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海の青より、空の青  作者: 青空野光
第一章 高校二年
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おばあちゃん

 どこか遠くのほうで、チューニングの合っていないラジオが鳴っている。

 それが砂浜に打ち寄せる波の音だとわかり、自分が砂浜で眠ってしまっていたことに気づく。

 灼けた砂の上に寝転がり感触を懐かしんだところまでは覚えていたが、その直後からの記憶がすっぽりと抜け落ちていた。

 そうだった。

 俺は今日の午後から祖母の家にやってきて、それで一人で海まで歩いてきていたのだった。

 腕についた砂の粒を払いながら、ゆっくりと上半身を起こして水平線へと視線を移すと、すでに空と海との境が判然としなくなっていた。

 真っ暗な藪のトンネルを急いで登り返すと、瑠璃色から漆黒へと変わりつつある空の下を小走りで家へと戻る。

 小学校に上がる前にも同じようなことをしたことがあった気がする。

 あの時は心配して探しに来てくれた祖父に負ぶさられて家まで帰ると、玄関の前で待っていた祖母が涙を流して俺の無事を喜んでくれたのだった。

 怒られることを覚悟ししょぼくれていた俺に、二人はとても優しかった。

 そういえば、あの日はなんで海に行ったのだったか。

 たしか砂浜で誰かと会ったはずだ。

 その誰かが誰だったのかを思い出すことはできなかったが、その日がとても楽しくて、とても悲しかったことだけは、なんとなくではあったが思い出すことができた。

 

 暗闇となった掘割を抜け、オレンジ色の明かりの灯った玄関に滑り込む。

「ただいま……」

 蚊の羽音の如き声量で帰宅を告げた途端、廊下の奥から母と祖母がバタバタと駆けてやってくる。

「夏生あんた心配したでしょ! どこかに行くならちゃんと行き先を言ってから行きなさい!」

 まさか高校二年にもなって母親からこの手の叱りを受けるとは。

 我ながら情けないにもほどがある。

「砂浜で寝てたら思いっきり日が暮れてて……ごめんなさい……」

「まあまあ。なんにもなかったんだから良かったよ」

 祖母は昔と同じように優しかった。

「それはそうと夏生。私は帰るけどあんたはどうするの?」

 母にそう問われ、自分が今日ここに来ていた理由を思い出す。

 祖母がすこぶる健康であることはもはや疑う余地などなかったが、こんな時間から俺と母が二人とも帰ってしまったら、きっと寂しい思いをさせてしまうのではないだろうか。

 それに、今すぐ母と一緒に帰ったところで、どうせこれといった予定があるわけでもない。

 もう少しだけ子供の頃に遊び回った景色を見てみたいという気持ちもあった。

 そんなこんなでしばらくここに残るという旨を伝えると、母は少しだけ意外そうな顔をした。


 祖母と並んで母の車を見送ってから、今しがたの海での出来事を祖母に話した。

「海に行くのはいいけど絶対に入ったらいかんでね」

 聞けばあの辺りの海は潮の流れが沖へと向かっており、流されるとまず戻ってこられないのだという。

 そう言えば以前、祖父や祖母に連れられ海に行っていた時も、波打ち際で少し水に触れるくらいしかさせてもらえなかった。

 そういう理由があったのかと、思わず十数年来の疑問が解決してしまった。

 今日も絶好の海水浴場日和だったにもかかわらず、人影がまったくなかったのもそれでわかった。


 夕食はここに来る途中の惣菜店で仕入れてきたおかずと、それに祖母の作ってくれた味噌汁だった。

 祖母の家の味噌汁はうちのそれとは違い、自家製だという赤味噌が使われていた。

 その食べ慣れない味と香りに、なんだか旅館にでも泊まりに来ているような気分になる。

 近所の人に譲ってもらったという具材の椎茸は、びっくりするくらいに肉厚かつジューシーで、なんとも罪深い逸品だった。

 点けっぱなしで観ていなかったテレビでは、見知らぬアナウンサーが知らない地名の話をしていて、それもなんだか不思議な気がした。


 夕食を食べ終わると風呂に入る。

 昭和の風情色濃いタイル張りのそこは、うちの浴室の軽く二倍はあろうかという広さだったが、子供の頃の記憶にあったそれよりは随分と狭く感じられた。

 風呂から上がると広縁に腰を下ろし、祖母が用意してくれた麦茶を飲む。

 月明かりに照らされた庭は、高校生の俺をしてよく手入れされている様子が見て取れる。

 そう言えば、今日の午後にここに来た時、祖母は大きな枝切り鋏を持っていた。

 あれはきっと庭木の手入れをしていたのだろう。

 家の中もよく片付けられており、祖父がいないという大きな違いを除けば、何もかもがあの頃のままだった。


 しばらく涼んでから居間に戻ると、まだ九時前だというのに祖母はもう床に就いていた。

 寝室として充てられた和室には布団が敷かれており、窓際には蚊取り線香の煙がユラユラと立ち上っていた。

 これでは俺が子守をしてもらうためにここにやってきたようではないか。

 まだ寝るには早い時間であったが、かといって持ってきた宿題をやるような殊勝な気分にもなれなかった。

 居間に戻りテレビでも見ようかと思ったが、祖母を起こしてしまってはまずい。

 結局は寝るしかないという結論にすぐに至った。

 電気を消して布団の上に寝そべると、網戸の向こうからは夏の虫の声が涼しげに聞こえてくる。

 それが心地よかったからだろうか。

 さして眠たくなどなかったのに、目を閉じてものの十秒後には眠りの淵へと飛び込んでいた。

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