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第57話 真意

「まずは……そうね。円城瓦君、私の歌聞きたくない?」


 麗佳が指をさした先には、カラオケセットがあった。




 ラブホテルに何故こんなものが……と思ったが、一部の好事家にはレクリエーション施設としての需要もあるそうだし、こんなものも置かれているのだろう。






「いや、今更そんなもの……それより話を反らすなよ」




「説明に必要なのよ。少しだけ歌うわ。良いわよね?」


 俺が仕方なく頷いたのを認めた後、麗佳はカラオケセットの操作方法に戸惑いながらも、やがて曲を入れる。






 流れてきた曲は俺が全く知らないものだった。だが、映像には麗佳詩羽の名前が入っている。きっと彼女が歌姫として歌ってきた曲の一つなのだろう。






 数秒のイントロの後にマイクを握った麗佳が歌いだした。






 俺は曲や歌声、歌手としての力量なんて全く判別できない。普段からあまり曲を聞かない方だし、人気の歌手や曲なんてさっぱりだ。俺ほど音楽に親しみのない高校生はそうはいないだろう。






 そんな俺でも分かる事がある。




 それは目の前で歌っている麗佳詩羽という少女が、圧倒的な実力を持った歌手であるという事が。






 堂に入った姿勢、儚くも、さりとて自然と耳に入ってくる、いつまでも聞いていたい綺麗な歌声。腹に響いてくる声量。






 そして、それ以上に詩に込めた想いが強く、強く伝わってくる。




 彼女という存在が、詩という形で入ってくる。心地良い空間が生まれ、そこにずっと浸っていたいと思わせる。そんな説得力が彼女の詩にはあった。


かつて俺は舞島との戦いで勝負を有利に運ぶ為、麗佳詩羽のCDを校内放送で流した事がある。


あれも間違いなく惹き付けられたが……今、それ以上の感動を俺は覚えていた。


こんなにも違うのか。俺は彼女の歌姫としての力に圧倒される。




 やがて麗佳は恐らくは曲の一番を歌いきった。そして、二番に差し掛かろうというその時。




 不意に麗佳はまるで嘔吐するかのように口を抑えると、何度も咳をしてしまう。




 さっきまでの心地の良い空間は突如として消え去った。麗佳は何度も咳をした後、ゆっくりと呼吸を整えた。






「……ごめん、なさい。聞き苦しくて」


 涙目になる麗佳に俺は、聞いた。




「もしかして、何か、その、病気とかなのか?」




「お医者様曰く、精神的なものらしいわ」


 自嘲するかの如く麗佳が鼻で笑った。






「前に言った事があるわよね? マネージャーさんとの間に熱愛疑惑が浮上した結果、マネージャーさんが退職する羽目になったって」




「ああ、確かそれで炎上した事が活動休止の理由だって……」




「それね、実は半分は本当だけど、もう半分は嘘なの」




「嘘……?」




「ええ、活動休止に至った理由は実はもう一つあるの。……歌声がね、続かないのよ」




「……それは一体いつからなんだ?」

 聞かずとも察する事が出来るが、一応とばかりに確認する。


「マネージャーさんとの熱愛疑惑が出てから、その後すぐかしら」


「……やっぱりか」


「あの時からね、皆が私に対してどう思っているのか。それを気にするようになってしまったの。私への話題は色々な場所で語られていた。SNS、ネットの掲示板、まとめサイトとか色々ね」


「……酷いもんだっただろ」


「勿論、私の歌っている曲が好きだとか、そういう意見もいっぱいあった。でも、それ以上に酷い事ばかりが書かれていたわ」


 ああいった場所を見ると、批判や中傷なんて当たり前の事だ。人格否定やある事ない事言い合って盛り上がる。ネットでお互いに顔を知らずにやり取りできるようになった事の弊害だ。


 便利になる事は必ずしも良い事ではない。麗佳も勿論だが、有名人になればなる程、批判の的になるのは仕方のない事という認識が世間の間で流布されている。


 そして、批判を言う連中はそれを当たり前の事として受け入れろと言ってくる。


つまり民衆による批判の炎を受け入れ、焼かれ続けろと本気で言っている。無茶苦茶だ。


それを普通に受け入れられたとしたら――――そいつは本当に正常な人間のままなのだろうか。



「それでね、だんだんと歌うのが怖くなっていったわ。応援してくれる人ももしかしたら……と思ってしまうの。それがいけない事だって分かっているけれど……でも」


 勿論、そんな事を言う者はごく一部だ。ただし、それで割り切れる程、人間は完璧にはなれない。麗佳もきっと、そうなのだろう。


芸能人やスポーツ選手などの有名人、各分野の先生、その他諸々……。彼らは人間で、文句を言われれば落ち込む。怒る。悩む。泣く。


当たり前の事、なのに。


「そんな事を思っている内に、歌えなくなっていった。さっきみたいに歌っていると声が出なくなっていく。歌手としては致命的だわ」


「だから……それを治すつもりなのか? 神様の願いで」


「……いいえ、違うわ」

 麗佳はやがて、こう言った。


「私は歌手になった事実そのものを消そうとしているのよ」


「……なんだって」


 俺はこの時、どんな顔をしていただろうか。



 一方、麗佳は悲しそうな顔をしていた。哀しそうな顔をして、表面上では仕方なくとばかりに笑っていた。



「私が歌手になって人気が出た事で色々な事が変わった。たくさんの期待が向けられているのが分かる。事務所、ファンの皆、家族とかね。そんな人たちを裏切りたくない。がっかりさせたくない。そういう気持ちも勿論あるわ。けれど、その一方でたくさんの批判がある事も知ってしまった。そして、歌えなくなってしまった。このままだと私は皆を裏切る事になる」


「だったら……最初から全てを無かった事にしようってのか?」


「ええ」

 麗佳は頷いた。



「あの時、オーディションに応募していた事実そのものを消してしまえば、全ては丸く収まる。私は普通の女の子で、期待も、そして批判も全てがなくなる。私を担当した事で仕事を辞める事になってしまったマネージャーさんも仕事を辞めないで済む。そうでしょ?」



「お前は……お前はそれで良いのか? なかった事にして」


「仕方ないのよ」

 諦観が言葉に節々に現れる。そして、声にはさっきの歌のような張りはない。


 それだけで彼女の、麗佳詩羽の気持ちが分かってしまう。



 彼女はもっと歌いたいのだ。けれど歌えない。



 そんな矛盾を、炎上によって塗りつぶそうとしている。



 そんなの――――あんまりだ。


「それよりも円城瓦君。貴方は私を怒らなくて良いの? 私は貴方を利用したのよ?」


「……怒っているさ。けれど、俺を利用したとかそんな事はどうでも良い」


 俺が怒るとすれば、それは麗佳が選んでしまった理不尽な選択についてだ。


 全てを無かった事にするから、今どれだけ炎上しても問題ないーーーーそんな訳がない。


 だってこれから麗佳は傷つき続ける。そんな地獄の選択を良しとしてしまった。そんな麗佳の選択に怒りは覚える。


 けれど、それは同時に俺という存在の不甲斐なさにも怒りを覚える。


 何故なら天城麗という化物を倒すにあたって、俺という協力者が頼りになるのであれば、きっと麗佳はこれほどの事をしなかった。


 麗佳には確実に叶えたい強烈な願いがあった。だからこそ自分を犠牲にして、ここまで強引な手に打って出たのだ。


だからーーーー結局のところ俺にこいつを糾弾する気にはなれない。


「やっぱり円城瓦君は優しいわね……。円城瓦君、今日はありがとう。騙していた事は謝るけれど、一緒に出かけられて良かったわ。とても楽しかったもの」


「……どうだかな。また、嘘吐いているんじゃないのか」


「これは正直に言うけれど。例え目的が他にあったとしても、こんな所に男の子を誘ったのは貴方が初めてなのよ。……貴方で良かったと思っているわ」


「…………」

 なんて、なんて悲しい称賛だろう。


 俺が自分を認められるようになったのは、こいつのお陰でもある。


 だから、相手からの褒め言葉も少しは受け取れるようになった。



 

 でも、今まで以上に、麗佳からの賛美の言葉を受け取れない。



「……もう目的は達したわ。だから、改めて言うけれど」


 麗佳はベッドにごろりと寝転がり、そして口にした。


「本当に…………する? 貴方なら良いわ」


「……お前、冗談でもそういう事簡単に言わない方が良いぜ、マジで」


 マジで乃雪からアレ(0.1mm)受け取ってないで良かった。


 下手したら流されていたかも知れんわ。危なかった、マジで……。


「……言っとくが、俺は認めないからな。そんなの」


「……うん、ありがとう」


 力なく麗佳は頷いた。




 こんな――――こんな悲しい選択を俺は絶対に受け入れられない。



 だって、麗佳は納得していない。


 それに……いや、これはエゴである事を俺は知っている。しかし、それでも俺は思う。



 さっきの、麗佳の歌う姿はこの世のどんなものよりも綺麗だった。少なくとも俺はそう思った。



 そんなものが、こんな――こんな理不尽な炎上に負けている姿なんて、俺は決して見たくない。



 ならば――――どうすれば良い? どうすればこの理不尽を、変えられる?

 

 そんな風に俺は、自分の中に疑問を投げかけつづけるのだった。

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