婚約破棄から二年後 再会
婚約の破棄から二年後
隣の屋敷のおバカなカストに、パーティーの席で婚約破棄をされてから二年が経った。
あれは、本当に傑作だった。
どうやら、親同士で勝手に決めていたらしい。それを、わたしだけが知らなかった。
カストは、「婚約者はおれのもの。だから、何をやってもいい」と大いなる勘違いをしていたみたい。だから、子どものころから幾つもの奇行をやってのけていたというわけ。
セシリオとカフェにいたのが、「婚約者がありながら不貞を働いた」に相当したみたい。
それも、彼にとっては大勢の前で婚約破棄をするこじつけにすぎない。
結局彼は、わたしを悪者にしてベアータにのりかえたいだけだった。
それも、いまとなってはわたしの人生の中で傑作な一つの出来事となっている。
あの衝撃的な婚約破棄の後、ラルク公国が攻めてきてあっという間に占領されてしまった。
ラルク公国は、まずは王族から処断した。それはすぐさま、貴族や文官武官におよんだ。
王都からおおくの貴族が逃げだしたり隠れたりした。
わたしは、幸運にも婚約破棄をされてすぐに屋敷を出、館長の家で居候をさせてもらっているからその追及の手を逃れられている。
風の噂で、叔父と叔母やお隣のおバカなカストのご両親も処刑されてしまったときいた。
中流以下も、いろいろな制限や敵軍の将兵によるトラブルが絶えない。そんな状態なので、人々は戦々恐々と毎日をすごしている。
こんな中でも、わたしはかわらず図書館で副館長として本とすごしている。
だけど、いつも心の奥底にセシリオがいる。
彼のことが恋しくてならない。
彼に会いたい。彼は、無事なのだろうか。どこにいるのだろうか。
彼のことをかんがえない日はない。
そんなある日、図書館の裏口にボロボロの男女があらわれた。
文字通り、すべてがボロボロである。
それは、おバカな元婚約者のカスト・アーガストと従姉のベアータ・バルテルスであった。
「メグ・カーライル。わたしを愛しているのなら、助けてくれ」
あの衝撃的な婚約破棄の夜以降、はじめて顔を合わせた男の言葉がそれである。
高価なジャケットもシャツもズボンも、もちろん本人も逃避行で汚れまくっている。
それは、ベアータも同様。
二人とも、飢えと疲れでいまにも倒れてしまいそうだ。
それにしても、おバカなカストはあいかわらずおバカである。
自意識過剰で傲慢すぎるし、身勝手すぎる。
どうしようか迷った。
貴族狩りに追われているのかもしれない。それを助ければ、助けた者も断罪される。
だけど、それも一瞬だった。
いろいろふくむところはあるけれども、困っている者を放りだすわけにもいかない。
「ここは図書館だからかくまえないけど……」
『何か食べ物を持ってくるわね』
そう続けかけたとき、建物の角をまわって敵国の部隊があらわれた。
貴族狩りの部隊……。
そう直感した。
「はやく行って」
カストとベアータに、図書館と隣の建物との路地を指し示した。
迫りくる貴族狩りの部隊を見、二人は倒けつ転びつ駆けだした。
二人が路地に入ったと同時に、貴族狩りの部隊が目の前までやってきた。
「ここに貴族がやってこなかったか?」
隊長らしき男が問う。
心臓は、口から飛び出してしまいそうなほど飛び跳ねている。
大丈夫。貴族令嬢だってバレないわ。
動きやすいよう、今日も着古したシャツにズボン姿である。どちらも、貴族令嬢とはほど遠い恰好。わたし自身も、ブロンドの髪をばっさり切ってしまっている。どこからどう見ても、そこら辺にいる町娘にしか見えないはず。
「さあ……」
首を横に倒し、知らない風を装った。
「放せっ!汚い手で触るな。貴族は、このあばずれだけだ」
「何を言っているの。この男よ。その男は伯爵子息よ」
わめき声とともに、カストとベアータが路地からあらわれた。
図書館の表側にも貴族狩りの部隊がいたのね。
二人は、おたがいを売っている。
二人らしい。
「そうなのか?どうしてあいつらを逃そうとした?」
隊長の粘着質な視線が、わたしを上から下までなめまわす。
図書館の中から、本が落ちるような派手な音がきこえてくる。
なんてこと……。
兵士たちが中に入って荒らしまわっている。
「やめてください。ここにあるのは、この王都のみなさんに親しまれている本です。ここにあなた方の探している者はいません」
そう訴えていた。
「本?なるほど、図書館か。本など興味はない。燃やしてしまえ」
そのとき、隊長らしき男の胸に幾つもの勲章がぶら下がっていることに気がついた。
お話の中に出てくるような、地位の高い人か大活躍をしている人かもしれない。
「燃やす?そんな愚かなことは許されません」
こういうことを身の程知らず、というのかしら。いえ、「そんな愚かなこと」というのは、わたしの行いこそがそうなのね。
占領軍の偉い人に食ってかかっているんですものね。
カッとなって怒鳴り散らしていた。
ここにあるすべての本が大切なのは当然である。
それだけではない。ここには、彼との思い出がたくさん詰まっている。彼とのすべてが、いいえ、ここは彼そのものである。
ここだけは、何ものにも穢させてはならない。守らなければならない。
「そいつも貴族だ。そいつは、いちはやく町の娘に化けて隠れてたんだ」
「そうよ。伯爵令嬢よ。その女こそ捕まえるべきよ」
そのとき、カストとベアータが叫んだ。
わたしは、即座に捕まってしまった。
一日に処刑される人の数は一人や二人ではない。
しかも、敵は街の大広間に人々を集め、そこで捕らえた人々を処刑するのである。
それが民衆にとって効果的であるということを、幾つものお話で読んだことがある。
お話だけではない。政治や戦争についての文献などにも書かれている。
だけど、こうして見るかぎりでは、貴族だけでなく裕福な街の人もまじっている。
ただの見せしめである。こちらの抗弁や懇願などきいてくれるわけもない。
今日処刑される者は、手に縄をかけられ横に一列に並ばされている。
空を見上げると曇天。
捕まった日のお昼にサンドイッチを食べた。それ以降何も食べていない。
あーあ、お腹が減った。
いまから処刑されて死ぬというのにお腹がすいた、だなんて。
自分でも笑ってしまう。
わたしのすぐ横で、おバカなカストがブツブツとつぶやいている。その向こう側では、ベアータがグスグスずるずる泣いて鼻をすすり上げている。
左端の人からはじまった。
昨夜、わたしに詰問していた隊長みたいな人は、占領軍の総帥を務めているらしい。
小太りの脂ぎった男である。
胸の飾りは、武功というよりかはお金やコネで得ているのかもしれない。
生暖かい微風にのって、歓声やドンドンというような音がきこえてくる。
だけど、この大広間に集っている人は、ただ成り行きを見守っているだけで、だれも一言も発してはいない。
この王都に住む人たちは、けっして裕福ではないけれど最悪というわけではない。
すくなくともここのほとんどの人は、この国の王族や政に不平不満をもっているわけではない。
こういう見世物も、集まることを強制されている。
だから、わたしたちが処刑されても、喜んだり憤ったりしない。
最前列に館長の姿を認めた。
彼女と視線があった。
心配しないよう、口角を上げて微笑みつつ小さく頭を振った。
それでも、彼女は胸に両手を当て、心配そうに見ている。
微風にのってくる喧騒が、だんだん近づいてくる。
左隣の子爵も処刑の判決がくだされ、わたしの番がきた。
どうせ処刑されるんだから、まわりくどいことなどせずにさっさと刑を執行すればいいのに。
そう思わざるを得ない。
「メグ・カーライル伯爵令嬢」
そう呼ばれて返事をしようとしたとき、兵士が総帥に駆け寄り耳打ちをした。
「な、なんだって?ネオ国の軍勢が?」
総帥の顔色がかわり、彼が周囲を見渡した瞬間、広間にどこかの部隊が躍りこんできた。
広間に詰めているラルク公国の部隊は、あたらしくあらわれた部隊にあっという間に制圧されてしまった。
あっという間の出来事で、ここにいるすべての人たちはただ呆然としている。
すると、あたらしくあらわれた部隊の中から五頭の騎馬兵がこちらに向かってきた。
同時に、曇の合間から薄日が射しこんできた。
そのささやかな陽が、先頭にいる金色の馬の毛並みをよりいっそう輝かせる。
昔、わたしが憧れたお話「金色の馬と王子様」みたい。
このような場なのに、そのお話のままの情景に感動してしまった。
しかも、その金色の馬に跨る騎馬兵はずいぶんと貫禄がある。
身にまとうのはお話のように甲冑ではなく軍服だけれども、甲冑に負けず劣らず重厚な雰囲気を醸し出している。
そして、その身にまとうオーラは、いかにも強そうに感じられる。
総帥はその威圧感におされて後ずさりし、その拍子にわたしにぶつかった。
「彼女から離れろ」
金色の馬からきこえてきた警告は、たしかにきき覚えのある声である。
「離れろと言っている」
固まったままの総帥に、再度警告が飛んできた。
「ラルク公国のマランツ総帥だな?貴公の軍は、すでにわが軍が制圧した。同時に、わがネオ国の精鋭部隊が貴国に攻め入り、順調に公都に向けて進撃中である。さっさと引き揚げることをお勧めする。帰るべき場所を失くす前にな」
馬上から告げられ、総帥は救いを求めるかのように左右を見回した。が、すでに総帥の親衛隊もあたらしくあらわれた部隊に捕らえられている。
すると、いつの間にかあたらしい部隊の兵士が二人、総帥に近づいていた。
総帥は、何の抵抗もできないまま兵士に連れて行かれてしまった。
「メグ・カーライル伯爵令嬢」
馬上からそう呼ぶ声が落ちてきた。
薄日は、いまは強烈な陽光となって地上を燦燦と降り注いでいる。
逆光で顔はよく見えない。だけど間違いない。
「セシリオ・フェルミ」
彼を見上げ、その名を呼んだ。
金色の馬からさっと降り立ち、セシリオはわたしの前に立った。
「メグ、おそくなってすまない。約束どおり会いにきたよ」
声は、昔のままのやさしい声にもどっている。
男前の顔に、昔のままやさしい笑顔が浮かんでいるんだろうけど、いまのわたしにはそれが見えない。
つぎからつぎへと涙が溢れてくるからである。
彼は、事情を語ってくれた。
婚約を破棄される数ヶ月前、ネオ国で反乱があり、そのときの政権の反対派がセシリオを担ぎ出した。彼は、もともと正妃の子である。充分大義名分は立つ。セシリオは、そのようなことには興味がなく断った。だけれども、そもそも彼に断る権利はなかったらしい。
わたしに会ったとき、彼はわたしを隣国に伴いたいと言いたかった。だけど、自分自身がどうなるかわからない闘争の中にわたしを伴うわけにはいかない。そう考え直した。
わたしに心配をかけたくなくって、何も言わずにわたしの前から去った。
反乱は成功した。現在、セシリオは国王になるべく問題を一つ一つ片付けているらしい。
その一方で、彼はずっとわたしのことを心配してくれていた。この国が占領されてからは、わたしの様子を探るために剣術の師を潜入させたという。
その師というのが、実は見覚えのある老人であった。
占領されてしばらく後から、図書館に毎日来るようになった老人である。ときどき、世間話をした。
気さくで物腰のやわらかい老人である。
老人は、わたしが捕まったのを見て、すぐにセシリオに知らせた。
セシリオは、もとから準備をしていた自分の精鋭部隊を率い、この国に潜入してあっという間にラルク公国の占領軍を打ち破った。
その精鋭部隊のほとんどを、ラルク公国に向かわせた。ただ、さきほど総帥に言ったように公都に向かわせたのではなく、ラルク公国で二、三の領地を脅かしてから引き揚げる予定らしい。
先ほどのは、ただの脅しである。ラルク公国の公民たちを、いたずらに脅かすべきではない。
彼は、周囲にきこえないように告げた。
「この国はぼくの母の故郷だし、ぼくもここで育った。ラルク公国が強くなれば、いつかはネオ国にも食指をのばす。いまのうちに潰しておく必要があった。というのが建前。本当は、きみを救いたかった。ぼくは、罪深いよね」
彼は両手を伸ばし、わたしの縛られている両手をとった。
「メグ。きみの前から去ってからも、ずっときみのことを想っていた。昔、きみがアドバイスしてくれたように、心身ともに強くなるよう剣術を習った。つねに前を向き、ぼくにとっても多くの人々にとってもよりよき道を探し、そこを進んでいる」
彼の両手に力がこもった。
涙はいくらでも溢れてくるのに、言葉は口に溢れてこない。
涙の間に、彼の軍服の胸ポケットにわたしが贈ったお話の本が顔をのぞかせているのが見える。
お守りとして、いまだに持ってくれているんだ。
「いまならきみに堂々と告げることができる。メグ、きみを愛している。ぼくといっしょに来てくれないか。これからさき、ともにあゆんでくれないか?」
彼は、あれだけ気弱だったのに……。
「きみの大好きな「金色の馬と王子様」を再現してみたんだ。あの金色の馬を入手するのに大変だったんだよ」
彼は、おどけたようにつけ加えた。
その瞬間、わたしの口に言葉があらわれた。
「セシリオ、ごめんなさい。あのとき、わたしは言いたかったの。『わたしもあなたを愛しています』って。でも、まさかあなたがわたしを想ってくれていたなんて思いもしなかったから、驚きすぎて言えなかった。でも、いまは言える。わたしも、あなたのことをずっと愛している。最初に会ったあの日からずっと」
「メグ」
彼は、わたしをギュッと抱きしめてくれた。
「あー、お取込み中申し訳ないんだが、わたしは、彼女の婚約者……」
「わたしは、従姉よ」
せっかくの感動の場面を、おバカなカストとベアータが邪魔をしてきた。
「きみらは?ああ、メグの元婚約者と従姉だね。先日、きみらを助けようとした彼女を売った愚か者だ」
セシリオはいったん体を離した。
わたしの手の縄をほどきつつ、うしろに控える将官を呼ぶ。
「他の囚われの人たちを解放してほしい。ただし、この二人は彼女にとって大切すぎる人たちだ。縄をかけたままこの王都から放りだせ。首がつながっているだけでもありがたく思ってほしいね。そうだ。メグに免じて、銅貨の数枚でもポケットに入れておいてやれ」
「ははっ!」
「そ、そんな」
「メグ、助けてよ」
「はやく連れてゆけ、目障りだ」
あっという間に、おバカなカストとベアータは連れてゆかれてしまった。
「ぼくは、つくづくダメな男だ。きみに関わることだとつい我を失ってしまう。冷静でなくなってしまう」
彼はわたしの手を縛っていた縄を、気配もなく近づいてきた将官に手渡した。
図書館に来ていた老人である。
その胸には、たくさんの勲章がぶら下がっている。
この人に関しては、実力で得たものに違いない。
「殿下、それでいいのです。最愛の者を守り、敬うことが出来ぬ王は、王国の民を守り敬うことが出来ません。さあ、何をされておいでです?手を握るだけでは、男としても剣士としても王としてもなっておりませんぞ」
セシリオの剣術の師でもある将官は、セシリオの背をぽんと押した。
「あー、メグ……」
彼の顔は真っ赤になっている。
「王子様。金色の馬だけでなく、甲冑をまとって下さったらもっと感動いたしました」
わたしがからかうと、彼はクスクス笑いはじめた。
「では、このつぎにきみを助けに参上するときには、甲冑を準備するよ」
彼はそう言いながら、わたしを抱き寄せた。
「メグ、愛している」
「わたしも」
彼は、やさしく口づけをしてくれた。
多くの人々の祝福の声が、大広間を満たした。
この国の再建にネオ国の統一、彼は大忙しになる。
わたしにできることは少ない。それでも、彼に寄り添うことはできる。
愛するセシリオとわたしのお話は、ここからはじまる……。
(了)