第131話:アグリ・ヴィータ防衛戦(前編) - 死の行軍と忍び寄る影
生産都市『アグリ・ヴィータ』。
白く濃い霧が、見渡す限りの農地と水路を包み込んでいた。
普段なら、農作業の準備をする人々の活気で満ちる時間だ。
だが今、都市は異常な静寂に支配されている。
防衛指揮所。
司令官席についたアリシアと、補佐のオリヴィア、そして護衛のバルトロメオは、息を潜めて外の様子を窺っていた。
「……変だよ」
アリシアが、不安げに眉を寄せる。
「モニターの反応は、もう目と鼻の先なのに。 行軍の音が、全く聞こえないなんて」
彼女の目の前にある魔導地図には、おびただしい数の赤い光点――敵軍の反応が表示されている。
その数、推定一万以上。
(不気味です……)
オリヴィアもまた、扇子を握る手に汗を滲ませていた。
これだけの大軍なら、地響きや土煙があってしかるべきだ。
なのに、霧の向こうからは、鳥の声一つ聞こえてこない。
まるで、幽霊の軍勢が迫っているかのような静けさだった。
その時。
ブォン、とアリシアの耳元のイヤーカフ――『遠話の魔石』が激しく明滅した。
『――アリシア! オリヴィア! 聞こえるか!』
飛び込んできたのは、首都にいるレンの切迫した声だった。
「レン!?」
『警戒レベルを最大に引き上げろ! 今しがた解析班がデータを特定した!』
レンの声には、珍しく焦燥が含まれていた。
『広域監視結界杭が、君たちの方面へ向かう大軍を捉えた。 だが、その反応がおかしい!』
「おかしいって、どういうこと?」
『……「生体反応」がないんだ』
「え……?」
アリシアとオリヴィアが顔を見合わせる。
『マッピングには無数の魔力反応がある。質量もある。 だが……心臓の鼓動も、体温も感知できない。 それは、「生き物」じゃない!』
背筋に、冷たいものが走る。
生き物ではない軍勢。
それが、一万も。
(まさか……)
オリヴィアの脳裏に、古い文献で読んだ禁忌の魔術がよぎる。
その直後だった。
「ひぃぃぃぃぃっ!?」
都市の外縁部、霧の向こうから、見張り兵の悲鳴が上がった。
「敵襲ッ!! て、敵の姿が……いや、こいつらは人間じゃねえ!!」
銅鑼の音が乱打される。
霧が、ゆらりと揺れた。
そこから姿を現したのは、ヴェルガント帝国の兵士たち。
だが、その姿は異様だった。
土気色に変色した肌。
虚ろに濁った瞳。
傷口から血を流すこともなく、ただ命令に従って前進するだけの肉人形。
「……死人兵」
オリヴィアが、戦慄と共にその名を呟いた。
帝国が秘密裏に研究していたとされる、薬物と呪術によって死体を兵器として再利用する禁忌の軍団。
「死者を冒涜し、兵器として使うなど……! これが帝国のやり方ですか!」
オリヴィアの憤怒の声が響く。
「撃てぇっ!! 近寄らせるな!!」
前線の防衛隊長――ドラグニア出身の騎士が号令をかける。
ヒュンッ! ドシュシュシュッ!!
防壁の上から、ドラグニア兵たちがクロスボウと魔法を一斉射撃する。
矢は正確に死人兵たちの体を捉えた。
だが。
「止まらねえ……!」
矢が刺さっても、魔法で腕が吹き飛んでも、死人兵たちは表情一つ変えない。
痛みを感じない彼らは、そのまま防壁に取り付き、蟻のように群がってよじ登り始めた。
「ひるむな! 頭を潰せ! 物理的に動けなくなるまで破壊するんだ!」
エルム公国側の兵士が前線へ飛び出し、剣を振るう。
その剣技が、死人兵の首を跳ね飛ばす。
だが、敵の数はあまりにも多すぎる。
倒しても倒しても、霧の奥から次々と湧き出てくるのだ。
さらに。
「……おやおや。元気なことですね」
霧の奥から、冷ややかな声が響いた。
シュゥゥゥゥ……。
死人兵たちの足元から、紫色の煙が噴き出し始めた。
「毒霧……!?」
アリシアが叫ぶ。
それは、"影蛇"ケイロン直属の「毒使い」たちが放ったものだった。
風に乗った毒霧が、防衛線を包み込む。
「ぐあっ……! 目が……!」
「息が……できない……!」
生身のドラグニア兵たちは、呼吸を阻害され、視界を奪われ、次々と咳き込んで膝をつく。
対して、呼吸をしない死人兵たちは、毒の影響を全く受けない。
一方的な蹂躙。
「くそっ……! 負けてたまるかぁっ!」
一人のドラグニア兵が、毒に蝕まれながらも立ち上がる。
彼は、オリヴィアたちがいる指揮所の方を振り返り、叫んだ。
「ここを通すな! 姫様とアリシア様を守れぇぇ!!」
「おぉぉぉぉッ!!」
兵士たちが、死力を振り絞って死人兵に組み付く。
剣が使えなければ盾で、盾が砕ければ素手で。
泥沼の肉弾戦となっていた。
◇◇◇
混乱の極みにある戦場。
モニターに映る惨状に、アリシアは胸を痛めていた。
(ひどい……。みんな、苦しんでる……!)
だが、彼女の瞳は涙で曇ってはいなかった。彼女は、レンからこの都市を任された最高責任者だ。感情に流されず、状況を分析し、打開策を見つけなければならない。
(あの兵士たち……死んでいるのに動いている。どうして?)
アリシアは、薬草学と回復魔法の知識を総動員して、敵の正体を見極めようとしていた。
通常のアンデッドとは違う。動きが滑らかで、統率が取れている。
そして何より、彼らの体から立ち上る「気配」が、ただの死臭とは異なっていた。
(……薬の匂い。それも、すごく嫌な……命を無理やり縛り付けるような、呪いの薬の匂い)
回復魔法の使い手である彼女は、生命力の流れに敏感だ。
彼女には見えていた。死人兵たちの体内を巡る、ドス黒い紫色の血管のような魔力のラインが。
それは、彼らの肉体を強化し、無理やり動かしている「呪術的なドーピング」だ。
(あれは、自然の摂理に反する力。だから……)
彼女の視線が、手元の制御パネル――都市全域のスプリンクラーに繋がれたスイッチへと落ちる。
そこに装填されているのは、錬金術師エラーラと共同開発した『高濃度聖水』。
本来は、汚染された土地を浄化し、作物の病気を治すために研究していたものだ。
だが、その「浄化」の力は、不自然な魔力で構成された存在にとっては、存在そのものを否定する猛毒となる。
(死人兵たちには効く可能性が高い。それは間違いないわ。でも……)
アリシアの脳裏に、もう一つの懸念がよぎる。
敵の指揮官。四将軍の一人、“影蛇”のケイロン。
彼は人間だ。聖水は、吸血鬼やアンデッドには効くが、普通の人間にはただの水でしかないはず。
だが、そんなことを躊躇している場合ではない。
目の前で、仲間たちが倒れていく。毒に蝕まれ、死人兵に蹂躙されている。
(考えている暇なんてない……! 今すぐ、みんなを助けなきゃ!)
アリシアは、迷いを断ち切った。
敵の指揮官がどうであろうと関係ない。まずは目の前の脅威を排除し、一人でも多くの味方を救う。それが最優先だ。
アリシアの手が、制御パネルのスイッチに伸びる。
その時、アリシアの鋭敏な感覚が、指揮所のすぐ近くまで迫っている、異質で強大な気配を捉えた。
「……っ!?」
背筋が凍るような、粘り気のある冷たい気配。
喧騒と絶叫の隙間を縫って。
一つの「影」が、音もなく指揮所内部へと滑り込んでいた。
護衛の兵士たちですら、その存在に気づかない。
気づいた時には、もう遅かった。
「……美しい献身ですね」
耳元で、死神が囁いた。
「っ!?」
アリシアの手が止まる。
背筋を駆け上がる、凍りつくような悪寒。
振り返ると、そこには、いつの間にか背後の影から姿を現した、黒衣の男が立っていた。
帝国四将軍、“影蛇”のケイロン。
その手には、紫色の毒液が滴る短剣が握られている。
「ですが、無駄だ」
ケイロンは、感情のない瞳で二人を見下ろし、短剣を振り上げた。
「ここで終わらせましょう」
死の一撃が、アリシアを捉えようとしていた。
「面白かった」
「続きが気になる、読みたい!」
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