襲撃 2
5
その頃、第二防衛ラインでは、
『はぁぁぁぁっっ!』
白い霊子駆動「フルミニス」が、紫電を纏う大剣を振りかざし、黒い球体から六本の銀の腕を生やしたような奇怪な姿の喰精に向けて斬り掛かる。
喰精は地に着いた腕の内2本を振り上げ、真剣白羽取りで剣を受け止めた。だが、攻撃はここで終わらない。
「フルメル。いくよ!」
コックピット内で仁がレバーを押し込むと、その上に英語書かれたホログラムのパネルが表示される。その中の一つを素早く選択し、タップ。
その瞬間、機体の両腕に緑色の光が流れ、それはそのまま手を伝って大剣に電光が走る。そして、
「ガギシャァァァァッ!」
剣と喰精の手の間で激しい閃光が瞬き、敵の体に高圧電流が流れる。その一撃にたまらず悲鳴を上げ、手を放して後退する。
「よし、効いてる」
コックピットの中で仁はガッツポーズを取った。
霊子駆動の最大の攻撃手段、魔法。
霊子の流れを操作することで、精霊の霊子が持つ情報から超常現象を引き起こす機能である。
『油断しちゃ駄目よ。追撃するわ』
コクピット前方に填められたエルフォンからフルメルの声が発せられる。
すると、仁の操作なしにフルミニスは敵に向けて突進する。
「そうだね。何としてもここを死守しないと……」
そう言って、仁は背後の抉り取るように破壊された壁に目をやる。穴の開いた壁から
は、何体もの小型喰精が押し寄せている。
下の方で戦っている隊員の姿も見えるが、押され気味だ。
「くっ、また……」
『今はこっちよ。あっちは地上の部隊に任せなさい』
「うん」
仁は眼前の敵に向き直る。見ると、連続剣によって喰精は随分後退している。
「よし、このまま魔法で一気に……」
その時だった。先ほどまで二本の腕で攻撃を続けていた喰精が、急に六本の手で大地を掴んだ。
「何だ!?」
『!……仁、シールドよ』
敵の行動から何かを察したのか、フルメルは静かに指示を出す。
「ああ」
右手に持ったレバーを押し込んで右に捻る。すると、フルミニスの左腕に六角形の光の障壁が展開された。
そうしている間に、敵の六本の腕を赤い光が流れ、中心の球体に向けて収束していく。
次の瞬間、赤い閃光が瞬く。
『「!!」』
気付くと、フルミニスは後方へ吹き飛ばされ、彼らと直線状にあった木々や建物が跡形もなく消失していた。
『そんな……仁、大丈夫?』
「……」
フルメルが安否を確認するが返事がない。
『仁、仁!』
二度、三度の呼びかけにも応答しない。
『くっ、司令部。こちらフルミニス!』
『こちら司令部。どうした?』
『パイロットの意識不明。緊急脱出装置を作動させてください』
『了解した。だが、君はどうする?』
『私は一人でここを防衛します。その間に援軍の手配を』
『承った』
回線は切断されて間もなく、神機外装の背部が開き、銀色の球状の物体がフルミニスから分離されて後方へ射出された。
無事、機体からコックピットが分離されたのを確認し、フルミニスは敵の方を向き直る。
『さて、私はこの化け物をどうにかしないとね』
6
その頃、
「ヴァァァァァッ!」
遭遇した喰精に対して、コウは容赦なく拾ったライフル銃で攻撃する。
彼の周りには倒れた数名の隊員達と銀色の破片。ここで激しい戦闘が行われていたのは言うまでもない。
「……」
コウは遺品である銃を遠慮なしに使い、残った数匹の喰精を屠った。
眼前の敵を一掃した後、コウは一息ついて銃を下ろした。その時、上空で閃光が巻き起こる。
「何なんだ今の?」
目を擦りながら、上を向くと、上空を飛ぶ奇妙な物体を目にした。
金属の球体が不安定な軌道でユラユラと落下していく。フルミニスから射出されたコックピットだ。
「あれは……」
コウは進路を変えて、落下した球体の方へ向けて走った。しばらく走ると、街外れの雑木林の中にそれは落ちていた。コウは迷うことなくそれに近付き、訓練通りの手順でハッチを開き、中からパイロットを引っ張り出した。
「仁、大丈夫か?」
仁の体は見るからにボロボロで、パイロットスーツはところどころ破れ、全身に傷、特に口の中が血で真っ赤になっている。コウが何度か彼の体を揺するも、仁は目を覚まさない。
コウは焦ることなくすぐさま脈を取り、まだ脈拍があることを確認する。呼吸もしている。取り敢えず心肺蘇生の必要はないと冷静に、あまりに冷静に判断したコウは、仁を地面に寝かせ、気道を確保。もう一度体を揺すり、何度か呼びかけると今度はゆっくりと、仁は目蓋を開いた。
「……こ、コウ?」
虚ろだった目に徐々に光が戻り、意識が覚醒してゆく。
「気が付いたか」
「うん。ありがとう……何でここに」
「こっちにも奴らがやってきてたんだ。だからこっちはどうなってるんだと」
「ダメだろ。君は非戦闘員なんだ」
「そうだな」
コウは仁の言葉を話半分に聞き流し、コックピットに乗り込む。
「これ、回線は使えるのか?」
「コウ! 君は……」
コウは無視して、コックピットに装着されたエルフォンを操作した。すると、
『何故あなたがここにいるの?』
エルフォンにフルメルの姿が映し出され応答した。
「フルメル。仁の無事は確認した。街外れの雑木林にいるから救援を呼んでくれ。それと一瞬だけ敵の動きを封じてほしい。そしたら……」
『私の質問に答えなさい!』
彼女は感情を露わにして、コウを怒鳴りつけた。今までもコウに対して敵意を向けていたフルメルだったが、ここまで直接的に怒りをぶつけたのは初めてだった。
「第二防衛ラインが気になった」
『へぇ、気になった? 好奇心だけでこんな事をするの?』
何食わぬ顔で答える彼に、フルメルは皮肉たっぷりに毒を吐く。
「こっちに奴らが出てきたってことは、壁が破壊されているかもしれないと思った。もしそうだとしたら奴らの数まだ増える。しかも小型喰精は壁の金属を取り込んでいるせいで固い。それを止めに来たんだけど、それどころじゃなさそうだったからお前と通信している」
『英雄気取りも大概にしなさい。あなたは戦場に立つ人間じゃない』
彼女は決してコウの戦闘能力を認めていない訳ではない。ただ、彼の戦場での在り方を彼女は許容できない。だが、そんな彼女の心情を理解できないコウは無視して話を進める。
「そういう事だから、敵の動きをひっくり返すなりして止めて、その後コックピットを回収しにきてくれればいい」
「ちょっと待ってくれ!」
さっきからかみ合っていない二人の会話に、仁が割って入った。
「それは君がフルミニスに乗り込むってことか!?」
「そうだ。それがどうかしたか?」
コウはやはり無表情のまま首をかしげる。
『呆れた。別にあなたの力など必要ないわ。敵を食い止めるくらいなら私だけでもできる。それに、もうすぐ援軍が……』
「もうすぐっていつだ?」
『え?』
「俺はまだ軍に入っていないからよく知らないが、喰精の襲撃があったのに、何故お前達しか出撃していないんだ? 確か成田には霊子駆動が二機あったはずだが」
『それは……』
「霊子駆動は数が少ない。ここから一機余裕のあるこっちから、別のエリアに援軍に向かうこともある。今このエリアにいるのがお前達しかいなかったからじゃないのか?」
『……』
「つまり、援軍はすぐにはこれない。その間、お前ひとりで持ちこたえなきゃならない。本当にできるのか?」
『……仮にそうだとして、あなたにこの状況を打開できるの?』
「分らない」
コウは正直に、だがやはり感情のない声で答えた。この態度、もしフルメルに実態があればぶん殴ってやりたくなっただろう。
だが、彼はさらにこう続けた。
「けど、少なくとも、魔法も武装もない霊子駆動に戦わせるよりマシだと思う」
至極当たり前の事を、当たり前のように堂々と言い放った。
『……私は、あなたのそういうところが嫌い』
フルメルはそう毒づき、そして諦めたようにこう言った。
『きっかり2分後、そこに行ってコックピットを回収する。それまで乗り込んで準備しておきなさい』
「ああ」
回線が切れると同時に、コウはコックピットに座り直した。しばらく中を検分してから、一息ついて仁の方を向き直った。
「……これ、どうやって動かすんだ?」
「知らないで乗るとか言ったの?」
どれだけマイペースなんだと、仁は頭を押さえた。
「俺はフルミニスの武装を知らない」
あまりに堂々と答えるので、突っ込むのをやめて説明に入る。
「えーっと、まあじゃあ簡単に説明すると、霊子駆動は精霊が憑依して動かすものだから、パイロットがいなくても動くことは動くんだ。でも、精霊は人体にない器官は動かせない。当然、魔法も使えない」
「だからパイロットの操縦が必要不可欠。そこまでは知ってる。具体的な操作法を」
「教え涯がないな。じゃあもっと簡単に言うよ。左右のレバーがミサイル。左のレバーを押し込むと魔法。両足のペダルを踏み込むと加速ユニットの起動」
「ありがとう」
今度はかなり雑な説明だったが、それだけで十分と言わんばかりに、棒読みでお礼をいった。
「本当はもっと色々あるけど、今必要なのはそれだけだと思う」
「分かった」
『お待たせ』
そして、その会話が終わると同時、フルミニスが彼らのいる雑木林までやってきた。
「コウ、気を付けて」
「ああ」
ハッチが閉じると、コックピットが一瞬、浮遊感に包まれる。同時にコックピットに衝撃が走る。
『接続完了よ』
内部が点灯し、前方に外の風景が映し出される。
「これが霊子駆動……」
精霊の目を通して映し出される景色。それは現代の技術で作り出されたカメラなどの写真や映像を遥かに凌駕するほど、自然で鮮やかな光景だった。
『ぼさっとしないで。来るわよ』
前方から、六本腕の喰精が迫ってくる。
『ミサイルは後何発?』
「えーっと、左が3発、右が4発」
『なら合図をしたら一発、右腕のミサイルを使って迎撃』
「了解」
這うようにして、気味の悪い動きでフルミニスに近付いていく。
『5、4……』
敵は徐々に距離を詰める。
『3、2……』
敵との距離が十五メートルほどにまで縮まった。残り十メートル。
『1……』
『0。今よ!』
ゼロカウントとほぼ同時に照準を合わせる。突き出された右腕から、敵の中心へ向けて発射された。
そして、ミサイルの発射と同時に、フルミニスが駆け出す。
ドォォンとミサイルが爆裂し、爆炎が敵の視界を塞ぐ。
『両足のペダルを踏み込んで!』
コウは黙って足を踏み込んだ。すると、フルミニスが急加速。電光石火の速さで敵との距離を一気に詰めた。
『はぁぁぁぁっ!』
懐に潜り込んだフルミニスが、腰を捻り、拳を打ち出した。
渾身の右ストレートを受けて、敵が体勢を崩す。
『もう一発っ!』
続けざまに打ち込まれる左の拳。
敵は転がるようにして後ろに吹き飛ばされた。
「フルメル。魔法でトドメを」
『駄目よ』
「何故だ?」
『魔法ってのは霊子の不自然な流れを作ることによって生じる不具合。自然の摂理に逆らうことによって引き起こす超常現象よ。通常はあり得ない状態を作るのだから周りに悪影響があるのは当然でしょ?』
「具体的には?」
『人間の体にも微弱な霊子が流れているの。そこに刻まれているのは、人の魂とも言うべき情報。魔法はその流れを乱すの。使い過ぎれば廃人になりかねないわ』
魔法と言っても、それは精霊本人の力ではない。
人間が作り出した霊子回路の技術を用いて初めて実現する、れっきとした科学技術である。自然なものを人工的に乱せば、その反動は周囲に返る。精霊の一番近くにいるパイロットがその悪影響を強く受けるのは道理だ。
『本来パイロットは魔法の反動を軽減するスーツを着るのだけれど、今あなたはそれを着ていない。だから魔法を使わせる訳にはいかないわ』
「でもそれでは倒せない」
『魔法の使い過ぎで廃人になった人もいるのよ?』
「使い過ぎなければいい」
フルメルの忠告を全く聞き入れようとしないコウ。相変わらず人の彼女の苛立ちは頂点に達していた。
『とにかく! あなたは私の言うとおりに操縦すればいいの! あなたの意見は必要ない』
「分かった」
怒鳴られて仕方なくコウも納得したのか、前を向き直る。
見ると、敵は既に起き上がっており、前腕を上げて反撃の体勢に入っていた。
「フルメル。他に武器は?」
『大剣とアサルトライフルがあったけど、あのビームを食らったときにどこかに落とした』
「もしかして、残り六発のミサイルと、拳だけで戦うつもりなのか?」
『悪い?』
「……」
これなら自分が乗り込んだ意味があったのだろうかと、ここに来て初めてコウは自分の判断を疑いつつあった。
自分が乗り込んだことで使えるようにあったミサイルの残弾数は僅か。後はシールドと脚部に加速ユニットもあるが、見ると神機外装のバッテリーが残り少なくなっている。この状態でさっきのようにペダルを踏みこめば、神機外装は補助装置から、ただの金属の塊になってしまうだろう。
『ボサッとしないで!』
「うぉっ!」
コックピット内に激しい衝撃が走る。敵の平手を食らったのだ。
「フォォォォォォォッ!」
喰精が雄叫びを上げ、フルミニスの体を掴み、持ち上げる。
『離せ!』
「フルメル。魔法……」
『駄目よ!』
この状況になっても魔法の使用を許可しないフルメル。
コウは溜め息を吐き、死んだような眼で目の前の喰精を見つめる。そうしている間にも握力が強まり、機体が嫌な音を立て始める。
「……仕方ない」
コウはやはり感情のない声で呟き、左のレバーを前に押し込んだ。
『ちょっ! 何やってるの!?』
コウは無視して、表示されたホログラムパネルの英語を一つずつ読み上げていく。
「これだな」
その中の一つを選択すると、フルミニスの両腕に緑の光が走る。
両腕がスパークし、喰精の体に強烈な電流を流した。
「フォォォォォッ!」
敵はゆっくりと後退し、六本の手を地面に着けた。
「ゲホッ、ゲホッ!」
『バカッ!』
魔法の反動で咳き込むコウに、フルメルが叱咤を浴びせた。
「思ったよりキツイ……でも、気にしなければ問題ない」
相変わらず人間味のない声だったが、その顔はいつもの能面は崩れ、苦しそうに息を荒らしている。
そんな風になりながらもなお、戦おうとするコウに対して、彼女は嫌悪感を募らせた。
『だから……あなたは嫌いなのよ』
7
天宮コウと切咲仁。
彼らは十一年前の災厄で共に両親を亡くした孤児である。
二人は軍の運営する孤児院に、仁は六歳の時に、コウは十歳の時にそれぞれ引き取られた。
軍の施設だけあって、そこに住む孤児達は毎日軍事訓練をさせられていた。
災厄により、世界の兵力不足は深刻なもので、子供に対してあまりに過酷な訓練を強いていた施設もある中で、その孤児院は比較的まともなものだった。
そんな孤児たちの中で特に高い成績を収めたのがコウと仁だった。
基礎的な身体能力は勿論のこと、隠密訓練、射撃訓練、格闘訓練。その中でも、実際の
霊子駆動を模したシミュレーション装置での「兵操訓練」は同い年の中でもトップクラスであった。
魔法を扱う上で必要な、乱れた霊子の流れを鎮める霊子制御や、魔法の反動に対する耐性などはパイロット適性のある人間の中では比較的平凡なものだったが、二人にはそれを補って余りある操縦センスを持っていたのだ。そして、この操縦技術に関しては、コウは仁を超えていた。
期待の新人。
樫宮高校への入学が決まった時、誰もが戦闘員として二人が採用されると思っていた。
しかし、最終試験。
ここで彼らは初めて「精霊」という存在と出会う事となる。
霊子駆動のパイロットとして採用されるには、三次まである試験を合格しなければならないのだが、一番最後の三次試験の内容は秘匿されていた。
それは三次試験の内容が、一般には秘密にされている精霊との面接だったからなのだが、この最終面接というのは、精霊の独断で合格者を裁定できるのだ。
そして、将来有望とされていた二人のパイロット志望者の内、コウだけは、この面接を落とされた。
その時の面接官が、雷の精霊「フルメル」だったのである。
8
(あの目が、結果の為なら自分の命すら捨て駒にできるような冷酷なあなたの目が許せなかったのよ!)
魔法の反動で、肩で息をしているコウを睨みつけ、フルメルは今の状況を整理する。
現在、喰精は腕を全て地に着けて、静観の構えでこちらの様子をうかがっている。
一方、フルミニスは魔法を既に解除しているが、これ以上魔法を使い続ければ彼の身が持たないだろう。
『コウ! 何で魔法を使ったの!?』
「勝つためだ」
即答するコウに、彼女の苛立ちは加速する。
『あなたは私の言う通りにすればいいの! いい? これ以上魔法を使わないで!』
「断る」
フルメルの指示を即座に拒否。
「でもこれは後二発が限界かもしれない。だからそろそろ決めてもらう必要がある」
『くっ……!』
この期に及んで操縦をやめないコウ。この後二発という勘定も、使えば自分が死ぬであろう一回も含めて二発という意味だと彼女はよく知っている。そして、その虚ろな瞳に宿る確かな意思が、決して曲げられないことも、彼女はよく知っている。
『……一発で決める。構えなさい』
今自分にできることは彼を死なさないために一撃で仕留めること。そう覚悟を決めて、短い指示を出す。
「分かった」
コウは頷き、レバーを握り直した。すると、喰精の六本の腕に赤い光が流れる。
『あの攻撃が来るわ!』
フルメルが言い終わる前に、コウは六発のミサイル全ての照準を合わせて発射。フルミニスの両腕から発射されたミサイルは紫電をまとって空を駆ける。
ドォォンッ!
六発のミサイルは、六本の腕にそれぞれ命中。支えとなるものを全て攻撃されて、敵のチャージがキャンセルされた。
「今だ。フルメル」
『はぁぁぁぁぁっ!』
フルメルは絶叫と共に打ち出された雷電の拳は、流星のように速く、真っ直ぐ敵の核を捉えた。
『テラボルト、インパクトォッ!!』
電光の拳撃は黒い球体を貫き、激しい閃光と共に喰精を消滅させた。
9
後日、樫宮高校保健室。
「あー、筋肉の繊維が切れているね」
「はー、そうですか」
眼鏡の初老の保険医の診断を。他人事のように聞き流すコウ。ボーっとしているが、その腕は真っ赤に腫れていた。
学校が小型喰精による襲撃された時、コウは超重量の金属を取り込んだ喰精を持ち上げ
た。その際に過剰に筋肉を酷使したことが原因で筋肉繊維が千切れたのだ。
しかも、それに気付かずそのまま霊子駆動を操縦し続けた結果、腕の状態は悪化した。
「……まあそこまで大きな繊維が切れたわけじゃないし、しばらく大人しくしていれば大丈夫なんだけど、切れた時は多分めちゃくちゃ痛かったはずなんだけど」
「あー、そういえば痛かったような気がします」
「その程度の認識なのか……」
「じゃあ俺は訓練あるんで」
「いや駄目だよ」
もう行かせてくれと言わんばかりに、そそくさと保健室を出ようとするので、保険医が引き止めた。
「何故ですか?」
「聞いてなかったのかい? 少なくとも一週間は安静にしてなさい」
するとコウは首を傾げて、
「大したことないんじゃないですか?」
なんて事を言い出すのだ。
「だから、それはしばらく大人しくしていればだって!」
「大丈夫です。気にしなければ……」
「問題あるわ!」
怒鳴られても、何故怒鳴られたのかを全く理解していない様子だった。
『全く』
呆れた声が聞こえたかと思うと、コウの隣に等身大のフルメルのが出現していた。
エルフォンからの憑依を解き、外に出るとこうして普通の人間のような姿を作ることができる。
「フルメル……」
『こんな事で私のパートナー(仮)が務まると思っているの?』
その台詞を聞いて、コウの顔が一瞬曇る。
「……仁は、大丈夫なのか?」
前回の喰精との決戦で、仁は内臓に損傷を負ってしまった。
あの喰精の攻撃は装甲を透過して破壊をもたらすものだった。治らないことはないはものの、今のままでは、仁はパイロットを続けることは到底できない。
『面会謝絶だから今は様子も見に行けないし。仁、大丈夫かしら』
「でも、俺が代役だなんて。何故お前は許可したんだ?」
仁を慮るフルメルを無視して、別の話題に入るコウ。その態度に、彼女は露骨に嫌そうな顔をした。
『白々しい。あなたが上に頼んだんでしょ?』
「俺は志願しただけだ。今回の功績を認めてくれたんだと思う。そうではなく、最終的な決定権を握っているはずのお前が何で許可したかと聞いている」
『私も本当は嫌だったけど、あなたは元々二次試験まではパスしてたでしょ? それに加えて今回の功績、これだけの即戦力を精霊の独断だけで潰すのはもったいないっていうのが、上の判断よ』
「なるほど。理解した」
質問の答えに納得すると、保健室を出て歩き始める。
『待ちなさい』
今度はフルメルがそれを引き留めた。
『そっちは寮じゃないわよ?』
「いや、今から訓練に……」
言い終わる前に、彼女の容赦ない蹴りがコウの顔面に向けて炸裂した。しかし、実体を持たないフルメルの脚は彼の顔を透過するだけだった。
「……」
『私に実体があれば、今頃のあなたのその両腕は二度と動かなくなることでしょうね。あなたはそこまでしないと理解しないでしょ』
「ああ。分かったから脚を下してくれ」
コウに言われて、ようやく蹴りの体勢を止めた。
「まあ、そうだな……お前の判断が最適ならそれに従うよ」
意外な返答に、一瞬固まってしまったフルメルだったが、すぐに澄ました顔をして。
『そうね。これから生活習慣から何まで私の指示に従ってもらうわよ』
ビシッと、コウを指さして言い放ったのだった。
謎の数秒間の沈黙ののち、コウは深くため息を吐いて答えた。
「いや……それは困るな」