第三話
「……っ! ……きてっ! ……起きてよお兄ちゃんっ!」
がっくがっくとりこに身体を揺さぶられて目を覚ました。
なんかこんな事ちょっと前にもあったような……。と半目のまま半覚醒の頭でタラタラ考えていると憎たらしい顔の坊主頭がずんずん俺の方に近付いてきたかと思うと唐突に手を振り上げた。
「起きろ優ーーーっ! 死ぬなーーーーっ!」
「痛ってえええええええっ!?」
咆哮一閃、思い切り頬を平手打ちされて完全に覚醒した。最悪の目覚めだ。耳がキンキン鳴っている。
「死ぬわ! お前の平手で死ぬかと思ったわこんのバカ!」
流石普段から一流の不良目指して筋トレを一日たりとも怠った事は無いと豪語する賢治の一撃は腰が入っていてめちゃくちゃ痛かった。
痛む頬を抑えながら涙目で起き上がった俺にりこがひっしとしがみついてくる。
「お兄ちゃ……っ! よかった……! もう死んじゃうんじゃないかと思って私不安で不安で……!」
ははっ、りこは相変わらず甘えん坊だなぁ――
「……ぐえっ」
震える手で必死に横隔膜を押さえつけてくるものだから息が詰まって苦しい。いつの間にかりこも武闘派になったんだな。お兄ちゃん妹の成長が見れて嬉しいよ。でもこのままじゃお兄ちゃんまた落ちちゃう。取り敢えず手をどけてくれないかな?
「ゼーー、ハァァー……。死ぬかと思った……。一体なんなんだ? 何が起きた?」
りこをなんとかひっぺがして辺りを見渡すと、先ほどまで迷い込んでいた森は霧と共にきれいさっぱりなくなっており俺たちが休憩し始めた山道の真っただ中に俺は倒れ伏せていたみたいだ。右手をにぎにぎするときちんと感触がある。りこの体温もきちんと伝わってくる。どうやら死んだわけではなさそうだ。
身体の方はというと頭がズキズキ痛むだけで大した怪我は無さそうだった。
「夢……か?」
こうして目が覚めた今でも夢じゃない、そう思える程にあの森は真実味があったし彼女の顔は美しかった。……いやでもやっぱ夢かも。随分幽霊らしくない感じの性格だったし。だとしたらどこからどこまでが夢なんだろう?
「霧が急に出てきてお兄ちゃんの返事がなくなって、どこにいったのかと思ったらここに倒れてたの!」
「ちょっと待て一度話を整理してから喋ってくれりこ」
水を飲み飲み、要領の得ないりこの話を纏めて賢治が俺に話してくれた内容はこうだった。
あのすさまじい霧が出始めて休憩し始めて数分、俺が全く会話に参加しない事に気付いた二人が霧の中俺を探し回った結果、俺は階段の下を転げ落ちて気絶した状態で発見されたらしい。熱中症でフラついていたんじゃないかと。
「まぁなんにせよ熱中症だったらマジで危ないしここらで撤退だな。それに何か……すげえ嫌な気配がする」
と言いながら別にいいのに俺をおぶって賢治が立ち上がった。
「嫌な予感って?」
「……なんかわかんねえけど俺結構霊感あんだよ。なんかすげえヤバい予感がする」
霊感あるやつが心霊スポット行くなよと言いたかったが実際俺も寒気をすごく感じているので口を噤んだ。コイツ神社の家の息子だしな。凄い偏見だけど霊感あってもおかしくないだろ。
「ふいー。何とか無事帰ってこれたな。別に骨折とかも無さそうで良かった」
「いやホントにね。気を失って階段から転げ落ちるなんて一歩間違えたら死んでたわよアンタ……」
病院の待合室。ベンチに座っていた俺のとなりで佳奈美がため息をつく。
そして続けざまに賢治に負ぶわれて帰ってきた時は本当に心配したんだから。と頬を膨らませた。
そりゃあまぁ心配かけただろう。佳奈美もそうだがそれ以上に康晴さんに。
佳奈美の父親であり、いつも俺の左腕の調子を診てくれている外科医である康晴さんには本当に頭が上がらない。今日も骨折部位は無いかとか関節に負傷個所は無いかとか脳のCT検査とか全部やってくれた。本当に有難い限りだ。
「で、結局気を失った原因はなんだったワケ? まさか飲酒して気を失ったってワケでもあるまいし」
「いやーそれがなんとも。意外とああいう運動していると突然気を失う人多いらしいぞ。まぁ考えられる線は貧血か熱中症が濃厚かもな。それか霧で段差が見えなくて転げ落ちたか」
「段差が見えなくなるほどの霧って……それ本当に霧なの? 集団幻覚とかじゃなく?」
「集団幻覚なんか見るかぁ普通?」
妙な夢を見たことは伏せておいた。この期に及んでそんな妙なことを言っても心配される事が増えるだけだろう。主に頭の面で。
不思議なこともあるもんだなぁと思いながら受付を待っていると、全身をゾワリとした寒気が襲った。
全身が総毛立つ様な感覚に思わず右手で左肩を擦っていると佳奈美が怪訝な顔で俺の方を見つめた。
「震えてるの? 寒い? 病院だしエアコン控えめにしてるからそんなことないと思うけど」
「いや、どうもさっきから全身重苦しいし寒気もしてな。もしかしたら風邪ひいたせいで倒れたのかもしれない」
「夏風邪? いやねぇもう。ちゃんと帰ったらあったかくして寝てなさいよね」
口調と裏腹に佳奈美の表情は優しい。これがクラスメートからツンデレと呼ばれる所以なんだろう。
「夏目優さんー。受付までどうぞー」
と、俺の名前が受付に呼ばれた。
「じゃ、また今度な」
「夏休みだからって無茶しすぎない様にね。あんまり私に心配かけさせないでよ。あ、それとりこちゃんにもよろしく言っといてよね」
と言いながら手を振る佳奈美に手を振り返し、受付を済ませて病院の外に出る。
外はもう夜だっていうのに昼の間これでもかとばかりに夏の直射日光に照らされたアスファルトから立ち昇る熱気が残っていた。
本来なら外はすさまじく暑いであろうに、やっぱり全身を包む寒気は取れそうに無い。
「風邪……だといいなぁ」
風邪だ風邪だと自分に言い聞かせながらも俺の脳裏にはあの時見た夢がこびりついて離れなかった。
数分ほどで病院から家へと辿り着く。玄関の扉を開けると心配したりこが真っ先に走り出てきた。診察に時間がかかるだろうからと先に家に帰しておいたがその間心配でたまらなかったのだろう。
大丈夫だからとりこを宥めつつ、部屋へ帰りベッドへと飛び込む。滑らかなシーツと身体を押し返すスプリングの感覚が疲労感漂う身体を包んだ。
帰りはかなり賢治が助けてくれたとはいえまさか日帰りになると思っていなかったから本当に疲れた。ここ数年では一番の疲れ具合だ。
「妙な事って続くもんだなぁ……」
と何となく呟いた言葉は誰にも届かず天井に消えた。
何故か賢治が見つけてきたやたら古臭いウェブサイト。そこに載っていた隠しリンクを偶然踏んでしまった俺。そしてそこで紹介されていたのがあの神熾だった事。
——そして本当にこの目で見たかのようにいつまでたっても忘れられないあの女の子の事。もし彼女がクラスメートであれば一目惚れでもしていたんだろうか。
あの女の子は一体誰だったんだろう。アレが夢だったとして、This manじゃあるまいし知らない女の子があんなに鮮明に夢に出てくる事があり得るだろうか? 顔を認識出来ないハズの俺がハッキリとあの子の顔は思い出すことが出来る。そんな子の顔を俺が忘れるハズが無い。
「――死んだ人ともう一度出会う事が出来る奇跡の場所――」
あのサイトに書かれていた一文だ。別にあの胡散臭いサイトの内容を信じているワケではないが、それにしても不気味だった。
俺の周りで死んだ人なんていくらでも思いつく。あの飛行機に乗って生きていた人間の方が圧倒的に珍しいのだから。
仮にそうだったとしても、彼女と俺は面識が無い。あんなに可愛い子が知り合いにいたら嫌でも覚えているハズだ。……でも彼女は俺の名前を知っていた。すると彼女は一体誰なんだ?
「……ううん、全く分からん。やっぱ夢だろアレ……」
まぁアレは夢だったんだろう。というより夢じゃなかったら説明がつかない。
おおかたこのクソ暑い中あんな伝承を知りながら悪夢の地に行ったせいで変な夢を見たんだろう。
そう思うことにして俺はベッドに寝転がった。
僅かに暖かいタオルケットが俺の身体を包む。もう今日は何もなかったことにして休もう。願わくばあんな恐ろしい夢は二度と見たくないものだ。
「夢かなー。夢じゃなかったらいいね」
――その声は俺のすぐ耳元から聞こえた。
「ッ!?」
知らない声だ。
俺は咄嗟に飛び起きて枕元の方を振り返る。
「……な、なんだ!?」
――そこには誰も居なかった。今、確かに声は聞こえたのに。
「違うんだなー。そっちじゃなくて、上。上だよ。ボクは。」
声に誘導されるがままに上を向く。
そこにはいつも見慣れた天井と――夢の女の子がフワフワと浮いていた。