変化する日常
翌日、蘭は朝のランニングを終えて帰宅した。シャワーで軽く汗を流し、髪を乾かしていると、母の星明 侑香が洗面所にやって来る。
「蘭、おはよう。」
「お母さん、おはよう。どうかしたの?」
「昨日の話、お父さんから伝言。後日、煌さんと直接話して決めるけど、出来るだけ蘭のしたいようにするから安心して…だそうよ。」
昨日の夕食の時間に、今起きていることを話したのだ。嵩梧は多忙のため普段は家にいないが、侑香が代わりに話してくれていたようだ。
「そっか…あの、これから色々迷惑かけるかもしれないけど…。」
「ふふ、何を言ってるの?迷惑なんかじゃないわよ。あなたは家族なんだもの、支えるのは当たり前でしょう?」
蘭より背の低い侑香は背伸びをして、まだ少し濡れている頭を優しく撫でた。その姿に蘭は微笑んで、また髪を乾かし始めた。
髪がサラサラと靡き、充分に乾くとリビングへと向かう。まだ侑は起きていないようで、母が鼻歌を唄いながらキッチンで朝食を作っていた。
『ここで最新のニュースです。今日午前四時頃、一人の少女が歌う映像が電波ジャックにより放送されました。連日続くこの現象について煌プロダクションの煌 秀一郎氏が会見に応じました。』
蘭が着替えに行こうとリビングを出ようとすると、テレビのニュースは秀一郎の映像に切り替わる。蘭の足はピタリと止まり、テレビを見る。
『先日より話題に上がっている例の映像についてですが、我々はいち早く彼女たちに接触を図りました。
今、現状をお話するのは難しいですが、彼女たちもまた何が起きているのか把握出来ていない状況です。彼女たちを温かく見守って頂けると幸いです。』
秀一郎の会見の後、流れた映像には今朝導かれた少女の姿。その映像に蘭は小さく驚いた。
「えっ………!?」
・・・
_____微睡み中、何かの気配がして目を開くと見知らぬ景色が見える。ふかふかした地面にキラキラと光る空気。どこか現実味の無い幻想的な空間。
少女はぼんやりする視界の中、見知らぬ世界に目を開く。
「…な、に…ここ………。」
不安気に辺りを見渡していると、頭も次第にハッキリしてくる。その感覚がやたら現実的で夢なのかどうか怪しくなる。
『莉愛。』
「ひっ!?」
すると、どこからか自分の名前を呼ぶ声が聞こえ、バッと後ろを振り返るが誰もいない。女神のように美しい、透明感のある声。
彼女、莉愛は頭が混乱してくる。見知らぬ場所に一人、得体の知れない少女の声があるだけの現状に怖くなって泣き出しそうになる。
『初めまして、私はアリア。莉愛、落ち着いて?今は姿を見せることが出来ないの。』
アリアと名乗る少女の声で魔法が掛かったかのように震えが止まり、次第に落ち着いてくる。
『ここは『煌めきの世界』。世界中の煌めきが集まる場所。』
「…煌めきの世界………?」
もう一度辺りを見渡してみると、そこは蘭や柚希が歌っていた映像の場所だった。二人が不思議なことに巻き込まれているとは噂に聞いていたが、まさか自分もそうなるとは思っていなかった。
『ふふ、莉愛はきっとその前に見ているはずよ。ここの風景を………。』
「…?」
莉愛の心を見透かすようにアリアは言うが、それはまた別の話。
『まぁ、今は思い出さなくても大丈夫。その内分かるから。ここに来てもらった理由は、闇に飲み込まれたこの煌めきの世界を救う為、莉愛に歌って欲しいの。』
「闇…?ここはとても綺麗で明るいですが…そ、それに歌…って………?」
『ここは私たちの記憶の世界。本当の世界は闇に飲まれてしまっているの。だから姿を見せることが出来ない…。
そしてあなたの歌には特別な力がある。その闇の一部となり、光に変える力が。』
彼女の言葉は全く理解が出来ないけれど、なんだかファンタジーもののお話に紛れ込んだみたいで少しワクワクした。
アニメやゲームが好きな莉愛は、現実から乖離されたストーリーが大好きなのだ。
『…莉愛のその煌めきは、弱さを知る煌めき。弱さを知っているから誰かのために強く煌めける、その心の優しさが煌めきの源。だから、大丈夫。』
アリアはそう言い残して気配を消す。
気がつくと莉愛は可愛らしさの残る大人っぽい衣装を身に纏い、左手にはマイクが握られていた。
導かれるように手に持つマイクを口元へと持っていき、自然と詩が浮かぶ。眼下に広がる優しい色の景色が目に染みる。
リアルじゃなれないジブンに
ふだんは会えないキミに
見せたい ホント
伝えたい キモチ
変わるの ワタシ
マジック・ガール_____。
・・・
今朝の莉愛の映像のこともあり、蘭は足早に通学路を歩いた。柚希も莉愛のことが気になっていたようで、いつもより早い時間に合流して登校した。
「あの人見知りのりあちが歌うなんて……びっくりしちゃったよー。」
「うん…それに昨日のことを考えると、早く行かないと危ないかもしれない。」
「危ない…?あ!」
見えてきた校門の前には昨日と同じようにマスコミが屯しており、道を塞いでいた。
「こっち向いてくださーい!」
「今朝の映像についてインタビューをー………。」
「あ…いやっ、えっと…っ……ひいっ…!」
マスコミたちは莉愛を見つけるなり、彼女の周りを囲む。学園の敷地内だというのに勝手なことだ。
莉愛は怯え竦み、今にも泣き出してしまいそうなほど、涙を瞳に溜めている。
周囲の生徒たちも屯するマスコミたち相手にどうしたらいいのか分からない様子で戸惑っている。
「蘭、どうしよう〜!…ってあれ、蘭?」
柚希も周囲の生徒同様に慌て始めるが、既に彼女の隣に蘭はいない。もう一度マスコミの方を見ると蘭はそれに立ち向かっていた。
「退いて下さい。」
「ら、蘭先輩っ…!」
蘭の凛とした声が響く。莉愛は誰よりも早く蘭の存在に気付き、目を光らせる。
「す、駿河 蘭!?」
「莉愛ちゃん、大丈夫?」
「ひゃ、ひゃいぃ………。」
突然の蘭の登場に、莉愛に迫っていたマスコミたちは動揺し、その隙に蘭は莉愛を支えた。
そんな彼女が莉愛にとっては、助けに来てくれた王子様のように見えてメロメロだ。
「マスコミの皆さん、ここは学園の敷地内です。許可が降りていないのであれば敷地外まで下がってください。応じなければ、今すぐ警備会社に連絡致します。」
蘭のその冷静で大人な対応にマスコミたちはたじろぐ。仕方ない…という顔をしつつ、門の外までは下がってくれた。
「ゆずちゃん、莉愛ちゃんを保健室に連れて行ってくれる?足の力が入らないみたいだから。」
「す、すみません…。」
「おっけー!でも、蘭はどうするの?」
「私は………。」
柚希の問いには答えず、蘭はマスコミの方に向かって行く。
たった一人の少女だが、彼女は強く勇ましい。それを知るからこそ、大丈夫だと信じて、柚希は莉愛を連れて保健室に向かった。
残された蘭は凛々しい瞳をマスコミたちに向ける。
「マスコミの皆さん。既にご周知頂いていることと思いますが、改めまして駿河 蘭と申します。連日お騒がせして申し訳ございません。」
まずは丁寧に挨拶をする。その場の誰よりも大人らしい対応に、マスコミたちは居づらそうにし出す。
「私たちについて知りたいのはとてもよく分かります。ですが、突然押し寄せられても学園に迷惑になりますし、私は何も答える気はありません。
私たちについて知りたいことがあれば、煌プロダクションを通して頂けると助かります。学園は生徒が安心安全に学ぶ場です。」
凛然とした蘭の言葉は、星空学園の生徒を慮る優しい言葉。周囲の生徒も立ち止まって蘭の演説に聞き惚れている。
「なので、今後このようなことがあれば…それ相応の対応を致しますので、悪しからず。」
そして最後は冷たくマスコミを突き放した。彼女の正論に反論するものはいない。否は完全にマスコミたちにあるのだから。
マスコミたちは気まずそうに散り散りとなり、誰もいなくなった頃には生徒たちから拍手が上がっていた。
・
「莉愛ちゃん、大丈夫ですか?」
蘭はその後、生徒たちの安全を確保してから急いで保健室へ向かった。疲れてしまった莉愛は眠ってしまい、柚希はそんな彼女を見守っている。
「大したことあらへんよ。ちょっと疲れてしまっただけやから、その内目も覚めると思うで。」
「ありがとうございます、黄金井先生。ゆずちゃんも。」
保健医の黄金井 怜士は穏やかな心地の良い関西弁で莉愛の体調を教えてくれた。柚希も蘭にピースを送っていた。
「でもなこの後、授業行かなならんくて…近くにいてやれんのやけど、どうしたらええかな……。」
ボソリと怜士は呟く。飴を咥えながら首を掻いて何かいい手は無いかと模索する。
「それなら私が着いてます。」
「ん?あー…蘭ちゃんなら大丈夫か。ほな任せるわ。机は好きに使うてええから。」
蘭が提案すると、怜士は頷いた。
蘭の優秀さは周知の沙汰。授業にも出る必要性は微塵も無く、彼女がしたいようにするだけ。
何事も責任を持って出来る信頼を得ているからこその処遇だった。
「ゆずちゃんは授業行かなきゃダメだよ。」
「ちぇー、ここは黙ってれば蘭と一緒にサボれると思ったのにー。」
「柚希ちゃんが静かな時は注意せなあかんわ…。」
そうして、蘭は保健室に残り、柚希と怜士はそれぞれ教室に向かった。蘭が近くに座ると、莉愛は幸せそうに寝ていた。
・・・
「…ん、んん………。」
「莉愛ちゃん、起きた?」
ぼんやりとする中、綺麗な声が莉愛の耳に届く。莉愛の一番大好きな人の声だ。
まだ夢を見ているのかと声のする方を向くと、心配そうに見つめている蘭が見えた。
「っ!ら、らら蘭先輩っ!?!?」
「莉愛ちゃん、無理しないで…。」
莉愛が飛び起きると、優しく支えてまた寝かせた。布団を被って熱くなる顔を隠す。
「体調はどう?」
「え、あ…だ、大丈夫ですっ。えと…なんで寝てたんでしょうか…?」
「今朝のことでマスコミの人たちに色々聞かれて疲れちゃったみたい。黄金井先生は休めばなんともないって。」
蘭の言葉に莉愛は安心する。しかし、途端に不安に追いやられる。何がどうなっているのか分からない莉愛は蘭に聞くことにした。
「…あの、蘭先輩。私、今朝起きる前に夢で綺麗な声の女の子に話し掛けられて…それが何故か現実で映像が流れていて…どうしたら………。」
「うん、分かってる。私もゆずちゃんも同じだから。」
蘭は莉愛に今起きていること、秀一郎に頼っていることを出来るだけ分かりやすく説明した。
だが、まだ分からないことばかりの現状。どうするにも情報が足りない。
「…だから、何かあったら報告して追求するって感じかな。私は所属出来るかまだ分からないけど、協力はしたいと思ってる。」
「蘭先輩がいるのは心強いですけど…やっぱりちょっと怖いです。夢の中だと思っていたから歌えましたが…現実となると………。」
蘭も莉愛の気持ちはよく分かる。夢の中、という大前提はあるものの、あの空間は不思議となんでも出来る感覚があった。
現実はそうじゃない。しかし、失敗を恐れて何もしないことほど愚かなことはない。
「何が起きているのか分からないから不安になる。だったら理解すれば良い。理解すれば、自ずと道は見えてくる。」
「蘭先輩………。」
「分からないのはみんな同じ。ひとりじゃないから、協力し合って知っていきたい。あの夢のことを。」
莉愛は目を輝かせて蘭の言葉を聞いた。蘭のその強さが、莉愛が憧れている理由でもある。
その強い眼差しで見つめられた莉愛は信じるしかないと思い、決意を固めた。
「…分かりました。まだちょっと怖いけど…蘭先輩がそう言うなら、頑張ってみますっ!」
「ありがとう、莉愛ちゃん。」
蘭が優しく笑うと莉愛も落ち着いた様子で笑った。
・・・
数日後。莉愛が導かれたあの日を境に、新たに導かれる者は現れなかった。煌めきの世界が未だに謎のまま、蘭たちは普通の生活を取り戻しつつあった。
「蘭!おっはよー!」
「ゆずちゃん、おはよう。」
朝、登校中に柚希に会う。学園まで歩く途中、いつものように柚希の話を聞いた。
昨日の授業は面白かったとか、ドラマに好きな俳優が出てたとかそういう他愛も無い話だったが、囁かなその日常がやっぱり蘭にとっては幸せなことだった。
「そーいえば『煌めきの夢』って見た?」
「ううん。他にも見た人出ていないみたいだし…なんだったんだろうね。」
「うーん…すごく助けて欲しい!みたいな感じだったけど、何もしなくても良いのかな…?」
蘭たちは何か固有名詞があった方が分かりやすいと思い、あの夢のことを『煌めきの夢』と呼ぶことにしていた。
あれから音沙汰無しの日々が続き、柚希は心配になる。
「煌さんは何か調べてくれているみたいだけど、どうやって調べているんだろう。」
「んー…。」
そうして考えていると、学園に着く。
以前まで校門前に屯していたマスコミたちも莉愛の一件以来から日に日に数を減らし、今では全く来なくなっていた。
そのお陰で生徒も安心して登校出来るのだが、その分が秀一郎の方に集中しているのだと思うと何だか申し訳なくなる。
「あ、蘭先輩とゆず先輩。おはようございます。」
「莉愛ちゃん、おはよう。」
「おっはー!りあち!」
寮から登校していた莉愛に会う。莉愛は蘭の隣に並ぶと少し照れ臭そうに微笑んだ。
「何の話してたんですか?」
「煌めきの夢についてだよ。」
「あ…そういえば、思ったことがあるんですけど、長くなりそうなので移動しませんか?」
莉愛が会話に入り、ふと思い出す。立ち話をしていると他の生徒にも迷惑になる為、校舎内のロビーに向かう。
「それで…思ったことって?」
「…蘭先輩と奏空先輩、ゆず先輩と楓先輩はそれぞれ二人ずつなのに…どうして私は一人だけなんだろう…と、ふと疑問に思いまして…。」
「あー!確かに!」
莉愛の謎はご最もだった。蘭は難しい顔をして考える。
まだ謎が多い煌めきの夢、何がきっかけで起きるのか…導かれた者の共通点やこれから何をすれば助けになるのか、それが分からない。
「…何か分かるまで下手に動くよりはいつも通り過ごしていた方が良いと思う。でも、あの夢の中にヒントがあって手遅れになったらと思うと…。」
「手遅れって…そんな大袈裟な………。」
「ううん、彼女たちはわざわざ電波ジャックをしてまで、私たちの映像を世界に届けた。世界中に何かを届けて欲しいからそうしたんだと思う。
今はまだ、どうしていいか分からない。でも、分からないで片付けて良い問題じゃないよ。」
何か嫌な予感を覚える蘭。彼女の勘はよく当たることを知っている柚希と莉愛はごくりと唾を飲んだ。
「歌…彼女たちは私たちの歌に特別な力があると言っていた。」
「んー…ゆずは夢の中のことだからあんまりよく覚えてないけど…歌ってとは言われたような…?」
「はい、そこからあの映像に繋がった気がします。」
蘭は頭の中で夢の内容を振り返る。柚希たちは普通の記憶力、夢が前提である以上完全に思い出すことは出来ない。蘭だけがはっきりと思い出せる今、アリアとの会話だけが頼りだった。
「歌うことで…世界が救われるのなら、私たちは芸能活動をする覚悟が必要になるのかもしれない。」
生半可な覚悟では出来ないその世界に飛び込まなければならない。
秀一郎は自分たちのしたいようにすればいいと言ったが、そういう訳にもいかない状況だと蘭は思う。
「…煌さんに相談する必要があるかもしれない。後で連絡しておくね。」
「うん、何かあったらゆずにも言ってね!」
「わ、私にも言ってくださいっ。」
蘭はコクリと頷いて、三人は教室に向かった。途中、莉愛と別れて蘭と柚希は同じ教室に入る。
朝から賑やかな光景が目に入る。その日常が何故か眩しく見えてならなかった。
・星明 侑香
蘭の義母。朗らかでしっかり者。血の繋がっていない蘭のことを本当の娘のように思っている。昼間はデザイナーの仕事をしている。
・黄金井 怜士
星空学園中等部保健医
穏やかな性格で心地の良い関西弁で話す。その雰囲気が保健室と相まって生徒の落ち着く場になっている。いつも飴を咥えている。




