第100話:大規模救出作戦
「……やるしかない。今すぐ、黒鉄鉱山への大規模救出作戦の立案を開始する!」
俺の決意を込めた声が、エルム公国公王執筆室の重い空気に響き渡った。
だが、その宣言とは裏腹に、円卓を囲む仲間たちの表情は硬い。無理もなかった。
イリスがベスラ砦から命がけで持ち帰った帝国軍の機密文書。その羊皮紙に記された内容は、俺たちエルム公国の中枢メンバーに、希望と、それ以上の絶望を同時に突きつけていた。
タイムリミットは「二週間」。
その日までに黒鉄鉱山に囚われた数千のドラグニア抵抗勢力を救出しなければ、彼らはギデオン将軍によって容赦なく「処理」される。
「レン殿の決意は分かった。だが……」
鋼鉄の鎧を纏い、その銀髪をきつく束ねたセレスティーナ総長が、冷徹な声で口火を切った。
「問題は、我々が直面しているもう一つの事実だ。イリスの潜入情報が、帝国側に漏れていたという現実。……それは、この公国の中枢、あるいは我々ドラグニアの指導部の中に、帝国に通じている『内通者』が存在する可能性を示唆している」
セレスティーナの言葉が、部屋の空気をさらに凍てつかせた。
カイル、アリシア、ティアーナ、オリヴィア、イリス、ジュリアス殿……その場に集う全員が、互いの顔を見渡す。昨日まで絶対的な信頼で結ばれていたはずの仲間の輪に、「疑念」という毒が急速に広がっていくのが肌で感じられた。
俺は、その重苦しい空気を断ち切るように、さらに厳しい現実を突きつけた。
「皆、覚悟して聞いてほしい。イリスの情報が漏れたということは、最悪の事態を想定すべきだ」
俺は、オリヴィアの顔を真っ直ぐに見据えた。
「我々がドラグニアの民を救出し、このエルム公国を建国したこと、そして……オリヴィア姫、あなたがご無事であることも、既に帝国側に知られている可能性が高い」
「……っ!」
オリヴィアが息を呑む。彼女が生きているという事実は、大陸に残るドラグニアの民にとって最後の希望の象徴だ。それが帝国に知られているとすれば、敵の次なる一手は……。
「そうだな。レンの言うとおりだ。そして、作戦、か……。言うのは簡単だがよ、レン」
カイルが、苦々しげに口火を切った。
「相手は、あのイリスが潜入するのにもあれだけ苦労した、帝国の最重要拠点のひとつだ。しかも、敵はこっちの動きを察知してるかもしれねえ。そんな場所に、どうやって攻め込むってんだ?」
カイルの現実的な指摘に、セレスティーナ総長が静かに頷く。彼女の氷のように澄んだ青い瞳は、大陸地図に記された「黒鉄鉱山」の座標を冷徹に見据えていた。
「カイル殿の言う通りだ。黒鉄鉱山は、天然の山脈を丸ごとくり抜いた難攻不落の要塞。その守りを固めるのは、帝国四将軍の一角、“鉄壁”のギデオン。彼は、その異名の通り、用心深く、一切の隙を見せない冷酷非情な武人だ。正面からの強行突入など、自殺行為に等しい」
「左様」
セレスティーナの言葉を引き継ぎ、老魔術師ジュリアス殿が長い白髭を扱きながら重々しく続けた。
「強行が無理となれば、潜入しかない。じゃが、イリス殿が命がけで持ち帰ったこの機密文書にも、処刑の情報はあれど、我々が利用できるような潜入経路や、内部の詳細な警備配置図は含まれておらん。あまりにも危険すぎる」
「……申し訳、ありません」
イリスが、悔しそうに唇を噛む。
「いえ、イリスのせいじゃないわ」
オリヴィアが、気丈にも彼女を庇うように言った。
「あなたは、これ以上ないほどの情報を持ち帰ってくれました。……問題は、今、我々の手札に、ギデオン将軍の鉄壁を破るための『情報』が決定的に不足しているということですわ」
八方塞がりだった。時間だけが刻一刻と過ぎていく焦燥感の中で、誰もが有効な打開策を打ち出せない。内通者がいるかもしれないという疑念が、活発な議論さえも阻害しているかのようだった。
(くそっ……! 何か、何か手はないのか……!)
俺が歯噛みした、その時だった。
「……そうだわ」
オリヴィアが、はっと顔を上げた。彼女の紫色の瞳に、かすかな光が宿る。
「情報……もしかしたら、彼なら何か知っているやもしれません」
「彼?」
「はい。わたくしの側近の一人です」
オリヴィアは、希望の光を見出したかのように続けた。
「父王の代からドラグニアの行政と地理に精通し、その有能さと忠誠心で、わたくしの潜入任務の際も後方支援を任せていた男がおります 。彼ならば、古い鉱山の図面や、帝国軍も気づいていないような道を知っているかもしれません。……すぐに、彼をここに呼んでいただけますか!」
彼女がそこまで信頼を置く人物。今は、どんな小さな可能性にでも賭けるしかなかった。
「わかった。すぐに彼をここに」
俺が衛兵に命じようとした瞬間、執務室の扉が控えめにノックされた。
「失礼いたします。オリヴィア様、レン公王。皆様が緊急会議中と伺い、わたくしに何かできることはないかと案じ、参上つかまつりました」
静かな、しかしよく通る声。許可を得て入室してきたのは、黒髪を端正に整え、貴族らしい上品な微笑みを浮かべた、三十代半ばの優男だった 。その顔には、この緊迫した状況を察しながらも、一切の動揺が見られない 。 彼こそが、オリヴィアが「忠臣」と信じて疑わない側近――カジミール卿だった。
「オリヴィア様、急用とのことでお伺いしましたが……。して、その内容とは?」
カジミール卿は、俺たち全員――セレスティーナ、ジュリアス、カイル、アリシア、ティアーナ、イリス――の顔を、値踏みするように、しかし決して無礼にならぬよう、素早く見渡した。
そして、テーブルに広げられた地図と、イリスが持ち帰った帝国軍の機密文書に目を留める。
「……なるほど。黒鉄鉱山の件ですな。処刑のタイムリミット……そして」
彼は、部屋に漂う不信と疑念の空気にも気づいたようだ。
「……イリス殿の潜入情報が漏れていた、と。つまり、この公国の中枢に、裏切り者がいる、と……皆様はそうお考えなのですね」
事もなげに、彼は核心を突いた。そのあまりにも冷静な態度に、俺は逆に警戒を強める。
こいつ、肝が据わりすぎている。
「カジミール、あなたに伺いたいのです! 黒鉄鉱山へ潜入する、安全な道はありませんか? どんな些細な情報でも構わないのです!」
オリヴィアが、切羽詰まった声で尋ねる。
カジミール卿は、その問いには答えず、しばし目を閉じて黙考した。
まるで、自らの記憶と知識の全てを探っているかのように。そして、ややあって、彼は目を開けた。その瞳には、憂いを帯びた、しかし忠臣としての強い決意の光が宿っているように見えた。
「……オリヴィア様。そして、レン公王。この絶望的な状況下で、わたくしのような新参者が差し出がましいことを申し上げるのをお許しいただきたい」
彼は、芝居がかった口調で切り出した。
「内通者がいるかもしれない。確かに、それは由々しき事態。ですが、その『内通者』が、このわたくしではないと、どうして信じていただけますかな?」
「カジミール!? あなた、何を……!」
オリヴィアが動揺する。
「いえ、オリヴィア様。今、最も必要なのは、互いへの信頼です。そして、その信頼に足る証拠でしょう。わたくしは、このエルム公国と、オリヴィア様の再起に全てを賭けると決めた身。その覚悟を、今こそお見せする時が来たようです」
カジミール卿は、懐から数枚の、古びて変色した羊皮紙を取り出し、テーブルの上に広げた。それは、信じられないほど詳細な、黒鉄鉱山内部の古い設計図面だった。
「これは……ドラグニア王家の書庫の奥深くに眠っていた、帝国が接収する以前の、古い鉱山の図面です。わたくしが王都を脱出する際、万が一のためにと持ち出しておいたものです」
さらに彼は、もう一枚、帝国軍の紋章が押された(ように見える)羊皮紙を重ねた。
「そしてこれは、わたくしが大陸で潜伏していた際に、独自の人脈で入手した、帝国軍の兵站データの一部。この二つを照らし合わせれば……見えてきます」
彼は、地図上の一点を指し示した。そこは、鉱山の最深部、現在の帝国軍の警備網からは外れた、岩盤の亀裂としてしか記されていない場所だった。
「ここです。古い鉱山の図面によれば、ここはかつて使われていた『古い通気孔』の跡地。現在の帝国軍のデータでは、ただの落盤危険区域として、完全に無視されている」
カジミール卿の顔に、自信に満ちた笑みが浮かぶ。
「この通気孔を使えば、ギデオン将軍の主力部隊の目を欺き、最深部……囚人たちが集められている処刑場へと、奇襲をかけることが可能です! これこそが、我々に残された唯一の活路かと」
その提案は、暗闇の中に差し込んだ、眩いばかりの希望の光のように思えた。
セレスティーナ総長が、身を乗り出して図面を食い入るように見つめる。
「……間違いない。この兵站データが本物ならば、このルートは完全に盲点となっている。これならば……あるいは……」
「カジミール卿、よくぞ……!」
ジュリアス殿も、興奮を隠せない様子だ。
「待ってください」
俺は、その熱狂に冷や水を浴びせるように、口を挟んだ。
「……あまりにも、話が出来すぎてはいませんか?」
俺の言葉に、カジミール卿の目が、一瞬だけ冷たく光った。だが、すぐにいつもの柔和な笑みに戻る。
「このタイミングで、これほど完璧な情報が出てくるのは、偶然にしてはあまりにも都合が良すぎる。その情報が、逆に帝国が仕掛けた罠である可能性は?」
俺の指摘に、会議室の温度が再び下がる。ティアーナも、俺の懸念に同意するように、カジミール卿を鋭く見つめている。 オリヴィアが、カジミール卿を庇うように声を上げた。
「レンさん! カジミールは、父の代から仕える忠臣です! 彼が我々を裏切るなど……!」
「オリヴィア様の仰る通りです、レン公王」
カジミール卿が、オリヴィアを制するように静かに言った。
「あなたの疑念は、指揮官として当然のものです。この状況でわたくしを信じろと申す方が無理でしょう。ですが、この情報が仮に帝国側の罠であった場合、わたくしはどうなるでしょう?」
彼は毅然として宣言した。
「この作戦、案内役として、わたくしが自ら先頭に立たせていただきます。もしこれが罠であれば、真っ先に命を落とすのは、このわたくしです。その覚悟をもって、この策を献上しております」
「……っ!」
カジミール卿の「命がけの覚悟」。
それは、彼が忠臣であることの、これ以上ない証明に思えた。彼が自ら先頭に立つというのだ。罠であれば、彼自身が死ぬ。そこまで言われて、誰が彼を疑えようか。
カイルは「……カジミール卿がそこまで言うなら……」と苛立たしげに呟き、アリシアは不安そうに俺の服の袖を掴んでいる。イリスとセレスティーナも、オリヴィアの側近である彼の覚悟を前に、反論の言葉を失っている。
(……賭けるしかない、か)
タイムリミットが迫る中、他に有効な手立ては、ない。 たとえこれが罠であったとしても、その可能性に賭けなければ、数千の命は確実に失われるのだ。
俺は、腹を括った。
「……分かりました、カジミール卿。あなたの覚悟と情報に、エルム公国の未来を賭けます」
俺は立ち上がり、全員の顔を見回した。
「これより、エルム公国は、黒鉄鉱山奇襲作戦を決行する! 部隊は、少数精鋭。俺、カイル、アリシア、ティアーナ、オリヴィア、イリス、セレスティーナ総長、そして……」
俺は、カジミール卿を真っ直ぐに見据えた。
「案内役として、あなたにも同行していただきます。よろしいですね?」
「……御意に」
カジミール卿は、その美しい微笑みを崩さぬまま、深々と頭を下げた。
「この命に代えても、必ずや皆様を勝利へと導いてみせましょう」
二週間というタイムリミット、そして内部に潜む忠臣の仮面を被った裏切り者の影。二重の絶望的な状況下で、俺たちの、あまりにも無謀な救出作戦が、今、始まろうとしていた。




