ひとしずくの涙
秀一郎は涙を零した。
二人の少女によって生み出される色があまりにも美しかったから。
その色が世界中を染め上げ、広がっていく景色が見えた。
ゆっくりと瞬きをすると涙が頬を伝い、握っていた愛する人の手に落ちる。すると手の中で彼女の指先がピクリと動いたような気がして顔を見た。
「…麗生………?」
けれど、彼女の白く長い睫毛は伏せられたまま。その美しい顔は彫刻のように動かない。
『………それが、キミの願いなんだね。』
「…っ!だ、誰だ………?」
頭の中で麗生によく似た、でも少し幼い透き通った声が響く。周囲を見渡しても人の気配は無く、違和感だけが残る。
一度落ち着こうと深呼吸をした。
蘭と奏空のステージを無事に見届け、予想以上のパフォーマンスをしてくれた彼女たちに心の底から感謝する。
けれど、麗生は目を覚まさないまま。素直には喜べなかった。
「………。」
「秀一郎さん、麗生さんのお加減は如何ですか。」
すると、渋く威厳のある声が病室に響く。入口を見ると、そこには千夜子が立っていた。
「ち、千夜子さん…何故………。」
「我が一族の総帥がこうでは、一族も機能しないでしょう。様子を見に来たのですよ。」
千夜子はそう言うが、秀一郎は麗生を庇うように立つ。彼女に能力を使われたら、麗生の苦しみは続き、蘭たちの努力は無駄になってしまうからだ。
「…そう身構えないで下さい。あたくしは何も致しませんよ。麗生さんのしようとしていることは分かっていますから。
貴方にも視えているんでしょう?あたくしの色が。」
千夜子を纏うのは歳を重ねたが故に生まれた深く滲んだ色。そのため見えづらいが、確かに彼女の本心はそこにあった。
千夜子はベッドの横にある椅子に腰をかけ、麗生の顔を見る。いつも顔を顰めているが、少し力の抜けた表情になる。まるで、孫の顔を見た時のように柔らかく。
「麗生さんは、一族の総帥として立派になりました。けれどその分だけ、たくさんのことを一人で抱えてしまったのでしょう。」
深い皺の手が麗生の頬を撫でる。彼女のその行動に少しの不安を覚えるが、能力を使えばたくさんのエネルギーが彼の目に映る。
唾をゴクリと飲みながら、千夜子の一挙手一投足に目を光らせる。
「…秀一郎さん、貴方は麗生さんのことをきちんと見ていましたか?」
「当たり前です。」
わざわざ口にするまでもないと言いたげに秀一郎はすぐに答える。けれど、その答えに千夜子は小さく溜息を吐いて首を横に振った。
「貴方、麗生さんの色が視えていないのでしょう?だから、あたくしが彼女に危害を加えないか、急に容態が変わってしまわないか不安で堪らない。」
「…!」
千夜子に言い当てられて心臓がドキリと鳴る。
「麗生さんの心の問題もあったでしょうが…大半は受け取る側の貴方にあるのではなくて?
貴方が自分の夢を追いかけるあまり、麗生さんやあの子たちに目を向けられなかった。その罪悪感が募って、あの日から麗生さんをよく見るよう心掛けたつもりでも、心の底では目を逸らしていたのではありませんか?」
言葉も出なかった。
何もかも、掬った水が手から零れるように無くなっていく。
共感覚は彼にとって煩わしい存在だった。普通の人とは違い、相手の気持ちが過剰に分かってしまうせいで人付き合いに苦労した。
嫌な色が視えるたびに心を蝕み、人と関わることを恐れた。
そんな時に麗生に出会った。彼女の色は何にも染まらない透明にも見える白色。初めて目にした時、あまりの美しさに息を飲んだ。
他の人とは違う色に惹かれ、次第に彼女自身に惹かれ出した。麗生と目が合う機会が増え、彼女もまた秀一郎に惹かれていたことを少し染まった色で気付く。
「…う、らら………。」
交際を始めて数年、結婚をし、愛する娘が二人も出来た。幸せが当たり前になっていく中で、その幸せが見えにくくなった。
強く目を惹くのはいつしか芽生えた夢。それを追うようになり、気付いた時には幸せは色を失い、残った彼女はあの美しかった色を隠してしまった。
そしてあろうことか、見えなくなった色を秀一郎は見ようとはしなかった。消えた娘たちの色を探し始めたからだ。
十一年間探し続けて、見つけたものはゼロ。その間に麗生との溝は深くなり、顔を合わせても世間話をする程度。互いに心の内を話し合うことは、終ぞ無かった。
「私は…、私…は………。」
視界が滲み、喉に何かが詰まるような感覚。
麗生を愛していたはずなのに、当たり前に隣にいてくれる彼女を蔑ろにした。それが今になって罪悪感として重く伸し掛る。
よりにもよって、今。
先程、蘭たちが映っていたモニターは暗くなり、自分の顔を映している。酷い顔だ。
「麗生、麗生………。」
麗生のおかげで潤った掌にあった水は、余所見をした瞬間に隙間から零れ出し、気づいた頃、掌に残るのは僅かな水滴のみ。
今更になって、その水滴を落としてしまわないように、秀一郎は麗生の手を握った。
「…あたくしはもう戻ります。少し意地悪をしてしまいましたが、もうすぐ目を覚ますでしょう。」
「………え…?」
「貴方に気付いて欲しかったのです。当たり前にあるものほど、大切にして欲しいと。」
柔らかく口角を上げ、千夜子は病室を去った。
彼女のおかげで気付くことが出来た当たり前の愛。もうそれを与えて欲しいとは思わない。
ただ隣にいるだけの、かけがえのない時間があればそれで良い。
神に願うように、麗生の手に指を絡め、目を閉じて額に当てる。
すると、視界が真っ白に染まった。まるで、彼女の色のように。
・・・
大歓声の中、ステージは幕を閉じた。
この大観衆の中やり遂げた達成感と高揚感が入り交じって、やけに心臓が跳ね上がっている。
普段から鍛えていた体力も、積み重ねた努力も、持ち合わせていた才能も、終わる頃にはお互い立てなくなるほど出し切った。
「はぁっ…はあっ………。」
ステージ袖に入った瞬間、二人は足から崩れ落ち互いに背を預け合っている。
「奏空!蘭!大丈夫か?姫路、蘭を支えろ。小和さんは椅子を、小枝さんは飲み物と熱を冷ませるものを。」
倒れた二人に結弦が駆け寄り、的確な指示をする。彼の采配により蘭と奏空は落ち着きを取り戻し、ようやくステージを終えた実感を得る。
「…終わったね、蘭。」
「奏空…うん。有葵さんと命さん、どうなったかな…。」
「学園長も、良い連絡があると良いけど…。」
満身創痍な二人。けれど、頭の中は有葵と命、そして麗生の安否だった。
自分たちはやるだけのことはやった。背負い過ぎず、ステージを楽しむことは出来たが、終わってしまえば、その選択が正しかったのか結果が気になってしまう。
「綴さん、社長から連絡は…。」
「まだ無いな。とりあえず、今は撤収を第一に考えよう。お前たちはギリギリまで休んでて良いぞ。」
そう言って結弦は撤収作業の指示に回る。スタッフのまとめ役も兼ねている彼はそれどころでは無いようだ。
ソワソワと気持ちが逸る。そこに観客席にいた柚希たちが戻ってきていた。
「らぁ〜ん〜!そっらし〜!お疲れ様ぁ〜!」
「ゆずちゃん、皆も。」
柚希を見て落ち着いたのか、逸る気持ちが落ち着いていく。口々にライブの感想を言い合い、気付けば賑やかな空間になっていた。
「二曲目の出だしの蘭めっちゃ良かったなぁ〜。」
「分かりますっ!というか、蘭先輩はどこも最高です………!あっ、もちろん奏空さんも…!」
「御二方の輝きに終始、圧倒されてしまいました。」
「そうね…。流石に適わないわ。」
「あっれ〜。伊織が負けを認めるなんて珍し〜。」
みんなのやり取りを聞いて微笑む蘭と奏空。元気な会話に混ざるほど体力は回復していないが、聞いているだけでも楽しかった。
彼女たちの後ろで撤収は進み、そろそろ観客も掃ける頃。すると、スタジアムの様子を見に行っていた小夜が血相を変えてやって来た。
「み、皆さん!ちょっと来て下さい!!!」
小夜が案内したのはステージの方。そこには月明かりでも照明でもない、不思議な光が降り注いでいた。そして、蘭たちはその光に見覚えがあった。
「あの光は………。」
「夢の中で見た…煌めき…。」
心を奪われるほど美しい光はやがて消え、光が差していた場所には二人の少女が眠っていた。
「…!あ、有葵さん…!?」
「命さん………っ!」
それは、有葵と命だった。蘭と奏空がすぐに駆け寄り、眠っている二人の安否を確認した。
「息は…ある。呼吸も穏やか。」
「こっちも。でも………。」
生きている。以前接触した時は冷たい感触が手に残るのみだったが、今は人間らしい体温を感じる。
しかし、目を覚ます気配は無い。
「…はい、はい………。」
すると、事情を聞きつけた結弦が電話をしながらやって来た。恐らく電話の相手は秀一郎だろう。
「麗生さんは…まだ、ですか。はい…。」
会話から察するに麗生もまだ目を覚ましていない。どうしたら…と蘭は有葵の手をギュッと握り、奏空は命の頭を撫でた。
『歌って………。』
「「!!」」
突然、頭の中で声がした。麗生によく似た、しかしそれにしては少し幼い声。
「奏空。」
「蘭。」
二人は目を合わせ、スクッと立ち上がった。
頭の中にメロディーが流れ込んで来る。この感覚は煌めきの夢で歌った時に近い。
〜♪
「何…?この曲………。」
「蘭、どうしたの?」
「奏空ちゃんも…。」
どこからともなく音楽が流れてくる。蘭と奏空はそれに合わせて頭の中に浮かぶ曲を歌い始めた。
ねぇ あの日始まった 物語の
結末はどんな風に 描くのだろう?
繰り返されてゆく 後悔の中で
僅かな煌めき求め 未来を創った
定まった運命を 書き換える
愛した者の 未来のために
わたしは 何度でも導く
飲み込まれた闇の向こう
まだ見ぬ空へと 手を伸ばして
降り注ぐ煌めきの粒が 奇跡を起こして
運命を変える あの星を求め
どこまでも
夢の暗闇に怯えないで
明日を向いて 信じて
ほら 道を示すから
手を取って
わたしは 何度でも導く
飲み込まれた闇の向こう
まだ見ぬ空へと 手を伸ばして
行き渡る煌めきの粒が 世界を染め上げ
運命を変える あの星煌めけ
過去を乗り越えて
さぁ 行こう_____。




