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椿屋敷で

作者: 井上璃津
掲載日:2018/11/09

ミステリがテーマの短編に応募しようと思って書き始めたものの、あまりの出来の悪さにやめました。トリックだの動機だの世の作家さんは素晴らしいですよね。絶対わくわくさせられるんですから。

せっかく挑戦したし、今後の戒めも兼ねて投稿します。推理小説は好きなので技量を上げてまた頑張りたいなあ。

読んでくださる方々ありがとうございます。

 「あらぁ、眠たそうですね。春夫さん」

 俺が部屋に入るなり女はこう言った。そう。昨夜は課題を終わらせるため、何冊もの本を読んでいた。床に就いたのは空も白みはじめたころだ。この非常識な女さえ訪ねてこなければ、下宿の奥さんは昼まで放っておいてくれたはずなのに。

 「誰だあんた」

 俺の言葉を聞いても、奥さんは微笑んだまま客間を下がった。気安い間柄なのだと思ったのかもしれないが、俺は全くこの女に見覚えがなかった。

 「いやねえ。まあ、いいわ、急ぎなんです。昇吉様が昨日お亡くなりになりまして、お迎えに上がりましたの」

 天気の話でもするように軽く告げられたので、理解に時間がかかってしまった。置かれた茶とともに事態を飲み込んだとき、女の着物の柄が目に入った。紺地に浮き上がる赤い椿。椿はわが家を象徴するものだ。俺を迎えに来るというのにこの柄を着ているなら、ゆかりのある人物なのだろう。親族の中には覚えがないが、祖父の妾か何かだったのだろうか。

 「そのような電報は受けておりませんが」

 「それはそうよ。亡くなったのは昨夜の遅い時間だもの。だから私が迎えに来たの。昇吉様はあなたに早く会いたいようだったから」

 「昨夜遅くというのなら、なぜこんな早い時間にこれたんです」

 俺が不審に思っていることを隠しもせず問うと、女は人差し指を口に当てただけで何も言わない。たおやかな仕草に似合わぬ鋭い眼力を受けて、俺は黙るしかなかった。

 「すみませんが奥さん、春夫さんを一度帰郷させますわ」

 「ええ。ええ」

 ちょうど通った奥さんに女はさっと話しかけると、俺が口を挟む隙もない間に準備を整えさせてしまった。流されるままに荷物を持ち、玄関であいさつをして気が付けば故郷へ向かう汽車に乗っていた。座席につくまで一切の体の自由が利かなかったのは、あの眼力のせいだろうか。

 「強引にしてしまって申し訳ありません。けれど急いでほしかったの」

 「どういう意味だ」

 ようやく自分の意思で動かした口は乾いていて、かすれた声しか出なかった。

 「ふふっ。私、昇吉様の次はあなたがいいと思っていますの」

 答えになっていない。しかしそれきり何を聞いても女は返事をしなかった。すらりと背筋を伸ばして座り窓の外を見るばかり。いったいどんな立場なのか。

 女は無言のままで俺を見もしないので、観察してみることにした。学生の俺よりはいくらか年かさだがまだ若く、美しい顔立ちをしている。上品に結った髪も黒々と艶めいていて、唇は椿のように赤い。

 そう、椿。俺が東京に出るまで過ごした実家は、椿屋敷と呼ばれる古くからの名家だった。何十種類もの椿が広大な庭に植えられた屋敷。庭は父が管理していた。母屋には祖父と伯父夫婦と従兄弟が二人暮らしていて、俺と父と姉が離れで暮らしていた。父は自分の兄に家の雑用全てを押し付けられ寝る間も惜しんで働いていた。

 そんな父とは対照的に、祖父の意向で俺と姉は従兄弟と同じように育てられた。伯父も父をこき使うだけで俺たち姉弟には平穏な生活だった。母は俺を生んですぐ亡くなったので、年ごとに奴隷のように使われるようになっていく父を見なくて済んだ。

 ある時祖父はこっそりと、俺だけを庭の奥に連れて行った。石がたくさん積んであるその場所は、薄暗く空気が冷えていて身震いしたのを覚えている。

 「春夫、この椿は家で一等大切な椿だ。お前はこれをどう思う」

 確か祖父はこういった。それに自分は何と答えたのか。記憶があいまいで思い出せない。

 (春夫、必ず……)

 「春夫さん、春夫さんったら。乗り継ぎですよ、起きてくださいな」

 肩を激しく揺さぶられ自分が眠ってしまっていたことに気が付いた。ぼんやりとした頭で汽車から飛び降りると、待ってましたとばかりに汽車は動き出す。

 「お疲れだったのね。次に乗ったら夜まで眠っていられましてよ」

 くすくすと笑う女の顔は年端もいかぬ少女のようであった。

 

 故郷は雪深い土地ではないけれど、汽車を下りると音もなく雪が降っていた。絶えることなく一定の間隔で落ちてくる雪はうっすらと積もっている。

 駅には俺と女だけ。温かい汽車から降りて震える俺の手を引いて女は歩き出す。その手の温度はぬるかった。

 「よかったあまり積もっていなくて。俥を頼んでおきましたの」

 いったいいつ呼んだのやら、出口にはすでに顔を真っ赤にした車夫が足踏みしながら待っていた。

 「どうも」

 乗り込んで行き先を告げる。椿屋敷とだけで十分通じるので、俥はゆっくりと走り出した。俺は襟巻をきつく締めた。

 「春夫さん、思い出しますねぇ。あの日もこんなに寒かったですよ。まあ、昼間でしたけど」

 俺は寒さから口をつぐんでむっつりと座っていたが、女の言葉を聞いて驚いた。

 「何を言っている。あんたとは初対面じゃないか」

 「あら。いやねえ」

 女はあきれたように肩をすくめたが、それきり黙り込んでしまった。

 頭の中が疑問でいっぱいになる前に、俥は椿屋敷の門前についた。夜なのだから当然門はぴったり閉じられていた。が、にわかに錠を外す音がして姉が顔を出した。

 「あら、まあ、春夫。どうして?」

 「どうしてって使いをよこしたじゃないか。おじい様が亡くなったんだろ」

 目を丸くしている姉に、こちらの方が驚いたと言う。姉は首をひねりながら俺の後ろを指さした。

 「でもあなた一人じゃないの」

 振り返ると女は消えていた。代金をもらうため車夫は残っていたので尋ねると、最初から俺一人であったという。

 「では俺は一人で話していたというのかね」

 「話し声なんかひとっつもありませんで」

 俺は狐につままれたような顔をしているに違いない。車夫を返し、姉に促され門をくぐる。電報は今朝送ったのだと聞かされ、なぜ門を開けに来たのかと問うと何となくと言う。

 「きっとおじい様があなたを呼んでくれたのでしょう。あなたのこと一番かわいがってらしたもの」

 姉の中では納得がいったらしく、話は終わってしまった。残り物を夕食として食べ、床についても俺の目は冴えていた。父が見当たらないから、明日は忙しいことだろう。けれどもこの家の関係者をすべて見られるはずだ。そこであの女を探そうと決めて、ふと名前を知らないことに気が付いた。これでは誰かに聞くことができない。

 女といるときは一つも疑問に思わなかったのが不思議である。姿を思い出そうとすれば着物の柄ばかり鮮やかに浮かんで、顔を何一つ思い出せなかった。

 

 通夜も葬儀も滞りなく終わり、祖父はもう土の下だ。あの女は一度も姿を見せなかった。父や伯父夫婦にも尋ねたのだが、皆知らないと首を振った。挙句には頭がおかしくなったのではないかと姉に心配された。

 「これまでのように大きな顔をしていられると思うなよ」

 庭でぼんやりと椿を見ていると、従兄の万吉が突然やってきて吐き捨てた。

 「急に何ですか。万吉兄さん」

 「兄さんなどと呼ぶな気持ち悪い。おじい様がお亡くなりになった今、お前たちは当主の父上の掌の上だ。跡継ぎは長男の俺だしこれまでの優遇は期待できないぞ。手始めに追い出して通いでこき使ってやる。お前の学費も家からは一切出さないからな」

 敵意というか嫌悪というか、悪感情を隠しもせずに一気にまくしたてられた。俺はいまいち現実味を感じられなくて、気の抜けた返事を返した。それが気に入らなかったようで、万吉は瞬時に顔を赤くさせると俺を突き飛ばした。

 尻から地面に倒れた俺は口を開けて呆けていた。それを見て万吉は鼻で笑うと、冷や飯喰らいの居候がと言ってよこした。

 「お前のおやじみたいに立場をわきまえて行動しろよ」

 心底ばかにした様子で捨て台詞をはくと、大股で母屋へ戻っていく。俺のほうでは別に、従兄の言葉には何一つ心を動かされる要素がなかった。俺は自分の感情にひどく困惑した。帰ってきてからというもの、心にも体にも力が入っていないようだ。

 すっと白い腕が差し出された。その腕は尻もちをついたままの格好で固まる俺の手を引いて立ち上がらせる。椿の柄が目に留まって、俺の頭は霞が晴れたようにはっきりとした。

 「あんたいったい……」

 「嫌な人よね」

 俺の言葉を遮って女は言った。顔は万吉が去った方に向けたままで、表情をうかがうことができない。

 「本当に嫌、あの人たち。私は春夫さんを選んだのに」

 女はあきれ返ったようにため息をついた。振り向いた一瞬に見えた瞳には、何の感情も映っていなかった。

 「安心してちょうだい春夫さん。あなたに不利益は起こらないわ」

 女が俺に向ける微笑は優美であった。けれども俺は背筋が急に寒くなるのを感じた。

 「私について聞きたいでしょうけど、いずれ思い出すわ。私はあなたを」

 かさりと砂利を踏む音がしたので振り返る。祖父の主治医の佐藤先生だ。彼はこのあたりの集落をいくつも掛け持ちして面倒を見ている立派なお医者様だ。

 「あれ、話し声がしたと思ったんだが春夫君ひとりかい?」

 「はい」

 庭を見まわす佐藤先生と対照的に、入れは女の姿を確認することもなく答えた。どうやらあの女は他人が来るとすぐに姿を隠すようだ。

 「どうかしましたか、佐藤先生」

 「いや、ちょっと長生さんに叱られてね。昇吉さんが大変な時になんでいなかったんだって。これから帰るとこだったんだが、君が見えたものだから」

 はにかんだ先生に気にすることはないと言う。祖父の容体が急変したとき、先生はあいにく診療所を留守にしていたそうだ。山向こうの集落に呼ばれて行っていたのだ。急患で仕方のなかったことなのに、伯父は随分と責め立てたようだ。姉の話によれば怒鳴り声が屋敷中に響いていつまでも止まず、周りが田畑で良かったと言っていた。

 「先生は何も悪くありません。お忙しい中しょっちゅう様子を見に来ていただいて、祖父も感謝していたようです」

 「そうだといいけれど。ああ、ごめん午後からも呼ばれていてね。申し訳ないがお暇するよ」

 そうして佐藤先生は自転車に乗って帰っていった。丸くなった背が力なく見える。伯父より二つ下だというのにひどく老けて見えた。

 「出てこないのか」

 庭の奥を見つめながら俺は女を呼んでみた。言いかけていた続きが気になったからだ。しかし答える声も姿もなく、寒風が吹きつけるばかりなので離れへと戻った。

 その晩の皆が寝静まったころのことだ。尋常ならざる叫び声が母屋から聞こえて飛び起きる。太い男の声であった。俺も父も顔を見合わせて、同じく起きた姉も連れて着の身着のまま母屋に駆け付けた。伯母が廊下に這い出た格好のまま泡を吹いて倒れている。寝室の中にはすでに万吉と千作が入っているようだ。

 「佐藤先生を呼んでくる」

 「ぼっちゃん、明かりを」

 真っ青な顔で寝室から出てきた千作くんが走っていく。その後を父が提灯を持って慌てて追っていく。寝室からは父さん父さんと叫び続ける万吉の声が聞こえていて、ケガか病気かとにかく普通でないことが起きているのは確かだ。

 姉と協力して伯母を隣の部屋に寝かせてから、俺だけ様子を見に行った。従兄の声が途切れない部屋をのぞくと、体中が真っ赤に染まった伯父が揺さぶられていた。

 一目見て絶命しているとわかったが、そんなことを言えるわけもない。止血をするからゆするなと言って手を伸ばすと、強い力で振り払われた。

 「触るな!」

 そしてまた父さん父さんと繰り返す。ほんの少しだが手に触れた伯父の血はまだ生ぬるく、死んでから少ししかたっていないことがうかがえた。

 何もできずにいるとしばらくして佐藤先生が連れてこられた。驚きで興奮しているようで目が充血している。夜中なのにきちんと服を着て道具を持った先生は、静かに伯父に近寄った。脈と呼吸を確かめ見開いたままの伯父の目をそっと閉じる。

 「何とかしろよ!」

 激高した万吉が先生につかみかかる。先生は冷静な対応をしようとしてか、とても無機質な声で答えた。

 「もうお亡くなりです。できることは何もありません」

 「医者だろうが。肝心な時に何もできない役立たずがぁ」

 先生は黙ってされるがままだった。止めようと一歩踏み出したところで、廊下から小さな音がした。そちらに近づくと姉が中を見ないようにして立っている。

 「春夫、何があったの」

 「伯父さんが死んだ。たぶん誰かに殺された」

 姉は呼吸を止めて眉間にしわを寄せた。そして気分の悪さを我慢した様子で、伯母さんは何か見たのかしらと言った。俺は首を振って、目覚めたとき取り乱すといけないからついているようにと頼む。

 姉が去ってすぐに、父が駐在の熊さんと帰ってきた。眠たそうに眼を瞬かせている彼は制服もろくに着られていない。しかし部屋の惨状を見ると、ひえっと悲鳴を上げて飛び上がった。

 「現場保存じゃ。これ以降誰も入ってはならん」

 万吉がひょいとつまみ出され、寝室のふすまが閉じられる。もうずいぶん乱してしまっただろうが、これ以上散らかすと警察の捜査がやりにくいだろう。別室に移された万吉の様子を見張るために、俺と千作くんはともに座った。

 熊さんは応援を呼ぶために、交番へ自転車を走らせる。その隣を佐藤先生も走りながら、道々状況を説明してくれている。

 「縛られて………めった刺しに……小さな………」

 かすかに聞こえてくる声は、伯父の死にざまを想像させるのに十分な情報量を持っていた。

 他人に当たり散らしていた万吉は、今はもうおとなしく泣いているだけだった。伯母が目を覚ましたと姉が言いに来たので、千作くんは母親の様子を見に行く。俺一人が障子の前に立って万吉を見ていた。

 「忙しそうね、春夫さん」

 ひそめた声が耳元で聞こえ慌てて振り返る。縁側の向こうにあの女は立っていて俺を見上げていた。月に照らされて、生々しく光る赤黒いものが体中についているのが見える。

 「あんたが殺したのか」

 一歩踏み出すと、女は両手を胸の前に出し押しとどめる仕草をした。俺は動けなくなってしまう。

 「ちゃんと見てくださいな」

 その言葉と同時に、血痕に見えていたものはみな着物の柄に見えてくる。地面に滴っているように見えたものも、椿の花であったようだ。

 「殺したりはしませんけれど、長生は死んで当然ですの。昇吉さんを無理やり隠居させて当主を名乗ったのだもの」

 「正当な後継者は春夫さんなのに……」

 女は妖しく笑った。祖父の隠居は確かに急なことだったし、本人も健康そのものだったが、年を考えればそこまでおかしなものではなかった。だがこの女の言い分には妙に納得させられた。祖父は伯父を嫌ってはいなかったが、家のことを教えるということがないように思ったからだ。

 「お前は何なんだ」

 怖くなって尋ねる。

 「この家とあなたのことを一番に考えているわ。損なうものは必要ない」

 「答えになってない」

 叫びそうになるのをどうにか抑えて言う。

 「春夫さんが嫌がるのなら、私しばらく現れませんわ」

 ため息をついて女は優雅に後ろを向く。そして庭の奥へと歩き出す。姿が見えなくなってからようやく、俺の体は動き出した。重い腰を下ろして浅くなった呼吸を整える。

 「大変だったね春夫君。万吉君はまだ興奮しているのかい」

 廊下の角を曲がって来た佐藤先生が声をかけた。いつも通りに見えるように願いながら立ち上がる。

 「いえ、今は静かに泣いています」

 「無理もないね。お父上があんな亡くなり方をしたのだから。彼は長生さんを信奉していたし……」

 すこし引っかかる言い方だったが、俺が聞く前に先生が動いた。こっそりと部屋の中をうかがい俺もその後に続く。正座からそのまま前に倒れた格好で、万吉は眠っていた。

 「これでは筋を痛めるよ。手伝ってくれ、横にしてあげよう」

 二人で体を動かしても万吉は目を覚まさなかった。毛布を掛けてやるとき、さっきまで聞こえていた寝息が静かになっているように思った。深い眠りで少しでも心労が癒えればと、初めて従兄のことを慮った

 部屋を出るとき先生のポケットからハンカチが落ちた。おやっと拾ってみると少し濡れている。先生、と言って差し出すと、少し硬い様子でハンカチを受け取りポケットにしまった。

 そのまま部屋の前で先生と二人見張りをしていたが、千作に呼ばれ熊さんの下へ行く。先生を一人残すことになるが、快く見張りを引き受けてくれた。

 「今日の昼には街から応援が来れそうじゃ。それまで遺体の部屋に近寄ってはいかん。お前さんらは明るくなっても出歩かんでくれ」

 熊さんは過度に俺たちの行動を縛りはしなかった。伯父を殺した犯人はこの家の関係者ではないという見立てなのだろう。真っ先に疑われそうなのは俺や父だが、駐在として何十年もいてこの家の人間模様を心得ているのだ。

 父は伯父さんやおじい様の指示なしには、考えることも行動することもできない。そういう風に育っているから、奴隷のように使われてもむしろ安心しているのだ。対して俺や姉はそんな父を見ても何も思わない。祖父の意向で家族ではなく使用人のように接してきたからだ。寝るところだって父は小屋なのだ。

 「坊ちゃんがた、どうしましょうか」

 当然のように俺や千作くんに指示を仰ぐ。

 「えっと、いつも通りの仕事をしてください。ただし敷地から出ないように」

 不慣れな様子で千作くんが指示を出す。父は小さく頭を下げて、水汲みか何か朝の仕事に取り掛かるために去っていった。

 「夜明けにはまだ時間がありますし、眠れるかわかりませんけどもう一度休みませんか」

 「そうだね」

 千作くんの言葉に俺たちはうなずく。そこで俺と姉さんは離れに、千作と伯母さんは別の部屋で休むことにした。

 離れには俺たちが飛び出していったままの様子で布団が残されていたが、どちらも神経が高ぶっていて眠れる気がしなかった。そこで布団を片付けて姉と向き合って座る。火をおこすこともなく、話すこともなくそのまま朝を迎えた。

 「朝食はどうする」

 姉は気合を入れるように膝を打って立ち上がった。せっかくの心遣いだ頂こう。

 大学の話などして少しでも姉の気を紛らわせる。伯父の死はお互いにできればなかったことにしたかった。それでも朝食を終え母屋の方へと向かう。姉は伯母を心配していたし、俺は皆で固まっていた方がよいのではないかと思ったからだ。

 母屋にあがると真っ白な顔をした伯母が、廊下を行ったり来たりしている。

 「伯母さまどうなさったの」

 「ああ、あきちゃん。万吉がどこにもいないのよ」

 伯母は姉に気が付くと、寄りかかって泣きそうな声で言った。千作が呼びに行った時にはいなかったらしい。見張っていたはずの先生も熊さんに呼ばれて一度席をはずし、戻った時に千作と出くわしたらしい。

 「こんなときに兄さんはどこへ」

 困ったような二人が戻って来た。先生と一緒に屋敷内を探していたらしいが、どこにもいなかったそうだ。

 「女性だけで残しておくのも気が引ける。全員固まって探した方が危なくないでしょう」

 先生の一言で、万吉を探すため五人そろってもう一度母屋の中から探すことになった。父も呼ぼうと思ったが、小屋にはいなかった。途中巡回していた熊さんに出会い、事情を話して探すのを手伝ってもらう。

 母屋も離れも探して終わり、庭を探し始めたとき青い顔をした駐在さんが速足でやって来た。

 「男だけ来てくれ」

 異様に目を見開いて言うので俺は嫌な予感がした。先生や千作くんも同じ気持ちなようで、俺たちは黙って後についていく。姉さんたちは不安そうに立ちすくんでいた。

 熊さんに連れていかれたのは庭の奥も奥だった。石が無造作に積まれてあり、めったに入ってはいけないところ。そこに変わり果てた姿の万吉がいた。

 「兄さんっっ」

 駆け寄ろうとする千作くんを熊さんが押しとどめる。そして佐藤先生だけに近寄ってもらう。俺はそのまま突っ立っていることしかできなかった。

 「お亡くなりです」

 先生が苦痛に染まった万吉の目を閉じさせながら言った。体中をしたたかに殴られて、内出血の跡が全身に見える。もしかしたら骨もいくつか折れているのかもしれない。顔だけ妙にきれいだったが、素人目にも生きてはいまいと思わせる様子だった。それでも先生の言葉で死を実感する。

 音もなく崩れ落ちた仙吉を俺は支えた。声も涙も出ない様子だが無理もない。一日もたたずに家族が二人も殺されたのだ。小刻みに震える体にかける言葉が思いつかない。

 「恨まれるようなことなんかありましたかの」

 熊さんが恐る恐る尋ねる。俺に心当たりはなく首を振るしかなかった。家中はともかく外面はいい人たちだから、他人の恨みを買うようなことはないと思うのだが。最も進学してからは帰っていなかったのでこの二年間に何かあればわからない。

 「父も兄も善良な人です」

 千作はやっと声を発した。彼は純粋で、この一族の中で最も善良な少年だ。

 「そうですよなぁ」

 熊さんは背中を丸め申し訳なさそうに言った。俺たちが気が付かないうちに先生が万吉にかける布を持ってきた。近い距離だがよほど急いでくれたのだろう、額に汗が浮いている。応援の警官が来るまで万吉をここに放置しなければいけないことが少しかわいそうだ。

 万吉に手を合わせ俺たち四人は女性たちのもとへ戻った。彼女たちは俺たちの様子からある程度何が起こったか察したようだ。伯母はみるみる血の気が引いて、叫び声とともに蹲った。そしてばっと顔を上げると俺をにらみ、言葉になっていない声で俺を罵り始めた。犯人だと思われているのか。

 「伯母さん、」

 「ような! つかすさんかそな、いいきになて、せらになんかし、ててけ! ああああああああああ」

 鬼のように叫んで暴れ始めた伯母を千作くんが必死に押しとどめる。

 「母さん落ち着いて。春兄さんが犯人なわけないだろ」

 伯母は普段からは想像もできない力で千作の腕を振りほどいて、俺に向かって突進してくる。俺がどうにか身をかわすと、勢いのまま庭の石に躓き転んでしまった。そして先生と熊さんに運ばれて母屋へと向かうことになった。

 「千作くん」

 「すみません兄さん。母が失礼なことを言って」

 「いいんだよ。それよりこんなときに何だけど、これからは君が当主になるんだからしっかりしないといけないよ」

 千作くんは弱々しく俺を見上げた。そして小さく首を振る。

 「春兄さんがやってください。母が何か言うかもしれませんが、僕にはとても耐えられない」

 「そんな気弱なことでどうするの」

 「そもそもおじい様は、春兄さんを跡継ぎにするつもりでした。だから大学にやったんです。そのあと父が無理やり隠居させてしまって」

 「そんなまさか……」

 次男の子にしては目をかけてくれているなと感じていたが、そんな風に考えていたとは思いもよらなかった。研究の道に進みたいと強く語った、俺を純粋に応援してくれたのだと思っていた。それに当主になれなどとは一度も言われたことがない。

 「私もそう思うよ、春夫君」

 戻ってきた先生が思いがけず口をはさんだ。

 「昇吉さんは何度か当主にふさわしいのは君だと言っていた。選ばれた人間だとも」

 何に選ばれたのかは聞いても教えてくれなかったけど、と先生は言う。俺にも全く心当たりはなかった。

 三人が連れ立って母屋に帰る。伯母を寝かせた座敷の隣に座ったが誰もが無言だった。これ幸いと俺は汽車で見た夢を思い出そうとする。遠い昔、まだ三つか四つのときに祖父に椿について聞かれた。あのとき何と答えたか。思い返せばあの日以降、祖父は俺に甘くなったような気もする。それまでは興味も関心も薄かったように思う。

 門のあたりがざわついている。柱時計を見てみるともう十時で、応援の警官が来たようだ。思った通り熊さんが俺たちを呼びに来た。

 「街の奴らが来たようで。門を開けてもろうてええですか」

 「春兄さんがお迎えしてください」

 千作がそう言って俺を促した。立とうとしない俺を無理やり引っ張って、戸口に立つ熊さんに向かって背中を押す。俺が廊下に出たのを確認すると、座りなおしてじっと動かない。俺は渋々玄関に向かった。

 洋靴を履いて門に向かっていると、警官たちの焦った声が聞こえてくる。どうもただ事ではない雰囲気だ。彼らはまだ死体を見ていないはずなのにと思いながら、上、上という声につられて目線を上げた。

 「父さん……」

 時間が止まったかと思った。門より高い松の木の上。一見すると父は剪定をしているように見えたがそんなわけはない。よく見れば顔は青ざめて、体はピクリとも動かず、首には縄が食い込んでいた。死んでいた。

 「やっぱりなんか恨まれてたんじゃ……。こう屋敷の男ばかり殺されたんじゃあ」

 木の上を指さしたまま熊さんがわめく。何も考えられない頭で門扉を開ける。どっと入り込んだ警官たちの話し声がうるさい。うるさい。うるさい。うるさい。

 ふっと心が無になって、とんでもないことに俺は気が付く。この屋敷に戻ってから非日常なことばかりで、頭がおかしくなったのだろうか。

 「春夫さん」

 遠くにあの女の気配がする。あの女は笑っている。でもあの女がやったんじゃない。あの女にはできない。

 先生、先生。伯父が死んだときなぜきちんと服を着ていたのですか。先生、先生。万吉が寝息を立てなかったことにあの触れたハンカチは関係がありますか。先生、先生。布を持ってくるだけなのに冬の庭でどうしてあんなに汗をかいていたんですか。

 先生、あなただけしょっちゅう一人になっていませんか。

 「千作くんが危ない」

 俺は叫んで駆け出した。少し遅れて警官たちも走り出す。

 後ろも気にせず土足で俺は上がり込む。障子を勢いよく開けると、パアンと大きな音がした。部屋の中には、さるぐつわを噛まされ手を縛られた千作が涙を流して横たわっていた。今まさに殺されようというところだ。

 「おや春夫君」

 佐藤先生は、いつもの顔でいつものように声をかけてきた。

 「あーやっぱり。時間が足りなかったなあ」

 先生は俺の後ろの警官を見ると心底残念そうに言った。親を驚かせようと内緒で準備していた子供が完成前にばれてしまったような顔だった。

 「確保っ」

 誰かの声とともに座敷になだれ込んだ警官によって先生は逮捕された。あっけなく椿屋敷の連続殺人犯は捕まった。

 

 俺は留置場の面会室の椅子に座っていた。葬式やら屋敷の片付けやらをできるだけ早く終わらせて、今日やっと来ることができたのだ。

 扉が開いて、格子の向こうに佐藤先生が現れる。彼は嬉しそうな顔をした。そして格子を挟んで向かいの椅子に腰かける。 

 「答え合わせをしに来たんです。どうしても知りたくて」

 口を開けようとした先生より先に話し始める。小さいころから知っている優しい先生がどうしてあんなことをしたのか知りたくて、集落のお年寄りに尋ねて回ったのだ。皆口をそろえていい医者だと言ったが、気になることをこっそり教えてくれたものもいた。

 「先生は、俺の伯父になるんですよね。祖父に認められてなかったようだけど」

 先生の顔がゆがんだ。ギラギラとした目で俺をにらみつける。

 「私の方があの男のどの子供より優秀だったのだよ。それなのに母が遊女だからと認めなかった」

 怒りをどうにか消そうと震える声だ。

 「生まれたばかりの私ごと母を集落から放り出した。必死に勉強して医師になり、評判が立つと訪ねてきた。金ならいくらでも出すから主治医になってくれと。母に繰り返し聞かされた男だと気が付いた」

 「まだ覚えていたなら気持ちも違ったんだがね。私はともかく母のことすら記憶に無いようだった。主治医になってからも何度か話を振ったがまるで駄目。許せない気持ちが募った」

 一呼吸置いた。

 「辞めてしまおうと思ったんだけどね。ほかの患者たちから必要とされ慕われるのは嬉しかったんだ。放り出しては行けない」

 「しばらくしてあの日がやって来た。いつになく苛々として、突然母を馬鹿にしだした。ああそんな女がいたなと。殺してやろうと思ったのに、ちょうど長生が入ってきて、別の患者の方に行ってる間に発作を起こして死にやがった!!」

 強く握ったこぶしを自分の腿に叩きつける。食い込んだ爪でにじんだ血が膝についている。目は血走って荒々しく、見たことのない姿だった。

 「だからうちの男たちを殺して憂さ晴らしを?」

 先生は鼻を鳴らして笑った。

 「家系を絶やしてやろうと思ってね。君と千作君はいい子だが、他はそうでもないし徹底的にやるよ私は」

 挑戦的に見つめてくる瞳を、俺は晴れやかな気持ちで見返した。微笑すら浮かべていたかもしれない。意外そうに佐藤が首をひねる。

 「気になっていたことが解決しました。ありがとうございました」

 あっさり立ち上がった俺に佐藤は戸惑ったようだった。それだけか、と焦ったように言うが話をじっくり聞いてもらえると思っていたのだろうか。俺は気持ちをそなまま伝える。

 「はい。解決したのでもう興味はありません」

 大きな音を立てて椅子が倒れ、格子から腕が伸びてくる。掴み掛ろうとする手をよけて扉へ向かう。言い忘れたと思い振り返ると、暴れて看守に取り押さえられる佐藤が見えた。

 「安心してください。あの家はもうなくなります」

 そう言い残して俺は扉の外へ出る。重い鉄の扉が閉まったが、廊下にまで叫び声が響いていた。

 

 「さてっと」

 誰もいない椿屋敷の門の前。姉は婚家に帰ったし、伯母と千作は全部放棄して引っ越した。屋敷も財産も俺の物になり、誰も従えない当主だけが存在している。

 万吉が死んでいた場所に向かう。あそこで祖父と話したのだともう思い出していた。もちろん何を話したかもわかっている。

 「やあっと春夫さんが当主になったわ」

 思った通りあの女が姿を現した。俺の背中に抱き着いて愛おしげに腕を回す。俺は腕をゆっくりほどいて女に向き合った。女はにこやかに微笑みながら俺を見上げる。

 「思い出したよ。おじい様にこの椿をどう思うと聞かれて俺はこう答えた。『笑ってるよ。ずっと守ってくれるんだって』と。今思えばおかしな感想だよ」

 そう、あの寒い冬の日、祖父と俺は椿ではなく女を見た。だから俺が選ばれた。一代飛ばしも次男の子も関係ない。

 「この家は古いからなあ。あんた、屋敷神なんだろ」

 女は嬉しそうにますます笑みを深くした。この女が見えたから、俺はこの妙な家の当主に選ばれたのだ。

 「大正解よ! 本当はね、試すときと当主になる時しか会ったらいけないのだけど、あんまり無礼なやつが多いから」

 見捨てる前に俺に会おうと思ったらうまく掃除されたと言う。

 「勘違いしないで。あのお医者を呼んだわけでも、唆したわけでもないわ。ただ彼を追い出さずに放ってはおいたけど」

 ほほを染めながら語る女はやはり人ではないし、道理でも動かない恐ろしいモノだ。そこら中に積み上がった石を蹴ってみる。女はほほを膨らませたが、相手が俺だからか気を悪くしてはいないようだ。祭りでは自分の祠になる石だろうに。

 「これからも守ってあげますからね」

 今にも踊りだしそうなほど浮足立った様子で女は言う。だが俺はもうここを終わらせると決めた。

 「必要ないよ。この家はなくなるから。もう誰も戻りはしない」

 隠しておいたマッチに火をつけて、集めておいた枯れ木枯葉を燃やす。水の代わりに油をまいたから、周囲の椿にも火が燃え移っていく。

 「何をするの」

 冗談だろうという顔をする。今度は俺が笑みを浮かべながら歩きだす。母屋も離れもあらゆるところに火をつけていく。ちゃんと準備していたからよく燃える。

 「春夫さんっ」

 俺の腕をつかもうとした手はすり抜けた。やはり触るのは難しい様だ。

 「あんたは椿に宿った屋敷神。ここがなければ消えるんだろう」

 女は苦しそうな顔をしてしくしくと泣き始めた。

 「言われた通り守って来たのにこの仕打ち。私がいないと滅ぶのよ」

 脅すように言われるが俺は構わないさと答えた。守り神がいないと繁栄しない家なんてそれまでだ。

 恨めし気に泣き続ける女を放って火に焼かれる前に外へ出る。今日は風もないし、無駄に土地が広いから隣家も離れていて火が移ることはないだろう。この家だけきれいに焼けてくれるはずだ。

 「すみませんねぇ皆さん」

 屋敷に染みついた先祖のあれこれが今噴出している。俺は心にもない謝罪を口にして、新しい生活のために歩き出した。


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