第2話
音瀬がまた泣いているので、今度は何の本で泣いているのかが気になって本のタイトルを見ようとした時、手の位置が悪かったのか扉がガタッと音をたてた。
「あっ」と思った時には、音瀬はこちらを見ていて俺と目がバッチリ合ってしまった。
また意味分からない事に巻き込まれるんじゃないかと身構えた俺だったが、俺の予想とは違い音瀬は驚いた表情をした後、照れているのか顔を真っ赤にした。
そして本を机の上に残したまま彼女は慌てて荷物を持つと、図書室から飛び出して行ってしまった。
音瀬とすれ違う時、彼女は一生懸命涙を手で拭っていた。
俺は音瀬の後ろ姿を見ながら唖然とした。
さっきはあんな事を恥ずかしげもなくやっておいて、泣いてる姿を見られるのは恥ずかしいって何だよそれ。
「普通逆だろ……音瀬って変な奴だな……」
彼女の後姿が見えなくなってから、俺はまた図書室の中に視線を戻し、他に誰かいないかを確認した。
図書室の中はガランとしていて、他に人がいる気配はなかった。
あれ? 皆で俺を馬鹿にしてたんじゃねーの?
音瀬だけしか居なかったのか?
なら、一体なんであんな事を突然言いだしたんだ?
今まで一言も喋った事もないし、俺を好きって訳でも無さそうだし…………やっぱり揶揄われただけか!
くそー、真に受けて情けなく狼狽えちまったじゃねーか!
暇潰しにしても、もっと他に何かあるだろーが! 悪趣味にも程があるだろっ!!
はぁー、ここで1人イラついていても仕方ない。今回の事は猫に噛まれたとでも思って忘れよう。
恥ずかしすぎて思い出したくもない……まぁ、音瀬と関わる事はもう二度とないだろうし、俺もさっさと荷物を取って帰るか。
帰る前に図書室の戸締まりをしようと、窓の施錠を確認しカーテンを閉めていく。
誰もいない事を最終確認した後、テーブルの上に一冊の本が残っている事に気がついた。
さっき音瀬が読んでいた本だ。
表紙を見るとまだ読んだ事がない恋愛小説だった。
「これ、そんなに泣ける本なのか?」
ちょっと興味が湧いたので、俺はその本を借りて帰る事にした。
貸し出しカードに記入して、本を鞄に入れた所でまたスマホが震える。
画面を見ると『まだ?』と湊からのLIMEだった。
時間を確認すると、あれから結構時間が経っていた。
『すぐ行く』と返信して俺は鞄を持つと、慌てて図書室のドアを施錠し鍵を返すために職員室に向かって走った。
しばらくして俺が息を切らして校門に着くと、「お疲れー」と何故か上機嫌な湊が待っていた。
「悪い、待たせたな」と取りあえず謝るも「いいって、いいって。お前を待ってたおかげで音瀬さんと少しだけ話せたし」と湊はニヤニヤしながら言ってきた。
「なんで音瀬と話せただけで、お前はそんな機嫌が良いんだ?」
「お前、うそだろ!? あの音瀬さんと話せて喜ばねぇー男はいないだろ!! 後『音瀬さん』だ! お前よく音瀬さんの事呼び捨てにできるな……お前、そういうとこだぞ」
「そういうとこって何だよ」
「女子にモテて困るーとか言いながら、あの顔でサラッとお前が呼び捨てにしたりするから勘違いする女子が多発したんだろーが!」
「別に普通だろ。それに女子にモテて困るなんて言ってない! 女と関わりたくないって言ったんだ!」
「はいはい、そういう事にしといてやるよ。それより聞いてくれ、なんと音瀬さんから俺に話しかけてくれたんだよ!」
俺はそれを聞いてピンと来た。
湊も音瀬にあの悪趣味な揶揄われ方をしたんだと。
揶揄われても喜んでいる湊はドMなのかと思ったが、揶揄われたのは自分だけではなかったと仲間が出来たようで安心した。
「音瀬さんが俺に『彼女はいるの?』って聞いてきたんだ! これって絶対脈ありだよな? 好きじゃなかったら彼女がいるかなんて聞かねーだろ?」
「いや知らねーよ。それよりも他に話した事があるだろ?」
「お? 嫉妬か? 俺に可愛い彼女が出来るかもしれないって」
「そーじゃなくて……ってか、お前彼女いるだろ?」
「それが今日! さっきフラれたんだよ! 『夏休みなのに部活ばっかりで全然会えないから』って……しかもLIMEで言われて、俺ブロックされったっぽい。モテるために始めた部活が理由でフラれるとか終わってるよ」
「それが今日俺を誘った理由か」
「そうだよ! 傷心の俺を慰めろと言いたい所だが、俺の傷は音瀬さんのお陰で一瞬で癒えてしまった」
「やっぱりお前も言われたんだな『私とエッチしない?』ってやつ。凄いパワーワードだよな。揶揄うにしても程があるよ」
俺がそう笑いながら話していると、湊は目を見開いて固まっていた。
「おい、どうした? 揶揄われた時の事思い出して、恥ずかしさで悶えてんのか? 大丈夫、俺もさっき恥ずかしさでどうにかなる所だった」
湊を元気づけようと、一人じゃない仲間だという気持ちを込めて湊の肩に腕を回し、ポンポンと肩を叩いた。
すると湊はボソッと「俺は言われてない……」と言った。
「え?」と俺が聞き返すと、湊は俺を見て「俺は言われてないーー!!」と叫んだ。
湊は肩にある俺の腕を払うと、俺の胸ぐらを掴んできた。
「どうしていっつもお前だけがいい思いするんだよ! こんなモッサイ格好してるお前に負けるなんて……なんだ? 顔を隠してもイケメンオーラでも出てんのか? それともフェロモン的なもんなのか? 一体お前から何がでてんだよ! モテる秘訣を俺に教えてくれよーー!!」
「いや、何も出てないって! 苦しい、苦しい……首締まってるって」
俺がそう言うと、湊は手を離してくれたが目に見えて落ち込んでいる。
俺は息を整えながら、客観的にこんな人目がある場所で情けない事を叫んだり、高い身長で背中丸めてショボンとしてるのが女子にモテない理由じゃないかと思ったが言わないでおく事にした。
俺的にはそういう所が可愛げがあって面白いと思うけど、湊は格好つけたがりだからな。もう喋らずに一生サッカーしてたら良いと思う。サッカーしてる時の湊は別人のようで俺から見ても格好いいし。
それよりも、湊は音瀬に言われてないってどういう事だ?
音瀬は皆を揶揄って遊んでいるわけじゃないのか?
「俺は音瀬さんの質問に今はいないって答えたら『ふーん、そうなんだ。じゃあまたね』って言われただけだ……なんだよ『エッチしない?』って。俺も言われてみてーよ!! それで、あれか……お前が遅れた理由って」
「いやいや、何もしてねーて!」
「何もってお前……あんな美人に誘われて断ったって言うのか!? 嘘だろ? 据え膳食わねば男の恥だぞ!」
「いや、だから揶揄われただけって言ってるだろ!!」
「揶揄われた?」
「ずっとそう言ってるだろ。今まで一言も喋った事がないし、こんな根暗そうなやつ誰が誘うんだよ。どう考えても罰ゲームか何かで言わされてるだけだろ」
「そうか……そうだよな。絶対そうに決まってる! そうじゃなきゃ、俺もうやってらんねーよ。部活終わったら彼女にフラれてて、救いの女神が現れたと思ったらお前とデキてるなんて話だったら、今の俺にはオーバーキルすぎる……耐えられない……」
「安心しろ、そんな事は絶対に起こらない。なんならもう音瀬と関わりたくもない」
「そうだった、お前は女子が苦手だもんな。音瀬さんとも関わりたくないとか、思ったよりも重症だな。青春を棒に振るなんて可哀相に……」
「うるせー! 憐れむな! 良いんだよ、俺はこれで幸せなんだから」
「そうか、幸せか……なんかお前に比べたら俺の悩みが幸せな気がしてきたわ」
「だから憐れむなって!」
「よし、今日は俺がラーメン奢ってやるよ。行こーぜ」
「マジで!? ラッキー」
「お前はこれが幸せだもんな」
「だから憐れむな!!」
そうやってその日は湊とわちゃわちゃしながら、行きつけのラーメン屋で2人でラーメンを食べて帰った。
湊は終始音瀬の話をしていて「俺、本気で音瀬さんを好きになっても良いかな?」と悩んでいたが、俺は適当に「そう思ってる時点でもう好きだろ」と返事をしておいた。
湊はその後も何かを真剣に悩んでいたが、俺は美味しいラーメンを堪能し、湊の奢りという事もあり幸せを感じていた。
恥ずかしかった出来事を幸せな記憶で塗り替えようとしていたのに、次の日図書室の受付カウンターにまた音瀬がやって来た。
「ねぇ、朝陽君。私とエッチしない?」
またしても音瀬は俺にとんでもない事を言ってきた。
一度ならず二度までも……。
「あの、揶揄うなら他の人にして下さい。俺はもうその手には乗らないんで」
そう今日はキッパリ言ってやった。
昨日は動画か写真でも撮り忘れたのか?
でも、俺はもう昨日のように狼狽えたりはしない。残念だったな、面白い反応が見れなくて。
俺は勝ち誇ったように音瀬を見ると、彼女は何を言われたのか分からないような顔でキョトンとしていた。
そして、音瀬はカウンターに腰をかけておもむろに俺との距離を詰めると、片耳に髪をかけながら「その手には乗らないって何の事?」と小首を傾げて聞いてきた。
うっ、待て、何なんだその色気は……これが湊が言っていたフェロモンとかいうやつなのか?
「ねぇ、何? 教えて?」
「だ、だから罰ゲームか何かで俺を揶揄ってるんだろって!」
「揶揄ってなんかないよ。本気で言ってるけど?」
「え?」
え? え? え?
本気? 本気ってどういう事?
本気と書いて本気と読むってやつ?
あぁーもう訳が分からん!!
「私は本気で朝陽君とエッチしたいと思ってるよ」
いや、ニコッじゃないよ!
どうしたら良い? 俺は一体どうすればいいんだ!?
いや、狼狽えるな俺。
きっとこれも罠だ。昨日と同じだと俺が罠にかからないと思った女子達が、高度な戦略を仕掛けてきているに違いない!
「そこか!」と俺は人が隠れていそうで、なおかつ動画が撮れそうな本棚の陰を指差した。
音瀬は「朝陽君急にどうしたの?」と驚いているが、演技はもういい。俺には全てが分かっている。
俺はカウンターを出て、自信満々に本棚の陰を確認するが誰も居なかった。
なら他の本棚かと思い、全部の棚を確認するが誰も居ない。
いや、もしかしたら何処かにスマホをセットしているかもと思い、入念にスマホを探すがどこにもなかった。
あれ? おかしいな……絶対にこの辺に隠してると思ったのに。
はっ、そうか!? 図書室のドアの隙間から撮っているんだ!
俺は慌てて図書室を出て、廊下を確認した。
「誰もいない……」
俺がそう呟くと、音瀬は「どう? 何か見つかった?」とクスクスと笑いながら言ってきた。
振り向いて音瀬の方を見ると、音瀬はカウンターの上で足を組んで俺を見ていた。
「何もないでしょ? だって私本気だもん」
そう言って音瀬は、パンツが見えそうで見えない絶妙なラインで足を組み替えた。
何をしても妙な色気を振りまく音瀬に、俺の心は危険信号を発した。
この場から逃げ出したい。
けど、ここで逃げたとしてもまた明日も来るんじゃないかと思い、早く平穏を取り戻したい俺は音瀬に理由を聞いてみる事にした。
「いや、だっておかしいだろ? 俺達は昨日まで喋った事も無かったのに、いきなり……そんな……」
「朝陽君って初心なんだね。可愛いー」
「揶揄うなよ」
「うーん、じゃあひと目ぼれって事で」
「それ絶対違うでしょ」
「もういいじゃん、理由なんて何でも。据え膳食わねば男の恥っていうでしょ?」
「恥でも何でもいいから、もう俺の事は放っておいて下さい」
「私がここまで言ってもダメなんて、俄然燃えてきたんだけど……」
「え?」
「ふふ、今日の所は帰ってあげる。また明日ね」
そう言うと音瀬はヒラリとカウンターから下りた。
「それと、その小説面白いよね。私もう3回も読んじゃった」
音瀬はカウンターに置いていた俺の読みかけの本を指差した。
「あ、俺まだ読んだ事がなくて……」
音瀬が泣いているのを見て気になって読んでいたとは、何だか恥ずかしくてそれ以上は言えなかった。
「そうなんだ。面白くてすぐ読めちゃうから、明日それの感想聞かせてね。じゃーねー」
そう言って音瀬は鞄を持つと、あっさりと帰って行った。
嵐が過ぎ去ったと一瞬ホッとしたが、明日も来ると言っていた。
明日も意味分からない攻防するって事?
それに、俺は誰も居ないのに自信満々に「そこか!」とか言っちゃったし、恥の上塗りしただけじゃねーか。
俺は静かに本を読んでいたいだけなのに……。
助けて! みなえモーーン!!
俺に音瀬は手に負えない。




