第11話:治癒の光と復興の誓い
朝日が昇り、長く続いた悪夢のようなゴブリン軍団との戦いは、エルム村の辛勝という形で幕を閉じた。ジェネラルは倒れ、残党は潰走。しかし、戦場と化した村に残されたのは、勝利の歓喜よりも、むしろ深い傷跡と静かな悲しみだった。
破壊された家屋、半壊した防壁、そして、もう二度と笑い声を聞くことのできない仲間たちの亡骸……。生き残った村人たちは、疲労困憊の体を引きずりながらも、互いを支え合い、犠牲者を悼み、そして負傷者の救護に奔走していた。絶望的な状況を乗り越えた彼らの目には、確かに力強い意志の光が宿っていたが、その代償はあまりにも大きかった。
俺もまた、村長と話した後、ジェネラルとの戦いで未知の力を解放した反動で、立っているのもやっとの状態だった。朦朧とする意識の中、カイルとアリシアに支えられ、自宅へと運ばれる。手の甲に現れた紋様の熱はもう感じない。だが、あの時の力の奔流、そして仲間との間に生まれた確かな繋がりは、幻ではなかったはずだ。
(俺は……守りきれたのか……?)
その問いに答えが出る前に、俺の意識は深い闇へと沈んでいった。
◇◇◇
次に目を覚ましたのは、それから1時間ほどが過ぎた後だった。見慣れた、借りている家の天井。傍らには、心配そうに俺の顔を覗き込むアリシアの姿があった。
「……アリシア……?」
「レン! よかった、気がついたのね!」
アリシアは安堵の表情を浮かべたが、その目元は赤く腫れている。俺が眠っている間、ずっと付き添っていてくれたのだろう。
「俺は……どれくらい……」
「1時間くらいよ。うなされていたんだから。本当に心配したんだからね……!」
彼女の声には、安堵と共に、隠しきれない怒りの色が混じっていた。
俺はゆっくりと体を起こしながら、自分の体を確認した。
「……レン? どうかした?」
俺が黙り込んだのを見て、アリシアが不安そうに尋ねる。
「いや……なんでもない。少し、自分を確認していただけだ。……それより、村の様子は? 被害は……酷いのか?」
俺の問いに、アリシアの表情が曇る。
「……うん。家もたくさん壊れたし、怪我人も……すごく多いの。それに……亡くなった人も……私も光魔法で回復させたんだけど、今は魔力切れで。。」
言葉を詰まらせるアリシア。その事実に、俺の胸も締め付けられる。俺の力がもっとあれば、あるいは、もっと早く制御できていれば、助けられた命があったのではないか……。そんな後悔が頭をよぎる。
(……いや、今は後悔している場合じゃない。俺にできることを、全力でやるんだ)
俺は決意を固め、ベッドから起き上がろうとした。
「レン!? まだ無理しちゃダメだよ!」
「いや、もう大丈夫だ。それに、俺にもやれることがあるはずだ」
俺はアリシアの制止を振り切り、立ち上がった。まだ少し体は重いが、不思議と力は漲っている。興奮しているだけだろうか、それとも……。
◇◇◇
俺はまず、喫緊の課題である負傷者の治療に全力を挙げることにした。
魔物の襲撃を受けた村は、未だ混乱の中にあった。臨時の救護所とされた広間には、負傷した村人たちの呻き声が響き渡る。
魔物の群れを退けるため、アリシアは自身の魔力を限界まで使い果たしていたのだ。彼女の掌からは、もはや癒しの光が放たれることはない。アリシアは魔力切れのため、目の前で苦しむ村人たちを癒すことができない無力感が、彼女の心を深く蝕んでいた。
俺は、そんなアリシアの手をそっと握った。彼の体も、魔物との戦闘で深い傷を負っていたが、それ以上に、目の前で苦しむ村人たちの惨状に、胸を締め付けられていた。重傷を負った中年の男性が、苦痛に顔を歪めながら横たわっている。彼の腕は、魔物の爪によって深く裂かれているのが見て取れた。
「くそっ…!」
俺は歯噛みした。戦うことしかできない自分が、ひどく無力に感じられた。アリシアが消耗しきっているのは明らかで、このままでは、手当の遅れた村人たちが命を落としてしまうかもしれない。
助けたい。
その一心で、俺は男性の傍らに膝をついた。男性の青ざめた顔と、荒い息遣いを見た時、レンの脳裏に、前世の記憶が鮮明に蘇った。
(そうだ、この体の構造…骨格、筋肉、血管、神経…すべて、この肉体の繋がりを知っている。傷を癒すとは、ただ痛みを消すことじゃない。切断された血管を繋げ、破壊された細胞を再構築し、失われた組織を再生させることだ。このイメージを魔法にできれば…!)
俺は、前世で学んだ人体の詳細な構造知識を、まるで設計図のように頭の中で展開した。複雑な神経の絡まり、血液が流れる経路、そして傷ついた細胞が再生していく過程。そのすべてが、レンの意識の中で、鮮やかに、そして具体的に描かれた。
俺は、震える手で男性の深く裂かれた腕にそっと触れた。助けたいという純粋な願いと、明確な治癒のイメージが、レンの中で一つになる。その瞬間、彼の掌から、温かく、そして力強い光が溢れ出した。淡い白色のその光は、まるで意思を持っているかのように、男性の深い傷口を包み込む。
光の中で、裂けていた皮膚がゆっくりと繋がり、露わになっていた筋肉が元の形を取り戻していく。折れていただろう骨が、元の位置に戻るのが、レン自身の指先を通して伝わってきた。痛みに顔を歪めていた男性の表情が、安堵に変わっていくのが分かる。
その光景に、アリシアの目には、驚きと、かすかな希望の色が宿っていた。
光が完全に消え去った時、男性の腕の傷は、まるで最初から存在しなかったかのように、きれいに消え失せていた。男性はゆっくりと目を開け、レンを見上げた。その瞳には、もはや苦痛の色はなく、深い感謝が宿っていた。
俺は、呆然と自分の掌を見つめた。
(これが…回復魔法? 前世の知識があったからこそ、発動のイメージが明確にできた。だから、この世界で、新たな力が開花したのか…。)
レンの胸には、新たな使命感が芽生えていた。この力があれば、もっと多くの命を救えるかもしれない。彼は立ち上がり、救護所を見渡した。まだ、助けを必要としている村人が、たくさんいる。
「レン、光の魔法が使えるようになったんだね……すごい……」
アリシアは、俺が回復魔法を発動するのを見て、目を輝かせた。
「ああ。だが、まだ使い慣れていない。アリシア、悪いがコツを教えてくれないか?」
「うん、もちろんだよ!」
俺たちは二人で、臨時の救護所となっている家々を回り、負傷者の治療に当たった。俺の魔法は、アリシアの魔法と同様に、この世界ではかなり高レベルの治癒能力らしく、村の誰もがその効果に驚愕した。
「おお……! 腕が……動くぞ!」
「息が……楽になった……!」
「ありがとうございます……! レン様、アリシア様……!」
奇跡的な回復を目の当たりにし、村人たちから感謝と尊敬の言葉が次々と寄せられる。その度に、俺はこの力で人を救えることへの喜びと、その責任の重さを感じていた。
そして、ボルグとの関係にも決定的な変化が訪れた。彼の弟、ティムは襲撃の際に瓦礫の下敷きになり、内臓損傷を伴う瀕死の重傷を負っていた。
「レン……頼む……! 俺はどうなってもいい! だから、ティムだけは……!」
ボルグは、かつての粗暴さが嘘のように、涙ながらに俺に頭を下げて懇願した。
「……任せろ。必ず助ける」
俺は彼の想いを受け止め、ティムの治療に集中した。残り少ない魔力で魔法を発動し続ける。指先から放たれる白色の光が、ティムの小さな体を優しく包み込む。
(頼む……! 生きてくれ……!)
俺は無我夢中で魔力を送り続けた。意識が朦朧とし、体中のエネルギーが枯渇していくのを感じる。そして、ついに限界が訪れ、俺はその場に崩れ落ちた。
だが、俺の想いは届いたようだった。
「……レン! ティム君の呼吸が安定した! 峠は越したみたいだ!」
遠のく意識の中、アリシアの安堵の声が聞こえた……。
◇◇◇
次に俺が目を覚ましたのは、丸一日が過ぎた後だった。自分の家のベッドで、心配そうに覗き込むアリシアとカイルの顔が見えた。
「……また、倒れたのか、俺は……」
「もうっ! 本当に心配したんだからね!」
アリシアの瞳には涙が浮かんでいる。彼女は俺の手を握り、強い口調で言った。
「レンは頑張りすぎだよ! もっと自分を大切にして! レンがいなくなったら、私……ううん、村は……どうなっちゃうの!?」
「……すまん」
「謝らないで! そうじゃなくて……! これからは私がちゃんとレンを支える! レンの補佐役として、ううん、それだけじゃない……レンの一番の仲間として、ずっと一緒にいる! だから、もう一人で抱え込まないで!」
アリシアの強い想い、真っ直ぐな瞳。その想いが、俺の心に、そして俺たち三人の間に眠っていた力に、再び火を灯した。
カッ!!
アリシアの左手甲、そして、その場にいたカイルの左手甲に、あの龍の紋章が、今度は鮮やかな光と共に、くっきりと浮かび上がったのだ! それはもはや痕跡ではない。確かな実体を持った証として、そこに定着していた。
「「えっ……!?」」
二人は自らの手の甲を見つめ、驚きと戸惑いの声を上げる。そして、体の中に新たな力と魔力が満ち溢れ、俺との間に強い精神的な繋がりが生まれたのを明確に感じ取っていた。
「これは…?」
アリシアが驚きの声を上げた。彼女だけでなく、カイルも、俺も、全身に奔流のような魔力の高まりを感じていた。まるで、枯れた大地に生命の水が満ちるように、彼らの体内の魔力は、以前とは比べ物にならないほど大幅に増幅されているのがわかった。
俺たちは、言葉もなく互いを見つめ合った。多くの謎は残されたままだが、俺たちはもう一人ではない。この力があれば、どんな困難も乗り越えていける。そんな確信があった。
◇◇◇
数日後、村では犠牲者の合同葬儀がしめやかに執り行われた。悲しみに包まれる中、村人たちは互いを励まし合い、復興への決意を新たにしていた。そして、その日の午後、ドルガン村長によって復興と今後の体制に関する会議が招集された。
会議では、まず今回の戦闘における村の被害状況が詳細に報告された。家屋の半数近くが損壊、防壁も一部が破壊され、そして何より、村人の約一割が命を落とし、三割近くが程度の差こそあれ負傷しているという。あまりにも大きな代償だった。
重苦しい雰囲気の中、今後の防衛体制の強化が議題に上がった。カイル率いる自警団の奮闘は目覚ましかったが、ジェネラルのような規格外の脅威に再び襲われた場合、今のままでは厳しい。より強力で、組織的な防衛体制が必要不可欠だった。
そして、その議論の中で、自然と俺に注目が集まった。ジェネラルを打ち破った英雄。強力な魔法と未知の力を持つ若者。村人たちの期待が、無言の圧力となって俺に注がれる。
ついに、ドルガン村長が口を開いた。
「……レン殿。君の力と知恵がなければ、我々は今頃ここにはいなかっただろう。村を救ってくれた君に、我々は大きな借りがある。そして、これからのエルム村を守っていくためにも、君の力が必要不可欠じゃ」
村長は俺の目を真っ直ぐに見据え、厳かに告げた。
「エルム村の、新たな防衛隊長に就任し、我々を導いてはくれまいか?」
来たか……。事前にアリシアから聞かされていたため知っていたが、実際に告げられると、その言葉の重みに息が詰まる。防衛隊長。村の全ての戦闘資源を指揮し、皆の命を守る責任者。
(俺に、そんな資格があるのか……?)
責任の重圧。目立つことへの抵抗感。自分の力の異質さへの不安。そして、根底にある「よそ者」意識。様々な葛藤が、俺の中で渦巻く。
「……村長、そのお話は、非常に光栄です。ですが……俺には、その資格があるとは思えません。俺はこの村に来てまだ日が浅いですし、戦闘指揮の経験もありません。それに、俺の力は……まだ、俺自身にもよく分かっていない、不安定なものです。そんな俺が、皆さんの命を預かるなど……」
俺は正直な気持ちを吐露した。リーダーなんて柄じゃない。できることなら、平穏に、目立たず暮らしたい。それが俺の本音だった。
しかし、俺の言葉を聞いた村人たちの反応は、予想とは違った。
「レン! 何を弱気なこと言ってるんだ!」
最初に声を上げたのは、カイルだった。彼は俺の隣に立ち、力強く言った。
「経験がない? 不安定? そんなことは関係ない! 現に、お前は村を救った! ジェネラルを倒した! それが全てだ! 俺たちは、お前の力を、知恵を、そしてその勇気を知っている! お前しかいないんだよ、隊長は!」
「そうだよ、レン!」
アリシアも、強い意志を込めた瞳で俺を見つめる。
「レンが不安なのは分かる。でも、一人で悩まないで! 私も、お兄ちゃんも、村の皆も、レンのことを信じてるし、支えるから! だから、お願い!」
「レン、君の知恵と決断力が、我々を救ってくれた」とヘクターさん。
「小僧の魔法と発想は、間違いなく本物じゃ。ワシが保証する」とゴードンさん。
「あんたがいれば、きっと大丈夫さ!」とミーナさん。
次々と、温かい励ましの言葉が飛んでくる。そして、集会所の隅で治療を受けていたボルグも、松葉杖をつきながら立ち上がり、声を張り上げた。
「……レン! 俺は……お前に命を救われた。お前の力がなければ、俺の弟も……死んでいたかもしれん。……だから、頼む! 俺たちのリーダーになってくれ! この通りだ!」
ボルグは、深々と頭を下げた。その姿に、他の村人たちも続くように頭を下げる。
(……皆……)
俺は、込み上げてくる熱い感情を抑えることができなかった。よそ者である俺を、これほどまでに信頼し、必要としてくれている。彼らの想いに、応えなければならない。
(俺は、この村の人を守りたい。この仲間たちと、一緒に生きていきたいんだ!)
腹が決まった。俺は顔を上げ、真っ直ぐに村長を見据えた。
「……村長。そして、皆さん。俺は、まだ未熟者です。リーダーとしての経験もありません。ですが……もし、皆さんがそれでも俺を必要としてくれるなら……このエルム村防衛隊長の任、謹んでお受けします!」
俺がそう宣言すると、集会所は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。俺は、その温かい声援に、改めて身が引き締まる思いだった。
◇◇◇
数日後、俺の体調も回復し、村の復興作業も本格的に軌道に乗った頃、エルム村の中央広場で、俺の防衛隊長就任式が執り行われた。
村人たちが集まり、温かい拍手と期待の眼差しで見守る中、俺はドルガン村長から、防衛隊長の証である腕章を受け取った。
俺は、隣に立つアリシア(補佐役)とカイル(副隊長)の顔を見、そして集まってくれた村人たちの顔を見渡し、決意を込めて宣言した。
「本日より、エルム村防衛隊長を務めさせていただきます! 私一人の力は小さいかもしれませんが、ここにいる仲間たちと共に、そして村の皆さんと力を合わせ、このエルム村を、私たちの居場所を、何があっても守り抜くことを誓います!」
俺の言葉に、村中から万雷の拍手が送られた。ボルグも、自警団の列の中で力強く頷いている。
村の復興は、俺の魔法と知識、そして村人たちの努力によって、目覚ましいスピードで進んでいった。破壊された家々はより頑丈に再建され、防壁も修復・強化された。俺が提案した水路や地下倉庫の建設も始まり、村の生活基盤は以前よりも向上しつつあった。
俺の光の回復魔法は「奇跡の癒し手」として多くの命を救い、俺は村の英雄として、そして若きリーダーとして、確固たる信頼を得るに至った。
しかし、戦いは終わっていない。ジェネラルが遺した「龍の力」「呼び声」「真なる主」という言葉の意味は? 多くの謎が残された。解決すべき課題は山積みだ。
俺は、カイル、アリシアと共に、防壁の上から広大な始原の森を見渡した。手の甲には紋章が確かに印されている。
これから、どんな試練が待ち受けていようとも、俺たちはもう恐れない。この特別な絆があれば、必ず乗り越えていける。
エルム村の新たな時代が、三人の若き英雄と、彼らに共鳴する仲間たちによって、今、確かな希望の光と共に、始まろうとしていた。




