第49話 選んだ覚悟
あの後、音瀬を部屋まで送り届けた。
「また……なんかあったらすぐに電話しろよ」
「うん」
「何時でもいいから」
「うん」
「絶対だぞ」
「……分かった」
音瀬は俺の目を見つめて少し笑った。
「ふふっ、朝陽君、なんかお父さんみたい」
「うるさい。音瀬が心配なんだよ……」
「ねぇ……もう『雅』って呼んでくれないの? ずっと待ってるんだけど……」
「え!?」
……気付いてたのかよ。
あれは咄嗟に出たというか、なんというか……。
改めて言うとなると、なんか恥ずいな。
「嬉しかったんだけどな……」
音瀬は俺を下から覗き込んでくる。
何だよそれ。
そんな可愛い事言われたら、呼ぶしかないじゃないか。
俺は首の後ろを掻いて、恥ずかしさを紛らわせた。
「雅……明日、迎えに来るから」
「ふふ……ありがとう」
「うん……じゃあ、また明日な」
俺は音瀬の頭をポンポンと撫でてから、背を向けた。
「今日はありがとう。……明日、待ってるね」
背中越しに聞こえた声は静かだった。
けど、さっきまでとは違う。
ほんの少しだけ、前に進もうとしている声だった。
それだけで十分だった。
俺は振り返る。
「またな、雅」
「……だからズルいって、ソレ」
そう言った直後、音瀬は俺の胸ぐらを掴むと、グイッと下に引っ張ってきた。
そして「チュッ」とキスされた。
「え?」
音瀬は俺の驚いた顔を見て、嬉しそうに笑った。
「仕返し」
音瀬はそれだけ言うと、さっさと家の中へ入ってしまった。
扉を閉める瞬間「朝陽君、好きだよ」とだけ言い残して。
俺はその場にしゃがみ込んだ。
はぁーーーーーー。
ズルいのはどっちだよ……。
「はぁー」と溜め息を吐いて、俺は立ち上がった。
マンションを出ると、夜の空気がやけに静かに感じた。
……明日か。
ポケットに手を突っ込んだまま、ゆっくり歩く。
頭の中に浮かぶのは、さっきの音瀬の顔だった。
笑ってはいた。
笑ってはいたけど……。
「……無理してるよな」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
学校に行くってことは、全部と向き合うって事だ。
噂も、視線も、あの動画も。
……くそ。
拳に力が入る。
けど、今はまだ何も出来ない。
出来るのは、隣にいることくらい。
それだけだ。
それでも、やるしかない。
次の日。
音瀬のマンションの前に着いて、LIMEでメッセージを送った。
すぐに既読が付き『すぐ行く』と返事が返ってきた。
音瀬を待っている間、落ち着かなかった。
無意識に視線が上に向く。
どの部屋かなんて分かってるくせに、意味もなく探してしまう。
「……来たか」
エントランスの扉が開き、制服姿の音瀬が出て来た。
それだけで、少しだけ胸が締め付けられた。
……ちゃんと来た。
「……おはよ」
なるべくいつも通りの声で言う。
音瀬は一瞬だけこっちを見て「……おはよう」と少し遅れて言った。
その声は少しだけ固い。
俺たちは並んで歩き出した。
でも、いつもより少しだけ距離が近い。
音瀬の手が、ほんの少しだけ揺れているのが見えた。
……緊張してるな。
当たり前だ。
してない方がおかしい。
「……大丈夫か?」
聞いたあとで、少し後悔した。
こんな言葉、意味がない。
大丈夫なわけないんだから。
音瀬は少しだけ考えるようにしてから「……分かんない」と正直にそう言った。
……だよな。
それ以上は、何も言わなかった。
言えなかった。
言葉の代わりに、音瀬の手をそっと握る。
離さないと、形にするみたいに。
音瀬は一瞬だけ驚いたように見えたが、すぐに握り返してくる。
「……頑張る」
そうポツリと呟くと、音瀬は前を見据えた。
2人で何を話す訳でもなく、ただ無言で歩き続ける。
やがて、学校が見えて来た。
その瞬間──音瀬の足が、止まった。
……来たか。
俺も立ち止まる。
無理に引っ張る気はない。
そんなことしたら、全部台無しになる。
「……帰る?」
静かに、そう聞いた。
風の音だけが、やけに大きく聞こえた。
音瀬は俯いたまま、何も言わない。
その手が、小さく震えていた。
……きついよな。
分かってる。
分かってるけど、俺は待つことしか出来ない。
数秒。
たったそれだけなのに、やけに長く感じた。
「……行く」
小さな声。
でも、はっきりしていた。
顔を上げたその目は、まだ怖がっている。
でも、逃げてないのが分かる。
……すげぇな。
「……そっか」
それだけ言って、俺は一歩前に出る。
「行くか」
そう言って、俺達は歩き出した。
校門をくぐった瞬間、空気が変わったのが分かった。
視線が集まる。
完全にじゃない。
けど、確実に増えてる。
「……あの子」
小さな声が聞こえた。
舌打ちしたくなるのを、ギリギリで抑えた。
横を見ると音瀬と目が合った。
「……大丈夫」
少しだけ、声が震えていた。
……くそ。
何も出来ない。
ただ隣にいることしか、出来ない。
それが……もどかしい。
それでも音瀬は足を止めなかった。
教室の前まで来ると、音瀬は止まった。
分かる。
ここが一番きついよな……。
「……雅」
名前を呼ぶ。
でも、それ以上は言わない。
大丈夫なんて、無責任なこと言えない。
守るって言ったくせに、まだ何も守れてないんだから。
──それでも、俺はここにいる。
繋いだ手をしっかり握り直した。
音瀬は小さく息を吐いて、ドアを開けた。
一瞬、教室の空気が止まった。
やっぱり……。
視線が、一斉にこっちを向く。
くそっ。
全部俺が引き受けられたらいいのに……。
そんな中、いきなり空気をぶち壊す声が響いた。
「えーーーー!?」
声が聞こえた後ろを振り返ると、案の定湊だった。
「え? え? え? 何で手繋いでんの?」
「……俺の彼女だから」
「え? いつの間に付き合ったんだ?」
「……昨日から」
「はぁ!? お前、そんな大事な事は早く言えよ!」
「色々あって……忘れてた」
「はぁーー。でも、おめでとう。良かったな」
「あぁ……」
俺は何だか気恥ずかしくて、ぶっきらぼうに答えた。
「と、と、藤真君! 本当に音瀬さんと付き合ってるの?」
教室側からも女子達が詰めかけてきた。
「付き合ってる。昨日から」
俺はハッキリそう答えた。
「え? じゃ、あの清楚系美人の彼女は?」
「二股!?」
「あいつは彼女じゃない。俺が好きなのは……雅だけだよ」
そう言うと、教室が一瞬だけ静かになった。
横を見ると、音瀬は耳まで赤くして下を向いていた。
「はぁー。無自覚はこれだから困る……」
湊は俺を呆れた目で見ながらそう言った。
「は? 何が?」
その時、ざわっ……と空気が揺れた。
「え、ちょっと待って……」
「今の本気?」
そう誰かが言った、次の瞬間──
「え、マジで!?」
「付き合ってるの!?」
「昨日からって何それ!?」
「ヤバっ……!」
一気に声が重なって、教室が騒がしくなる。
「でも普通にお似合いじゃない?」
「いやいや無理なんだけど!」
肯定する意見と否定する意見が混じり合う。
なんでお前らなんかに、とやかく言われなきゃいけねーんだよ。
「……黙れよ」
俺がそう言うと、教室が一瞬だけ静かになった。
誰も何も言わない。
「……でもさ」
小さな声がどこかから聞こえた。
教室内を見回すと、クラスの女子が1人、気まずそうに視線を逸らしていた。
「その……動画のやつって、本当なの?」
その一言で、また空気が揺れる。
さっきまで押し込められていた視線が、一斉に音瀬に向いた。
……やっぱり、来るか。
俺は小さく息を吐いた。
「……それ以上言うな」
女子を睨みつけ、低く、そう言った。
それだけで、また教室が静まり返る。
隣で小さく息を吸う気配がした。
「……違う」
最初は、かすれるような声だった。
「動画は私じゃない!」
音瀬の言葉に教室の空気が、はっきりと揺れた。
さっきまでのざわめきとは違う。
音瀬の手は震えていた。
怖いくせに、ちゃんと言うなんてな……。
ほんと、俺の彼女はかっこいい。
音瀬は、自分でここまでやった。
震えながらでも……逃げずに。
……なら。
次は、俺の番だ。




