第10話
今は何も考えたくなくて、前から気になっていた本を手にとって受付カウンターの席に座る。
文字は読めるのに内容がちっとも頭に入ってこない。
そんな時にまた図書室に来訪者が現れた。
目線だけで姿を確認すると湊だった。
「おっす! 何だ今日はお前1人かよ。先輩がいるかと思って寄ってみたのに……って、お前眼鏡どうしたんだよ。外してるの珍しいな」
湊に言われてから、顔に手をあてると本当に眼鏡がなかった。
あれ? 俺眼鏡どうしたっけ?
あぁ、そうだ。音瀬にとられたままだった。
ムカつきすぎて、そんな事忘れていた。
「別に……」
「あれだけ必死に隠してくせに『別に』って……まぁー前髪があるからいいのか。って、お前その手もどうした?」
湊が驚いた様子で俺の右手を指差した。
俺もそれにつられて自分の右手を見ると拳が赤く腫れあがっていた。
「え?」
腫れているのを認識してから、何だか手が痛くなってきた。
さっきまでは全然痛くなかったのに……。
「『え?』じゃねぇよ。何殴ったらそうなるんだよ。もしかして喧嘩か? なーんてな、そんな訳ないか」
「……口喧嘩ならしたかな」
「え? お前が?」
「あぁ」
「あの面倒くさがり屋のお前が?」
「だからそうだって!」
湊は信じられないという表情で俺を見ていた。
「何だよ」
「いやだってお前、どうでもいい相手なら喧嘩なんかしねーだろ。って事は……音瀬さん関連か?」
「そうだけど……」
「やっぱりか! なんだ? 変な奴に絡まれてる音瀬さんを助けたとか?」
「まぁ、絢斗先輩にはからまれてた」
「へ? マジ?」
「俺あいつ嫌いだわ」
そう言いながらさっきの先輩の言動を思い出し、落ち着いていたイライラが再び湧き上がった。
そんな俺のイライラした様子を見て湊は「んで殴ったのか」となぜか納得していた。
「いや、これは……違う」
ただ壁を殴って怪我したとは言いたくなくて、咄嗟に拳を手で隠した。
「ハハハッ、分かってるよ。どーせ何も考えずに壁でも殴ったんだろ? 俺も経験があるから分かるよ」
俺は笑う湊を肯定したくなくて、目線をそらして無視した。
湊はそんな俺を気にせず笑い続け、ひとしきり笑った後、急に真面目な顔をした。
「それにしても絢斗先輩か……俺も直接話した事はないけど、良い噂は聞かないな」
「噂って?」
「いや、純粋培養のお前には言いたくない……」
そう言って湊は気まずそうに俺から目を逸らした。
「なんだよ純粋培養って」
「そのまんまだろ! お前にはまだそのままでいてほしい……」
「どーせ面白いとかそういう理由だろ? 俺はお前が思う程純粋じゃないから言えよ!」
なぜ分かったとばかりに目を見開きふざける湊を軽く小突いた。
「早く言えって!」
それでも「いやーー」と言いながら教えてくれない湊をしつこく問い詰めると、面倒くさくなったのか渋々教えてくれた。
湊が言うには、絢斗先輩の一人暮らししている家は溜まり場になり、そこには『ファヴ』と呼ばれる女子グループもいて、そこはヤリ部屋と化しているそうだ。
最近では売春を斡旋をしたり、美人局なんかもしているんじゃないかという噂もあるそうだ。
噂を鵜呑みにするのはよくないと分かりながらも、音瀬のあの嫌がった素振りを見て、噂はあながち本当なんじゃないかと俺は思ってしまった。
「音瀬さんに絡んでたって事は、音瀬さんもその女子グループに入れるつもりだったとか?」
湊の言葉を聞いて、アイツが言っていた事を思い出した。
『雅、まーだ昔の事根に持ってんのか? お前も楽しんでたじゃん。また皆んなで仲良く遊べば良くね?』
皆んなで?
また皆んなで仲良く遊ぶ?
音瀬達は付き合っていたのにまた2人じゃなくて、皆んなでっておかしくないか?
それに音瀬は明らかに先輩に怯えていた。
もしかして……。
俺は最悪な出来事を想像してしまった。
『純粋な心で人を好きになれて、ピンチの時は絶対に誰かが助けてくれて……それでさ、困難を乗り越えた2人は愛を更に深めてハッピーエンド。ねっ? 素敵でしょ? 私もこんな恋愛してみたかったなーって思ったら、泣けてきたってだけ』
『だから出来ないって言った! 楽しんでる訳じゃないけど、理由は言えない!』
過去の音瀬の言葉達が次々と頭の中に浮かんでくる。
俺の考える最悪な出来事が起きていたとしたら、音瀬が言っていた言葉もなんとなく分かってしまう。
それでも、俺を揶揄う理由が分からない。
「自分が傷つけられたからって、他人を傷つけるのは違うだろ……」
「おっ、何だ何だ? そんな真剣な顔して」
「いや、別に……」
「なんだ? 音瀬さんの事でも考えてたのか?」
「うるせー」
「あー!! 口喧嘩した相手は音瀬さんか? なんだ? フラれたのか? なーんてな」
「……ただフラれただけの方が良かったよ」
「って事はフラれたのか!? あー何というか、ご愁傷様です」
「うるせーな! ニヤニヤ笑ってんじゃねーよ!」
「いや、だって、あの朝陽がフラれたっていうのがおかしくて」
堪えてた笑いを解放するようにケラケラと湊は笑い始めた。
「フラれたというか、最初から遊ばれていたらしい……」
「俺も遊ばれてー」
「お前何言ってんだよ」
「あんな美人に遊んでもらえるだけ良くね?」
「は?」
「そりゃ好きになってもらって、ちゃんと付き合えた方がいいけど、遊んでもらって楽しかった事も良い思い出になるだろ? まっ、良い経験だよ」
そう言いながら湊は俺の肩をポンと叩いた。
「なんでお前はそんな達観してんだよ」
「中学時代、お前が横に居るせいで俺は一切モテなかった。俺に近寄ってくる女子達は皆お前目当てだった……それでもいつかは俺を好きになってくれるんじゃないかと思ったが、そんな事も一切なかった」
「お、おぉ……」
一応相づちをしてみたものの、湊がそんな経験をしているなんてまったく知らなかった。
『一切なかった』と言い切るぐらいだから、俺のせいで本当になかったんだと思うと、なんだか申し訳ない気持ちになった。
「なんか……ごめん」
「いや、謝らなくていい。別にお前が悪いわけじゃない。そう思ってたら今頃お前の友達してないって」
「お前……」
さらっとそう言えるのが湊の良い所だよな。
俺が女性だったら湊に惚れてるよ。
「んでお前の影が薄くなった今、俺は人生のモテ期がきている! 俺自身を見て好きになってくれる子がいる! その中には俺をアクセサリーかステータスの一種と考えている子もいる。でも、俺は好きと言われただけで嬉しいんだ! 不遇の時代があったから、遊ばれていようが嬉しいんだ! 俺なんかと付き合ってくれてありがとうって感謝しちゃうレベルだよ」
あぁー、だからこいつはこんなにチョロいのか。
自己肯定感が低すぎないかと少し心配になる。
「なんか思ってたのと違うと言われて、フラれる事だって多々ある。その度に傷ついて立ち直って来た過去もある!」
おぉ、なんか湊がカッコ良く見える!
「そして俺は気づいた! 俺は何度でも甦る不死鳥のような男だと!」
あっ、さっきのは幻か。
やっぱり湊は残念イケメンだった。
「そんな俺がお前の立場だったとしよう。本気で好きなら許すよ」
「なんで?」
「『なんで?』って……腹が立っても好きな気持ちの方がでかいからだろ。それでも一緒にいたいと思うのが恋じゃね? 相手が嫌なら身を引くけどな。その時は頑張って恋心消すよ」
どこか遠くを見て寂しそうにそう言った後、こっちを見てニッコリと笑った湊は、なんかいい男感がでているように思えた。
「なんか分かんないけど、お前カッコイイな」
「今更気づいたか」
そう言ってから、湊は俺にデコピンをしてきた。
痛いとおでこを抑えている俺の頭を今度はグシャグシャと撫でてきた。
「ゆっくり落ち着いて考えてみろよ。ムカついて二度と会いたくないのか、まだ好きなのか」
「あ、あぁ……」
「じゃ、俺は先輩もいないし部活に戻るわ」
颯爽と図書室を出て行く湊の後ろ姿は、なんだか頼もしく見えた。
「二度と会いたくないのか、まだ好きなのか……」
俺は落ち着いて考えてみる事にした。




