第五話
「ということは瑞葉さんは神熾からお兄ちゃんに憑りついてここまできた幽霊さんっていうことになるんですか?」
晩飯の野菜炒め(りこ作)を食べながらりこが聞く。
先程から美味そうに肉ばっかり爆食いしている瑞葉がうんうんと大袈裟に頷いた。
「はぐっ、もっきゅもっきゅ……。そうそう、そういうことなんだよ。あ、これおいひー」
さっきからずっと爆食いしているのに皿の中の肉は全く減っていない。これがさっき言っていた『概念を食べる』っていうことなんだろうか。どうも幽霊は自分から働きかけた時以外現実にある物に干渉できないらしい。俺を除いて。
「りこにもちゃんと姿見えてるんだな。見えてない方が個人的に嬉しかったんだが。変なもの見ずに済むし」
「しっかり見えてるよ。触る事は出来ないけどね」
言いながらりこが瑞葉の背中を触ると、水に手を突っ込んだみたいに瑞葉の背中を貫通して体内に入ってしまった。
「ひあっ、ちょ、りこちゃんくすぐったいって!」
「あっ、その、ごめんなさい!」
そんな事を言いながら慌ててりこが体内から手を引っこ抜いた。
どうやら体内に手を突っ込まれるのはあまりいい感覚はしないらしい。いい事を聞いたが肝心の俺が瑞葉に触れてしまうので使える場面は無さそうだ。
「りこちゃんは特別だね。普通の人なら僕の姿はおろか声すら拝む事は出来ないのに」
「私、特別なの? えへへ、嬉しいな」
瑞葉が偉そうにりこと肩を組んで柔らかな頬をぷにぷに人差し指で突きながら言った。りこも満更でもなさそうな表情を浮かべている。まぁ本人が満足ならそれでいいんだけど……いいのか?
「……そういえばさっき久しぶりとか言ってたけどりこはコイツの事知ってるのか?」
首がフルフルと横に振られた。どうやら知らないらしい。
「私は全然知らないよ。むしろどうして瑞葉ちゃんは私の事知ってるの?」
りこが小首を傾げながら聞くと、瑞葉の怪しく光り輝くアーモンド型の目がもっと細くなった。猫みたいだ。
「フフフ、僕は何でも知ってるからね。勿論りこちゃんの事だって何でも知ってるよ?」
瑞葉は人差し指をピンと立てると部屋に飾ってあったフラワーリースを指さした。
「アレとか、りこちゃんの作ったヤツだもん。私作ってる所間近で見てたし」
「そりゃ男はあんなもん作らねぇだろ。ってなればもうりこしか作れる人いねぇし、そんぐらい推理したら誰だって分かる」
「いやまぁそりゃあそうなんだけどさ……」
瑞葉が頬を掻きながら言った。りこはすぐに懐いてしまったが俺は今一つ顔見知りの様な感じで近付いてくるコイツの事を信用しきれないでいた。まさか初見の幽霊を信用しろなんて言われて信用出来る人間はいるまい。
「あ、でもりこちゃん料理本当に上手になったんだね。昔はほら、隠し味とかいって味噌汁にカレーのルー入れちゃうぐらいだったのに。アレを優君に食べさせた時の反応、面白かったなぁ〜」
「ああああ〜! その頃の私は黒歴史なので忘れて下さい〜!」
――成程コイツ、本当に俺達の事を色々知っているらしい。
りこが料理下手だった時期なんて料理を始めたてだったほんの一瞬だ。それ以降は両親が死んだ事もあってめきめき上達していたものだからあの頃のりこを知っているって事は本当にずっと俺達のことを見ていたんだろう。
ただ、俺がりこ作の味噌汁もといめちゃくちゃ塩辛いカレーを食べさせられて悶絶したあの日、家には俺とりこ、そして母親しか居なかったハズだが。何故あの出来事を知っている?
幽霊なんて説明のつかないモノがいる時点で論理的な理由なんて期待できないが、気になるものは気になる。そもそも兄妹二人して知らない記憶があるなんて非現実的な事があるだろうか?
「まぁなんにせよ幽霊にストーカーされてるって時点で気が気じゃないからさっさと成仏してくれマジで」
「とか言っちゃって優君は相変わらずツンデレだなぁこのこの〜!」
わき腹を突っついてくるウザ幽霊は無視して俺は飯をかきこんだ。
ちくしょう。明日になったら神社に行ってお祓いしてもらおう。
「あ、後優君の黒歴史も知ってるよ。優君ってば昔仮面ライダーに憧れててジャングルジムの上から――」
「やめろ俺の話は!」
「うーすおはようございまーす」
翌日。俺は嫌がる瑞葉を無視して許坂神社へとやってきた。
境内に立っていた賢治の父である賢蔵さんと思われる神主装束を着た人に挨拶をすると別にいいのに賢蔵さんは境内を掃除する手を止めこちらへと歩いてきた。
顔は賢治にソックリだ。というより一ミリも見分けがつかない。なんならそこいらを歩いている人間とも見分けがつかない。
息子さん、顔ソックリですねなんて笑えないギャグが頭をよぎったが心の中にしまっておいた。
「やあ、久しぶりだね夏目君。賢治に何か用かな? 今呼ぶからちょっと待っててくれないかな? おーい賢治! 夏目君が遊びに来てるぞ!」
俺の返事も聞かずに恐らく賢治がいるのであろう離れに向かって大声で呼びかけた。
随分柔和な声だがめちゃくちゃ声がデカい。恐らく賢治の大声は父親譲りなのだろう。
「いつも賢治に付き合ってくれて本当にありがとうね。あの子はホラ、見た目で引かれる事が多くて……高校で夏目君と出会うまでずっと一人で過ごしていたから親としては夏目君みたいな真面目な子が友人だと安心なんだよ」
手をこすり合わせながら賢蔵さんは笑った。
賢治の事だから一匹狼気取りで気にしてはいなかっただろうが、中学生の時は地元でも有名な不良だったと聞いている。喧嘩が強すぎて本物の不良グループにも恐れられていたとか何とか。お陰で変な輩に絡まれる事は無かったが一人も友人がいなかったらしい。
と、ここまでが佳奈美から聞いた話だ。中学には俺は殆ど行っていなかったので却って先入観無しに接することが出来たのが性格的に正反対の俺たちが上手くやれてる理由だろう。
「いえ、こちらこそいつも賢治君にはお世話になってます。昨日とかわざわざ家まで送り届けてくれたりしてくれたんで」
昨日の事を感謝しているのはまぎれもない事実だ。兄妹揃って体力のない俺とりこだけなら帰ることもままならなかったかもしれない。
俺の言葉を聞いて賢蔵さんは笑顔をより一層綻ばせ、そして眉を困ったように顰めた。なんとも複雑な表情だ。
「あぁ、またあの子の趣味に付き合ってくれてたんだね。本当に変な事に付き合わせてすまないねぇ。変な場所に連れていかれそうになったら遠慮なく断ってくれて構わないからね? それで事件に巻き込まれでもしたら大変だから」
現在進行形で変な事件に巻き込まれているんですが。というより事件の元凶がさっきから俺の背中にしがみついているんですが。
なんて俺の心の声も知らず賢蔵さんは瑞葉には全く気付かないで再び掃除に戻ってしまった。
どうも賢治みたいに霊感があるタイプじゃないらしい。
(ねぇねぇ、もう帰ろうよ優君。こんなところに居たって意味ないって)
耳元で瑞葉が囁いた。首筋に息があたってちょっとくすぐったい。
どうせ俺とりこ以外の人間には声が聞こえないのだから囁く事自体に意味なんてないだろうけど神聖な場所が悪霊にとっては辛いのだろうか。それとも賢蔵さんにバレるのを怖がっているんだろうか。
(意味ないって事はないだろ。……まぁ別にお前が悪い類のモノじゃないっていうのは何となく分かったからお祓いまではしてもらわないさ。ただ……)
(ただ?)
俺の言葉の続きを待つように瑞葉は小首を傾げた。
(お前が誰なのか、それだけは知りたい。賢治の霊感はマジだからな。霊ってのがどういうものなのかぐらいは教えてもらおうと思って)
(そんなの絶対知らないってあの人~。だって頭悪そうだもん)
駄々っ子みたいにイヤイヤと瑞葉は首を振った。頭悪そうってのは全く同意だし事実ではあるんだけど。
なんて事をヒソヒソ話していると、件の坊主頭が手を振りながらとてとてと走り寄ってきた。
休日は流石に改造制服を着ているワケではないらしい。緩い半袖シャツにさらに緩いズボンを身に着け、足にはサンダルを履いていた。夏休みの小学生スタイルだ。
「おい! お前大丈夫だったのかよ! 大丈夫なら大丈夫で連絡しろバカ!」
そんな親友は駆け寄るや否や俺の頭をポカリと叩いた。
心配してくれているのは有難いが尋常じゃない痛みが脳天を貫く。頭を抱える俺の後ろで瑞葉が心底楽しそうに噴き出す声が聞こえた。人の不幸を喜んでるぞこの悪霊。
「痛ーーーーぅっ! おいバカ、病み上がりに対してなんだその態度は!」
「バカはお前だ! 心配するだろーが! 昨日何回お前ん家に電話かけようと思ったか!」
言いながらさらに近付いてきた賢治だったが、一瞬怪訝な顔を見せたかと思うと一歩俺の後ろに後ずさった。流石霊感持ち。よくぞ気付いた。
「おまっ……何を連れてきた?」
「連れてきたって……。お前にはどういう風に見えるんだ? コレが」
賢治が顔を真っ青にしてさらに一歩下がる。俺の方に差し出した手の先はガタガタと震えていた。
「どういう風も何も……見えねえよ。何も。ただ、すげえ嫌な気配がずっとお前の後ろでしてる。……なぁ、マジにヤバいってこの悪霊。今までこんなハッキリ感じた事、一回も無かったのに」
すげえヤバいだってよ、と俺が瑞葉にアイコンタクトを送ると当の本人は顔を真っ赤にしてプルプル震えていた。どうやら悪霊呼ばわりが気に障ったらしい。
実際悪霊っぽいじゃん。なんて言おうとしたが、そんな俺よりも先に瑞葉が口を開くほうが早かった。
「ボクはッ! 悪霊なんかじゃッ! ないわーーーーーーッ!」
境内に賢治にも負けず劣らずの大声が響き渡った。
どうやら声は聞こえる様でその声に驚いた賢治が腰を抜かして地面にずっこけた。
おぉ、聞こえるんだ。やるじゃん賢治。
ガタガタ震える不良少年とめちゃくちゃ怒ってる幽霊。そんな地獄絵図を見て一人で勝手に俺は感心していた。