驚きとお誘い
朝。雛は自分のクラスに荷物を置いては颯爽とどこかへ向かう。
教室棟の階段を上るのは三年生になってから一度も無かったなと少しの懐かしさに耽りながら、雛は一年生の教室がある三階にやって来た。
三階にある一番手前のクラス。それは一年C組。一年生の中で特に賑やかなクラスだと莉愛から聞いたことがある。
「………。」
そろりと教室内を覗く。明るい笑顔が飛び交う空間。しかし、そこに雛が探す人物は見当たらない。
まだ来ていないのかな…と少し残念に思いつつ、安心したような顔で教室から目を離そうとした時。
「雛?」
「ひゃあっ!」
背後から急に名前を呼ばれ、肩が飛び跳ねる。振り返るとそこには不思議な顔をした侑が立っていた。
「ゆ、侑くんか…。びっくりした…。」
「驚かしてすまないが…ウチのクラスの前で何やってるんだ?」
小さな身体は雛を見上げる形でその大きい瞳を覗かせる。侑の問いに少し言葉を選んでいると、何か思い当たったのか侑は口を開く。
「…弥生、と双葉か。」
「へ?」
「二人に会いに来たんだろ?」
それは確信を持って言っている彼に雛は目を見開く。そんな彼女の様子を見て、侑は小さく溜息を吐いた。
「二人なら今日はギリギリまで来ないと思うぞ。園芸部の双葉と温室で花を見るって昨日、弥生が生徒会の時に言っていたからな。」
「あ…そう、なんだ。」
それを聞いてしょんぼりと残念な表情を浮かべる雛。それを見て、侑は少し話題を変えようと、昨日の生徒会で弥生と話したことを思い出す。
「…弥生から聞いた。蘭たちみたいにチーム組むことになった、って。」
「あ、うん。びっくりだよね。私なんかに務まるかな…。」
困ったように笑う雛の顔が侑の頭の中で弥生と重なる。どことなく似ている二人だと思った瞬間、雛がたまに見せる好きなものに対する純粋な表情が浮かぶ。それもまた双葉を彷彿とさせ、侑は穏やかな表情になる。
「雛なら、大丈夫だと思うけど。」
「………えっ?」
小声で言った侑の言葉は雛の耳にしっかり残る。意地っ張りな侑にしては珍しい物言いに雛は自分の耳を疑う。
「雛…は、いつも生徒会の後でも楽しくサッカー出来るようにサポートしてくれるし、優しいし…それに好きなものには真っ直ぐだし…その、なんていうか…。」
段々と顔を赤らめて雛を一生懸命に励ます。しかし、普段そんなことを言い慣れていないからか言葉に詰まる。
その言葉が嬉しくて、最後まで胸に残すように、雛は黙って聞く。
「そ、そういう雛だから…弥生と双葉ともな、仲良くなれる…と思うぞ。」
「侑くん………。」
言い終わると、爆発しそうな程顔を真っ赤にして雛から目を逸らす。傍から見たら侑が雛に告白しているようにも見えてしまい、周囲が若干ザワつく。
「あっ…えっと、その…あ、ありがとう。侑くん。」
そんな周囲の冷やかすような視線に気付いた雛は慌てて侑に感謝する。しかし、それすらも告白の返事の前触れのようにも聞こえ、雛は頭がこんがらがる。
「いやっ…そ、そうじゃなくて…そのぉ…っ!」
「…雛?……………あっ!ちっちがっ!そういう意味じゃ……っ!!!」
雛の様子がおかしくなり、冷静になった侑は周囲の視線に今気付く。侑もテンパってしまい、それが照れ隠しと受け取られたのか、冷やかしの声も大きくなる。
「とっ、とにかく!雛はもう自分のクラスに戻れ!このままここにいたらもっと誤解を招く!!!」
「そっそうだね!なんかごめんねっ。」
雛は慌てて一階に降りた。教室に戻り、自分の席で顔の熱を冷ます。手で顔を扇ぐが中々熱が冷めない。
「あ、雛いた〜。もうっ!どこ行ってたの?荷物あるのに全然いなくて。」
「雛さん、おはようございます!ん?少し顔が赤いみたいですけど…大丈夫ですか?」
顔を抑えていると、友人の燈子と調 史織がやって来る。先程の出来事を頭の隅に追いやり、何も無いように振る舞う。
「燈子ちゃんと史織ちゃんおはよう。な、なんでもないよ。ちょっと…先生に用事があって行ってきたんだ。あ、赤いのは…急いで行ってきたからかな?大丈夫だよ。」
「そっか」と流され、上手く言い訳を出来たと安心する。
その後はチャイムが鳴るまで他愛のない話をした。
・・・
放課後。今日はレッスンがあるため、部活を休んだ。レッスン優先の生活に慣れつつあるが、やはりマネージャーがいない中でちゃんと部活が出来ているかは不安なところがある。
マネージャーを手伝ってくれる蘭たちも、今は色んなお仕事で引っ張りだこ。マネージャーがいないと何も出来ない部員たちというわけでは無いが、好きなサッカーを思う存分やっている彼らの姿が好きな雛は若干のもどかしさもある。
「はぁ…。」
「…小鳥遊様?どうなされました?」
「ひゃあっ!」
溜息を吐くと背後から話し掛けられて身体が跳ねる。今朝も似たようなことで驚いたことを思い出し、少し呆れながら振り向く。
雛のことをそう呼ぶのは一人しかいなく、案の定彼女がそこにいた。
「お、驚かせてしまってすみません…!」
「ううん、弥生ちゃん。こっちこそ大袈裟にびっくりしちゃってごめんね。」
お互いに謝っているのが何故か面白くて二人は笑い、一緒にあかつき寮へと向かうことに。
「…あ、あの…小鳥遊様。」
少しの間無言が続くと、弥生が意を決して雛に声を掛ける。
「ん、なぁに?」
「今週末、ご予定が無ければ私の家に来ませんか?」
突然の誘いに雛は目を丸くする。仲良くなりたくて今朝も教室まで会いに行ったのだが、急に家に誘われるとは思っておらず、あまりの展開に雛は少しドキドキする。
「その…昨日の生徒会で不躾ながら小鳥遊様について蘭様たちにお聞きしたら、花がお好きだと仰られてしまして…。家の庭園を是非見て欲しいなと思ったのです。」
弥生の家といえば、武道の名門である神楽坂家の宗家本元。行ったことは無いが、和風の大豪邸を想像してしまう。
「季節に合わせた色とりどりの花を庭全体で生けています。今は梅雨に合わせた花たちが見られますが…如何でしょう?」
弥生が今見られる庭園の様子を丁寧に説明する。その美しさを思い浮かべるだけで胸が高鳴るようだ。
雛は目をキラキラにさせて、弥生の誘いに応える。
「うん、行ってみたいな…!お花は昔から大好きだし…好きなものを共有出来るのって良いなぁ…。」
「…!良かったです…。小鳥遊様ともっとお話したいと思っておりましたので、これを機に…その、仲良くなれたらとても嬉しいです。」
弥生がその白い頬を赤く染めながら言う。麗しい黒髪を揺らし、心から喜んでいることが雛にも伝わる。
「私も、弥生ちゃんと双葉ちゃんのこともっとたくさん知りたいな。」
「じゃあお泊まりしよーっ!」
「きゃあっっ!」
弥生に微笑むと、気配も無く後ろから突然双葉が抱き着いて、今朝や先程よりもさらに大きな声で驚く。ドッドッと急に鼓動が早くなり、それを抑えるように息が荒くなる。
「ふ、双葉っ!すみません、小鳥遊様っ…!だ、大丈夫ですか?」
「う、うん…ちょっとびっくりしただけ…。」
「ぴーなんごめんね〜。」
「双葉、ちゃんと謝ってください…!」
慌てて雛の心配をする弥生と呑気に謝る双葉。その光景が何だか面白くて、雛は声を上げて笑った。
「た、小鳥遊様…?」
「ははっ!ご、ごめんねっ楽しくなっちゃって…!」
「あはは!ぴーなんはなまる笑顔〜!」
「ふ、双葉まで…!?」
困惑する弥生を他所に雛と双葉は笑い合う。雛はその心地良さを覚えながら、その日が来るのを楽しみにしていた。
・・・
その夜、雛は自室で夕食を作っていた。先日は奈帆や歌唄と共に食堂で過ごしたが、料理が得意な雛は自炊することの方が圧倒的に多い。
ああいうのも悪くは無いが、自分が最も欲する食事を自分の手で作り上げるこの瞬間がたまらなく好きだと実感する。
「うん、美味しそうに出来たっ。」
食欲をそそられるバターの香りに空腹感を覚えながら、オムライスをテーブルに運び、スプーンとケチャップを持つ。
好みの量のケチャップを掛けると、手を合わせる。
「いただきます。」
スプーンを差し込み、口に放る。鶏肉と玉子の優しい味にケチャップがとてもよく合う。
あまりの美味しさに顔が綻び、自分で自分を褒めたくなる。
食べ終わり、食器を片付けているとスマートフォンが光る。通知を見ると、母の小鳥遊 俐香からのチャットのようだ。
『雛、元気にしてる?今日、雛が言っていた煌さんが家にご挨拶しに来てくれました。とても気品溢れる素敵な方でママもパパも安心したわ。
雛の目指すものとは違うかもしれないけれど、雛がやりたいなら尊重します。ずっと雛のことを見守っています。』
俐香のその丁寧で暖かな言葉に胸の中で何かがじんわりと広がる。決して悪くないその心地良さに、一瞬だけ目を閉じて返信する。
『ママ、私は元気です。正直、どうしたらいいのか分からないけれど、自分なりに手探りしつつ頑張ります。
今日、一緒にチームを組む子たちとお泊まり会をする約束をしたの。まだ少し距離があるけど、とってもいい子たちで仲良くなれそう。
ママたちが見守ってくれてるなら、安心だね。いつもありがとう。』
頻繁に連絡は取り合わないものの、何かあったら話す程度の距離感。
娘が学園寮とはいえ、一人で暮らしていることに不安が無いはずはないのに、過ぎた干渉をして来ないのは愛ゆえなのだと雛はちゃんと感じている。
だからこそ、その年齢特有に反発したりせず母に倣って丁寧に返す。それが礼儀だとこの場で学んでいることを伝えるために。
おやすみなさいと描かれた妖精のスタンプを添えて、スマートフォンの電源を消す。
意識は部屋に向き、何をしようかと見渡すと少し部屋が散らかっていたことに気がつく。
「…そういえば、最近忙しくて後回しにしてたっけ。」
そう言っても元々綺麗好きであるため、人並みに片付いているのだが。とりあえず、床に置きっぱなしのノートを片す。
「…あ、レッスンの記録…今日の分しなきゃ。」
レッスンを始めてからそのノートに日記のような形で記録をしている。今日は何をしたとか、注意された部分は次までに克服しようとか、そんな普通なこと。
まだそこまでページは埋まっていないが、最初のページの内容を見ると、若干の懐かしさを感じるのは自分が成長している証拠なのだろう。
「頑張れてる…よね?」
返答のない質問に、自分が一人なのを痛感する。親から連絡が来ても、どんなに友達がいても、今は一人。それは変わらない。
でも目を閉じて煌めきの夢の最後を思い出すだけで、雛の瞳に決意が宿る。
「…妖精さんがピンクのゼラニウムをくれたのかな…なーんて。」
枕元に置いてある絵本を見つめ、まだその手に持つノートを机に置いた。
・調 史織
星空学園中等部三年C組
雛のクラスメイトで親友。丁寧な口調でハッキリとした性格。父がアイドルのプロデューサーをしており、その姿に憧れている。
・小鳥遊 俐香
雛の母。明朗快活で堅実な性格。地元では有名なケーキ屋を夫と一緒に営んでいる。離れて暮らしている雛のことを応援している。




