第10話:咆哮、絆の輝き
俺は、もはや自分のものとは思えない、地を揺るがすような咆哮を上げていた。その声は、周囲のゴブリンたちを恐怖で竦ませるほどの威力を伴っていた。
変化は、俺だけではなかった。
「……う、ぐ……なんだ、これ……!?」
俺の声に意識を取り戻したカイルが、自らの左脇腹を押さえて呻き声を上げる。深々と抉られたはずの傷口が、淡い光と共に急速に塞がっていく。そして、彼の手の甲にも、俺と同じ紋様が赤く浮かび上がり、力強い輝きを放ち始めていた。
「お兄ちゃん!? その手……それに、傷が……!」
駆け寄ろうとしていたアリシアも、自らの手の甲に同じ紋様が輝き始めたことに気づき、息を呑む。彼女の体からも、清浄で力強い光のマナが溢れ出している。
「これは……いったい……?」
カイルは、信じられないといった表情で自らの体と手の甲の紋様を見つめ、そしてゆっくりと立ち上がった。その体からは、先ほどまでの疲労や負傷が嘘のように消え去り、むしろ以前よりも強靭な力がみなぎっているのを感じる。彼は近くに転がっていた、もはやボロボロになった自分の剣を拾い上げ、周囲で怯えているゴブリンたちを一睨みすると、力強く薙ぎ払った。
「邪魔だぁ!!」
バキッ! ゴシャッ!
数体のゴブリンが、まるで木の葉のように吹き飛ばされる。明らかに、以前のカイルとは比較にならないパワーだ。
「お兄ちゃん!」
「アリシア! 無事か!」
カイルは妹の元へ駆け寄り、彼女を守るように前に立つ。アリシアの手の甲の紋様も、兄に呼応するように強く輝いていた。
この異常な事態に、戦場の全ての者――ゴブリンも、人間も――が動きを止め、俺たち三人に注目していた。唯一、冷静さを保っているのは、あのゴブリン・ジェネラルだけだった。
ジェネラルは、その濁った赤い瞳で俺たちを値踏みするように見つめ、そして、不気味な笑い声を上げた。その声には、驚きと共に、隠しきれない歓喜の色が混じっているように感じられた。
「小僧どもよ。貴様らの力、この私が見極めてやろう。そして、その力ごと、我が『主』への手土産としてくれるわ!」
ジェネラルは巨大な戦斧を構え、地響きを立てながら、俺たちに向かって突進してきた!
◇◇◇
「来るぞ! 二人とも、気をつけろ!」
俺は叫び、溢れ出る力を自身の剣へと注ぎ込む。剣が眩いほどの光と熱を放ち、刀身が伸びたかのような錯覚を覚える。魔力消費の感覚はない。ただ、俺の意志に応えて、莫大なエネルギーが剣に集束していく。
(制御しろ……! 暴走させるな! 狙いは、ジェネラルただ一人!)
俺は自分に言い聞かせ、ジェネラルの巨体に向けて、炎の斬撃を放った!
剣から放たれたのは、もはや火魔法のレベルを超えた、灼熱のエネルギー波だった。それは一直線にジェネラルへと迫り、途中にいたゴブリンたちを容赦なく蒸発させていく。
「ヌンッ!」
ジェネラルは迫りくる炎の奔流に対し、戦斧を盾にするように構え、全身に禍々しい紫色のオーラを集中させる。
ドゴォォォン!!!
凄まじい爆発が起こり、衝撃波が周囲を薙ぎ払う。爆心地は灼熱地獄と化していた。
(やったか!?)
だが、煙が晴れると、そこには戦斧で炎を受け止め、鎧の一部が溶け落ちながらも、確かに立っているジェネラルの姿があった。
「……ククク。なるほど、これが龍の力か。凄まじい威力だ。だが、まだ荒削りだな。制御しきれておらん」
ジェネラルは余裕の笑みを浮かべ、反撃に転じる。その巨体からは想像もできないほどの速度で距離を詰め、戦斧を横薙ぎに振るってきた!
「させん!」
その一撃を阻んだのは、カイルだった。彼の構える鋼鉄製の盾が、手の甲の紋様と共鳴するように淡い緑色の光を放ち、ジェネラルの渾身の一撃を、火花を散らしながらも確かに受け止めたのだ!
ガキィィィィィン!!!
「なっ……!?」
ジェネラルが、初めて驚愕の表情を見せる。カイル自身も、自らの盾がこれほどの衝撃を受け止められたことに驚きながらも、歯を食いしばって押し返す。
「レン! アリシア! 今だ!」
カイルが叫ぶ。彼の体からは、紋様を通じて力が供給されているのか、疲労の色が見えない。むしろ、戦えば戦うほどに力が増していくような感覚すらあった。
「“聖なる光よ、彼の者を打ち砕け!”――【ライトアロー】!」
アリシアが弓を引き絞り、詠唱と共に矢を放つ。矢は眩い光を纏い、通常の矢とは比較にならない速度と威力でジェネラルへと飛翔する。彼女の光魔法もまた、紋様の力で増幅されているのだ!
「小賢しい!」
俺は剣に魔力を込め、ジェネラルの巨体を見据える。奴の動きは速いが、魔力感知でその動きは予測できる。
「カイル、足止めを頼む! アリシア、回復と援護を!」
「おう!」
「うん!」
俺はジェネラルの側面へと回り込み、斬りかかる。剣に炎を纏わせ、その斬撃を強化する。
キィン!
ジェネラルの硬い皮膚に阻まれるが、確実にダメージは与えている。俺は剣技と魔法を織り交ぜ、ヒットアンドアウェイでジェネラルを翻弄する。
ジェネラルは戦斧で、アリシアが撃った光の矢を弾き飛ばすが、その隙に俺は第二撃を準備していた。
(今度は、もっと精密に……! 知識を、イメージを、力に乗せる!)
俺は集中力を高め、炎だけでなく、土魔法のエネルギーも練り込む。
剣先から放たれたのは、螺旋状に回転する灼熱の熔岩の槍だった。それはジェネラルの防御オーラを貫き、その肩口に深々と突き刺さった!
「グオオオオッ!?」
ジェネラルが、初めて明確な苦痛の声を上げる。
「効いた! いけるぞ!」
俺は確かな手応えを感じた。制御が難しいが、俺の知識とイメージを介することで、ある程度の指向性を持たせることができる。そして何より、カイルとアリシアの力が、以前とは比較にならないほど増している!
「アリシア、カイルの回復を! カイル、押さえ続けろ!」
「うん! ――ヒール!」
アリシアが詠唱すると、カイルの体を眩い光が包み込み、細かい傷や疲労が一瞬で消え去っていく。彼女の回復魔法も、明らかに威力が上がっている。
「おう! 任せろ!」
カイルは雄叫びを上げ、ジェネラルの猛攻を捌き続ける。彼の防御はまさに鉄壁となり、ジェネラルに一歩も引かない。
俺はその間に、さらなる大技を準備する。自然界のマナを強引に引き寄せ、魔鉄の剣に凝縮させていく。剣が悲鳴を上げるように軋む。
「まだだ……まだ足りない……!」
一方、村人たちも、この好機を逃すまいと、恐怖を振り絞って援護を開始していた。
「バリスタ、撃てぇ!」
「投石機、残りの爆弾、全部ぶち込め!」
ヘクターさんやゴードンさんの指示で、残っていた新兵器が火を噴く。太い矢が、魔力爆弾が、周囲のゴブリンに降り注ぐ。ミーナさんやボルグたちも、隙を見ては斬りかかり、奮闘している。
「グルルル……小癪な虫けらどもが……!」
ジェネラルは怒りの咆哮を上げ、周囲に闇の衝撃波を放つ!
「危ない!」
カイルが咄嗟に前に出て、盾で衝撃波を受け止める。盾は大きくひび割れるが、完全に砕け散るには至らない。
だが、カイルも無傷では済まない。衝撃で吹き飛ばされそうになるのを、俺が【土魔法】で作り出した壁で支える。
「カイル!」
「心配するな……! これくらい……!」
強がるカイルを、アリシアが即座に回復させる。
(今しかない……!)
俺は凝縮したエネルギーを解放する準備を整えた。右手の手の甲の紋様が、最大級の輝きを放つ。
「カイル! アリシア! 今だ!」
俺の叫びに、二人が応える。カイルが最後の力を振り絞り、ジェネラルの体勢を崩すべく渾身のシールドバッシュを叩き込む! アリシアが光の矢を連射し、ジェネラルの防御オーラに亀裂を入れる!
そして、俺は剣を振り下ろした。
「これで……終わりだあああああっ!!」
俺の剣の軌跡は、ジェネラルの体を真正面から捉え、ジェネラルを貫いた。
「馬鹿な…………だが、我らの『呼び声』は……止まらぬ……いずれ、真なる主が……グ……ォ……」
ジェネラルは、信じられないといった表情と、謎めいた言葉を残し、その巨体を維持できなくなったかのように、その体の機能を停止した。
◇◇◇
ジェネラルの敗北。それは、戦いの終わりを告げる合図だった。
リーダーを失ったゴブリン軍団は、完全に統率を失い、恐慌状態に陥った。ある者は武器を捨てて逃げ出し、ある者はその場で呆然と立ち尽くす。
「……今だ! 残党を掃討するぞ!」
カイルが、檄を飛ばす。村人たちも、疲労困憊の中、最後の力を振り絞って反撃に転じた。逃げるゴブリンを追撃し、村から完全に追い払っていく。
やがて、戦場には静寂が戻った。長く、絶望的だった夜が明け、東の空から昇る朝日が、血と泥にまみれたエルム村を、そして戦い抜いた人々を照らし出す。
「……終わった……のか……?」
誰かが、か細い声で呟いた。その言葉を合図にしたかのように、あちこちで安堵のため息や、嗚咽、そして勝利の雄叫びが上がり始めた。
俺もまた、その場に崩れ落ちそうになるのを、駆け寄ってきたカイルとアリシアに支えられた。力の奔流は収まり、体には鉛のような疲労感だけが残っている。
「レン……!」
「レン!」
二人が心配そうに俺の顔を覗き込む。俺は、なんとか笑顔を作って見せた。
「……ああ。勝った、みたいだな……俺たちで」
三人は互いを見つめ合った。そして、自然と視線は、それぞれの手の甲へと向かう。そこには、先ほどまで赤く輝いていた龍の紋様が、今はうっすらとした痕跡となって残っているだけだった。
言葉はなかった。だが、この過酷な戦いを共に乗り越えたことで、俺たちの間には、以前とは比較にならないほど強く、そして特別な絆が確かに生まれている。それを、互いに感じ取っていた。
◇◇◇
村は守られた。だが、その代償は小さくなかった。多くの家屋が破壊され、防壁も損傷した。そして何より、戦いで命を落とした村人も、負傷した者も少なくない。勝利の歓喜と同時に、村には深い悲しみと、復興への重い課題が残された。
犠牲者を悼む静かな祈りが捧げられ、負傷者の手当てが急ピッチで進められる中、俺、カイル、アリシアは、ドルガン村長の前に立っていた。
「……レン、カイル、アリシア。君たちがいなければ、この村は間違いなく滅んでいただろう。……言葉もない。ただ、感謝する」
村長は、深々と頭を下げた。
俺たちは、自分たちの身に起きた変化――未知の力、紋様、――について、正直に話すべきか迷った。だが、今はまだ、その時ではない気がした。俺たち自身も、何が起こったのか理解できていないのだから。今は胸の内にしまっておくしかない。
戦いは終わった。
朝日を浴びながら、俺は仲間たちの顔を見た。カイルの目には決意が、アリシアの目には優しさが宿っている。そして、俺自身の心にも、守るべきものを見つけたことへの確かな想いが灯っていた。
エルム村の、そして俺たち三人の新たな物語が、今、静かに幕を開けようとしていた。




