差し伸べられた手
「___ん……、蘭!」
翌日、聞き慣れた少年の声で蘭は目が覚めた。ぼんやりとした視界の中に映るのは、自分の部屋の天井と心配そうに見下ろしながら彼女の名前を呼ぶ侑。
「蘭…良かった………。」
「ゆ、う……くん…?」
侑は安心したように息を吐き、床に座る。状況が掴めない蘭は、何故侑が心配していたのか…そもそも部屋に来ることが滅多に無い彼がどうしてここにいるのか、気になることが多すぎた。
「侑くん、何かあったの?」
「何かあったって…蘭が全然起きないからびっくりしたんじゃん…。もう7時だぞ?蘭、いつも僕たちが起きる前にランニング行ってるのに…。」
侑の言葉にハッとして時計を見ると、既に七時十分を超えていた。
毎朝早くランニングに行く蘭は、こんな時間まで寝ていたことも無いし、ましてや大きな声で起こされてもすぐに起きないなんてことは無かった。
「ご飯も食べないと、遅刻するぞ?」
「…あ………そう、だね。」
どこかボーッとする頭を他所に、侑の言うことはごもっともだったため、蘭はベッドから降りて着替えた。
・・・
蘭は今朝の出来事を不思議に思いながら、侑と一緒に通学路を歩いていた。
いくら考えても、あんな時間まで寝ていた自分が信じられなかった。いつもの時間に寝て、睡眠時間も充分で、不思議なことと言えば妙にリアルな夢を見たくらいで…。
「…夢、か。あれ…本当に夢だったのかな。」
「変な夢でも見たのか?」
ボソリと呟いた言葉は隣にいた侑に聞こえていたらしく、蘭を見上げて言った。
「あ…うん。夢…だと思うんだけど感触とかが妙にリアルで…。」
蘭は手のひらを見つめて、閉じたり開いたりを繰り返し、感触をハッキリと思い出す。マイクを握る感覚も、衣装が擦れる音も、聞き覚えのない歌も、身体に残っている。
すると、後ろの方からすごい勢いで走ってくる少女がいた。
「らぁーーーんーーーー!!!!ゆうーーゆーーーーうーーーー!!!!!!」
まだ朝の住宅街にも関わらず、大声で走る柚希が見えた。蘭と侑は止まり、柚希が来るのを待った。
「はぁっ…はぁっ………ら、蘭…っこれ………っ。」
余程急いで来たのか、柚希は膝に手をついて肩で息をしている。そしてスマートフォンを蘭に差し出してきた。
「な、何?」
「これ、どういうこと…っ。」
柚希のスマートフォンを持って、蘭はそこに表示されている記事を見た。
「…え………?」
記事の内容は蘭が夢で見た光景だった。
それも蘭が歌った姿がしっかりと写真に収められていて、あの世界の美しい光景もあった。
「これ…夢で、見た………。」
「夢…?」
蘭は歩きながら、今朝の出来事を柚希に話した。
いつも柚希の話を聞いてばかりだったからか、少し変な感じがしながらも、事細かに話すと、柚希は真剣に聞いてくれた。
「要するに…夢だと思ってたけど、現実だった…みたいな?」
「うん…現実じゃなきゃこうはならないと思うんだけど、あの世界もあの衣装も全然記憶が繋がらなくて、夢としか思えないんだよね。」
いくら考えても上手くまとまらない話にもどかしささえ覚える。そう唸りながら、学園に着くと何やら正門辺りが騒がしかった。
「ん、何だ?あの人だかり。」
侑が指差した先には大勢の大人が群がっていた。本格的なテレビカメラを抱えていたり、マイクを持っていたり、メモを持っていたり。まるでマスコミのような。
「あ、いたぞ!」
「えっ?」
一人の男性が蘭と目が合うとそう大声を上げてやって来る。それを合図に周りの大人たちも蘭に群がってきた。
「あなたは一体何者ですか!?」
「あの映像は何なのでしょうか!?」
マイクやカメラを蘭に向けて大人たちは質問攻めをする。身体の小さい柚希と侑を押し退けて、蘭を囲んだ。
「え…いや、あのっ…。」
「すみませんっ!通して下さいっ!」
すると大人たちの間からすり抜けて来た声の通る少女は、すかさず蘭の腕を掴み走り出した。
群れを抜けて、前を見るとそこには奏空がいた。
「ほ、星屑さん…?」
「蘭ちゃんごめんね、説明は後でするから走って着いてきて!」
蘭は持ち前の足の速さで奏空に着いていき、学園の敷地内の奥へ向かう。後ろを振り返ると柚希と侑も無事だったようで、手を振っていた。
奏空に連れられたそこは裏門で、一台の車が止まっていた。
「綴さん、連れてきましたっ!蘭ちゃん、乗って。」
「あ、はい…。」
連れられるがままにやって来たが、そろそろ説明が欲しい蘭は運転席に乗る結弦を見ると、バックミラー越しに目が合った。
「初めまして、駿河 蘭。向かいながら説明するからとりあえず座りな。」
結弦の言葉を聞いて奏空を見ると、彼女は頷いた。とりあえず信じてみようと蘭はシートベルトを閉めた。
「蘭ちゃん、急にごめんね。びっくりしたでしょ?」
「い、いいえ…。」
蘭と奏空はクラスメイトで、仕事で忙しい奏空をよく気にかけている為、そこまで関係が無い訳では無い。
しかし、今朝のことと奏空が何故こうしているのかが分からないのだ。
「蘭、お前は今朝のニュース見たか?」
「は、はい…友人のスマートフォンで見ました。あの記事は一体…。」
「奏空の記事も見たか?」
「星屑さんの…?いいえ…。」
結弦が運転に気を配りながら、説明を始めた。
「奏空もお前と同じことが起こっている。詳しいことは後で聞くが、現状としてはこちらも何が起きているのか分かっていない。奏空から少し話を聞いたが、有り得ないことだ。」
結弦が説明をしてくれている間に、奏空がタブレットでその記事を見せてくれた。
確かに、蘭同様に奏空のことも話題になっている。
「…電波ジャックによる放送………。私、これ夢で見たんですが…。」
「あぁ…奏空からもそう聞いている。ここで考えていても仕方が無い。今日はうちの事務所で状況の確認をした後、今後について話したいそうだ。」
「社長が言ってるみたいなの。協力的だから安心して。」
とりあえず、これから何をするかが分かった蘭は落ち着いて溜息を吐いた。
自分のスマートフォンでもう一度記事を見ようとすると、柚希や他の人からたくさん着信があった。
『蘭、大丈夫?そらしとどこ行ったの?』
とりあえず、柚希には返信しておこうと彼女とのチャットを開く。心配しているようで申し訳なくなり、簡単に返信した。
『こっちは大丈夫だよ、心配かけてごめんね。星屑さんと一緒に彼女の事務所に行くことになったの。
今日は学園行けるか分からないけど、状況が分かったらゆずちゃんにも説明するね。』
そう返すとすぐに可愛らしいスタンプで返信が来る。一先ず安心してもらえたようで良かった。
「柚希ちゃん?」
「あ、はい。状況を伝えようと…ゆずちゃんは楽観的に見えてとても心配性なので。」
「ふふ、分かるよ。私にもたまにメッセージくれるんだ。面倒見良いよね。」
誰とでも分け隔てなく仲が良い柚希の話で盛り上がり、道中は余計なことを考えなくて済んだ。
この先、何が起きるのか少しの不安を抱えながら。
・
車は事務所の地下駐車場に着き、蘭たちはエレベーターで地上へと上がる。ビル全体が事務所らしく、かなり大きなものだった。
エレベーターは最上階である八階で止まり、扉が開く。厳かな雰囲気で、部屋は小さな資料室の他には社長室があるだけ。
「社長、連れて来ました。」
「入ってくれ。」
結弦がノックすると、室内からその声が聞こえ、扉を開く。
正面に社長と思わしき人物が座っており、奏空は慣れたように入り、蘭は少し緊張しながら粗相のないようにした。
「初めまして、君が駿河 蘭くんだね。」
「はい…。」
「急に連れ出してすまないね。奏空もオフだったのに…。」
「いえ、事情は綴さんから聞きましたから。」
部屋の雰囲気の割には、優しそうな人だという印象を蘭は受け、安心する。
「私は煌 秀一郎。この煌プロダクションの社長をやっている。話が長くなるだろうからそこに座ってくれ。結弦、二人にお茶を。」
「はい。」
秀一郎は立ち上がり、応接用のソファに座る。蘭と奏空は隣同士で秀一郎の正面に座った。
結弦がお茶を淹れている間、秀一郎はタブレットを差し出した。
「改めて、状況を確認しよう。記事について思い当たる節はあるかな?」
「無い…というわけではありませんが、あると言っても微妙なところです。」
秀一郎と初対面の蘭に気を使ってか、奏空が率先して話してくれた。蘭は自分の記憶と照らし合わせるように、奏空の話に頷いた。
「昨日、音楽番組の生放送を終えてメンバーとそれぞれ自室に帰り、就寝後…夢でこれを見たんです。
私が夢だと思い込んでいるだけかもしれませんが…現実の記憶にこの場所は見覚えがありませんし、この歌も私は知りません。夢の中で不思議と浮かんだ感覚だけがあります。」
秀一郎は考え込むように口に手を当てる。
そのタイミングで結弦は出来たての紅茶を奏空と蘭、秀一郎に差し出した。喋り疲れたのか、奏空はすぐにそれを飲む。
「なるほど。駿河くんも同じかな?」
「はい。零時くらいに自室で眠りについて…その夢を。普段は夢を見ないので二日連続で同じ場所の夢を見るなんて珍しいな…とは思ったのですが。」
「…あ、私も一昨日の夢…同じ場所だったかも。」
蘭と奏空は驚いたように目を合わせる。その夢の内容については、はっきりと覚えている蘭が話すことになった。
「二人の少女があの世界で歌っていました。一人は女神のように美しく、一人は儚げで…少し幼かったように見えました。
そして、その世界が急に闇に飲み込まれる…そんな夢でした。」
奏空も薄らと覚えているのか、頷いて秀一郎を見る。秀一郎は目を瞑って考え込んだ。
「………その夢がトリガーとなり、あの世界に導かれる…それを本人は夢で見るが、現実世界にも影響を与える。そういう解釈で間違いないだろうか?」
「そんな感じだと思います。ね、蘭ちゃん。」
蘭は頷く。今の状況が現実味を欠いている部分を除けば、理解することが出来た。秀一郎がタブレットに記録すると、そのタブレットをテーブルに置き、蘭を見た。
「それでは、駿河くん。少し聞いても良いかな?」
「は、はい…?」
急に自分の方を向かれ、少し驚いた。秀一郎は結弦に目配せをし、結弦は一冊のファイルを取り出して渡した後、部屋を出ていった。
「これからについてだ。君は図らずとも一躍有名人となってしまった。ここまで話題になってしまっては、メディアも業界も黙ってはいないだろう。
この先暫くの間、学園前でマスコミに囲まれ、君について色々聞いてくる人がたくさんいると思われる。元より芸能活動をして、周囲に知られている奏空とは立場が違う。」
秀一郎は真剣な表情で蘭を見つめる。彼の言いたいことは蘭にもよく分かった。
学園には芸能活動をする生徒が多い。今朝ほどまでとはいかないものの、話題になった生徒がマスコミに狙われている場面を何度も見てきたし、生徒会長として止めもしてきた。
「マスコミだけでは無いだろう。映像を見た業界関係者は、君の美しい容姿と歌声、踊りに目を付け、勧誘して来るだろう。中には悪用しようとするものだっているはずだ。」
友人と街へ出掛けた時、スカウトと銘打ってそういう勧誘が無かった訳では無い。あの時はまだ何とかなったが、ここまで話題になれば何がなんでも勧誘してくる人がいるのも理解が行く。
蘭は至って冷静に考え、秀一郎の話を聞いた。
「そんな彼らから君を守りたい。今すぐにとは言わないが、早急に私の事務所に入ってはくれないだろうか。勿論、芸能活動を強制するつもりは無い。そこは好きにしてくれて構わないよ。」
彼がそう言うことも予想出来ていた。しかしこれは蘭が自分一人だけで決めることは出来ない。
「…難しい、話です。煌さんの言うことはよく理解しています。その為に最善を尽くして頂けるのもとても有難いです。ですが…私一人では決め兼ねる次第です。」
「………そうか、何やら複雑な心境らしいね。私一人では、ということは…他の誰かに話すことで解決するだろうか。良かったら教えて欲しい。」
彼の目から本当に蘭を事務所で守りたいという意志が見える。自分のためではなく、他人のためにここまで思える人はいないだろう…と蘭は思い、話すことにした。
「現星明財閥総帥、星明 嵩梧です。」
その名前を聞くと、秀一郎は驚いたように目を見開いた。それもそうだ。星明 嵩梧という名前は簡単に口にして良い名前ではない。実質日本一と言っても良い大企業のトップなのだから。
「星明 嵩梧…君とはどんな関係が?」
その名を口にする蘭が、自分の思っていたただの中学生の少女とは思えなかった秀一郎は探るように聞いた。
「…ただの父です。義理、ですが。」
蘭の複雑な心境はここにあった。複雑な家族関係、複雑な蘭自身の気持ち。父であるならば、義理とは言え彼女も星明と名乗るだろうに…そうしない複雑な状況。
秀一郎はそこに、彼女の持つ闇を見出した。
「…よく分かったよ。後日、家族の方との面談をさせてくれ。星明総帥は忙しいだろうが…宛がない訳では無いから、機会が出来たらよろしく頼むよ。」
「はい…よろしくお願いします。」
秀一郎の言う宛について少し疑問を持ったが、蘭は丁寧に頭を下げる。
「今日はほとぼりが冷めるまでここに居なさい。帰りも結弦が送ってくれるから。」
「はい、ありがとうございます。」
「あ、社長。会議室借りても良いですか?」
「あぁ、好きにするといいよ。駿河くんもゆっくりして行ってくれ。」
こうして今日の内は事務所にお世話になることになった。
蘭の場合、学園を休むことにそこまで問題は無かった。元々優秀であるが故に登校も自主的に行うだけで良い。ただ蘭が普通の中学生のようにしたいからそうしているだけなのだ。
「ねぇ、蘭ちゃん。会議室で勉強教えてくれない?最近お仕事ばっかりで全然手付けられて無くて…。」
「良いですよ。星屑さんは元々頭良いので必要になるか分かりませんが…。」
「そんな事ないよ!皆が見てない時に先生に聞きに行ったりしてるんだから。」
「それでもテストの結果は良いじゃないですか。しっかり出来てる証拠です。」
久しぶりに会うクラスメイトとの時間を噛み締めながら、二人は会議室に向かった。
・星明 嵩梧
星明財閥総帥
大企業のトップだが、思いの外ユーモアで気さく。普段はあまり家にいないが、家族のことを大事に思っている。蘭の義父。




