第133話:陽だまりが照らす道
激しい戦いが終わり、生産都市『アグリ・ヴィータ』には夕暮れが訪れようとしていた。
聖水によって浄化されたとはいえ、都市のあちこちには破壊された建物や、黒焦げになった地面が痛々しく残っている。空気中には、まだ微かに焦げ臭さと、聖水の清涼な香りが混じり合って漂っていた。
「ふぅ……。これで、ひと段落ですね」
都市の外縁部、崩れかけた石壁に腰を下ろし、オリヴィアが小さく息をついた。
その横顔には、王女としての気丈さと、死線を潜り抜けた直後の深い疲労感が滲んでいる。
遠くの空を見上げる瞳には、まだ別の戦場で戦っているであろう仲間たちへの憂いも浮かんでいた。
「お疲れ様です、オリヴィアさん。怪我はないですか?」
隣に座ったアリシアが、水筒を差し出しながら優しく声をかける。
彼女の手や服は泥と煤で汚れていたが、その表情にはまだ余力があり、何より仲間を守り抜いた安堵の色が濃い。
「ええ、ありがとう。アリシアさんこそ……指揮に、治療に、大変だったでしょう?」
「ううん、平気だよ。今回は設備に助けられたから、魔力もまだ残ってるし。みんなが無事で、本当によかった」
アリシアは屈託なく笑う。その笑顔は、過酷な戦場の後でも変わらず、太陽のように周囲を照らしていた。
二人の間に、戦いの余韻を含んだ沈黙が流れる。
オリヴィアは、水筒の水を一口飲むと、意を決したように口を開いた。
「……アリシアさん。少し、聞いていただきたいことがあります」
「ん? どうしたんですか?」
「先日、アルバート卿たちが進言した……わたくしとレン公王の、婚姻の件についてです」
その言葉に、アリシアの手がわずかに止まる。だが、彼女はすぐに「うん」と頷き、オリヴィアの言葉を待った。
オリヴィアは、自身の胸に手を当て、言葉を選ぶように視線を伏せた。
「わたくしは……このお話を、単なる『国をまとめるための政略』として受けるべきではないと、ずっと悩んでいました。あなたやティアーナさんという、彼を支え続けてきた方々の絆に、政治的な理由で割り込むことなど……あってはならないと」
「オリヴィアさん……」
「ですが……昨夜、皆様と夢を語り合った時……そして、今日こうしてあなたと共に戦い、背中を預け合ったことで……わたくしは、気づいてしまったのです」
彼女は顔を上げ、夕焼けに染まる、傷ついた都市を見つめた。その瞳にあるのは、もはや迷いではなく、溢れ出しそうな愛おしさだった。
「わたくしは、公王としての彼だけでなく……レンさんという一人の男性を、心からお慕いしているのだと」
言葉にすることで、彼女の中で絡まっていた糸が、すっきりと解けていくようだった。
「責務だからではありません。国のためでもありません。ただ……彼が笑ってくれると嬉しい。彼が苦しんでいる時は、支えたい。……わたくしは、あの方の隣にいたいのです」
オリヴィアは、潤んだ瞳でアリシアを見つめた。
「ですが、順番が逆になってしまいました。本来なら、盟友であるあなたやティアーナさんに、筋を通してから抱くべき感情でしたのに……。わたくしは、友であるあなた方に、不誠実な……」
彼女が言い終わるより早く、温かい手が、オリヴィアの手を包み込んだ。
「……ふふっ」
アリシアが、困ったような、でも嬉しそうな顔で笑っていた。
「オリヴィアさん。何を今さら、遠慮しているんですか?」
「え……?」
「私とティアーナさんは、もうとっくに気づいていましたよ。昨日の夜、みんなで夢を語り合った時……オリヴィアさんがレンを見る目、とっても素敵でしたから」
アリシアは、オリヴィアの手を、両手でぎゅっと握りしめた。
「不誠実なんかじゃありません。人を好きになるのに、順番なんて関係ないもの。それに……」
彼女は、夕日に輝く都市を見渡した。
「レンも言っていたでしょう? 『みんなで叶えよう』って。あの中に、オリヴィアさんがいない未来なんて、誰も想像していないんですよ」
「アリシアさん……」
「だから、義務なんて顔をしないでください。……大好きな人の家族になれること、一緒に喜びましょう?」
その言葉は、まさに「陽だまり」そのものだった。
オリヴィアの心の中に残っていた最後の氷が、音を立てて溶けていく。
「……っ……」
オリヴィアの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは、悲しみの涙ではない。迷いが完全に晴れ、許され、受け入れられたことへの、清々しい感謝の涙だった。
彼女は、アリシアの手を握り返し、震える声で、しかしはっきりと答えた。
「……はい。……はいっ! ありがとうございます、アリシアさん……!」
「ふふ、よかった。……ようこそ、私たちの家族へ」
アリシアが、優しく彼女を抱きしめる。
夕暮れのアグリ・ヴィータに、二人の少女の温かい絆が結ばれた。
「政略」という冷たい名目は消え去り、そこには「愛」という確かな理由だけが残った。
オリヴィアは今、心からの幸福と共に、レンの妃となる未来を受け入れたのだった。
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