ほんの小さな気付き
会場を離れた藍川が霊子駆動格納庫に来ると、誰かがフルミニスの横に座っているのを見つけた。
「おーい。フルメル」
呼ぶと、彼女はチラッと藍川の方を見ただけで、また機嫌悪そうにソッポを向いた。お前と話すつもりはないという態度にため息を吐くも、藍川は彼女に近付く。
「聞いたぞ。まだ仲直りしてないんだってな」
「……」
フルメルは答えない。それどころか藍川の方を向きもしない。
「なあ、いい加減機嫌直してくんないかな」
藍川は彼女の横に座り、煙草を取り出してくわえる。それを睨み付けながらようやく彼女は口を開いた。
『嫌よ。大体、パイロットなら他にいくらでもいるでしょ』
吐き捨てるようにそう言った。彼はやれやれといった様子で肩を落とし、ライターで煙草に火を付けた。
「そうもいかないのはお前も分かってるだろ」
確かに戦闘員なら他にいくらでもいる。しかし、霊子駆動のパイロットなると話は変わってくる。
霊子駆動に必要な特殊な適性はもちろんのこと、精霊が肉体として動かしているものをサポートするという性質上、操縦方法が従来の兵器とは根本的に異なる。
軍の上層部も、代わりのパイロットを選抜しているところだが、おそらく仁やコウと同等の操縦技術を持ったパイロットは現れないだろう。
「まあこっちも戦力の低下は避けたいし、できればコウをパイロットから下したくないんだよ」
『ああいう統率を乱す人間は組織に必要ないわ』
「大目に見てやれよ。あいつの場合、境遇がちと特殊というかな……」
彼は煙に混ぜてため息を吐いた。
『どういう意味?』
「コウがうちの施設に来たのは十歳の頃、けどあいつが厄災にあったのは六歳の頃だ。その間、あいつはどこにいたと思う?」
『どこって、親戚のとことか、別の孤児院とか』
「別の孤児院ってのはある意味正解だな。軍人の育成を目的とした実験場を孤児院っていうならな」
『え?』
「お前は知らんかもしれんが、十一年前の災厄の後、日本政府は一時期完全に分裂してたんだよ。これからも米軍の庇護を受けるか、日本も武力を増強して、喰精に対抗するかってことでな」
かつては他国からの侵略を阻止するための最低限の武力しか持たなかった日本が、現在
では七機もの霊子駆動を始め、霊子を活用した兵器を大量に有しているのは、武力の増強を選択した結果だ。
「桐嶋製薬はその中でも強硬派の官僚と繋がっててな。表向きは製薬会社だが、グループ会社が経営する孤児院から運動能力を高い子供を拉致して、実験台にしていた」
『コウが、その施設の出身ってこと?』
「そうだ。そこで行われていたのは非道な人体実験の数々。筋肉を増強する薬、痛覚を麻痺させる薬、神経の伝達速度を加速させる薬、そういう薬品を投与され続けた結果、あいつの人格は破綻した」
フルメルはその事実に慄きつつも、同時に納得もした。コウのあの性格、単に常識がないでは済まされない異常性が、そういう経緯によるものなのだと。今にして思えば、コウの傷の回復の速さも、その薬の所為なのかもしれない。
しかし、彼女には一つ腑に落ちないことがあった。
『……あなたが、何でそんなことを知っているの?』
コウの重大な過去を、何故この男が知っているのか。コウが彼にそんな話をするほど、この二人の仲がいいようには見えない。
「……その施設の研究員に、藍川深雪ってやつがいた」
『藍川って……まさか』
「そう。俺の嫁さんだ」
そう言ってまた煙を吐いた後、物思いに耽るように遠くを見つめる。
「元々は表の部署にいたんだが、技術を買われて裏の部署、つまり件の実験場に配属された。一度あの施設の存在を知ったら逃がしてはもらえない。施設の子供の命を盾にされて、情報をリークされないように。そして、深雪が辞めないようにな」
『酷い……』
「あいつは優しい奴だったからな。自分とは無関係な子供の命まで守ろうとした。けど、俺にだけは、あそこで何が行われていたかを話してくれた」
けれど、藍川にも何もできなかった。
自分が情報を流せば、妻が必死に守ってきたものが無駄になってしまうからだ。
『それで、今その人は』
「死んだよ」
『え?』
あまりあっさりと、ただ事実を報告するだけのように言った。
当人は大したことなさそうにしているが、易々と口に出されたその言葉の裏には、一体どれだけの悲痛な思いがあったのか、フルメルにはよく分かった。
「八年前、桐嶋製薬の実験場で爆発事故が起こった。その時に深雪は死んだ。そして、コウはその事故の唯一の生き残りだ」
『あいつが……』
「まあそれでも辛うじて一命を取り留めたってところだ。それで、一年間の治療の末、回復したコウは、軍の孤児院に引き取られ、今に至るって訳だ」
二人の間に重苦しい沈黙が流れた。
『……それでも』
やがて、フルメルは辛苦を噛みしめるように口を開いた。
『私は彼の生き方を許せない』
コウの過去を知ってなお、彼女はキッパリと口にする。そこには何か、譲れない思いや信念があるように、拳を握りしめて、強く、藍川を見据える。
「……お前はそれでいい。だからお前はコウに教えてやってくれ」
『何故、あなたはコウにそこまで肩入れするの?』
「そりゃ、あいつも深雪が守ろうとした子供の一人だからな。それに、コウがあんな風になったことをあいつも気に病んでいた。だから、少しでも力になれることがあるならしてやりたいんだ」
そう言って藍川は微笑む。
「まあついでに言うなら、今開発しているフルミニス用の新装備は、使いこなせそうなやつはそういない。優秀なパイロットに降りられると困るんだよ」
『もしかして、それが本音?』
「さあ、どうだろうな」
◆
コウは夢を見る。それは幼い頃の記憶。施設に入って三年の時が経ったときに起こったある事件の記憶だ。
「こっちよ!」
職員の女性、藍川深雪に手を引かれ、コウは建物の中を駆け抜ける。
ドォォォンッ
壁が爆裂し、空いた大穴から黒い異形の化け物が出てくる。
「逃げるわよ!」
逃げても逃げても、化け物は、喰精は追ってくる。逃げ続けるうちに、コウと深雪は他の子供たちとはぐれてしまった。
「大丈夫。大丈夫よ」
彼女は何度も何度も、コウに大丈夫と言い聞かせる。それはコウを安心させるのと同時に、自分に対して言い聞かせているようだった。
「でも、このままじゃ……」
女性はエルフォンを取り出し、真剣な顔で施設の地図を確認する。
「コウ君」
彼女は自分のエルフォンをコウに渡し、彼の手を強く握り締める。
「コウ君はこれを使って、一人でここを出るの」
「え……」
「私は一か八か、あいつらを倒す」
何かを決意したように歩き始める。
「嫌だ」
コウは彼女の腕をギュッと掴み、引き留めようとする。しかし、パンッと彼女はコウの手を振り払った。
「行きなさい!」
その迫力に気おされ、コウは一目散に走りだした。
コウは逃げる。逃げる。どこを走っているのかも分からぬまま逃げ続ける。走っている間に、様々な光景が走馬灯のように脳裏にフラッシュバックする。
施設で食べたカレーの味、藍川深雪が怪我の手当をしてくれた時、これまで何も感じたことのなかった記憶に、次々と感情が沸き上がる。それは次第に施設に来る前まで、家族と過ごしていた日々まで遡り、施設の日々と重なる。
そこで彼は気付いた。何故、今自分が感情を思い出したのか。彼女は、藍川深雪は母親に似ていたのだ。身を犠牲にして自分を逃がしたあの姿が、身を呈して自分を守ってくれた母親の姿に重なったのだ。だから捨てたはずの感情が、あの頃に重なるように蘇ったのだ。
「助けないと」
コウは身を翻し、エルフォンを再度見る。自分の現在地と、武器庫の位置を確認した。彼女を救うには武器が必要だ。武器さえあれば、今の自分ならきっと戦える。その時のコウは考えていた。
コウは走る。走る。今度は逃げるためじゃない。救うために。戦うため。
「フォォォォォッ!」
途中に何度も喰精に出くわしたが、コウは持ち前の身体能力で、壁を蹴って跳んでかわし、敵を踏み台にしてかわし、走り続けた。
やがて、コウは武器庫にまでたどり着いた。部屋の中には窓がなく、壁一面に設置された棚の中にいくつもの見たことのないような武器が置かれていた。
「これがあれば……」
何か使えそうなものはないかと、棚に手を伸ばす。その時、
「コウ君!」
すると、藍川深雪も遅れて武器庫に入ってきた。
「何やってるの!?」
彼女はコウに駆け寄ろうと走る。だが、
「! 危ない!」
コウが叫ぶが遅かった。飛来した金属片が、彼女の背中を突き刺した。彼女を追って、
大量の喰精が押し寄せていたのだ。
「う……大丈夫?」
背中に傷を負いながらも、なおコウの安否を確認する。それを見て、より一層彼女を守らなければと思い、彼は棚の中からアタッシュケースを引っ張り出す。銀色のアタッシュケースはカギがかかっているようだったが、鍵穴はない。その代り、黒いパネルのようなものがついていた。
「……」
聡明な彼は、それの開け方にすぐに思い当たった。彼女から受け取ったエルフォンをパネルに開けると、パネルに『open』の文字が表示され、ケースが自動で開いた。
「これは……」
中に入っていたのはラグビーボールのような形をした金属の塊だった。見た目からして開けれそうにはない。おそらく爆弾だろう。
「コウ君! 駄目! それは……」
その正体が何なのか分かった彼女は、すぐにコウを止めようと動いた。しかし、痛みで思うように体を動かすことができない。
「大丈夫。俺があいつらを倒す」
彼女の行動の意味に気づかないコウは、爆弾を抱えて敵に向かって突進する。
「らぁぁぁっ!」
助走をつけて、勢いよく爆弾を投げる。
「駄目!」
彼女は咄嗟に動いた。火事場のバカ力というべきか、痛みで動かなかった体は目にもとまらぬ速さでコウの元に駆け寄り、コウを抱きしめるようにして床に押し倒した。
次の瞬間、閃光と爆裂。
爆発はコウの予想を遥かに超える規模で広がり、施設のすべてを破壊しつくした。
「ハァ、ハァ……」
コウが気付いた時、彼女は……
◆
「……」
試験会場を追い出されたコウは近くの公園にいた。いつの間にか眠っていたらしい。
「またあの時の夢か」
最近よく見る夢の続き。この夢を見る時、いつもそこで途切れるのだ。その理由は自分にその後の記憶がないから。あの後、彼はずっと一年近く、意識不明のまま眠っていたからだ。
「俺は、あの時……」
「よう。天宮君」
明るい声と共に、彼の頬にひんやりとした感触が伝わった
不意打ちを受けて咄嗟にベンチから立ち上がり、構えを取った。
「あはは、相変わらずね」
そんなコウの姿を見て、瑞希はお腹を押さえて笑っていた。
「水無月……」
「飲む?」
そう言って、瑞希は先程彼の頬に当てた缶ジュースをコウに手渡した。
「ありがとう」
コウがジュースを受け取ると、二人は自然とベンチに腰を下ろした。
「フルメルとまだ喧嘩してるの?」
「ああ」
「そっか……何でフルメルが怒ったのか、分かった?」
コウは静かに首を振る。
「うーん、私もフルメルがパートナー解消まで言い出す理由は分かんないんだけどさ、少なくとも、君の事が心配だったってのは理由の一つじゃない?」
「俺が?」
「そう。パートナーの事」
「それはあり得ない。フルメルは俺の事が嫌いだと言っていた」
『本当に嫌いなら、あそこまで言わないと思いますわよ』
そこでウンディーネが口を挟んできた。
「ウンディーネ……」
『わたくしも、瑞希の事は大事ですわ。ゆえに、狼藉を働いたあなたの事はまだ許していません』
「その節は失礼した」
「もう良いって」
真面目に頭を下げている彼に、彼女はまた笑う。
「ほら、フルメルと臨時のパートナーになってから、過ごした時間を思い返してみなよ」
言われてコウは考える。確かに彼女の言動はいつも、コウの体調を気遣うものばかりだったような気がする。
「本当は私達みたいな感じが理想なんだけどね」
『ちょっ、くっつかないでくださいまし!』
「いいじゃん別に。どうせ触れられないんだし」
透過するウンディーネと肩を組もうとする瑞希。じゃれ合う二人の姿は確かに、見ていて微笑ましいものだった。
「まあ理由はそれだけじゃないとは思うけどね。君に足りない物がなんなのか、まさか何も思いつかなかった訳じゃないでしょ」
「……」
コウは先程見た夢の内容を思い出す。
彼は大事な人を守ることができなかった。
何故それができなかったのか。武器の選択を間違えたからか、判断が遅かったからか、あの夢を見るたびに考えてしまう。
――――敵を倒せるなら自分は死んでもいいと、本気で思ってるの!?
不意に、フルメルの言葉が脳裏に浮かぶ。
「俺が間違っていたのは……俺の、考え方」
「そうね。そりゃ時には命を賭けてでもって思う時はあるわ。仁も同じね。けど、あなたの場合は、最初から生きるって選択を放棄している。それは人として間違っている」
爆弾を抱えて突っ込んだ。あの時、コウは確かに死んでもいいと思っていた。
コウはあの人を守りたかった。それは彼女も同じでコウはその事に気付けず、その結果、彼女はコウを庇って死んだ。それを招いたのは無責任な自分の行動で、無感情な自分の姿勢。
「フルメル……」
「どうやら、少しは成長できたみたいね」
「ああ。ありがとう」
「お礼なんて良いわよ。一応先輩だし。次からは私の事は瑞希先輩と……」
その時、彼女の言葉を遮るようにけたたましいサイレンの音が鳴り響く。
『演習場にて新型機が暴走しました。安全の確保のため、市民の方はシェルターに避難してください』
『新型機が暴走って、どういう事ですの!?』
「分かんないわよ。とにかく行くわよ」
「俺も……」
ついて来ようとした彼に、瑞希はビシッと指さして制止する。
「あなたは先にフルメルに会ってくる事。そして、ちゃんと仲直りして二人で来なさい」
「……ああ。分かった」
「よし。じゃあ行くよ、ウンディーネ」
『了解ですわ』
去っていく彼女を見送り、コウも走り出した。