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海の青より、空の青  作者: 青空野光
第三章 中学一年
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おじいちゃん

 中学に進学してから初めて訪れた母の田舎は、去年までと比べて二つの大きな変化が起きていた。


 中学の部活動で陸上部に所属している従姉のあっちゃんは、去年の秋にそれまでの中距離から短距離に種目を変更するとたちまちに頭角を現し、今では県を代表するほどの選手にまでなっていた。

 その彼女は今月の下旬に開催される全国大会に向け、このお盆は強化合宿で信州に行っているらしい。

「明日那が合宿が終わったら夏生ちゃんちに泊まりに行くって言ってるから、その時はよろしくね」

 伯母は飼い犬の散歩でも頼むような気軽さでそう言い放った。

 こういうところはうちの母親とそっくりで、僕にはあまり受け継がれなかった気質でもある。


 もうひとつは従姉のそれとは真逆に、好ましくないどころか悪い変化だった。

 今年の春に受けた人間ドックで病気が見つかった祖父は、六月の末に隣町の病院で手術を受けた。

 一旦は退院したものの術後の検査でさらに悪いところが見つかり、先月から再入院をして今に至っている。

 大人たちの話を聞く限りでは、今すぐに命がどうこうという病状ではなさそうだったが、祖父が罹っている病気は中学生の僕でも恐ろしいものだと理解できた。


 帰省初日である今日の午前は母と伯母、それに祖母と僕の四人で祖父のお見舞いに行ってきた。

 一年振りに会った祖父は随分と疲れているように見えた。

 母にお願いしてお見舞いの花は僕の小遣いで買わせてもらったのだが、祖母がそれを祖父に教えてしまったせいで、花の購入金額の軽く倍くらいの小遣いを当の祖父により、無理やりポケットにねじ込まれてしまったのだった。

 ばつが悪そうな様子の僕を見て、祖父を含めた大人たちは声を出して笑った。

 その結果、同室の入院患者さんたちの視線まで集めてしまう羽目になってしまい、僕はといえば下を向いて赤面をする他なかった。

 帰り際に病室の出入り口まで見送ってくれた祖父は、今まで一度も見せたことがないような寂しそうな顔をして手を振っていた。


 帰りの車の中、祖父に貰った小遣いを祖母に返そうとしたのだが「夏生が返したって明日じいちゃんに言うから、そうしたら余計に増えるかもしれんよ」と言われてしまい、仕方なく手を引っ込める。

「でも、手術したって聞いたから心配だったけど、思ったよりぜんぜん元気そうでよかったよ」

 実のところまだ自分の家にいた昨日の夜に、母から初めて祖父が入院して手術まで受けたことを聞かされたのだ。

 それが僕に対するなんらかの気遣いだったのか、それとも大人の事情があったからなのかはわからないが、今日こうしてお見舞いに行くことができたのだから良しとすることにした。


 途中で和食系のファミレスに寄り食事を取ると、祖父母の家に戻ってきたのは昼もだいぶ回った午後二時過ぎだった。

「お母さんもお姉ちゃんも休んでて。あとは私がやるから」

 母は祖母と伯母にそう言うと、病院から持ち帰ってきた洗濯物が詰まった袋を洗濯機のある脱衣所へと運んでいく。

 祖母は祖父の入院以来、ほとんど毎日のように病院に通って祖父の世話をしていた。

 その送迎をしてくれていた伯父と伯母も、やはり毎日のように病院とこの家の間を車で往復する日々が、もう一月半ほど続いたそうだ。

 うちの母もここのところ週末は、その姿があまり見えないと思っていたのだが、それはどうやらそういうことだったらしい。

 遠方に住んでいる以上仕方がないのだろうが、母にしてみれば伯母夫婦に対して申し訳ない気持ちがあったのだろう。

 半ば無理やりに祖母と伯母を居間に追いやると、自身はやれ掃除だやれ洗濯だと右へ左へと動き回っている。

 僕にも何かできることはないだろうか。

 そう思い立ち、台所でジャガイモの皮を剥いている母に指示を求める。

「それじゃ今年もこれ、お願いね」

 渡された紙袋をひと目見て、それが向かいの河合さんに向けた土産物であることはすぐにわかった。

 靴を履き玄関を出ると、すぐ右手に広がる祖父自慢の日本庭園が目に入る。

 肝心の庭師が不在のためだろうか。

 若干枝葉が茂って樹形が崩れているものも見受けられる。

 流石に勝手に剪定をするわけにはいかないが、地面の雑草を抜くことくらいであれば僕にでも手伝えそうだ。

 こうして夏休みの予定が一つ追加された。


 河合さん宅の敷地に一歩踏み込むや否や、コロマルに烈火の如く吠え立てられ、僕だとわかると今度は砂埃を上げるほどの勢いで尻尾を振ってくる。

 まさにすべてが例年通りで、もはや恒例行事でもあった。

「コロマル! おすわり!」

 僕の号令で即座に尻尾を振ることをやめると、まるで警察犬のようにキリッとした表情でコロマルはおすわりを決める。

 もっとも凛々しい彼女の姿に油断して近づこうものなら、顔も首もびしょびしょになるまで舐められることになるので油断はならない。


 インターホンのボタンを押して少しすると、玄関の奥から男の人の声で返事が聞こた。

 やがて白いワイシャツにベージュの作業ズボンを履き、首にタオルを掛けた河合さんの旦那さん――つまるところ彼も河合さんなのだが――が出てくる。

「あの、杉浦の家の孫の夏生です」

 それだけ言うと河合さんはすぐに「ああ、夏生くんかい!」と言って豪快に笑うと、続けて「しばらく見んうちに大きくなったなぁ!」とお決まりの言葉を口にした。

「うちのは今、西のハウスの方に行ってると思うけど場所はわかるかね?」

 ハウスというのは椎茸の栽培をしているビニールハウスのことだろう。

「あ、母の使いでこれを持ってきただけなんで」

 そう言って、これも毎年恒例となっている焼き菓子の土産を差し出す。

「またいつも悪いやあ――あ、ちょっと待っとって!」


 河合さん宅の敷地を出る僕の両手には、来た時の倍の量のビニール袋がぶら下がっていた。

 中身はいつもの肉厚で美味しいアレで間違いない。

 河合さんとはほぼ毎年、覚えている限りでも五回はまったく同じやり取りをしている。

 僕がコロマルの毛とヨダレで大変なことになっているのもいつもどおりだ。

 でも、そんな変わらず繰り返されるこのイベントが嬉しかった。

 今年の夏はこれまでのそれとはだいぶ違っていたが、変わらないことがあることを河合さんとコロマルによって教えられた。


 このあとはもう夜まで予定はない。

 一年振りにこの辺りを散歩でもして、先ほどのように『変わらないもの』でも探してみようか。

 ただ、それをするにはまずはお風呂で全身をくまなく洗う必要があった。

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