1 司法取引
一、調査員は異世界パースに派遣される。
二、派遣された調査員は、次の二つの情報を日本国に持ち帰らなければならない。
ア、パースからの帰還方法。
イ、パースの実態。特に、日本国がその資源を確保しうるかどうかについて。
三、調査員が無事に日本国に帰還した場合、持ち帰って来た情報の質・量に応じて、日本国は調査員に対価として金銭を支払い、新たな戸籍を用意する。
四、調査員は、パースへの派遣をもって、その刑を執行したものとみなす。
「以上が、本取引の内容である。何か質問はあるかね――死刑囚、星野翔太朗?」
※
大拘――すなわち、大阪拘置所。
すでに座って待つ妹の前に、翔太朗は腰をおろした。
死刑囚の面会は、弁護士を除くと、一日に一回だけであり、時間は三〇分以上が原則となっているが、実際には半分にも満たないケースがほとんどである。著しい制限がかかっているためだ。
「美咲、また差し入れをしただろう。余計な金は使うな。俺のことは気にしなくていい」
手製の食品はNGだ。
専門の売店を通してのみ与えることができるが、それも夕食の時にしか手渡されない。この際、弁当を差し入れた場合には、共通の食事が抜きになる。拘置所には、食品を保管しておくような場所がないためである。
もっとも、ここの飯はまずい。下手な家庭料理よりも、遥かに栄養に気を配った食事だが、味についての配慮はないに等しかった。
「……わかった。次からは別のものにする」
話を聞いているのか、それとも聞いていないのか。
あっけらかんと応じる妹に、翔太朗は内心、溜め息をつきたい気分だった。
星野美咲。
二週間に一度の間隔で、兄の翔太朗に面会を求めている律儀な妹だ。
その生真面目さには、正直、鬱陶しくなる部分もあったが、今日に限って言えば、来てくれたことに翔太朗は感謝していた。どうしても、急いで妹に伝えたいことがあったためである。
「そうだ、美咲。しばらくは来なくていい」
「なんでよ!?」
美咲が憤るように椅子から立ちあがる。
「そんなに差し入れが嫌なら、もうしないから!」
「そういうわけじゃないんだが……」
内容は説明できない。言えば、国との取引自体がなかったことになってしまう。
とっさに思いついたのは、刑務作業の話だった。
「やりたいことが見つかったんだ。だから、当分の間は時間が取れなくなると思う。ひょっとしたら、お前にまとまった金額を渡せるかもしれないな」
そう言って翔太朗は自嘲気味に笑う。
禁固刑――つまり、働くことなく拘束される刑罰――と同様、死刑囚においても本人が希望すれば、作業に従事することができる。もっとも、対価となる作業報奨金は、新人の状態で一時間あたり五〇〇銭。単位は間違っていない。つまり、時給に換算すれば、たったの五円である。小難しい話をすれば、労働に対する見返りという扱いではないからこそ、これほどまでに低額となるらしいが、エリート受刑者であっても最大で四〇円になるのだから、ひと月に貰える金額なぞ高が知れている。七〇〇〇円を超える受刑者は存在しないだろう。
したがって、作業報奨金ではまとまった金額を渡すのに、膨大な年月を必要とする。もっと言ってしまえば、調べればすぐに、翔太朗の話が嘘であることを見抜けるはずだ。しかし、翔太朗は、自身の妹がそこまで疑り深くないのを知っていた。このままでも、理由としては十分に機能するだろう。
「死刑が執行されるわけじゃないのね……?」
訝しむように美咲が翔太朗を睨む。
鋭い妹だ。
対外的には調査員になった以上、死刑を執行したものとして公表されると考えられる。無事に日本に戻って来られたとしても、星野翔太朗として妹に会うのは、不可能となるに違いない。これが妹との見納めになる。
ゆえに、翔太朗は今度こそ本当の笑みを見せた。
「そんなわけないだろう? 刑の情報なんて、直前にしか知らされないよ。脱走を試みたり、自殺を図ったりするのがあとを絶たないからな。俺たち本人にさえ、それはわからない」
死刑なんぞ、時々、時の法務大臣が世間に仕事をしているというアピールで、バタンコさせられるだけである。厳格に定めた法律の運用が、たった一人の気分次第で決まってしまうというのだから、本当に勘弁して貰いたいものだ。これじゃあ、ルールとして作った意味がない。
「……兄さん、私やっぱり――」
何か余計なことを言いそうになる妹の口を塞ぐべく、翔太朗は少しだけ声のボリュームを上げて話した。
「裕菜は元気か?」
「うん……。たまに、事件のことを気にしている様子だけど、私といる時は元気そうに見えるよ」
「そうか、よかったよ」
「兄さん。私、兄さんを置いて幸せになることなんてできない。私たちだけが平気そうな顔をしているのは、やっぱり間違っていると思うの!」
話題の変え方を間違えたかと、翔太朗が小さな舌打ちをする。そうして、立ち会う看守に目配せをすると、面会を終わらせるように促した。
不審な様子で看守は翔太朗を見返すが、あえて面会を続行させるつもりもないようだ。翔太朗の手を引くと、看守は出口へと向かっていく。
その扉が閉じられる寸前、翔太朗は口早に告げた。
「美咲、ありがとうな。もう十分だよ」
妹さえ幸せでいるのなら、それでいい。
元々、自分の人生は空っぽだったのだ。たった一人の兄弟が平穏に暮らせるのであれば、異世界だろうと何だろうと自分は行ってやる。
改めて、翔太朗は調査員になる決意を固めた。
※
*1:斎藤靜敬・覺正豊和(2011)『刑事政策論〔改訂版〕』、八千代出版、pp. 309-10
作業報奨金の具体的な金額、およびその性格については、上記の文献を参考に適宜変更した。
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