドワーフの作るレンガは、とても頑丈ですね。私たちの郷の家とは違います」
レンやアリシアも積極的に間に入り、共同での食事会を提案したりすることで、人間とエルフの間の壁は少しずつ溶けていった。異なる種族が、互いの違いを認め合い、尊重し合い、そして協力し合う。エルム村に、新たな融和の光が差し込み始めていた。
◇ ◇ ◇
そして、さらに数日後。村人たちとエルフたちの努力が実を結び、エルム村にいくつかのガラス張りの立派な温室が完成した!
内部は、【微温魔石ヒートプレート】によって常に春のような穏やかな温度に保たれ、硬質光翅の窓から降り注ぐ太陽光が、豊かな土壌を照らしている。
アリシアが中心となって選定した、寒さに比較的強く、成長の早い葉物野菜(ほうれん草に似たスピナ、キャベツに似たリーフなど)やジャガイモ、そしてティアーナが故郷から大切に持ってきたエルフ族特有の栄養価の高い野菜の種が、丁寧に蒔かれた。
村人たちが固唾を飲んで見守る中、数日後、温室の中で緑色の小さな芽が一斉に土から顔を出した! 外は日に日に冬の気配が色濃くなり、木々の葉も落ち始めているというのに、温室の中だけは、まるで季節が逆戻りしたかのように、生命の息吹に満ち溢れている。
「おお……! 芽が出たぞ!」
「すごい……! 本当に、冬に野菜が育つなんて……!」
「これで、冬の間も、新鮮な緑の野菜が食べられるんじゃなあ!」
村人たち、特に厳しい冬の食糧難を知るエルフたちは、その光景に深い感動を覚え、目に涙を浮かべていた。
ティアーナも、温室の中で健やかに育つ緑の芽――その中には、故郷シルヴァンの郷で育てられていた野菜もある――を見て、静かに微笑んでいた。故郷を失った悲しみは消えない。復讐の誓いも忘れてはいない。だが、このエルム村で、新たな命が育まれ、未来への希望が芽生えていることに、彼女の心にも確かな温もりが灯り始めていた。
◇ ◇ ◇
温室栽培の成功は、エルム村の食糧問題を解決する大きな一歩となった。それはまた、人間とエルフという異なる種族が、互いの知識と技術を持ち寄り、協力することで未来を切り拓けることを証明する、象徴的な出来事でもあった。
夕暮れ時。俺は、カイル、アリシア、そしていつの間にか当たり前のように隣にいるようになったティアーナと共に、完成した温室の中で、すくすくと育つ緑の命を見つめていた。
「これで、冬の食卓も少しは彩り豊かになりそうだな」
「うん! 早く大きくなって、皆で食べたいね!」
「それにしても、レンの発想とティアーナの技術には驚かされるぜ」
「ふふ、レンさんの魔法と知識も、素晴らしいものですわ」
俺たちは顔を見合わせ、穏やかに笑い合った。
俺は、温室のガラス窓(硬質光翅製)に映る自分たちの姿を見ながら、決意を新たにする。この村を、この仲間たちを、必ず守り抜く。そして、この森に隠された謎と、自分自身の運命に、必ずや立ち向かってみせる、と。
エルム村の新たな挑戦は、まだ始まったばかりだ。




