ゴミ山3000メートル
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俺は思わず思念を震わせた。
〝つ、つまり、君は俺がその拷問を受けて、このロボット掃除機の体に押し込められたっていいたいのか?〟
〝そうした可能性もあるという話です。しかし、筋の通らない部分もあるのです。まず、最高のマニュアルAIであるわたしをインストールする必要はありません。わたしという話し相手がいては、あなたの精神の崩壊が妨げられますから。また、この身体は単なるロボット掃除機とも思えません。たとえば、そうですね。お好きな立体を思い描いてください。サイズは一センチ立法メートル以内で〟
は? と思いつつも、頭の中にビー玉を描写する。
〝では、次にこれが実体化するさまを想像してください〟
言われた通りにすると、俺の身体の表面各所で光がチカチカ瞬き、数秒と経たぬうちに、目の前に黄色のビー玉が出現した。
幻やホログラムではない。ぼくがクロウラーで触れると、コロコロと転がっていった。
〝3Dプリンター?〟
〝はい。物質構築装置です。必要なエネルギーと、構築したいもののデータさえあれば、あらゆるものを作ることができます。わたしの知る限り、ここまで高度な装置が実用段階に至った記録はありません。それがなぜ、わたしたちの身体に組み込まれているのか」
〝そんな機能があるなら、グラインドカッターを作ってくれよ。それで鉄骨を切って出よう!〟
〝残念ながら、わたしはグラインドカッターなるものを知りません。あなたの表層記憶からみておおよその想像はつきますが、残念ながらあなたは内部機構までご存じなわけではないようですね。それでは構築できません。わたしは史上最高のAIですが、人間と異なり無から有を作ることはできないのです。わたしが構築できるのは、構造を完全に把握しているものだけです〟
俺はガックリきた。
〝ただ、わたしは先ほどの〝ティッシュ箱〟解体のさいに、相手の攻撃機構の一部をスキャンしています。あのレーザーとドリルは再現可能です〟
彼が視野のなかに、俺たちの身体のコピーを投影した。しかし、実態と異なり、円盤の右端に銃のようなものがくっついている。
〝十分なエネルギーさえあれば、わたしたちの進路をレーザー切断機で切り裂けるでしょう。あなたのいうシリンダー虫、五千匹分といったところでしょうか〟
結局、ティッシュ箱がさらに何匹か迷い込んできたおかげもあって、必要量は三ヶ月ほどで確保できた。
その日、待望の瞬間を間近に控え、俺は五センチほどの小さなレーザー切断機を上下に動かした。
腕を動かす感覚に近く、俺は懐かしい気持ちになった。
いまでは、このルンバの体にも随分と馴染んでしまった。
〝それじゃいこうか〟
俺は切断機を目の前の鉄骨に押し当てた。
高出力のレーザーが、熱したナイフを当てられたバターのようにぬるりと切り落とす。落ちたカケラが立てた大音響を集音機構が拾う。
しばらく進むと、平らだった床面に巨大な亀裂が入っていた。幅三十センチほどだが、このルンバの体の俺にはグランドキャニオンも同然だ。
〝どうする?〟
マニュアルが即座に回答した。
〝車輪以外の移動手段が必要です〟
〝じゃあ、こういうのでどうかな?〟
俺のイメージ程度にしか過ぎない案をマニュアルが整えてくれた。
関節等の構造は、スキャン済みのティッシュ箱の節足を参考にしたらしい。
俺は物質構築機を用いてそれを具現化する。
蜘蛛のような細長い六本の多関節腕が体の側面から伸び出した。
自分のアイデアながら、正直不気味な感覚だ。
人間だったとき、俺の手足は四本だったが、いまは車輪が八つに金属の手が六本。六本の手はことさら滑らかに動いたが、自分が人間ではなくなっていることを、ことさら強く意識させられた。
新しい手で亀裂を乗り越えると、俺は手を畳んだ。手は身体の曲線に沿って綺麗に収納された。
すばらしい設計だ。僅かな無駄もない。
俺はいった。
〝なあ、ここまでできるなら、この身体は君が動かしたほうがよくないか?〟
鉄の虫を何千匹も食べるのは、気持ちのいい体験とは言い難かった。
マニュアルが淡々という。
〝それはできかねます。わたしはあくまでもマニュアルです。マスタープログラムの求めに応じ、疑問に答え、その命令通りにことが為せるよう補助しますが、主体的に活動することはできません〟
俺が耐えるほかないわけだ。
切断機で障害物を切り分けながら進んだが、あいにく、外に出る前にエネルギーが尽きた。手を構築したせいだ。
仕方なく、またシリンダー虫を食べる日々に戻り、二ヶ月ほどしたところで外への歩みを再開した。
そして、さらに十日、ついにカメラが外から差し込む光を捉えた。
〝マニュ! 分析頼む!〟
マニュというのは、前述の間に俺がマニュアルに付けたあだ名のようなものだ。
彼、もしくは彼女が答える。
〝太陽光のスペクトルに間違いありません〟
俺は切断機を振るうペースを早めた。
ついにこの狭っ苦しい暗がりから抜け出せるのだ。
進むに連れ、じょじょに周囲が明るくなってくる。
そして、ひときわおおきな鉄骨の束を切り落としたとき、一挙に視界が開けた。
外だ。
俺は山の中腹に出たらしい。
山といっても、人間だった頃にハイキングしたような緑あふれるそれではない。ゴミだ。とてつもなく巨大なゴミ山。あらゆる産業廃棄物が積み重なっている。錆びた鉄骨、冷蔵庫のような四角い機械、バスに似た乗り物、黒い液体が滲み出したタンク、人型のアンドロイドのようなものの上半身、ベルトコンベアー、とにかく信じられないほどの量のゴミが積み重なって山をなしているのだ。
そして、山は一つだけではなかった。見渡す限り、どこまでもゴミ山の列が続いている。ときおり、山のそこここが動いているように見えた。カメラの倍率を上げると、例のティッシュ箱のような機械が、不気味な色の液体の池に群がっていた。そのティッシュ箱の一つが、針のようなものに突き刺された。針は象の鼻に似た灰色のロープのようなものにつながり、ロープは直径二メートルほどの球体状の機械につながっていた。球体がぱかりと開いた。中には歯車やローラーが詰まっている。これはどうやら口らしい。球体がロープを縮めると、哀れなティッシュ箱は口の中に引き摺り込まれた。口が閉じる。
曇天の空の下、雷鳴が轟いた。
はるか彼方のひときわ巨大な山の裾野で、すさまじい稲光が立て続けに煌めいている。山肌の一部がところどころ直線を描いていることからして、周りと同じようなゴミ山なのだろうが、その頂は雲のなかに突っ込んでいた。
〝マニュ、あの山の高さは?〟
〝あなたの記憶にある地球メートル法に換算して、最低でも2475メートルです。雲より上が崩壊していなければ、推定4200メートルです〟
しとしとと雨が降り始めた。
薄汚れた滴が俺のルンバの身体を叩く。
風にのって金属が引き裂かれる音が届いた。
断末魔の悲鳴のような音だ。
俺の身体の周りでは、シリンダー虫たちが必死の動きで俺が出てきた穴蔵の中に逃げ込もうとしている。彼らの体表が白い煙を上げていた。雨に酸が含まれているのかもしれない。
俺は、どうやら地獄に転生したらしい。