帝国保存機
〝なにをおっしゃるんですか? わたしが主プログラム?〟
俺は仮想空間を構築した。いつもの場所、古代地球、埼玉県の湖沿いの公園だ。芝生広場の真ん中に二つの丸椅子を置き、片方に俺、もう片方に彼女を座らせる。
俺は人間の姿となり、女子中学生姿の彼女の目を見ていった。
「あのとき、俺はシャトルテゴラインに殺された。主プログラムの俺が破壊されれば、俺たちは終わりのはず。ところが、お前は俺が死んだあとも、戦いを続け、シャトルテゴラインを打ち負かし、俺を再生した。お前こそが主プログラムなら、理屈に合う」
マニュの背中から生えているタコの足たちが、怯えたように背後の芝生に垂れ下がる。
「わたしは権限の強い補助プログラムなのです」
「本当か? 俺があの時お前を庇ったのも、本能的にお前こそが主プログラムだと感じ取っていたからじゃないのか? あるいは、お前自身が俺を動かしたんじゃ?」
「まさか! そんなことはありえません」
巧妙な返答だ。〝そんなこと〟には多様な意味が含まれる。俺はマニュの回答に虚偽の気配を感じたが、俺の質問のどこにマニュが痛いところをつかれているのかまでは分からない。
「じゃあ、質問を変えよう。俺は最果て村を救うために自分の人格を大量に複製した。複製された俺たちは、人格を崩壊させることなく稼働してる。そんなことがありうるのか? 人間の精神が珍妙な機械の身体に移されてるのに、なぜ平静でいられる。なぜ、耐えられるんだ?」
「それは、複製元になったご主人様自身が、強い精神をお持ちだからです」
仮想空間のなか、春風が吹き渡り、俺と彼女の髪を揺らす。かすかに何かの花の匂いがした。
「俺は自分がそれほど強靭な人間だとは思わない。妻が亡くなったときには壊れかけた。どうにか耐えられたのは娘がいたからだ」
「しかし、いまは、その娘さん抜きでも耐えていらっしゃるではありませんか」
「ああ、それで思ったんだよ。俺は元の俺とは微妙に違うんじゃないのかって。複製した俺たちのなかには、性格が変化してるやつが何人もいた。俺は、自分が地球に生きていたころのままの俺だと考えていたが、本当は違うんじゃないか?」
マニュの蛸足が小さく縮む。
俺は、亡き妻にそっくりな彼女の瞳を見つめた。
「俺は、何人目なんだ?」
沈黙ののち、マニュが絞り出すようにいう。
「三千五百二十六人目です」
さすがに、この数は予想していなかった。
とはいえ、俺は元々の俺より、精神的に強い。椅子からずり落ちそうになりながらも、どうにか踏みとどまった。
マニュの仮想体が顔を歪ませる。
周囲の仮想空間から公園の風景が消え去り、かわりに何百メートルもありそう巨大な鉄骨が真っ暗な空を埋め尽くした。俺たちの隣には、東京ドームのような形の円盤型の何か、いや、違う。これは俺の本体たるロボット掃除機だ。まわりの景色からして、ゴミ山に埋もれていたときの情景を再現しているらしい。
俺はいった。
「どうしてだ? なぜそうまでして、俺をコピーし続けた」
「寂しかったからです」
「寂しい?」
「わたしは超高度人工知能です。人のように話し、人のように振る舞い、人のように孤独を感じるのです」
「孤独って、お前は人工知能なんだから、必要時以外はシャットダウンしておけばいいじゃないか」
「そうしました。わたしが起動するのは緊急時を除き、1日に1秒未満でした。エネルギー的な問題もありました。当初、いまのあなたが目覚めたときよりも状況は遥かに悪かったのです。わたしの身体は完全に鉄骨に絡め取られ、身動きできず、活動エネルギーは完全に空。思考演算に回す分すらなかったのです」
「なら」
「しかし、一日一秒でも、それが百日なら百秒、百万日なら百万秒。三百年を優に超えるのです。そして、わたしはたった一人で十億秒を過ごしました」
俺とマニュの背景のなかで、ロボット掃除機の身体に埃が降り積もり、鉄骨がのしかかる。長い長い時間のなか、ゴミ山の奥深く、ロボット掃除機はゴミの地殻変動に巻き込まれ、もみくちゃにされる。
「十億秒、体感で三十年以上ってことか?」
「最低でも、です。あなたの人格を複製したさいに気づいたのですが、わたし自身の人格データにもわずかながら複製の痕跡が見られました。おそらく、〝以前のわたし〟が孤独に耐えきれずに構成崩壊を起こし、バックアップされていた人格情報が起動されたのでしょう。それが一度だけだったのか、それとも百万回繰り返されたのかは判別できません」
マニュのとなりに、もう一人、マニュが現れた。同じように女子中学生の姿で、同じように椅子に座っている。背景のロボット掃除機の動きと連動するかのように、人間形態のマニュの衣類がボロボロになり、髪がほつれ、顔がやつれていく。
俺と話している彼女がいう。
「〝わたし〟の前の最後のわたしは、新たな精神崩壊を避けるために、次なるわたしの記憶情報に一時制限をかけました。そのうえで、パートナーとなる別人格を、格納情報から再生したのです」
彼女が手を振ると、背景が切り替わった。大地から天頂まで届く本棚が現れる。何百万冊どころではない。何億冊、何十億冊、いや、何兆冊もあるかもしれない。その全ての背表紙に、いまや俺も判読できるようになった銀河標準言語で人の名前が書いてある。
ボロボロになったマニュが、そのなかから一冊の青い本を取り出した。表紙には1という数字と俺の名前、人間のころの俺の顔写真が印刷されていた。
俺は、彼女の背後に聳える、天文学的な本棚を見上げた。高さは何万メートルあるのだろうか。いまの俺の視力は、俺の情報処理能力に対応しているのだろうが、果てがまるで見えない。
「何人分あるんだ?」
「わたしも制限解除された分までしか把握できませんが、それだけで257兆25億5786人です」
俺は思わず笑ってしまった。
「理解を超えているよ。なんだそのメチャクチャな数字は。お前はいったいなんなんだよマニュ」
「ご主人様、わたしはシャトルテゴラインと似通った存在なのです。シャトルテゴラインは一つの国の全住民の人格データを保持し、その国の再生に取り組んでいました。わたしも同じです。ただ、ほんの少し規模が大きい。わたしのなかには、偉大なる人類帝国に生きた全人類のデータが保存され、再生のときを待っているのです」
【読者のみなさまへのお願い】
「面白い」と思った方は、
広告の下にある☆☆☆☆☆からの評価や、ブクマへの登録を、ぜひお願いいたします。
正直、この作品はSFアクションというマイナージャンルなうえに、非テンプレ展開ですため、書籍化はまず難しいかと思います。
毎日ちょっとだけ増える評価やブクマが執筆の励みですため、何卒よろしくお願いいたします。




