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第39話 太一の過去Ⅰ

「乃雪を守れるような、立派な兄として努めなさい」

 幼い頃、よく俺は父からそのような事を言われていた。


 これを言う時は決まって父が俺を叱る時だ。まだ幼かった頃、俺は妹とはさほど仲が良くなったからだ。


 俺たち兄妹は物心つく前に母を病気で亡くしていた。母が亡くなる前から父は忙しい人で、俺は父と遊んだ記憶は数えるくらいにしかない。


 しかし、母はよく父を「立派な人だ」と褒めていて、その事から幼い頃の俺にとって父は目標であった。


 父のようになる為に俺は勉強は勿論、地域のスポーツクラブでも今の俺とは比べ物にならないくらい優秀な成績を収めていて、教師からは褒められ、同級生からは羨望の眼差しで見られる事が多かった。神童だと讃えられた事すらあった。


 一方、乃雪はと言えばお世辞にも優秀な子どもでは無かっただろう。


 乃雪は小学生低学年で早くも勉強に躓くだけでなく、かなりの人見知りで、周囲からは鈍臭い子だと見られがちだった。


 そんな乃雪に対して俺が冷ややかな目を向けた事は一度や二度ではない。兄としての立場上、妹を気にする一方で「どうしてあんな簡単な事ができないのだろうか」などと下に見るような素振りすらあった。


 けれど妹は俺に懐いていた。それを鬱陶しく思った事もそう珍しい話じゃなかった。



 それを発端に妹を泣かせてしまった時に父は俺を叱り、先の言葉を言い聞かせた。


「乃雪を守れるような、立派な兄として努めなさい」――――父の言葉だからこそ受け入れたものの内心では少々疎ましく思っていた教えの一つだ。


 一方で父は俺の成績やクラブ活動他での活躍を褒める事はなかった。そもそも一緒に会う時間なんてほとんどなかったし、精々家に定期的に来てくれているハウスキーパーさんを通して表彰された事などを伝えるだけだった。それが父に伝わったかも定かではなかった。


 けれどいつかきっと父は俺の頑張りを褒めてくれる。その一心で邁進し続けた。



 そんな日々が続き、中学生になった頃の事だった。


 俺は難関中学を志望したものの、その試験に落ちてしまった。


 正直、落ちるとは露ほどにも考えていなかった俺は、自分に対して酷く落胆した。驕りがあったのも確かだし、油断もしていたのだろう。それでも俺は落ちるとは考えていなかった。進学する事になったのは滑り止めで受けていた有名私立の中学校で、それなりに格式の高い幼少中高大学までのエスカレーター式マンモス校。


 周囲からはそれでも褒められたが、俺にとってはそんな賛美など何の価値もなかった。


 挫折と言う挫折を味わう事もなくひたすら高慢な子どもとして育った俺にとっては、その失敗は世界を黒く塗り替えてしまうほどの出来事だった。


 俺は父のようになれないかも知れない、そんな自分に一体どんな価値があるのだろうか、と本気で考えていた俺を救ってくれたのは誰であろう乃雪であった。


 ある日、乃雪は俺の部屋の勉強机に毎日手紙を置くようになった。


 最初は手紙なんて読む気にもならなかった。落ちこぼれの妹ごときの手紙を読んだところでどうなると言うのだ、どうせ下らない励ましの言葉が書かれているに違いないと心底馬鹿にしきっていたからだ。


 だが、乃雪は毎日手紙を置き続けた。妹に対して引け目を感じて読んだフリをして手紙を隠そうとも、乃雪からの手紙は絶える事がなかった。


 一ヶ月が経った頃、俺は戯れに乃雪の書いた手紙を開いていた。どうせ下らない、ともすれば高慢な兄に対する嘲笑が書かれていてもおかしくはない。


 そんな疑心暗鬼の中で乃雪の書いた手紙に目を走らせた俺だったが、そこには煤けた新聞の切り抜き写真が同封されていた。


 それは俺が小学校低学年の時に地元の習字大会で金賞を受賞した時の記事だった。ほんの小さな記事で俺の載っている欄なんてほとんどなかった。だが、俺の事が記述されている文章には細かくマーカーで塗りつぶされており、その横には汚い字で「すごい、おにーちゃ」とだけ書かれてあった。


 それが最初の手紙の内容だった。「……これだけ?」と思ったのは束の間の事だった。次の手紙にはまた俺の事が書かれてあった。次はあろうことか校内新聞の切り抜きで、俺が学力テストにおいて全国上位に入った事を讃えた内容だった。


 そのような俺を紹介した記事が手紙の一枚一枚に同封されていて、その全てに妹は感想を述べていた。かと思えば地元のサッカークラブでの活躍を紹介記事風に乃雪自身が作成したものもあった。そのような記事は新しいものになっていくに従って、内容や字が乃雪の歳相応に洗練されていった。


 乃雪はずっと俺の活躍を見続けていたのだ。父に褒めて貰おうと努力していた一方で、ずっと俺の努力を認めてくれていた人が近くにはいた。


 俺は手紙を持って彼女の部屋を訪れて、今までの非礼を詫びた。彼女をずっと心中で蔑んでいた事も告白してしまった。


 乃雪が賛美し続けた兄は所詮こんな人間なんだと、乃雪にそれ程の事をしてもらえる人間ではないのだと知って貰おうとした。


 すると、


「ノノはにぃの凄いとこ、いっぱい知っているよ。だってずっと傍にいたんだから。にぃはノノと違って凄い人でヒーローなんだから。だからそんなに自分を責めなくて良いんだよ」


 と乃雪は笑顔で、そんな事を口にした。



 俺はようやく父の教えである「乃雪を守れるような、立派な兄として努めなさい」という教えを心の底から受け入れた。


 いや、父の教えなどではなく、そうでなくてはならないと思った。


 これだけ自分を見てくれていた人を裏切ってはいけない。そう思えたのだ。

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