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海の青より、空の青  作者: 青空野光
第四章 高校一年
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朱音

 絶景に目を奪われているだろうと予想して覗き込んだ彼女の瞳には、何カラットもある宝石のような大粒の涙が溜め込まれていた。

 表面張力によって辛うじて堪えられていた落涙が、瞬きと共に蓮の葉の上を転がる雨粒のように宙を舞って地面へと落ちる。

「……朱音」

 いま俺たちの目の前に広がっている景色は、確かに絵葉書にしてもいいくらいの美しさではあったが、感涙にむせぶほどのものとは到底思えない。

 かといって彼女の涙にはそれ以外思い当たる節もなく、俺はどう声を掛ければいいのかわからずに困惑する他無かった。

「あ……ごめん」

 心配そのものの表情を浮かべ自身を見つめる俺の姿に気づいた彼女は、笑顔を急ぎ作るとこちらに顔を向ける。

 だが相変わらずその瞳からは、渾渾(こんこん)と涙が湧き続けていた。

 彼女はそれを手の甲で拭ってから、俺のすぐ後ろを指差しながらゆっくりと口を開く。

「あそこ、座ってもいいっけ?」


 丸太を模したコンクリート製のベンチに並んで腰を下ろし、彼女が話し出すのをただ黙って待った。

 しばらくして、ようやく涙を止めることに成功した彼女が、自分の運動靴のつま先を見つめながら静かに口を開いた。

「夏生君、さ。中一の三学期からあんまり喋んなくなったよね?」

「……ああ」

 それに関しては彼女の言う通りだった。

「三年になってクラスが分かれてからはあんまり会うことがなかったけど、夏生君と同じクラスの子に聞いたら『なんかあの人が喋ってるのほとんど見たことないんだけど』って言ってて」

 自業自得だとはいえ、朱音の言葉が胸に突き刺さる。

「さっき、一緒にお散歩してくれて、あと……手も繋いでくれて、さ。私、嬉しくって」

 それだけ言うと、彼女はまた少しだけ涙を浮かべて「ごめんね」と呟いた。


 彼女が俺を心配してくれていたこと。

 そして、こんな俺のために涙を流してくれたこと。

 そのどちらもが本当に嬉しかった。

 だからだろうか、俺は今まで誰にも話したことはなく、今後も誰にも話すつもりのなかったことを、ありのまま彼女に打ち明けた。

 それは俺自身が気付いていなかっただけで、もしかしたら誰かに聞いてもらいたかったからかもしれない。


 中一の夏休みに母の田舎の海で、一人の少女に出会ったこと。

 すぐに仲良くなり、次の日にはもう恋をしていたこと。

 その恋はすぐに、失恋へと変わったこと。

 そして、その年の冬には大好きだった祖父が闘病の末に亡くなったこと。


 引かれても仕方がないという覚悟の上で話したのだが、朱音はたった一言だけ「話してくれてありがとう」と言ってくれた。

 今度は自分の目から涙が落ちそうになり、慌ててベンチから立ち上がると展望台の一番先まで足を進める。


 ベンチと同様にコンクリート製の擬木で出来た柵に両手を置いて、改めて遠くで光る海を眺めた。

 少し遅れてやってきた朱音も、俺の横で同じ格好をして同じ方向を見ている。

「ね、夏生君。もういっこだけ聞いてもいいっけ?」

 視線を海の彼方へと向けたまま彼女が口を開いた。

「うん。いくつでもいいよ」

「あのね、夏生君と同じクラスに葉山さんっているっしょ? 夏生君ってさ。あの子と付き合ってるん?」

 朱音の口からまさか美沙の名前が飛び出すとは思ってもいなかった俺は、自分でも滑稽なほどに目を丸くして彼女の横顔を凝視してしまった。

「なんで――」

 そこまで口に出し、それがあまりにも間抜けな発言であることに気づいた。

 俺と美沙との異常な距離感は既に学年中で話題になっており、いまさら『なんで』も何もないだろう。

 仮に他の男子生徒が美沙と同様の関係であったならば、俺は疑いすらせずに『へえあの二人って付き合ってるんだ』と納得していたはずだ。

「えっと、説明するのが難しいんだけどさ。俺と美沙は……って、あ! ヤバい!」

「え? なにが?」

「時間!」

 朝飯の時間をすっかり失念していた。

 それに気付いた時にはすでに次のクラスの持ち時間になっており、開き直った俺は朱音と一緒にゆっくりと食堂へと向かった。

『散歩してて遭難しかけてたってことにしちゃえば?』とは彼女のアイデアだったが、生憎俺は利己的な理由で嘘をつかないという面倒な信念を持っていたので、怒られるのを覚悟の上で『いい景色と中学の頃の友達に出会って時間を忘れていました』と、それこそ嘘のような事実を食堂にいた教諭に説明したのだった。


 結果として今、俺は朱音と席を隣り合わせて彼女のクラスの連中と共に飯にありついているのだが、そこにはわずかながらに強運も作用していた。

 というのも食堂を仕切っていたのが学年主任で、なぜだか知らないが俺は彼に(いた)く気に入られていたのだった。

 そのせいでの面倒事も多々あったが、今回に限ってはそれが良く働いてくれた。

「だったら先生はもう何も言えんわ」と笑いながら食堂に入れてくれたのだったが、彼の脇を通る時、小声で「お前の相手は葉山じゃなかったのか?」と耳打ちされ、まあまあ普通にイラっとした。


 朝食というには些か遅い時間ではあったが献立は紛れもなく朝のそれで、卵焼きと味のりという組み合わせに祖母の家を思い出す。

「さっきのさ、美沙の――葉山のことだけど」

 味のりの袋を開けようと苦心していた朱音だったが、俺の言葉に手を止めると顔を上げてこちらに目を向ける。

「誰にも信じて貰えないんだけど、あの子はただの友達だよ。付き合ってないし、彼女も同じように思っていると思う」

 朱音の手から味のりの袋を取り上げ、開封してから返却する。

「……そっか」

 味のりをスナック菓子のように一枚食べたあと、彼女はさらに言葉を続けた。

「私は信じるけどね。夏生君って嘘、つかんもんね」

 褒められているのかそうでないか微妙なところだが、今は彼女に感謝する気持ちが強かった。

「でもさ。高校に入って夏生君がまた……前みたいに戻ったのってさ、葉山さんのおかげなのかな?」

 考えたこともなかったことを突然眼前に突きつけられ、思わず箸で持っていた卵焼きを落としてしまった。

 ああ、なるほど。

 言われてみれば確かにそういうことなのかもしれない。

「そうかもしれんっけ」

「でも、葉山さんが夏生君の彼女じゃなくってよかった! あとその『け』の使い方、ぜんっぜん間違ってるっけよ」

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