第3話 炎上勝法
「ほら、ほらほらほらほら! 逃げないと死んじゃうわよ!」
回想から戻ってきて放課後。
俺は姫崎の攻撃から逃げ続けていた。
正確に言えば姫崎はすんでのところで俺にトドメを刺さなかった。
彼女にとってこれは狩りだ。圧倒的弱者をいたぶり、その弱者があがき、苦しみ、もがく様を眺めるエンターテインメント。
現在、彼女とのフォロワーの差は歴然。それが勝敗の差を分けている。
蟻が決して象には勝てないと彼女は知っている。
だから今も無防備な姿で、ゆっくりと歩きながら俺に近づいてくる。
その最中、姫崎はそこらにある物を気まぐれに破壊していた――――瞬間、破壊された物は真っ白な光を帯びながら即座に修復されていく。
学校を舞台にしているとは言ったものの、そこは周囲への無闇な影響が出ないようにしていると言ったところか。神の力様様だ。その力で是非とも俺の黒歴史とか人間関係とか色々修正して欲しい。最早修正不可能かもだけど。
俺は廊下の隅に隠れ、彼女の姿を遮蔽物の隙間から眺めた。
瞬間、悲鳴を上げるかのような音が遮蔽物から聞こえ、形がひしゃげる。そのひしゃげた部分から丁度俺の顔が覗いた。
「みーつけた」
気味の悪い口調の姫崎。どうやら遮蔽物がひしゃげたのは彼女がこちらに向かって椅子を投げたためであったらしい。
尋常ではない速度で放たれるその椅子は、俺を穿たんと襲ってきた。
このまま廊下を進めば間違いなく後ろから椅子を投げられて死ぬ――――そう思った俺は近くの教室の中へとなだれ込む。
だが、教室から逃れる術はない。現在は四階。俺の現在のフォロワーレベルで四階から飛び降りても大丈夫か否か、そんな事を考えているうちに彼女はすでに教室の入り口に立っていた。
入り口のドアを破壊して入ってくると、教室中を舐めるように眺める。そして俺の姿を見つけた。まあ教室の中に隠れる場所などないから当然の事だ。
「さぁーて、イジメられる準備は整ったかしら?」
姫崎はオモチャを前にした子供のような笑顔で笑う。
そして――きっとこれ以上逃げられないように――脚を狙って椅子を投げてくる。爆速で投げられる凶器だ。俺の力では避けられる筈もないし、絶望で泣きわめくかも知れない。きっと姫崎はそう思ったのだろう。
姫崎の予想通り穿たれた椅子は俺の脚に命中した。跳ねた椅子は勢い止まらず教室中を飛んだ。
ただ、ここから後は姫崎にとって想像だにしない事であっただろう。
なぜなら超人的な速度で放たれた危険極まりない椅子の弾丸を受けても、命中した俺は痛がるどころか平然と立っていたからだ。
「は? 今当たったよね、なに、どういう事?」
続いて姫崎は机を俺に向かって投げる。形がひしゃげる程の速度で投げられた机は俺の顔面を捉えた。
だが、ダメージを負ったのは俺じゃなく、むしろ机の方だった。
机は俺にぶつかった事で天板の部分が砕かれ、机としての形を保てずにそのまま地面にぽとりと落ちた。
「え、へー……、まだ、そんな力があったんだ? じゃあこれならどうよ?」
姫崎は手刀で椅子を支える脚の部分を切り落とす。鋭角になるように斬られた切断面は先が尖っていて、槍のような形状を成していた。
そして、姫崎はそれを俺に向かって投げる。狙うは太ももの部分。当たれば太ももを貫通して致命傷にもなり得るもの。それを彼女は思い切り、力の限り投げ込んできた。
ただし、俺はそれをなんなく空中でキャッチしてみせると、半回転して勢いそのままに投げ返した。
投げ返された「槍」は彼女の顔の真横を通り過ぎて黒板に直撃した。半分ほど黒板にめり込んだ椅子の脚だったが、黒板に埋め込まれなかった部分の形状はプレス状に押しつぶされたかのように圧縮されていた。
「え……うそ、なに、いまの?」
きっと反応する事ができなかったのだろう。姫崎は我に返った途端、取り乱し始めた。
「は!? どういう事? なんであんたなんかが、あたしにできない事ができてる訳!? そんな訳ないじゃん! あたしのフォロワー見なさいよ! あたしはクラスの人気者で、みんなからチヤホヤされて! それでいて、あんたなんかとは比べ物にならないくらい凄くて――――は?」
俺はおもむろに肩まで袖を捲し上げてみせた。そして、俺の幾何学模様を見た姫崎は声を失った。
「フォロワー……十万超え……?」
姫崎のフォロワーは精々、一万を超えているかどうか。俺との戦力差は歴然だった。
「は、ちょっと待って!? なんで? さっきあんたの信奉力は千にも満たない雑魚中の雑魚だったじゃん……。それがなに、十万……? 人気者のあたしだって三万くらい、陰キャのあんたにそんな数字が出せるはずがない! さ、詐欺よ、ズルよ! そんな事、あるはずがない!!」
姫崎の言っている事は至極当然だった。
俺が彼女よりも人気者である筈がない。
学園中の嫌われ者で、底辺で、カースト最下位のアンチ青春論者。
そんな存在こそが俺、円城瓦太一。それこそは疑いようのない真実だ。
しかし、この勝負は人気者が有利でこそあれ、勝てない訳ではない。
なぜならこのバトルロイヤルの強さの秘訣は、注目度であり、決して人気ではないからだ。
「姫崎」
「気安く呼ばないでよ、キモ瓦の癖に!」
新たに聞いたあだ名に少し怯えそうになるも、どうにか耐える。陰キャは陽キャよりもあだ名が付けられやすい。無論、悪口でだ。
「学校でのグループラインとかってあるだろ? ちょっと見てみろよ」
怪訝な顔つきを見せつつも、姫崎は持っていたスマホを慣れた手付きで操作し始める。さすがはリア充。俺ならラインなんてアプリ開く事すらできない。なんならラインなんてアプリインストールしていない。陰キャには不必要なものだ。と言うより連絡先に身内しかいなくて携帯電話が要らないまである。陰キャってエコだよね。皆も陰キャ目指そう。
「グループの未読五百件とか溜まってんじゃん! もう話題乗り遅れるとか最悪! いつもなら反応して存在感とかアピールする……のに…………?」
言葉尻が徐々に小さくなると同時に画面をスクロールしている人差し指が目に見えて早くなる姫崎。
きっと気づいたのだろう、俺の仕掛けに。
「は? あんた、ネットで炎上してんじゃん……『円城瓦、キモ』『円城瓦通報したわ』『停学どころか退学決定じゃね、これwww』…………みんな、通報したとかめっちゃ書き込んでるんですけど……」
そんな彼女の言葉に俺は仕掛けた策が嵌っている事を核心した。
俺は放課後になる前に、とある写真をネットに流していた。
その写真とは俺が飲酒しているかのような、そんな写真だ。
俺は学園の中で一番、嫌われている。その自信がある。
ただし、そんな俺でも、日々24時間嫌われている訳ではない。
嫌われ者でこそあれ、普段の俺を気に掛ける学園の生徒はそれほど多くはない。
どれほど疎んじていたとしても、普段の俺は無視されるだけの存在。
人を嫌うと言うのはそれなりのエネルギーを要する。虐めに発展していれば嫌われ者が絶えず攻撃されるのは勿論だが、このご時世では虐めをするのもそれなりにリスキーだ。
となれば普段の嫌われ者はとことん放って置かれる。存在しないかのように扱われる。
みんな、嫌われ者を365日24時間ずっと嫌う程、暇ではないのだ――――特に学園生活を謳歌しているようなリア充は。
だが、嫌われ者の俺に「付け入る隙」が出来たとしよう。
例えば飲酒をしているなんて分かりやすい違反行為に手を染めているとしたら。
そうなった場合、周囲のエネルギーは全力で俺を貶めるだろう。
嫌われ者は周囲から常に粗探しをされているのだ。
なぜなら叩き甲斐があるから。
さらに叩かれている者がいれば、そこに「叩いて良い」という免罪符が生じ、無関心を貫いていた者達からも一斉に叩かれるようになる。
そうする事によって普段は無視されていた嫌われ者は、非難をされる事によって注目される。「その時」だけは話題の中心になれる。注目度も当然跳ね上がる。
きっと今頃俺の”行い”を教師に密告している者もいるだろう。警察に通報している者もいる。そいつらはきっとグループ内では英雄扱いだ。
話題は話題を呼ぶ。悪名だけなら学園での認知度が高い俺は、ちょっとした話題の種、スキャンダルには持ってこいだ。
当然だが、そうなるように策を仕掛けた。
今現在の俺の注目度がそれを物語っている。
クラス内の姫”ごとき”に負ける筈もない。今や俺がクラスどころか学園の中心なのだから。
それに俺は”炎上”なんて気にしない。
普通、集中非難である“炎上”を避けたがるのは、自分の地位を気にしているからだ。
非難轟々を受ける事によって通常、人は地位を転落する事になる。
会社所属なら転属する事になるし、場合によっては解雇の憂き目に遭うだろう。学生ならば生徒間による情報共有によって結果的には村八分的な扱いを受けかねない。
だが、俺はそんな事気にしない。元々俺が嫌われ者である事は変わらないのだから。
「そういう訳でしばらく燃え続けるだろうから、皆が飽きるまでは俺のフォロワーは高いままだ」
「は、はぁ!? ウソでしょ? この戦いに勝つために酒飲んだっての!? 分かってる? それって法律違反よ、法律違反! あんた、あたしに勝ったとしても停学とかなんじゃないの? 進学とかどうすんの? 人生パーでしょ、これ馬鹿すぎじゃない? 当然あたしだってチクるしね」
悪足掻きとばかりに騒ぎ立てる姫崎。
そんな彼女に向かって俺は口を開く。
「悪いがそれは無い。その炎上騒ぎのネタになっている写真なんだが――――実は合成だ」
「は!? ウソでしょ、だって皆言ってるよ! こんな綺麗で合成は有りえないって! ほら、解析班とか出てるじゃん!」
姫崎はグループラインにて上げられたのだろう、画像データを見せつけてくる。
画像データはいかにも検証しましたよ、と言わんばかりに色々な箇所に解説文字が入っていた。さらに中学時代の卒業アルバムから引っ張ってきたであろう頬の拡大画像と、炎上騒ぎに使用されている画像が並べられている。
「これ見たら合成じゃないって! それに頬の辺りにあるホクロが一致して…………あ」
姫崎は俺の顔を見て気づいたようだった。
――――俺の顔にホクロなんて無い、と。
「これ、ほんっとに綺麗に出来ただけの合成写真……? 誰よ、こんな暇な事すんの……有りえないでしょ、こんなの」
おそらく姫崎が確認したグループラインの画像データもどこからか拾い上げられたモノを誰かが戯れに張っただけだろう。すでに解析画像とやらの製作者を突き止める事は難しいはずだ。
まあ俺は俺にとって都合の良すぎる画像データを作る職人に心当たりがある訳だが。それを今、口にする意味は特にない。
「じゃあ――――」
「ちょ、ちょちょっと待って!」
俺が一歩前進すると、状況を察した姫崎は叫び声を上げる。
「あんた、女の子に手あげんの!? それってどうなの? 心痛むわよね、普通さ!」
「傷まないでもないが、目的のためだから」
もう一歩進むと、さらに姫崎は金切り声を上げる。
「いやいや、ホント有りえないし、マジキモい。そんなだからあんた学校中から嫌われてんじゃん! そういうとこだよ、ホント!」
「反省しないでもないが、今は関係ない」
さらに進むと、姫崎は手を思い切り前に出す。
「これ以上近づいたら、あんたに襲われそうになったからって言いふらすからね! それでも良いの!? あんたの評判ガタ落ちになるよ」
「今以上に評判落ちる事があるなら、好きにすれば良い」
「ウソでしょ!? じゃ、じゃあさ! あたし達協力し合おうよ! 一人で戦うより仲間がいた方が戦いやすいって、ゼッタイ! ね、ね! あんたもそう思うでしょ!?」
「――――仲間、か」
それはある意味、俺の期待していた言葉だった。
俺には仲間が必要だ。それは間違いない。
“こんな”戦い方の特性上、限界があるからだ。
そして、俺は口を開く。
「姫崎。お前からは毎日意味もなく嫌がらせされてるし、俺を心底見下しているのも知っている」
「え、いや、その……それは、ちょっと……ううん、分かった。ごめんなさい! ほら、謝った、謝ったから! 今後は仲間としてうまくやっていこーよ、ホント!」
「いや、そんな事しなくて良いよ。俺は別にそれくらいなんとも思っちゃいない。過去に『あんな事』をしでかした俺みたいな奴は嫌われても当然だし、今後も嫌われるくらいが丁度良い」
「え、じゃあ――――」
「でも」
俺は言葉を続けた。
「こんな事あまり言いたくないが……、クラスの“姫”程度のリア充が今後の戦いで勝ち残れるとは思えない。仲間になるメリットがないんだ」
そんな俺の歯に衣着せぬ物言いに姫崎は、
「は、はぁ! 糞陰キャの癖にこのあたしに何言ってんのよ、このカス! 調子扱いてんじゃないわよ! 糞が、糞が糞が糞が糞が糞がぁ!」
等とせっかくの化粧も台無しにせんばかりに青筋を立てて怒声を上げる。
最早、言葉を交わす意味はない。俺はせめて一撃でと彼女に向かって借り受けた神様の力を振るおうと試みる。
その瞬間だった。教室の黒板が捲れ上がる。
現在、高まりに高まったフォロワー力により底上げされた俺の動体視力は、捲り上がった黒板の先にいる人物を捉えていた。
黒板の向こう側にいたのは上段回し蹴りを放っていた少女で、特徴的なのはその美麗な顔立ちだ。
意志の強く灯った瞳は、とても快活そうな印象を与える。茶髪のショートヘアも、そんな印象によく似合っていた。そんな中、艶のある唇が女性らしい色気を放っていて、快活そうな印象とのギャップでドキリとさせられる。スラリと伸びた手足は彼女が美人である事を殊更に印象づけた。
基本的に学園の人間に対して興味の欠片もない俺だが、その人物の事はかろうじて知っている。
麗佳 詩羽。それこそが彼女の名前。
学園のマドンナにして世間でも知られた芸能活動を営む超高校級のリア充。
きっと俺とは関わる事のないと思っていた人種。
そんな奴がこの場に降臨した。
これによりこの場はクラス内の姫 VS 超高校級のリア充 VS 青春アンチの底辺陰キャという三つ巴の戦いとなった。
……俺だけ場違い過ぎない? そんな事を考えずにはいられなかった。