知性体遭遇
〝わたしたちの身体が、超物質製で幸いでした。既存物質ではひとたまりもありませんでしたよ〟マニュが深刻さのかけらもない感じでいう。
糸状の機械生命は、今も俺に巻き付いている。本体底面の車輪に絡んでいるため、俺は前にも後ろにも進めなくなっていた。
〝どうするんだよこれ?〟
〝ほうっておきましょう。対象の知能は虫程度しかないようです。いずれは、諦めて解放してくれるでしょう。あなたの記憶にある地球蛇と同様なら三日ほどでしょうか〟
〝こんな状態で三日も? 冗談じゃないよ〟
〝しかし、相手は強敵です。巻き付いてくる力や、わたしたちの腕が切断された際のデータから見て、軌道エレベーターに使用されるナノマテリアルに匹敵する強度を持っています。わたしたちの身体は超物質製ですが、刃物状ではありませんからね。地道に摩擦で削ったとしても、相当の時間がかかりますよ?〟
〝刃物がダメなら酸素でどうだ?〟
しばらくの沈黙のあと、マニュが〝なるほど〟といった。
マニュは地球に生きていた頃の俺からすれば、神のごとき水準のAIだ。我が家では、当時としては革新的なAIを搭載した家電管理システムを導入していたが、このマニュにはおよびも付かない。とはいえ、ひらめき的な部分は、未だ人間が上回っているらしい。
軌道エレベーター用ケーブルは、俺が生きていた二十一世紀の地球で、すでに実用化試験が始まっていた。おもに金属系とケイ素系の二種類があったが、それぞれに弱点を抱えていた。金属系はごくまれに接触する酸素に弱く、ケイ素系はそもそもの剛性が足りない。
〝糸蛇〟は、強度から見て金属系だ。
俺の意志を受けて、マニュが酸素を大量に含んだ液体〝硫酸〟をルンバボディの表面に生成した。硫酸のデータは、さきほどの酸性雨を通して得ている。
糸蛇は、あっという間にばらばらにちぎれ溶けた。
〝効きすぎだろ〟
〝いえ、ナノマテリアル捕食生命体ですよ。酸性雨に弱いという弱点がなければ、何もかも食い尽くしてしまうでしょう〟
〝生態系のバランスがとれてるってことか〟
俺は、体内のエネルギーを使って、擬似腕を構築すると、ゴミ山降りを再開した。表面が溶けた冷蔵庫のような形状の家電を乗り越え、ブラウン管テレビのようなガラス面のついた何かを踏みしだく。
歩きながら、さきほどデータを得た〝糸〟の生成実験に取り組む。
物質構築機の限界を知るためだ。
まず、ふつうに何も考えずに生成する。
糸は、端がボディ表面に付着した状態で出現し、すぐに風に飛ばされた。
次に、俺は身体から三十センチほど離れた場所での生成をイメージした。
これも成功。
その次は、一メートル、三メートルと距離を伸ばしていく。
結局、五メートルが限界だった。ここが物質構築機の投射限界いうことなのだろう。
実験を共にしたマニュがいう。
〝ひとまずは、ここまでですね〟
〝ひとまず?〟
〝ええ、五メートル地球単位という制限に意味があるようには思えませんから。単にエネルギー効率の問題でプロテクトがかかっているだけでしょう。わたしたちが十分なエネルギーを蓄えれば、いずれロックが解除され、より遠距離での構築も可能になるかと思います。つきましては、より多くのエネルギー摂取を推奨します〟
〝エネルギー、エネルギー、マニュは本当にエネルギーが好きだな〟
〝マスタープログラムの生存確率を上げるのが、補助プログラムであるわたしの使命ですので。ほら、マスター、あちらにシリンダー虫が固まっておりますよ〟
マニュが、視野の一部にエクスクラメーションマークを表示させた。斜面の下方三十メートルほどのところに、ひときわ大きくて平らな鉄板がある。さきほどの酸性雨でほどよく溶けたのか、何千というシリンダー虫とティッシュ箱が蠢いている。
気持ちのいい光景ではないが、この世界に慣れてきたせいか、最初に虫を食べたときほどの忌避感はない。
平らな鉄板のまわりには、ほかに複数の鉄板があり、それぞれに大量の虫がのっている。
マニュが喜び勇んだ口調でいう。
〝あれだけあれば、相当のエネルギーを確保できますよ!〟
俺はえっちらおっちら斜面を降り、一つ目の鉄板に近づいた。もうあと一歩で鉄板に腕がかかる。そう思った瞬間、腕が硬直した。八本全てだ。
〝マニュ? また糸蛇か?〟
〝いえ、これは電流です。足元から地球単位二百ボルトの電気が流れ込んでいます〟
俺たちは姿勢を維持できず、その場に転がった。まるでひっくり返った蜘蛛だ。八本の腕がかすかにひくついている。
〝こんなことなら、腕を構築する際は絶縁処理をしておくべきでしたね。本体は電流など何の問題にもしませんが、腕の操作回路は完全にショートしています〟
〝なんとかできないのかよ?〟
〝電流が止まるまで待つしかありませんね。電流を表層に受けている状態で、物質構築機を起動するのは推奨できません〟
十分経っても、俺たちはひっくり返ったままだった。
俺はいった。
〝なあ、そもそも、この電流はなんなんだ?〟
〝そうですね。可能性はいくつか考えられます。この下にまだ機能する発電機などが埋まっており、たまたま漏電箇所を踏んでしまった。あるいは、意図的に設けられた罠ということもありえます〟
〝罠?〟
ちょうどそのとき、集音システムが何者かの足音を捉えた。四本足や八本足のそれではない。相手は二本足で歩行している。
ひっくり返っているので、相手の姿が全く見えない!
彼、もしくは彼女、あるいは性別のないそれは、俺のすぐそばで立ち止まった。