拡張人格
マニュが〝やられましたね〟と、つぶやく。
〝くそっ!〟俺は毒づきながら、わずかに構築した刃を前後に動かした。しかし、粘着物質に絡まるばかりでまったく切断できない。〝分析頼む。こいつの主成分は何だ?〟
〝お待ちください。これは、エピクロロヒドリンとビスフェノールの共重合体のようです〟
〝エポキシ系の接着剤ってことか〟
溶解剤はメタノールだ。
しかし、ここまでメタノールを食べて備蓄したことがないので、まずは、水素と一酸化炭素からメタンを作らなければならない。
俺は十数分かけてメタノールを合成し、粘着物質にふりかけた。
粘着物質は少しずつ溶け始めたが、その速度は嫌になる程遅い。
三十分たったところで、俺は見切りをつけた。
〝マニュ、あたりに水素を放出してくれ〟
彼女はすぐに意図を察した。
〝冗談でしょう?〟
〝本気だ。いますぐやるんだ〟
身体の周りに水素が充満したところで、俺は火を放った。
大爆発が、俺もろとも粘着物質を吹き飛ばした。
俺の身体は空に舞い上がり、引きちぎられた義肢が四方八方に飛び散る。
俺は高さ五十メートルほどまで飛んで、落ちて、ゴミの中に突き刺さった。
新しい義肢を構築して身体を引き抜く。ポレポレが消えた方向に走ったが、彼女の姿はどこにもなかった。
あの透明な連中は徒歩以外の移動手段も持っていたらしい。
空からポツポツと酸性雨が降り出し、腐食耐性を持たせてなかった義肢が煙をあげて溶けていく。
俺はいった。
〝連中はどこにいったと思う?〟
〝彼らは「買いとる」という言葉を使っていました。つまり、物品の売買が成り立つだけの文明レベルがあるということです。さらには、「あのおかたたち」とも発言しています。彼らの上に君臨する存在がいるということです。我々の知る中で、この条件を満たすのは服飾族だけです〟
〝だな〟
仮に違っていたとしても、彼らが何らかの手がかりを持っている可能性は高い。
俺は〝運び虫〟の折られた足を再構築すると、義肢を作って運転席に腰を落ち着け、前進の指示を出した。
⭐︎⭐︎⭐︎
俺は、自分で作った小さな仮想空間のなかにいた。
俺Aが、俺のために用意した脳回路は、他の俺たちとマニュが苦心して設計したもので、村人たちのそれとは比べ物にならないほどの計算力がある。とはいえ、俺本体に比べればぜんぜんだ。
俺はマニュが作ってくれた仮想空間作成プログラムを走らせたものの、出来上がったのは学生時代に住んでいた四畳半のアパートだった。あったはずの家具はなく、畳と壁だけ。窓の向こうはのっぺりした灰色の空間だ。風景の書き出し処理まではできないらしい。
俺は畳の上に寝転んだ。
俺Aにポレポレのことを任されたものの、肝心のポレポレは身体改造のための眠りから目覚めていない。
彼女が寝ている以上、ガイド役の俺にできることはほとんどない。
彼女の電子的聴覚からのデータも、俺Aからの呼びかけ以降、完全に沈黙している。
俺の体感時間で二時間少しが過ぎたころ、ようやく彼女が目覚めた。
新しい入力器官が、彼女が体感したことのないデータを大量に送り込み、彼女はパニックに陥った。
外部認識用の頭部カメラひとつとっても、これまでのモノアイから、二つ並んだデュアルアイに変更されているのだ。彼女はいまはじめて立体視で世界を見ていることになる。
俺は仮想空間から出ると、彼女の意識の一部に自分を同調させた。
〝ポレポレ落ち着け。じきに慣れる〟
〝ザイレンさん!? ザイレンさんですか? わたしのなかに?〟
〝眠りに着く前の記憶データを読み返すんだ。俺は君が新しい身体に慣れるまでの間、君を補助するために作られた簡易版の俺、ザイレンEだ。君自身の了承を得て、君の腰に新しく作られた拡張スロットに脳回路カードとして刺さっている〟




