クゥトゥルフ妻
〝なんだって貪欲様の回路を?〟
村長オタが恐縮そうに頭部に手を当てる。
〝この村では、頭脳回路は本当に希少なのです。使えるものなら、貪欲様のものでも、と思ったに違いありません〟
マニュが俺だけにつぶやく。
〝ここの機械人類たちの知能水準は低いようですね。万一貪欲様が生きていたらどうなるかを見通せないのですから。スクラップから作られたせいでしょうか〟
〝そういうなよ。どうすればいいと思う?〟
〝もっともリスクの少ない解は、いますぐにブレードでこの村人ごと貪欲様を粉微塵にすることです。しかし、ご主人様が、そうしたやり方を好まないことはわかっています。
次点の解は、この愚かな男の頭部からコードを引き抜くことでしょう。ただし、本当にハッキングが進行していた場合、この男を構成する人格プログラムが損傷する危険があります。
最後の解は非推奨です。わたしたち自身をこの男および貪欲様に接続します。そして、この男のプログラムを正常動作範囲内に戻します〟
〝推奨できないのは、俺たちまで貪欲様にハッキングされるからか?〟
〝わたしがハッキングされる? そんなことはありえません。わたしは偉大なる人類帝国最高峰のAIですよ? 推奨できないのは、薄気味悪いからです。こんなゴミだらけの星で、人間の手を離れて自己進化を続けてきた機械生命ですよ? そんなものと、わたしたちをつなぐなんて最悪です。かつて古代地球人だったというご主人様にわかるように例えるなら、ゴキブリと性行為するようなものです〟
俺はオタや他の村人たちのすがるような視線を感じた。
〝今回限りにしてくれよ。みんなに、貪欲様の頭脳回路に触らないよういってくれ〟
〝ご主人様!?〟と、マニュ。
〝本当に悪いけどさ。俺たちがちょっと気味の悪い体験をするだけで、人を一人救えるなら、そうするべきだろう?〟
マニュが不満気に〝警告はしましたからね〟とつぶやいた。
俺たちは接続コードをスキャンすると、物質構築機で同じものを錬成した。
村人たちが〝おおっ!なんたる御わざ!〟と唸る。
義肢を一本生やし、自分の外殻にコードを差し込み、もう片方の先を、倒れている村人の頭部に差し込む。
⭐︎⭐︎⭐︎
俺は、地平の彼方まで続くゴミの平野に〝立っていた〟。
ルンバの身体ではない、元の人間の体に戻り、二本の足で立っている。
服装はユニクロのパンツに、開襟シャツ、革靴。会社に行く時の、いつものスタイルだ。
空は黒雲に覆われ、紫色の稲光が蛇のようにうねっている。降り始めた酸性雨が俺の手足を濡らす。ひんやりした感覚。あわてて払い除けようとしたが、とくに痛みは感じない。
何がどうなっているのか。
〝いままでのことは全て夢、地球で目覚めただけ〟と思いたかったが、俺の知る地球には、少なくとも日本には、こんな場所はない。
「あなたの自意識は、本当に自己を古代地球人と認識しているのですね」
マニュの思念の声が、明瞭な音波として背後から聞こえた。
振り返った俺は衝撃を受けた。
制服姿の女子中学生が立っていた。身長は百五十センチほど、髪は頭の上でお団子にまとめ、黒縁の大きな眼鏡が、整った鼻筋とイキイキとした瞳を隠している。この瞳は娘の麻里子にも受け継がれた。
コレは妻の朝子だ。俺たちが出会った中学一年生当時のままの姿だ。
だが、妻本人ではありえない。朝子は二十三歳のとき、麻里子の出産で命を落としている。
そして、なにより、目の前の妻の姿をした何かは、背中から馬鹿でかい蛸の足が何十本も伸び出していたからだ。それぞれ足の太さは数十センチはある。長さは十メートルは軽いだろう。身体の後ろでとぐろをまいているのだが、そのとぐろのサイズは身体本体をはるかに上回っている。まるで小山だ。
どちらかというと、この蛸足山こそが本体で、妻の姿は俺と話すための人形という感じがした。
「マニュ、だよな?」声は思わず震えた。
妻が頷いて、自分の手足および背中から生えている蛸足を眺めた。
「興味深い姿ですね」
「ここは何なんだ? なんで俺は人間に戻って、お前は人間になってるんだ?」
しかも俺と出会った当時の妻に。
マニュがバスガイドのような手の動きで地平を示した。
「わたしたちは貪欲様の記憶領域に接続したようです。あなたの自己認識が不安定化したため、フレームを自動構成しました。あなたは自分を人間だと考えていますので、その姿になったのでしょう。
わたしの姿はあなたのフレームに準拠しています。あなたが潜在意識下でわたしに対して感じていた印象が、具象化したとでもいえばよいでしょうか」
なるほど。たしかにマニュには世話好きだった妻に通じる何かがある。
しかし――。
「そのタコの足は?」
「この軟体動物部分は、わたしに抱く不安感が表現されたのかもしれません。それとも、わたしという偉大なAIを古代人類の信奉する神に例えているのでしょうか。かつて接続した、人類帝国の考古学データベースには、古代地球人が信奉した「クトゥルフ」なる軟体動物の姿をした神々についての文献が多数登録されていました」
その文献の中身はホラー小説やライトノベルであって、神学書ではないのでは? と思ったが、指摘するのはやめておいた。
マニュがいう。
「まだ混乱気味のようですが、小動物の外観などに変更しましょうか? 人類帝国でペットとして人気でしたケンタウリ3星の慣性イルカなどはいかがでしょう?」
俺は右手で目元を絞りながらいった。
「いや、そのままでいい。ただ、背中のそれは消してくれ」
「承知しました」蛸足が瞬時に消えた。
俺は涙をぬぐった。
「それで、ここが貪欲様の記憶の世界というのは分かったけど、俺たちはどうやって村人を救えばいいんだ?」
マニュが地平の彼方を指す。
「わたしたちは貪欲様の過去にいます。ここから現在に近づいていけば、どこかで、貪欲様が村人にハッキングした瞬間に出会うはずです。その場面で彼女のハック方法を確認できれば、容易にお間抜けさんを助けられるでしょう」




