硝酸天竜川
〝一言でいえば、「虫」に頼らずにエネルギーを作る施設かな〟
村人たちが互いの顔を見合わせた。
村長のオタが恐る恐るといった感じでいう。
〝ザイレン様。虫なしでエネルギーを手にすることが可能なのですか?〟
あらためて補足しておくが、オタが日本語で「エネルギー」といっているわけではない。彼らの機械言語をマニュが俺がもっとも理解できる形で翻訳しているに過ぎない。
村人たちのなかで、誰かが小さく〝そんなこと、できるはずがないよな。エネルギーは虫からのみ生まれる。誰でも知ってることだ〟といった。
別の念が〝いやザイレン様なら奇跡を起こされるのかもしれん〟と答える。
マニュがつぶやいた。
〝彼らは、科学レベルは古代地球の中世レベルのようですね。彼らにとって、エネルギーはシリンダー虫の畑で収穫するものなのです〟
テクノロジーの詰まった身体を持ちながら、中世レベルとは。俺とマニュは、それを産業革命期まで引き上げようとしている。
正直、村人たちは半信半疑だったと思う。
それでも、彼らは俺の指示に従い、一生懸命に必要な素材を集めてくれた。
何トンものプラスチック片、腐食に強いメッキ鋼材、多種多様な壊れた電子制御装置、そして、村人が酸性雨対策として身体に塗りたくっている真っ黒な有機質油。
俺は腹の下のローラーをフル回転させて、それらを食べて食べて食べまくった。超物質で出来たローラーの破砕力はすごい。なんでも粉々に砕いて、次元転換炉に送り込んでしまう。
マニュの知る人類帝国全盛期の理論通りなら、転換炉は物質を別次元に転送する。転送された物質は、構築機を通して出力することもできるし、エネルギーに転換することもできる。E=MC2を地でいくわけだ。ただし、転換効率にかなりの制限があるので、俺が無限のエネルギーを自由に使えるわけではない。
マニュが計算した通りの素材を腹に収めると、俺はポレポレに案内してもらい、村からゴミ山の斜面をさらに下った。
高度が下がるにつれて、あたりはどんどん暗くなる。もともと黒雲に覆われた薄暗がりの世界だが、真闇に近づいていく。シリンダー虫たちの赤い瞳が地獄の蛍のように点滅する。
やがて、不気味な音が聞こえてきた。
谷底を流れる川の音だ。この世界に降り注ぐ強烈な酸性雨の終着点。あらゆる存在を溶かしてしまう悪魔の溶液。
か細い道が途切れ、急激に下方に向かって落ち込んでいる。対岸までの距離は一メートルもないので、俺は酸対策を施した長めの義肢を構築し、谷を跨いだ。
驚くほど深い。マニュの計測では、ほぼ暗黒の水面までは百十五メートル。金属の山の合間を蛇行する、硝酸の川だ。どこから来て、どこへ行くのかは分からないが、濁流の音からして、相当の速さで流れている。
ポレポレがいう。
〝ザイレンさん、本当に行く気なの?〟
〝心配するな。俺は絶対に大丈夫だ〟
とはいったものの、さすがに多少の恐怖はある。
マニュは、超物質であるこの身体は、絶対に腐食しないと太鼓判を押しているが、彼女の見通しにわずかでも誤りがあれば、俺は分子レベルにまで分解されて、どこともしれぬところに流されるだろう。
俺は、ポレポレを残し、ほぼ垂直の谷を降り始めた。
八本の義肢を両側に突っ張って、一歩ずつ下がっていく。
下がるにつれて、世界はますます暗くなり、壁に張り付いているシリンダー虫の数は増えた。
俺の義肢にぶつかって、シリンダー虫の一匹が電波の悲鳴をあげながら下に落ちていった。身体が溶け去ったのか、小さな叫びはすぐに消えた。
やがて、あたりは霧に包まれた。
硝酸の霧だ。
霧に触れたシリンダー虫たちが溶け去り、残骸が下に落ちていく。
俺の義肢はまだ耐えている。本体は当然の如く何の問題も起きていない。
さらに降ると、猛烈な風が吹き始めた。
飛ばされまいと、義肢をさらに二本生やし、計十本の手足で壁をホールドする。
俺は無心で義肢を動かし続け、20分ほどで水面を間近に捉える位置にまで来た。信じられないほどの激流だ。かつて娘と観光した天竜川も、これに比べれば穏やかな小川だ。たとえ、流れているのが水だったとしても、通常の生物が落下すれば命はないだろう。
俺は構築機を起動した。
事前に仮想空間のなかで、妻の姿をしたマニュの助けを借りながら作り上げた物体を出力する。
硝酸に溶けないプラスチック素材でできた梁だ。
両側の壁の形状にあわせてすっぽりと嵌め込む。
一本、二本、三本。平行に構築した三本の梁の上に、自分の身体を乗せて強度を測る。
問題ないことを確信したところで、新しい構築物を作る。内部に水車構造を組み込んだ直径十センチほどの筒だ。これを梁に連結し、下部を激流のながれに沿うように、傾斜をつけて下ろす。手応えがあった。筒は流れに浸かりながら、しっかり耐えている。
俺は支持用の梁を大量に構築すると、筒をがっちりと固定した。これで、今後、川が増水しても壊れないだろう。
筒の中の水車には、完璧にシールドした小型モーターがついている。モーターはシンプルなつくりだ。磁石にコイルを巻きつけ、最低限の部品をセットした、小中学校の授業で習うような代物。というか、じっさいにこのモーターの構造は、俺が理科好きの娘のために、夏休みに作ってやった手製モーターそのものなのだ。
モーターは外力で回せば、発電機になる。
俺のお手製モーターは、プラスチック水車の回転を電力に変換し、完璧にコーティングされたケーブルを伝って、梁の上で筒を握っていた俺に流れた。
ぴりついた感覚と、わずかながらの満腹感。
腹の摂取口から体内に電力として取り込まれているらしい。
俺はニヤリと笑いたい気分だった。
しかし、いまの俺には顔がない。
代わりに腹のクローラーがクルクル回った。




