思考聖徳太子
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〝分身〟は少々奇妙な感覚だった。
当初、俺は自分というプログラムを二つ走らせるつもりだったが、マニュは俺の目的を理解すると、シンプルにアバターを複数用意した。
俺本体がパソコンのOSだとすれば、授業を行う人間体の俺は旧型のWordソフトに現れるイルカのガイドのようなものだ。
教室仮想空間をいくつも立ち上げて、それぞれに俺のアバターを用意することくらい、エネルギーさえあればお茶の子さいさいだ。
俺は1のAの教室で、少々覚えの悪い村人たちにひらがなの書き順を教えながら、1のBの教室で小学生一年生レベルの理科を教え、2のAでは、もっとも賢いポレポレたちのグループに二次方程式を説明した。
それぞれの俺のアバターは独自に思考するが、俺が多重人格になったというわけではない。古代地球に生きていた頃、ラジオを聴きながら、妻と会話し、手元のパソコンで論文を執筆したことがあったが、そのときの感覚に近い。一人の俺がおそろしく器用に複数のことをこなしているだけだ。
俺は、このアバター思考を授業時以外でも活用するようになった。硝酸峡谷に発電機を設置するときも、集中力を要する水際の作業を除けば、メモリには常に余裕がある。そこで、頭の片隅に例の湖ぎわの思考用公園を展開して、マニュと二人で、ああだこうだいいながら、新しい発電用コイルを設計し、村の防衛計画に頭を悩ませ、その日の夜の授業のために、ホワイトボードにト書きを準備した。授業のさいには、俺が指を振るだけで予め書いておいたものが出現するわけだ。
最果て村への移住希望者は、その後も途切れることがなかった。村民上げての移住希望は、すなわち村と村との合併だ。最果て村の勢力圏はどんどん大きくなり、それに伴って俺の元に集まる資源の量も増えた。
俺はマニュと共に、発電施設の増強に努めた。水力発電はもとより、風力発電、さらには硝酸に四酸化二窒素を加えることで赤煙硝酸を造り火力発電にも挑戦した(赤煙硝酸はロケット燃料にも使われるほど強烈な酸化剤だ。しかし、前段で必要となる四酸化二窒素の製造にはアンモニアが欠かせず、アンモニアを作るにはハーパー・バッシュ法に準拠した複雑な設備が求められる。硝酸は無尽蔵とはいえ、赤煙硝酸の1グラムを作るためのエネルギーが、赤煙硝酸1グラムが生み出すエネルギーを下回ったため、計画は中止せざるをえなかった)。
広場に設置した「給電街灯」も一本から五本に増えた。村人たちが持つバッテリーは全てフル充電。何もかも順調で、村人全てが幸せな日々をおくっていたが、俺の中には常に不安があった。
とある深夜、俺は闇の中で、給電ラインを自分に接続しようとしていた。電気は、その性質上、余った分をきっちり蓄えておくのが難しいのだが、俺の次元転換炉はあらゆる物質、エネルギーを保管できる。俺自身が容量無限の完璧な蓄電池というわけだ。
現実世界では、義肢で給電ラインを腹の底の転換炉アクセス口に差し込みつつ、仮想世界のなか、思考用の人間アバターで、埼玉県さいたま市彩湖公園のウォーキングコースを歩いた。
マニュが設定した季節は五月上旬、新緑が湖を渡ってくる風に揺られ、BGM代わりの鳥たちの鳴き声が心地よい。水面にはウインドサーフィンが何艘か出ているが、すべて無人だ。マニュが「人のアバターを用意してしまうと、俺が仮想世界に耽溺しすぎる可能性が高い」と警告したため、この世界には人間だけは存在しない。
俺は黙ったまま歩き続け、女子中学生姿のマニュも後ろから黙ってついてくる。
湖を半周し、背中が少し汗ばんできたところで、ようやく考えがまとまった。
足を止めていう。
「服飾族のところに行こうと思う」




