第15話:食卓の革命と冬への備え
季節は夏へと移り変わろうとしていた。
俺が持ち込んだ知識と魔法によって実現した農業改革――輪作、堆肥、そして灌漑用水路――の効果が現れ始め、畑にはこれまでにないほどの豊かな実りが期待されていた。
「すごいぞ、レン! 今年の麦は、穂の付きが全然違う!」
「カブも、こんなに大きく育ったのは初めてじゃわい!」
「水路のおかげで、日照りが続いた時も安心じゃったからのう」
畑仕事をする村人たちの顔には、満面の笑みが浮かんでいる。豊作への期待が、村全体の活気をさらに高めていた。
しかし、新たな課題もまた、目の前に迫っていた。それは、食料の保存だ。
「これだけの収穫が見込めるとなると、問題はどうやって冬の間、そして来年の春まで、これを腐らせずに保存するかじゃな」
ある日の夕食後、村の会議でドルガン村長が深刻な顔で切り出した。これまでのエルム村では、収穫した穀物や根菜は、それぞれの家の小さな貯蔵穴や、村の共同の古い地下倉庫に保管されていたが、その保存環境は決して良いものではなく、かなりの量が冬の間に傷んだり、ネズミや虫の被害に遭ったりしていたという。肉に関しても、干し肉や塩漬けが基本だが、長期保存には向かず、味も単調になりがちだった。
「せっかく豊作になっても、それを無駄にしてしまっては意味がない。レン殿、何か良い知恵はないものかのう?」
村長の言葉に、集まっていた村人たちの期待の眼差しが俺に注がれる。建築や農業で次々と革新をもたらしてきた俺に、今度は食料保存の妙案を期待しているのだ。
(食料保存、か……。確かに、これは重要だ。前世では冷蔵庫や冷凍庫、真空パックなんて便利なものがあったが、ここではそうはいかない。だが、もっと原始的で、かつ効果的な方法があったはずだ……)
俺は前世の記憶を探る。乾燥、塩漬け以外で、長期保存が可能で、しかも……そうだ、風味も良くなる方法。
「村長、皆さん。肉の保存についてですが、燻製という方法を試してみてはどうでしょうか?」
「くんせい……? それは、なんじゃ?」
村長も、ヘクターさんたち猟師も、聞き慣れない言葉に首を傾げる。
「肉や魚を、塩漬けにした後、特定の木の煙で長時間燻すんです。煙に含まれる成分が肉に浸透し、水分を減らすことで、保存性が格段に向上します。それに、煙の種類によっては独特の良い香りがついて、ただの干し肉や塩漬けよりもずっと美味しくなるはずです」
俺は、前世で食べたベーコンやスモークサーモンの味を思い出しながら、燻製の原理と効果を説明した。
「煙で肉が美味くなるじゃと……? にわかには信じがたいが……」
「干し肉より長持ちするというのは魅力的じゃな。冬場の貴重なタンパク源になる」
猟師たちは、半信半疑ながらも興味を示している。特に、味が良くなるという点に惹かれているようだ。
「それから、根菜や穀物の保存ですが、今の地下倉庫では温度や湿度の管理が十分ではありません。俺の土魔法を使えば、もっと深く、もっと広く、そして一年中温度変化の少ない安定した環境の地下貯蔵庫を新たに建設、あるいは拡張することが可能です。適切な換気を行えば、カビや腐敗も大幅に防げるはずです」
俺がそう付け加えると、今度は畑仕事をする老人たちや主婦たちの目が輝いた。
「おお! それはありがたい!」
「毎年、冬の間にダメにしてしまう芋やカブが、どれほどあったことか……」
食料の安定確保は、村全体の悲願なのだ。
「よし、レン隊長! その『燻製』とやらも、『新しい貯蔵庫』とやらも、ぜひ進めてくれ! 村の食料事情を改善するため、全面的に協力しよう!」
ドルガン村長の鶴の一声で、俺はエルム村の食料保存技術の向上にも取り組むことになった。
◇◇◇
まずは、燻製だ。俺は早速、ゴードンさんやヘクターさん、そして狩りの経験が豊富なカイルやボルグたちに協力を仰ぎ、燻製小屋の建設に取り掛かった。場所は、煙が他の家に影響しないよう、村のはずれの風下を選んだ。
「燻製で重要なのは、温度と煙の管理だ。低温でじっくり燻す方法と、比較的高温で短時間で仕上げる方法があるが、まずは長期保存に向く低温燻製から試してみよう」
俺は前世の知識に基づき、燻製小屋の設計図を描いた。小屋自体は魔力レンガと魔法モルタルで頑丈に作り、内部に肉を吊るすための金具(ゴードンさん作)を設置。そして、最も重要なのが、火を起こす炉と、煙を小屋内部に効率よく循環させるため煙道の設計だ。
「この炉で、直接火を当てるのではなく、煙だけを送り込むようにする。煙道にいくつか弁を設けて、煙の量や流れを調整できるようにしよう」
「ふむ、なるほど。煙で燻す、か……。面白い。火加減と煙の調整がキモになりそうじゃな」
ゴードンさんは、俺の設計図に感心しつつ、ドワーフならではの視点から改良案を出してくれた。
建設作業は順調に進んだ。俺が【土魔法】で基礎を作り、レンガを積み上げ、ゴードンさんが金属部品を取り付け、カイルたちが木材を加工・運搬する。数日で、エルム村初の燻製小屋が完成した。
次に、燻製にする肉の準備。カイルたちが狩ってきたばかりの猪肉や鹿肉を、まずは塩水に漬け込み、味付けと脱水を行う(塩漬け)。この塩加減が重要だと、ヘクターさんが長年の経験からアドバイスをくれる。
数日間塩漬けにした後、肉を取り出して表面の水分をよく拭き取り、風通しの良い場所で乾燥させる(風乾)。そして、いよいよ燻製工程だ。
「燻製に使う木材チップも重要なんだ。木の種類によって、香りが全然違う」
俺は【鑑定】スキルとアリシアの植物知識を頼りに、村の周辺で手に入る木材の中から、燻製に適した、香りの良い木(サクラやリンゴの木に似た、甘い香りのするものや、ナラに似た香ばしい香りのするものなど)を選び出した。それらを細かくチップ状にし、炉で熾火作り、その上にチップを置いて煙を発生させる。
燻製小屋の中に吊るされた肉に、ゆっくりと煙がまとわりついていく。
初めての燻製作りは、緊張と期待の中で進められた。そして翌日、ついにエルム村初の燻製肉が完成した!
小屋の扉を開けると、たまらなく芳醇で香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。吊るされた肉は、美しい飴色に染まり、表面には艶やかな光沢がある。見た目だけでも、明らかにただの干し肉とは違う。
「こ、これが……燻製肉か……!」
ヘクターさんたち猟師も、その見た目と香りにゴクリと喉を鳴らしている。
早速、村人たちを集めて試食会が開かれた。薄く切られた燻製肉が、皆の前に配られる。
「……う、美味いっ!!」
一口食べた瞬間、カイルが大きな声を上げた。
「なんだこれは!? 干し肉とは全然違う! 柔らかくて、香りが良くて、噛めば噛むほど味が出る!」
「本当だ……! 塩辛いだけじゃなくて、深い味わいがある……!」
「こんな美味い肉、生まれて初めて食ったぞ!」
村人たちからも、次々と驚きと感動の声が上がる。特に、普段は質素な食事に慣れている子供たちは、目を輝かせて燻製肉を頬張っている。
俺も一切れ口に運ぶ。……うん、美味い! 前世で食べた高級ベーコンにも匹敵するかもしれない。素材が良いことに加え、この世界の木材チップが独特の良い風味を出しているのだろう。
「しかも、これなら干し肉よりずっと長持ちするんじゃろ?」
「ええ。ちゃんと保存すれば、数ヶ月は持つはずです。冬の間の貴重な食料になりますよ」
俺の言葉に、村人たちの顔がさらに明るくなる。燻製技術の導入は、エルム村の食文化に革命をもたらし、冬への備えにも大きく貢献することになった。猟師たちの狩りへの意欲も、以前にも増して高まっているようだった。
◇◇◇
肉の保存に目途がついた次に、俺は根菜や穀物の地下貯蔵庫の建設・拡張に取り掛かった。村には元々、小さな地下貯蔵穴がいくつかあったが、容量も小さく、温度や湿度の管理も不十分で、多くの作物が冬の間に傷んでしまっていた。
「もっと深く、もっと広く、そして一年中温度と湿度が安定するような貯蔵庫が必要です。そうすれば、秋に収穫したものを、春まで新鮮な状態で保存できるはずです」
俺は村長と長老たちに、新しい地下貯蔵庫の計画を説明した。土魔法があれば、大規模な地下空間の掘削も、以前より遥かに容易かつ安全に行える。
「おお、それはありがたい! 頼んだぞ、レン隊長!」
村長の許可を得て、俺は村の中央広場の地下に、大規模な貯蔵庫の建設を開始した。
俺が無詠唱で魔法を発動すると、地面がまるで意思を持ったかのように動き出し、巨大な穴がみるみるうちに掘削されていく。掘り出した土砂は、魔法で圧縮・整形され、別の場所へと運び出される。
地下に広大な空間が確保されると、俺は次に、魔力レンガと魔法モルタルを使って、壁、天井、床を頑丈に固めていく。さらに、前世の知識を活かし、温度と湿度を安定させるための工夫を凝らした。
「壁は二重構造にして、間に断熱材(加工した苔や木炭を混ぜた土)を詰めます。これで外気温の影響を最小限に抑えられる。そして、地上に繋がる換気口を複数設け、空気の流れを制御することで、湿度を適切な状態に保ちます。入り口も二重扉にして、外気の流入を防ぎましょう」
俺の指示に基づき、ゴードンさんや村の大工たちが協力して、内部構造を作り上げていく。完成した地下貯蔵庫は、村の年間収穫物を全て保管してもまだ余裕があるほどの広さと、年間を通じてひんやりと涼しく、適度な湿度を保つ、まさに理想的な保存環境を備えていた。
秋の収穫後、大量のカブや芋、麦などが運び込まれ、整然と棚に並べられていく。
「これで、冬の間も、春先までも、野菜や穀物が食べられるんじゃなあ……」
タゴサクさんをはじめとする老人たちは、感慨深げに貯蔵庫を見渡し、目に涙を浮かべていた。飢えの心配が減るということは、彼らにとって何物にも代えがたい喜びなのだ。
◇◇◇
燻製と地下貯蔵庫によって、肉や穀物、根菜の保存問題は大きく改善された。残るは、森の恵みである果実だ。秋になると、村の周りの森では、様々な種類のベリーや木の実が実るが、それらは傷みやすく、長期保存は難しかった。
「この赤い実、すごく甘酸っぱくて美味しいんだけど、すぐに熟れすぎてダメになっちゃうんだよね……。もったいないなぁ」
ある日、アリシアが籠いっぱいに採ってきた、ルビーのように輝くベリー(【陽の実(さんの実)】というらしい)を見ながら、残念そうに呟いた。
「確かに美味そうだが……。そうだ、アリシア。これを蜂蜜漬けにしたり、煮詰めてジャムみたいにしたりするのはどうだろうか? そうすれば、もっと長持ちするかもしれないぞ。このまえ作った砂糖が役に立つ。」
俺は、前世で母親がよく作っていたジャムや、保存食としての蜂蜜漬けのことを思い出し、提案してみた。砂糖がないこの世界では、蜂蜜が貴重な甘味料だ。
「へえー! 面白そう! やってみたい!」
アリシアはすっかり乗り気だ。俺たちは早速、村の女性たち(料理上手なミーナさんや、エマ婆さんなど)も誘って、果実の保存加工に挑戦することになった。
まず、ゴードンさんに頼んで、煮込み用の大きな銅鍋(彼の隠し在庫にあった良質な銅で作ってくれた)と、保存用の蓋付きの陶器の瓶をたくさん作ってもらった。
次に、アリシアが中心となって、森で採集してきた様々な果実(陽の実、森苺、木の実など)を選別し、下準備をする。俺は、前世のレシピを思い出しながら、果実の種類に合わせて加える蜂蜜の量や、煮詰める時間を調整していく。
「ここは焦げ付かないように、弱火でじっくりと……」
試行錯誤の末、いくつかの種類の蜂蜜ジャムと蜂蜜漬けが完成した。陽の実のジャムは鮮やかなルビー色で甘酸っぱく、森苺のジャムは濃厚な香りがする。木の実の蜂蜜漬けは、香ばしさと蜂蜜の甘さが絶妙にマッチしている。
「……美味しい!」
完成したジャムをパンにつけて一口食べたアリシアが、感嘆の声を上げる。
「本当だ! 甘くて、果物の味がしっかりしてて……こんなの初めて!」
カイルも、最初は「原型がないものはちょっと……」と渋っていたが、一口食べると目を丸くして、次々とパンにジャムを塗っていた。
完成したジャムと蜂蜜漬けは、村人たちにも振る舞われた。特に子供たちは、その初めて体験する甘い美味しさに大喜びで、パンを取り合うようにして食べていた。
「こんな美味いもんが食えるなら、冬も悪くないな!」
「ありがとうよ、レン、アリシア!」
村の食卓に、新たな彩りと楽しみが加わった瞬間だった。アリシアも、自分のがんばりが役立ち、皆が喜んでくれることに、満面の笑みを浮かべていた。その笑顔は、太陽のように明るく、俺の心まで温かくしてくれた。
◇◇◇
俺は、ジャムづくりの後、目の前に広がる大量の植物の山を前に、唸っていた。これらはすべて、アリシアと共に森で手に入れた様々な種類の植物だ。
俺の目標は、この世界ではまだ貴重品である「砂糖」を、安定して精製すること。しかし、どの植物が最も効率的に糖分を含んでいるのか、精製過程で不純物が混じらないか、そして何よりも、体に害のある成分が含まれていないか。それらを、見た目や匂いだけで判断するのは不可能だった。
「これじゃ、いくら試作を繰り返しても効率が悪いし、最悪、毒入りの砂糖を作っちまう可能性もある……」
レンは、この「不確実性」に不満を抱いていた。この世界の人々は素材の知識や経験、あるいは危険な毒見によって、その品質や効果を判別していたのだ。だからこそ、安定した品質の砂糖を作るためには、この状況をどうにかする必要があった。
俺はふと、ストレージを開発した時のことを思い出した。あの時も、既存の手段では解決できない不便さから、新たな魔法の「イメージ」を生み出した。
「そうだ……この植物の本質を、俺自身の目で、直接見抜くような魔法を作れないか?」
俺の脳裏に浮かんだのは、「見えないものを見る」という漠然とした感覚だった。植物の中に隠された糖分の含有量、魔力の流れ、そしてそれが生み出す作用。それらを視覚的に捉え、理解する。まるで、肉眼では見えない情報が、俺の目に映し出されるかのように。
鑑定魔法の開発は、空間収納魔法とはまた違った困難があった。対象の物理的な情報だけでなく、隠された魔力的な特性や効果までを読み取るには、より繊細な魔力操作と、鮮明なイメージが要求された。
俺は様々な植物や、精製過程にある試作品の砂糖を目の前に置き、魔力を集中させては、その「本質」を視覚化しようと試みた。
最初は何も見えず、ただ頭がガンガンと痛むだけだった。無理に魔力を使おうとすると、視界が歪み、吐き気をもよおすこともあった。
「くっ……! はっきりしない……」
レンは目を閉じ、瞑想を繰り返した。自身の魔力をまるで網のように広げ、対象の情報を絡め取るイメージ。そして、絡め取った情報を脳内で解析し、言語化するプロセスを具体的に描いた。魔導書には鑑定魔法の記述はないため、俺は手探りで、自分のイメージだけを頼りに魔法を構築していった。
数えきれないほどの失敗と、頭痛に耐え続けたある日、レンは再び目の前の植物、特に甘味の強いとされている一本の茎に意識を集中した。深呼吸し、魔力を流し込む。
すると、俺の視界が、一瞬にして変わった。
茎が、単なる緑色の植物ではなくなったのだ。そこには、光の粒子のようにきらめく糖分の塊、土壌から吸い上げられた微細な魔力、そして、それらが複雑に絡み合い、特有の性質を生み出す様子が、色とりどりの線となってはっきりと見えた。まるで、植物の内部構造や成分が、俺の目に浮かび上がったかのようだった。
さらに、俺の脳裏に直接、文字情報が流れ込んでくる。
【名称:甘露草】
【部位:茎、葉】
【品質:優良】
【成分:糖分(高純度)、微量魔素、繊維質】
【効果:精製することで高品質な砂糖を生成可能。疲労回復効果あり。】
【備考:煮詰めることで純度が高まる。毒性なし。】
「……見えた……! はっきりと!」
俺は興奮して叫んだ。ついに、この世界に存在しない、俺だけの「本質を見抜く目」、つまり鑑定魔法を完成させたのだ。
「これで、原材料の効率化を検討することができる!」
◇◇◇
燻製、地下貯蔵庫、そして果実の保存加工。俺が持ち込んだ知識と魔法、そして村人たちの協力によって、エルム村の食料事情は劇的に改善され、厳しい冬への備えも着実に進んでいた。鑑定魔法も覚え、できることも増え続けている。また村には安堵感と、ささやかな豊かさが満ち溢れている。
夕暮れ時。俺は、カイル、アリシアと共に、完成したばかりの地下貯蔵庫の入り口に立っていた。中には、今年の収穫物がぎっしりと詰め込まれている。それは確かな希望の象徴だ。
「これで、今年の冬は皆、腹いっぱい食えるな」
カイルが、満足そうに言う。
「うん。それに、一緒に作ったジャムもあるしね!」
アリシアが、嬉しそうに微笑む。
「ああ」俺は頷く。俺は、その笑顔を守るために、歩み続けなければならない。




