第8話
これで合っているのか正直不安だった。
でも音瀬が大人しくされるがままになっているので多分大丈夫だと思う。
唇をそっと離してから、意識してほしくて「俺を見ろよ」と音瀬の耳元で言った。
いつもならこんな事恥ずかしくて出来ない。
でも、俺も音瀬をドキドキさせたい一心で頑張った。
音瀬がどう反応するのかが気になって、俺は音瀬の目を見つめた。
重なり合っていた視線を音瀬は下に落とした。
「なんだ……出来んじゃん」
「やろうと思えば出来るよ。お前がいつも突然すぎて驚くんだよ」
「はは、確かにね……今のは流石にキュンとしたかも。ご褒美」
そう言ってニヤっと笑った音瀬は、俺の首に手を回すとグイッと自分の方に引き寄せてきて、また唇が重なる。
流石に何度もすると余裕が出てきたのか、俺はやっと音瀬の唇の柔らかさを感じられるようになった。
でもそう思えたのも一瞬だった。
表面上慣れてきた風を装ってはいるが、内心次に起こる問題について必死に考えている。
呼吸って本当にどうすればいいんだ?
音瀬は苦しくないのか?
そんな事ばかり考えているうちに、やっぱり段々と苦しくなってきた。
そのタイミングで唇が離れた。
よしっ! 今だ!
俺は息を吸おうと口を開けると、音瀬は俺の後頭部に片手を移動させ、更に自分の顔に引き寄せてきた。
そして俺の口内に生温かくて柔らかい物が入ってくる。
えっ? これって舌だよな?
驚いた俺は離れようとするが、音瀬にがっちり頭をホールドされているので中々離れられない。
その間にも音瀬の舌は俺の口内を遠慮なく蹂躙する。
舌を絡ませたり、吸ってきたりとやりたい放題だ。
「んっ……ふっ……」
音瀬のキスが上手いのか、それが気持ち良く感じる。
だがしかし、俺はキス初心者だ。
息の仕方がずっと分からない。
本当にどうすればいいんだ?
ほんと……苦し……。
そう思っていたらやっと唇が離れた。
ハァハァと荒い息を繰り返し、俺はやっと肺に空気を送り込めた。
息苦しさはなくなったが、音瀬の唇が離れたのは少し寂しく感じる。
「フフフ、朝陽君ちゃんと息してる?」
「してないから……苦しい……」
「そうかなーって思ってた。鼻で息すればいいんだよ」
「そうだったのか……皆息止めてるのかと思ってた……」
「そんなの無理だよ。ははは、こんな人初めてだわ」
音瀬はそう言ってずっと笑っている。
俺は馬鹿にされたようで、少しムッとした。
「ごめんごめん。馬鹿にしたわけじゃないよ」
「じゃー何で笑うんだよ」
「可愛いなって。あんなカッコいい感じでキスしてきたのに、ずっと息を止めてたなんて可愛いすぎじゃん」
そしてまた音瀬は笑い始めた。
ひとしきり笑った後、笑いすぎて出た涙を拭いながら「ほんと……初めてだよ、朝陽君みたいな人」と言って、馬鹿にしたようでも、妖艶でもない、年相応の自然な笑顔を俺に見せた。
今までとは違う愛らしい笑みを見て、一瞬ドキッとはしたが、そんな事で俺の機嫌は誤魔化されない。
「そんな笑う事ないだろ! 俺は初心者なんだよ!」
言ってから気付いた。
俺めちゃくちゃ恥ずかしい事叫んでた。
やっぱり何も言わなければ良かった……。
音瀬はフッと笑った後、真顔に戻り俺から視線を外した。
やっぱりさっきあんな格好つけてた奴が言う言葉じゃないよな……と俺は後悔した。
恥ずかしいのと気まずいので俺は音瀬から離れて横に座り直した。
胡座をかいて肘をつき、さぁこっからどう挽回しようかと床を見ながら考えていると、音瀬の方から喋りかけてきた。
「知ってるよ。そういう人を選んでるんだから」
「へっ?」
へこんでいた所に予想外の返事がきたので、間抜けな声が出た。
えっ? 俺に幻滅したわけじゃないの?
俺は困惑しながら、音瀬の話の続きを聞く。
「それでもね、なんか皆知識だけはあるんだよ。だから下心もこっちは分かる……優しくされてもそれが透けて見えるんだよね……朝陽君だけ。朝陽君だけが本当に私を心配してくれてたのが分かったよ」
「それは……褒められてるのか?」
「ハハッ、褒めてるよ。助けてあげたら仲良くなれるかも、軽い女だからワンチャンあるかも……そんな事考えもしなかったでしょ?」
「そんな事思いもしなかった……ただ音瀬が苦しそうで、どうしようと狼狽えてただけだけど……そう考えるのが普通だった?」
「分かんない。そんな人としか出会った事ないから、何が普通なのか何が正解なのかもう分かんない」
「多分だけど……音瀬って男運悪すぎない? 普通体調悪い人がいたら心配すると思う。それが好きな──」
「好きな人なら尚更」と言おうとしたのに、それを遮るように「雅!」と音瀬を呼ぶ第三者の声が聞こえた。
誰だよ!っと思い声の方を振り返ると、チャラいで有名な絢斗先輩が居た。
喋った事はないが、女子達がよく騒いでいたので知っている。
皆んなが絢斗先輩と呼ぶので苗字は知らない。
絢斗先輩は音瀬に用があるのかこちらに近づいて来る。
俺は初めて絢斗先輩を近くで見たけど、顔は湊の方がカッコ良いと思った。
身長も湊と同じぐらいだし……でも先輩の方が落ち着いた雰囲気があって制服の着崩し方もお洒落だし、なんかイケメンオーラが出ている気がする。
女子にモテるわけだ。
一人納得して音瀬の方を見ると、何の感情もない顔で先輩を見ていた。
「何?」
いつも明るく喋る音瀬から聞いた事もない無機質な声が聞こえた。
「何って、友達見つけたら普通声かけるだろ」
絢斗先輩はそんな音瀬の様子を気にする事なく笑顔で喋りかけている。
「で、何か用?」
「相変わらずドライだなー。あっ、もしかして邪魔しちゃった?」
そう言って絢斗先輩は俺の方を見てきた。
そしてフッと鼻で笑われた。
「お前まだこんな遊びしてんのかよ。こんな根暗そうなやつ引っ掛けてよー」
えっ? 遊び?
「別にあんたに関係ない」
「関係あるよ。こんな奴と遊ぶくらいなら、俺と遊ぼうぜ雅。昔みたいにさー」
俺が絢斗先輩の言葉に引っかかって困惑していると、脇腹あたりがゴソゴソする。
何かと思って見てみれば、音瀬が俺の服を引っ張っていた。その手は微かに震えていた。
音瀬の顔を見れば絢斗先輩を睨みつけている。
なんだ? 音瀬は絢斗先輩が嫌いなのか?
確かにな、俺も嫌いだ。
初対面なのに鼻で笑われた辺りから嫌いだ。
「なんなら今から遊ぶか? 俺もちょうど暇だったし」
おいおいおい、コイツまじか?
これだけ睨まれてるのに、笑顔で誘えるってメンタル強すぎだろ。
「遊ばない……見て分からない? 邪魔しないで!」
「ははははははっ! 雅、お前マジかよ! 俺よりコイツの方が良いって」
「そうよ。だからどっか行って」
「雅、まーだ昔の事根に持ってんのか? お前も楽しんでたじゃん。また皆んなで仲良く遊べば良くね?」
そう言いながら絢斗先輩が近づいてくる。
それと同時に音瀬の手の震えも強くなった。
理由は分からないが、音瀬が嫌がっているのだけは分かる。
俺は立ち上がって、音瀬を隠すように絢斗先輩の前に立った。
「はっ? 何だよお前」
絢斗先輩はそう言いながら俺を睨みつけた。
俺はそれを意に介さず「音瀬が嫌がってるの分かりませんか?」と冷静に言った。
「好きな女の前だからって粋がっちゃってる感じか? ははははっ、雅のおもちゃのくせに頑張るなー」
俺を煽るようにそう言う絢斗先輩に大分イライラしてきた。
「さっきからその『遊び』やら『おもちゃ』って何なんですか?」
それでも冷静さを保ちつつ話を続ける。
「そのままの意味だよ。お前は雅に遊ばれてんの!」
「まぁーそれは本人に後で聞くんで、今はいいっす。それより早く何処かに行ってくれません? 音瀬が嫌がってるんで」
「お前、粋がってるのもいい加減にしろよ!!」
絢斗先輩は俺の胸ぐらを掴んできた。
「痛い目にあいたくなかったら、お前がどっか行けよ! お前が邪魔なんだよ!」
「朝陽君! 絢斗やめて!」
音瀬が絢斗先輩の腕を掴みながらそう叫んだ。
でも俺は、音瀬の手を絢斗先輩の腕から外し、指で後ろを指差し下がるように伝えた。
音瀬は心配そうに俺を見ながら、おずおずと後ろに下がった。
それを見た絢斗先輩は「かーっこいい!」と言ってニヤリと笑った。
はぁー、もーいいか。
一応先輩だから敬意を示してたけど、コイツ一々ムカつくんだよなー。
「粋がってんのはお前だろ」
俺はそう言って、俺の胸ぐらを掴んでいる絢斗先輩の手首を、骨を潰すつもりで力強く握った。
「いっってぇーー!!」
絢斗先輩はそう声をあげると、俺の胸ぐらから手を放した。
あーあ、シャツ伸びてんじゃん。
また小言言われんじゃん、最悪。
そう思いながらも絢斗先輩の手首は放さない。
「痛い、痛い! 痛いからさっさと放せよ!」
「じゃーどっか行ってくれる?」
「行くから放せ!」
「分かった」
俺が絢斗先輩の手首から手を放すと、先輩は急いで手首を確認していた。
「はい、約束通り放したからどっか行けよ」
「お前……今日の事、絶対後悔するからな!」
「はいはい、負けおしみ負けおしみ」
絢斗先輩は「チッ」と舌打ちをした後、俺を一度睨みつけ元来た道を戻って行った。




