第2章-4 アイドル強制誕生
「ブラムハム!」
「メリアスお嬢様! ご無事でしたか⁉」
屋敷に戻るや否やブラムハムが声をかけてきた。
「今すぐヨミガエルに戻ります! ここを畳む準備を!」
「何と……。最悪の事態を想定しておかなければならないと思っておりましたが……まさか本当に起きようとは」
ブラムハムもヘイボンを置き忘れたことに不安を募らせていたようだ。幸いなのは想定できたことによって予想以上の混乱を招くことが無かったことだろうか?
「いつもの配達業者に連絡をし、大至急来てくださるよう頼んであります。後はお嬢様の身の回りの整理だけです」
こんな状況であってもブラムハムは冷静であり、尚且つプライバシーと呼ばれる物を守ってくれた。
「ありがとう! すぐに支度してくる」
階段を一気に駆け上がる途中、昨夜の踊り場のことを回想し足が止まる。昨日の今日でこのような事態に陥るとは、多少浮かれすぎていたのではないかと遺憾な思いが込み上げてくる。
後悔先に立たず。起きてしまったことを悔いるのを止めて、再度部屋に向かって走り出す。まずは運搬及び、採取の記録が書かれた書類云々を手近なバッグに詰め、その後私物を適当に詰め込んだ。
そうしているうちに馬の止まる音がした。
本来なら船や竜など、大量の荷物が運べるものが便利なのだが、ヨミガエルは陸路である上に地上の孤島と呼ばれるような辺鄙な場所にある故に、そういった物を用いるのは厳しい。事実、馬だってやっといけている状態なのだ。
部屋を後にし階段を一気に駆け降りる。
いつも運搬を頼んでいる四十代半ばの中年のおじさんが何やらそわそわしながら玄関先に立っていた。ヨミガエルへの運搬は事実上裏取引であり、表沙汰にすることはない。故に今回のネクロマンサー帰省も噂話ですら起きることは無い。
「メリアスお嬢様準備はできましたか?」
「証拠になりそうなものは全部持ちこみました。ブラムハムは冥界を通じて先に連絡をお願いします」
「かしこまりました。それではこれを」
恭しく一礼すると、近場の机に置いてあったヘイボンを取り、私に差し出してきた。今回の事件の引き金となった一因である。
「現在は昼前。メリアスお嬢様の通われる学園では未だに授業が行われていることでしょう。しかし万が一メリアスお嬢様の顔を知る者が目撃した場合、追尾される可能性がございます。今のうちに姿見を変えておくべきでしょう」
裏の世界で生きるネクロマンサーであるなら、これ以上表沙汰になってはならない。
短く頷いた私はそれを受け取ろうと手を伸ばす。
「おっとそうはいかへんで?」
が、その手は空を切った。
ヘイボンはブラムハムの手を逃れ宙へと上がる。その原動力は鼻当てに添えられた細い親指と人差し指。その持ち主を見て、私は唖然とした。
「ディーナさん⁉ 何で⁉」
そこにいたのは、先ほど闘技大会に一緒に参加していたドワーフのディーナさんであった。
「何でかって? んなのあんさんを追いかけてきたに決まっておるやろ?」
「どうやってここが私の家だって知ったのですか?」
「クリスはんから聞いたんや。あんさんカエラズの森で気絶したクリスはんを助けたようやな。そこで魔術師を探していたクリスはんに目を付けられたって訳やな。まぁ実際は違うわけやったけどな」
ディーナさんは怪しげな瞳でブラムハムを見る。
間違いない。先ほどの生徒たちと違い、私の正体を知っている。
「メリアスお嬢様。ここは私目に任せて出発を」
ブラムハムが腰鞘からレイピアを抜く。その一閃に窓から差し込む陽光が反射する。
「くっ⁉」
それに対し、慄いたのは――ブラムハムの方だった。
「何や怖気づいて? ……ははん。つまりはこういうことやな?」
ディーナさんは右足で地面を蹴り、玄関扉から注ぎ込む陽光の照らしだした床に飛び移った。
「ぬぅ。油断いたしました」
ブラムハムが苦悶の呻きを漏らす。
ブラムハムの弱点は陽。
普段私が学校に通っている時はたいてい屋敷の奥、もしくは冥界で過ごす。それに一階付近は大抵の窓がカーテンで閉まっていて、陽はシャットダウンしている。今開いている玄関扉以外は。
「あのー! その扉閉めてもらえませんか⁉」
私は救援を求めた。相手はいつもお世話になっている業者さんだ。
「そんなことしてええんかな?」
私の呼びかけに呼応するかのようにディーナさんが忠告する。その相手は私と同じ業者さんだった。
そして、
「申し訳ありません」
業者さんは私に対して頭を下げた。
「ど、どうしてですか! ちゃんと業務提携していましたよね⁉」
その裏切りに対し、反論をする。
「そんな口約束なんか上の一声で吹き消せるんやで?」
答えたのはディーナさんであった。
「上の一声って、どういうことですか?」
「ん? わからんか? 社長であるうちが一言『契約を打ち切る、反論するならお前たちをクビにする』と言えば、皆素直に言うこと聞いてくれるんやで」
……………………え?
「しゃ、社長?」
「そ。30分前からな」
「30分前⁉」
「あんさんの家に向かう馬車があったから聞いてみたんやけどな、企業秘密、企業秘密言い張ったから、うちに連絡してここん会社買ってきてくれ言うてやっとこさ話を聞いたんや」
学園内で誰かが購買に行く際、ついでにジュース買ってきてというノリと同じくらいに会社を丸ごと購入したディーナさんの行動に恐れすら感じた。
「で、あんさんは魔物の一部をネクロマンサーの街であるヨミガエルとやらに配達する仕事をしとる言う話やな」
ディーナさんが知っている範囲は既に核心に等しかった。ネクロマンサーが学園に居て、魔物の一部を業者と非合法で取引していて、尚且つ常闇の街ヨミガエルのことを知っている。
「どうしたいのですか? 王宮に通告するのですか?」
未だにネクロマンサーのことを憎む人は多い。殊更ヘイワ王宮はルバヌス・アルカードと対立したイリス・ヘイワの子孫が鎮座する場所。ネクロマンサーと対立するその意志は世代を超え、受け継がれているはず。
そのネクロマンサーがこのヘイワ街にいて、ヘイワ街の未来を担う子供たちが集う私立ナンデモ学園に通っていることを知ったらどうするだろうか? 迷うことはない、排除するだろう。
いざとなれば戦うことも厭わない。そう考えていた。
「はぁ? うちがそんな無駄なことすると思うとったんか?」
だが、その考えはあっさり否定された。
「王宮にネクロマンサーの小娘がいると通報したとて、貰える報奨金なんかたかがしれとるんや。他にはいらぬ勲章や、称号や、下手すりゃ地位と共にいらぬ役割押し付けられるだけやで?」
勲章や地位よりも、まずは金が出てくる辺りはディーナさんらしかった。
「ならどうするというのですか?」
「うちが社長しとる会社と一緒や。取引するで」
「と……取引ですか?」
一見平等に見えそうだが、全然そうではない。主導権を握っているのはディーナさんである。尚且つディーナさんは金銭面にやかましい。私の全財産などでは話にならない、下手するとヨミガエルの全財力を尽くしても払いきれるかわからない金額を要求するかもしれない。
「まずはうちのギブからな。いつも通り魔物の一部をあんさんの里まで運べるようにうちはこの業者を通じて馬車を送る。んでもって王宮にもあんさんがネクロマンサーであること――これについては勘のええ奴ならばれてもうとるから、詳しい場所や何をしているかは伏せておくことにする。まぁ、つまりは前と同じやな。で、あんさんのはな――」
「私のは……」
「あんさんにはアイドルになってもらう」
………………………………………………………………………………は?
「あんさんにはタナカが勘違いした通り地下アイドルという設定にしてもらって、あんさんには今からアイドルとして活躍して貰うんや!」
「はあぁぁぁ⁉」
ディーナさんの思いがけない要求に素っ頓狂な声をあげる。
「あんさんはあの美少女部すら知らなかった宝玉。ましてや非公認の街から来た人物となると、まさしく彗星の如く現れたに等しいんや」
ディーナさんが何か力説しているものの、耳に入っても脳内で整理されない。
アイドル、と言われると偉いド派手な衣装着て人たちの前で歌を歌ったり、踊ったり、イベントであいさつしたりする職である。時折ヘイワ街の中央公園などでも見かけたりする。それはもうネクロマンサーとは違い、激しく目立つ職だ。
「そんなことしたら私目立っちゃうじゃないですか!」
「目立ったところでどうなるいうねん?」
「私と言う存在がばればれになったらネクロマンサーであることもいずれ学園以外でもばれてしまいますよね⁉ そうなれば襤褸が出るか、私のことを調べられてヨミガエルのことがばれてしまうかもしれないじゃないですか⁉」
「何や、そういうことかいな。それはたぶん無いやろうな。公には」
何故か自信たっぷりに答えるディーナさん。秘策があるのかないのかわからないが、私がネクロマンサーであることを隠し通す――もしくはネクロマンサーであるとわかっても危害が加わらないようにできるようだ。
「ちなみに、ナンデモ学園は自由な校風が売りやからアイドル活動やそれに関するグッズの販売も許可されとる。うちはそこに目を付けて一期生の頃からアイドルプロデュースをしとるんや」
ディーナさんが自信たっぷりに説明してくれた。その内容を聞いて私は一つ理解した。
「もしかしてクリスさんに協力したのも」
「そうや、クリスはんが有名になればそのグッズが売れる。更にクリスはんは有名なアレクサンダー家の長女やから相乗効果も高いからな」
はっぴ、うちわ、さらには投写水晶――こっちは販売中止になりそうだが――を作ってある話を控室で聞いていたが、こういうことだったのか。
「しかしですね……。それだけ目立つことをしますと、私たちも行動が制限されてしまいます。夜中にテリトリーでメリアスお嬢様を見つけて声をかけてくる輩がいたとすると、容易に降霊術を使うことはできなくなります。そうなるとこちらの仕事に手が回らなくなってしまうでしょう」
今迄話に入れなかったブラムハムが心中にあった不安を口にする。
私の方はアイドルになることに対しての不安ばかりを募らせていたので、そちらまで頭は回っていなかった。そのことを指摘すればこの取引を取り消せるかもしれない。
「そこはもう考え済みや。その仕事はうちらが引き受けさせてもらうことにした」
「は?」
「あんさんが取ってきてほしい内訳を教えてくれれば、うちらが雇った傭兵たちに討伐達を装って採取して貰う訳や! そうすればあんさんもこそこそ採取せずに済むやろ?」
確かに助かる話である。が、それには一つの問題があった。
「その人たち大丈夫ですか? 結構エグイ物取ってくることになるのですが……」
「そんなへたれすぐクビや!」
「容赦ありませんね⁉」
捨て方のうまい社長さんだこと。血も涙も無い。後ろで何もできない業者さんが更に震えだす。
「というわけであんさんにはアイドル活動に専念してもらうで! 拒否したらどうなるかわかっとるやろな?」
もはや脅しでしかなかった。ブラムハムも完全に諦観だそうで、首を横に振る。私はディーナさんを見ながら渋々頷こうとする。
その時、したり顔をしていたディーナさんから目を反らそうとした時に未だに指先で抓んでいるヘイボンが視野に入った。
そこで最後のチャンスかもしれない可能性を見出した。
「わかりました。それでこれは口約束で構いませんよね?」
「んや。ちゃんと契約書用意したで」
ディーナさんは肩下げ鞄から一枚の紙を取り出した。契約内容を読むことが辛くなるほど長く、細かい。しっかり読まないと何か取りこぼすかもしれない。これを待っていた。
「あのー。こんなにいっぱい条約があるのですか?」
「後々、面倒事になったら困るやろ? ほれここにサイン。これ朱肉な。右手の人差し指で頼むで」
「この中にどんな内容が含まれているかわからないですから読ませてください。……何せディーナさんのですし……」
「うちやからなんやて?」
最後は蚊の鳴くような声だったはずなのに、ディーナさんはそれを聞き逃さなかった。地獄耳だ。まぁここも必要な過程である。
「いえ! そういうことではありません! ですけど、しっかり読ませてもらった方が入り込みやすいと思って。……あの、私目が悪いのでその眼鏡返してもらえませんか?」
さり気なくヘイボンの返却を申し出る。この瞬間ブラムハムも察したのか小さく頷く。
「ん? あんさん目が悪かったんか?」
「そ、そうなの。普段の生活をする際には必要ないけど、こういった小さい文字を見るときはどうしても必要で。乱視ってやつです」
その話を聞いて納得したかのように頷くディーナさん。
「せやったんか、んじゃこれな」
そういってディーナさんは――鞄から別の眼鏡を取り出して私に差し出した。
「えっ? あの、私の眼鏡を……」
「ん? これも乱視用の眼鏡やで、特別にレンタル料も免除するで」
「いや、そうじゃなくて私のを」
「なんや自分のもんやないとしっくりこんタイプなんかあんさんは。それとも――」
口を歪め不気味な笑みをディーナさんが浮かべる。
「これで姿見を変えてどうするつもりなんかな? ん?」
完全に聞かれていました。
「とりあえずこれは預かっておくな。というわけでそいつは特別サービスしておくな」
「うぅ……」
軽く呻くももはや反論する術無し。貰った乱視用メガネを使うことなく、ましてや契約分を読むことも無く、降参するかのようにサインをしてしまった。
〝拝啓父上、母上へ
私の仕事が買収されました〟