婚約してもないのになぜか婚約を破棄されました
「みなさん、おきき下さい。わたしことカスト・アーガストは、本日を以てメグ・カーライル伯爵令嬢と婚約を破棄し、ベアータ・バルテルス令嬢と婚約をいたします。メグは、わたしという婚約者がありながら不義を働いております。それが、理由です。メグ、言い訳はいっさいききたくない。二度とわたしの前に顔を見せるな。つきまとうようなこともやめてくれ。だめだだめだ、何もききたくない。出て行ってくれ」
ショックのあまり卒倒しそうになった。
ゲストたちの注目を浴び、カストは自分の台詞に酔いしれているみたい。
婚約を破棄されてしまった。しかも、わたしが不義を働いている?
そして、新しい婚約者はわたしの従姉のベアータ?
いったい、どうなっているの?
何がどうなっているのかさっぱりわからない。
婚約を破棄されるいわれはない。されることの意味がまったくわからない。
どうして婚約を破棄されなきゃいけないわけ?
このわたしが?このわたしが、彼に婚約を破棄される……?
思い当たる節がない。まったく思いつかない。
やっぱり、何がなんだかさっぱりわからない。
婚約破棄って、婚約をしていること前提よね?
そもそも、彼と婚約なんてしていない。婚約なんてしていないのに、婚約を破棄されるいわれはない。だから、不貞を働いたっていう意味もわからない。
わからないだらけだわ。
わたしは彼と婚約をしていない。だけど、彼はわたしと婚約をしているというの?
驚きだわ。ほんっとに驚いた。
わたしは、彼とどころか生まれてこの方一度だってどこの誰とも婚約をしたことがない。
さらに言うと、彼とは幼馴染という間柄というだけである。
しかも、正直、彼をうざいと思っている。もっと正直なところを述べると、彼のことが大っ嫌いである。
その彼から婚約破棄をたたきつけられた。いったい、なんの茶番かしら?
ゲストたちのあらゆる思いを含んだ視線が、突き刺さる。
さて、どうしたものか。こういう場合は、どう反応すればいいの?
一瞬の間にいろいろ考えたけど、すぐにバカバカしくなった。
「おっしゃることはよくわからないけど、とりあえず「わかりました」って言えばいいのかしら?それから、「婚約おめでとう」とお祝いも付け加えておくわ。お二人とも、おしあわせにね」
とりあえず、そう伝えてみた。
ゲストたちは、わたしが暴れるとか泣き叫ぶとかを期待しているんでしょう。
でも、ほんっとにバカバカしいから、期待に応える必要もない。
わたしは、さわやかに見えるであろう最高の笑みを振りまきつつ、大広間をあとにした。
婚約を破棄される八年前
読書の大好きなわたしにとって、文化活動のさかんなこの王都での暮らしは最高である。
王宮にある図書館も蔵書が充実しているけど、街の図書館はもっともっと充実している。
最初は、お母様が王宮の図書館で司書をしていたこともあってそこに通っていた。
でも、天気のいい日は図書室で本を読むのはもったいない。
本を何冊か小脇に抱え、王宮の森に行ってはひときわ大きな木にもたれて夕暮れまで本を読んでいた。
それをするつもりの朝は、自分でサンドイッチを作り、ポットに紅茶を淹れ、チーズと果物をピックアップし、それらをピクニックバスケットに詰め込んで図書館に行った。
それとは別に、街の図書館に行くこともあった。
お母様の司書仲間がそこで館長をしている。朝から行き、お昼はパンやスープをご馳走になり、夕方までいる。
そんな感じで、二つのどちらかの図書館でときをすごしていた。
その運命の日は、王宮の図書館に行った。朝からお天気が良かったので、いつものようにピクニックバスケットを腕に下げ、二冊の分厚い本を胸に抱え、一冊の薄くて小さな本はシャツのポケットに入れ、王宮内の森の大きな木へ向かった。
いつもとちがったのは、その木に背中をあずけてウトウトしている男の子がいたことである。
彼はあたたかな陽射しの中、気持ちよさそうに居眠りしている。
きれいに刈られている草を踏みしめつつ、そっと近づいてみた。
わたしと同じくらいの年齢かしら?
彼の真ん前に立っても、彼はまだ気がつかない。
そのとき、森の奥の方で「ギヤー」っと鳥が叫んだ。
彼は、その叫び声で目を覚ました。
上げた顔が、驚きに象られている。
まぁ……。
お話の中に出てくる王子様みたいにきれい。
それが、彼の第一印象だった。
でも、その蒼色の目が少し寂しそうに見える。
「ごめんなさい。あまりにも気持ちよく眠っていたから」
自然な笑顔になるよう努力しながら、彼に謝罪した。
「居眠りしていたんだね。気持ちがよくって眠ってしまったみたい」
彼は、声変わりのする前のソプラノボイスでこちらを見上げ、やさしい笑みとともに言った。
さて、つぎは何を言えばいいのかしら?
そう考えていると、彼が何かを指さしていることに気がついた。
「それは、本?」
彼のその質問が、彼との付き合いのはじまりである。
本読み友達、という付き合いのはじまりであった。
彼の名は、セシリオ・フェルミ。お母様はこのマレド皇国の皇女だった女性で、十二年前の戦争で隣国の国王に人質同然で嫁いだ方らしい。だから、セシリオの父親は隣国ネオ王国の国王である。だけど、お母様は国王や側妃たちといろいろあり、精神を病んでしまった。人質としての効力も失われていることから、廃妃されてしまった。
そして彼は、お母様といっしょにこの国にやってきたという。
わたしより二つ年上だった。それなのに、細くて背も高くない。
彼は、かなり苦労しているみたい。自由も含めて何もあたえられないときいて、わたしは一人憤ってしまった。
彼は本というものを、あの大きな木の下で出会ったときにはじめて見たという。
わたしは、それをきいて驚いて口を閉じるのを忘れてしまった。
本も知らないって、彼はいったい王宮内でどういう生活を送っているのだろう。
わたしは、夜寝台に横になるたびに空想をめぐらせた。
彼のお母様は、戻ってきてからほどなくして亡くなってしまった。
彼の王宮内での居場所は、なくなってしまった。
隣国同様、彼はこの国でもいい扱いを受けてはいない。
淡々と語る彼の美しいのに痩せこけている顔を見るたび、つくづく悲しくなってしまう。
だから、わたしだけでも彼といい友人でありたい。味方でありたい。
わたしは、毎日のように彼を誘って読書をした。
読み書きの出来ない彼に、文字を教えた。
彼は、もともと頭がよかったみたい。間もなくすると、簡単な本なら読めるようになった。そして、それからまたしばらくすると、わたしが好んで読んでいるお話を読めるようになった。
いろんなお話を読んでは、彼と「このお話は、もっとこうだったらよかったのに」とか「この終わり方よりこんな場面まで書くべきだった」とか、一端の書評家にでもなったつもりで議論をした。
さらにそれから後には、彼もわたしも様々な本を読むようになった。
わたしたちは、どれだけ専門的な書物を読めるようになっても、お話が大好きで年齢を重ねてもいろんなお話を読んだ。
残念ながら、王宮の図書館の司書を務めていたお母様は、お父様とともに事故で亡くなってしまった。
お母様との思い出の図書館に通うのはつらい。だから、街の図書館で読書をするようにした。
一つには、彼が王宮で虐げられていて居場所がないということもあった。
彼は、お話にでてくる勇者や騎士や竜退治に憧れた。
さすがは男の子よね。
彼は武器や剣術の本を読みあさり、自分でも試すようになった。
一方、わたしは女の子だからといって、お姫様や聖女に憧れていたわけではない。
どちらかといえば、勇者や騎士や竜退治と一緒に、冒険や竜退治をするパーティーの女剣士とか魔術師に憧れた。
そんなものは、今の世の中にはほとんど存在しない。何百年も前の出来事である。
それでも、お話にでてくる主人公たちの大活躍は、ハラハラドキドキさせてくれる。
ただ、さらに年齢を重ねると、そんな気持ちが薄れていった。それは、彼も同様である。
お話に興味がなくなったとき、わたしも彼もすっかり大きくなっていた。
そのころには、わたしたちは本を読む合間にいろいろなことを話した。
彼は、控えめでやさしすぎて思いやりがありすぎる。悪くいえば、悲観的で臆病で消極的である。
王宮で、彼はいじめられたり利用されたりしている。
あるときなど、顔に痣ができていた。彼は、けっして自分から言うことはない。だから、わたしが無理矢理ききだした。
だれそれに殴られた。食べ物をもらえない。階段から突き落とされた。持ち物や衣服を燃やされた。
もっともっとひどいこともされている。
だけど、彼はいつも「ぼくは、いてはいけない存在だから」と言うばかりである。
わたしが一人で憤り、口惜しい思いをしていた。
だから、その都度彼にいつも言いきかせた。
『せめて心だけでも強くなりなさい。お話の中の不遇の王子様も、つらい時期を乗り越えて立派な王子や王様になっているでしょう?あなただって、いつかネオ王国から呼び戻されて国王になるかもしれない。そのときのために、心身を鍛えておきなさい』
お話通り、うまくいかないのが現実である。
だけど、やさしい彼はそんなわたしのメルヘンチックなアドバイスも生真面目にきいてくれた。
彼は、ますます書物で剣の遣い方を学び、練習を積んでいた。
お父様とお母様が事故で亡くなってしまったとき、しばらくの間本を読む気にすらなれなかった。
喪失感と絶望感にさいなまれた。
お父様には、弟が一人いる。
彼はバルテルス男爵令嬢を妻にし、男爵家を継いだ。しかし、博打で多額の借金をつくってしまい、訴えられもしたものだから、爵位を剥奪されてしまった。
お父様とお母様が事故で亡くなったとき、彼は妻子を連れ、表向きはわたしの後見人として屋敷に移り住んできた。
彼らが、わたしのことを疎ましく思っていることは言うまでもない。
わたしは、居場所を失ってしまった。
このときになってはじめて、セシリオの気持ちが痛いほどよくわかった。
彼に出会ったころのわたしは、彼の本当の痛みがちっともわかってはいなかった。わたしの言葉や態度は、すべてうわべだけであった。
そのことは、セシリオも気がついていたはず。それでも、わたしが彼と本以外のすべてを失ったとき、親身によりそってくれたのである。
どちらかと言えば、出会ったころからお姉さんぶっていた。何にたいしても強がっていた。だからこそ、そのときも涙を見せぬよう、泣かぬよう必死に耐えた。
そのことも、感受性豊かな彼は気がついていたかもしれない。
セシリオと同年齢のカスト・アーガストは、隣の屋敷に住む伯爵子息である。
わたしは、彼が大嫌い。ほんっとうに大嫌い。
幼いころから、かれは最悪最低な子どもだった。悪いところを上げるとキリがない。
どれだけクズで悪党であっても、どこかしらいいところはある。
だけど、彼にはなにもない。
あっ、訂正。一つだけあった。
それは、容姿である。
金髪碧眼の彼は、歩くだけですべての女性が振り返るほど容姿だけはいい。
もっとも、わたしはまったく興味はないけど。
外見や外面がいいだけで、本当は傲慢でケチで子どもっぽくて頼りにならない、イタすぎる性格であることを知っている。
それと、彼はすぐに暴力をふるう。自分の思いどおりにならないと、暴力に訴える。それが、なにより一番怖くてやっかいである。
それを知っているのは、わたしだけ。彼のご両親も、知っていてその暴力に怯えている気がする。
それもあり、わたしは彼を避けまくった。だけど、彼はわたしに干渉し、追いかけまわした。
だからいつも、図書館に行くときには彼に見つからないようにしなければならなかった。
夜中にわたしの部屋の窓の下で自作の詩を読んだり、それに曲をつけて歌ったり、そんな身の毛もよだつようなことをする時期もあった。
彼の歌は、彼の屋敷とは反対側の子爵家の番犬が気に入ったみたいで、彼の下手くそな歌に合わせて遠吠えをしていた。
そんなイタイ彼も、当然体だけは大人になる。
お父様とお母様が亡くなったとき、彼はお悔やみの一つも言ってくれなかった。そして、叔父家族が屋敷にのりこんできて居座ることになったときも、励ましの言葉一つかけてくれなかった。
まぁ、それはそれでいいんだけど。
そして、パタリとわたしの前に現れなくなった。
彼は、わたしの従姉のベアータに目をつけたのである。
彼女もまた、容姿端麗である。
ただし、彼女もまた、いいところはそこだけ。
わたしは、心からホッとした。
これで、鬱陶しい思いをしなくてすむ。煩わされずにすむ。