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海の青より、空の青  作者: 青空野光
第一章 高校二年
3/55

祖母の家

 ほどなくして今度こそ目的地で車輪を止めた車は、最後に大きくラジエターのファンを回すとエンジンから火を落とした。

 四十年も前に建てられた祖母の家は、日本家屋というほどには古い造りではないが、現代のそれとは明らかに違った意匠の和風建築であり、その佇まいはまさに昭和といったふうであった。

 車から降りて大きく伸びをしていると、庭の植え込みの奥の方から祖母が歩いてくるのが見えた。

「あんたら早かったねぇ」

「ちょっとお母さん、寝てなくて大丈夫なの?」

 少しだけ語気を荒らげ母が祖母に詰め寄る。

「少し風邪ひいただけだって言ったのに、あんたら姉妹が勝手に人を大病人にしただけでしょ」

 大きく重そうな枝切り鋏を携えて駆け寄ってきた祖母は、確かに誰がどう見ても健康そのものだった。


 家にあがるとまずは仏間へと向かう。

 仏間とそれに面した和室の掃き出し窓は網戸まで開け放たれており、新しい畳の匂いを乗せた心地のよい風が通り抜けていた。

 広縁のある南側はちょっとした日本庭園になっているのだが、これは亡き祖父の趣味であり、庭石の運搬以外は全て一人で造成したというのだから恐れ入る。

 枝振りの良い松やもみじの木もさることながら、その向こう側には下に車が三台は駐められそうな立派な藤棚もある。

 その脇にはなぜだか知らないがバナナの木が一本生えていた。

 庭園の反対側になる家の裏には、芝生が植えられた一〇メートル程の平地があり、その向こうは山の下り斜面になっている。

 杉林の合間から僅かに見える県道は日中でも交通量は非常に少なく、深夜にトラックでも通らない限りはその存在を意識することもない。


 仏壇の前に座すと、真正面に置かれた祖父の遺影と対面する。

 二年半前に亡くなった祖父は無口な人だったが、二人だけの孫であった俺と従姉のことは、祖母ともども本当によく可愛がってくれた。

 虫取りに釣りに凧揚げと、とにかく俺がやりたいと言ったことは何でもかんでもとことん付き合ってくれた。

「おじいちゃん、ただいま」

 何かの集まりの時の写真を加工されたのであろう祖父の遺影は、不義理だった孫を満面の笑みで迎えてくれた。

 

 お参りを済ませてから居間に移動すると、祖母が用意してくれたお茶で一服する。

 盆の上に山盛りにされたお茶請けの菓子の中に、薄い銀紙に包まれたフィナンシェを見つけた。

 小学生だったかつての俺は、頂き物だったらしいそれを大層気に入り、二十四個入の箱を一時間で空にして、母に割りとマジで怒られた記憶がある。

 もしかしたら、祖母はその時のことを覚えていて、わざわざ買い求めてくれたのだろうか。

 濃く出した緑茶とフィナンシェという組み合わせの珍妙さはさて置き、それは記憶していた通りにとても美味しかった。

「夏生も遠いところをよく来てくれたねぇ」

 祖母は外したエプロンを立ったまま器用に畳むと、座卓の向かい側にゆっくりと腰を下ろしてにこやかに微笑んだ。

 もし祖母が健勝であると知っていれば、俺は今日ここには来なかっただろう。

 それどころか来年も再来年も、ずっとその機会を作れずにいたに決まっている。

「おばあちゃんも元気そうでよかったよ」

 まるで定型文のように味気のない言い方になってしまったが、それは紛れもない本心だった。


 母と祖母が四方山話を始めたのを見計らい、俺は静かに席を立つと居間をあとにした。

 何か目的があったわけではないのだが、ここにいるとそのうち俺の生活態度や進学の話題になることは目に見えている。

 なので機先を制する形で行動に移したのだった。

 祖母の家の前は、車が一台通れるだけの道幅の深い掘割(ほりわり)になっている。

 左右から覆いかぶさるような土の壁と、樹齢何十年といった木々が茂るこの掘割は、幼い頃の俺には少しだけ怖い場所だった。

 もっとも当時の感受性をいつの間にか失っていた俺は、風のよく通る濃い日陰のこの場所をすぐに気にいった。


 五〇メートルほど続く掘割を抜け、少しだけ広くなった道をさらに一〇〇メートルほど進むと視界が一気に開ける。

 赤土の耕作地が見渡す限りどこまでも続き、そのさらに向こうに見える空の下には、長大な海岸線を擁した太平洋の大海原が広がっている。

 そこは中学一年の時に訪れて以来一度も行ったことはなく、行こうと思いすらしなかった場所でもある。

「……行ってみようかな」

 それはただの気まぐれだったのかもしれないし、夏休みが始まったばかりの高揚感がそう思わせたのかもしれない。

 ただ、いま行かなければ二度と訪れることができないような、そんな予感がしていた。


 当時の頼りない記憶を頼りにし、碁盤目状に区分けされた畑の中を、まるであみだくじでもするかのようにジグザグと進む。

 軽トラック一台分しかない細い農道の両脇には、まさに今日明日が収穫時に思えるピーマンやナスなどの農作物が、規則正しく美しく植えられている。

 夕暮れも間近とはいえ、夏の日差しは容赦するということを知らないようだった。   

 ただ時折、海のほうから柔らかに吹いてくる風が、幾らかではあったが暑さを相殺してくれていた。

 ほどなくして到着したあみだくじの終点には、背丈の倍程もある矢竹(ヤダケ)が藪を形成していた。

「確かこっちの方に……」

 壁のようなそれに沿って一〇〇メートルも進むと、人一人分が刈払われた土の斜面の通路が現れる。

 急な下りになっている薄暗い矢竹のトンネルを足元に注意しながら、尻餅をつかないように慎重に降りて行く。


 突然、光が溢れ顔をあげる。

 果たしてそこには亜麻色の砂浜が広がっていた。

 そのさらに遠くに目を向けるると、視界のすべてが海の青色と空の青色によって満たされる。

 足元の砂の感触と温かさが、何だかとても懐かしかった。

 波打ち際のすぐ手前に腰を下ろし、油絵の具のように深い藍色を湛えた海を眺める。

 遥か彼方の水平線の少し手前に、一隻の小さなタンカーが浮かんでいるのが見えた。

 あそこまでは一体、どのくらいの距離があるのだろうか。

 砂浜の上に寝転んで目を閉じた途端、打ち寄せては崩れる波が発する音だけの世界に閉じ込められる。

 ほんの数時間前まで学校の体育館で、校長のつまらない話を聞かされていたことが、まるで夢だったかのように感じられた。

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