第2章-3 アイドル強制誕生
周囲を高い内壁に囲まれ、その上には学校関係者及び来賓が座る特別席と全校生徒が余裕で座れる一般観客席が並ぶ。その席に黒い点が隙間なく犇めく。ああ、私は去年あの中の一つとして目立つこともなかったんだろうな。
しかし今年は違う。その真ん中。最高でも十人しか集まらない広大な戦地にいる。
目立つ。とにかく目立つ。
「あんさん緊張しいなんか? えらい震えているやんか」
「え? いや、これは……その……」
ディーナさんが語りかけるもうまい答えは出ない。間違いなく緊張している。けどディーナさんがおそらく考えているであろう理由とは全く違う。ばれないか不安なのだ。
「固くならなくてもいいわよ。致死量は避ける様にルールが定めれられてるし、救護の方も完璧よ」
心配して声をかけたクリスさんの目線の先、ちょうど来賓席の下、先ほどの控室のように壁ではなくガラス張りになっている一角で聖職者と医療班が緊急時のために準備している。
見るべきではなかった。
痛いのは困るし、なにより聖職者の治癒はネクロマンサーにとっては困る。
元々同じ人間である以上効果を得ることはできる。
新陳代謝があがることはいいことだ。
だが、もの凄く不快なのである。
いつだっただろうか、体育の授業で運悪く怪我をしてしまい、それをお節介な聖職者に治癒され、逆に吐き気を催して早退したこともあった。
苦い思い出が甦り更に憂鬱になる。それに拍車をかけるのが隣の聖職者の笑顔である。
「そうです。私がメリアスさんを守るのですから!」
「……あんさんそろそろ元の世界に戻ってきたらどいや?」
ディーナさんの不安ももっともである。もうすぐ死闘が始まるというのに呑気な雰囲気が流れているはどうなのだろう。そもそも何故今の状況を望んでいない自分がこのようなことを考えなければならないのだろうか?
本来考えるべきことが遠のいていることに憂慮をするうちに闘技場中央の指定された場所に到着する。それを合図に客席がわっと盛り上がった。そして各方向に置いてある音を増幅させる膨脹石から作られた拡張器と呼ばれる物から女性の声が聞こえる。
「大変長らくお待たせいたしました。これより毎年恒例、私立ナンデモ学園闘技大会、一回戦第一試合目を開始致します」
遂に始まる。もう帰りたい気持ちいっぱいなのはお構いなしにアナウンスは続く。
「気になる対戦カード。まずはキャプテン、クリス・アレクサンダー率いるクリス部隊!」
わっと歓声が上がる。
男たちのラブコールもさることながら甲高い黄色い声すらも聞こえることからクリスさんの人気は男女問わず高いことが分かる。
「対するお相手はキャプテン、ディオル・グリース率いるグリース兄弟!」
ぶーぶー。
「「「「「何でだよ⁉」」」」」
客席からのバッシングに相対する位置にいる五人の誰が誰のかわからない声がハモる。
鬱陶しい雑草のようなツンツン頭をバンダナの上で栽培しているような出で立ちで、眠そうな半眼も相まって正直言ってお近づきになりたくない格好をしている男が不満を爆発させる。
けど、その姿からして人気が出なさそうなのは一目瞭然である。
ましてやそれが五人ともなれば尚更だ。
グリース兄弟は恰好、背丈、更には顔の骨格や、手足の長さまでドッペルゲンガーのようにそっくりで、その異様な光景は五つ子であることは間違いないと判断するには十分すぎる物であった。
「えーい。いちいち気にするんじゃねえオルグ! 応援何か気にするな! 実力で勝利なんか奪い取ってやれ!」
「ちょっと待て。そいつはゼトだ。オルグは俺だ」
「おいおい待て待て! 俺はゼトじゃねえ! ケイロンだ! ゼトはこっちだ!」
「いや俺じゃねえんだけどな……。俺はボイズでたぶんこいつがゼトだろ」
「だーかーら! 俺はオルグだ! ゼトじゃねえ!」
「ちなみ枠から外されているが、俺が正真正銘のゼトだ」
「お前ら人の顔くらい覚えろ! ましてや兄弟だろうが!」
「「「「そういうお前は誰だ!」」」」
「ディオルだろうがー‼」
「以上、グリース兄弟でした。ありがとうございましたー」
「「「「「勝手に〆るな!」」」」」
五つ子による漫才劇に先ほどのブーイングとは打って変わって会場から爆笑が巻き起こる。
五つ子が何の指示もなく一列に並び観客席、及び来賓席から少し離れた放送席に野次を飛ばす。流石兄弟と言わんばかりの息の合った役割分担である。
「さて余興が済んだ所で結果の決まった勝負に参りましょうか?」
「結果の決まったってどういうわけだ!」
「あのなぁー。終わるんならさっさと終わってくれへんか? 誰も望んでへん試合何か時間の無駄やで?」
「「「「「うっせー!」」」」」
ディーナさんが呆れ半分に言うのに対し、五人揃って同じ文句を言い返す。
「えー。ごほん。先生より早く始めろという指示がありましたので、試合に移りたいと思います。来賓の皆様方、我が校第十四部隊グリース兄弟が大変ご迷惑をおかけしました」
「「「「「犯人はお前だろうが‼」」」」」
止めろと言っても止まらない、それがグリース兄弟と言わんばかりの抵抗。観客も初めこそはブーイング、大爆笑と乗ってはいたものの、今となってはマンネリ化し何一つ言葉を発することも無くなった。
……はっ。今のうちに逃げておけばよかった!
そう思った時には遅かった。
「それでは試合開始まで5秒前!」
カウントダウンを観客にも促すが、残念なことに観客は誰かさんたちのせいで既にやる気0。アナウンサーも少し声の張りを失いながらも続ける。
「4、3、2、1」
「0‼」
ザシューン!
カウントダウンが終了した瞬間、クリスさんが目にも止まらぬ速さで踏み込み、抜刀。グリース兄弟の髪がまさに強風に煽られた雑草のようになびく。
けど、その数は四つ。
クリスさんの一撃によってグリース兄弟の一人が遥か後方、内壁寸前――あ、今ぶつかった。えっと確かあれは。
「ゼトー‼」
「いや、俺はここ。たぶんオルグじゃねえか?」
「ちげえよ! 俺ならあんなヘマ何かしねえ! あのまぬけっぷりはケイロンだろ!」
「誰がまぬけだゴラ! 俺はここだ!」
「何だと、だとするとあいつは――」
「「「つうか他人無勢が何偉そうにしてやがる!」」」
「お前らの兄だろうが!」
――うん、わかんない。
間をとって緑Eが吹っ飛ばされたとしよう。残った緑A,B,C,Dがもめている。それを見逃すことなく、クリスさんは一気に近づく。
「言ったやろ? クリスはんに任せとけばええって」
確かに圧倒的だった。
学生がテリトリーに入ることは基本制限されていないが、学生たち、もちろん騎士や魔道士の卵たちは敢えてそれをしない。理由は一つ、恐れているからだ。普段暮らす限りでは今時魔物に襲われることなど無い。
そこへ自ら、それも夜行性の魔物が活発に動く時間帯に赴いている時点で普通ではなかった。情報通であるとはいえ、ミクシェがすぐに名前を出すほど名の知れた人物となると、どこか著名な騎士の出なのだろうか?
それを彷彿させる素早い動きで残る四人の近くに差し迫った時だ。
「! 来るぞ! 散れ!」
その一言と共に爆音。
爆発は小さかったものの、硬質な砂地で出来た地面から砂煙が巻き起こる。
突然起きた煙幕にクリスさんは一瞬目を瞑るが、すぐさま後退し煙幕の中から脱出する。砂煙が昇華すると、前方の景色はすぐさま戻る。
だが、唯一の違い。そこにグリース兄弟残る四人の姿が無かった。
「アーチェ警戒して」
クリスさんの一言にアーチェさんは下に向けていた銃を自らの眼前に持っていく。長い腕によって銃身を合わせ、その先にある銃口が辺りを警戒する。これ以上は流石におふざけできないと思ったディーナさんも自身の身長以上もあるハンマーの柄を両手で握り、辺りを見回す。カトリナさんはその二人の内側に身を引く。戦闘経験はあるものの団体戦はド素人の私はその光景におろつく。
クリスさんも前線から戻り、守りの陣に加わる。どこからともなく襲ってくるかわからない敵。その敵にクリスさん、ディーナさん、アーチェさんの三方は周囲を見続ける。
それが功を奏したのか、グリース兄弟を簡単に見つけることができた。
決め手は勘ではなく、潜む影を見つけたわけでもなく、僅かな足音に気付いた訳でもない。
「誰か忘れたが一人減った以上、例の作戦で行くしかねえな」
「よし、わかった! オルグてめえが行け」
「何で俺なんだよ! 五男だからか⁉」
「そうだ! だからお前が行け!」
ただの聴力であった。
近くの岩場の上から聞こえる揉め事。こちらからは窺えないが、裏側でグリース兄弟は懲りることなく口喧嘩をしているだろうことは火を見るよりも明らかだった。
「……撃つか?」
「……よろしく」
アーチェさんの他愛もない確認に、クリスさんは返事をする。
今の出来事に呆れることなく、銃口を保ったままだったアーチェさんが容赦ない発砲。岩場にぶつかり甲高い音を鳴らす。
「うぉぉ! やべえぞ、撃ってきたぞ! さっさと行けボイズ!」
「俺じゃねえ!」
「俺でもないぞ?」
「俺は違うぞ?」
「何? まさかさっき飛ばされたのが!」
「「「つまりお前がボイズか⁉」」」
「人の話を聞け! 俺はディオルだ! 長男だ! お前らのリーダーだ!」
「つべこべ言わず行け!」
「っておーい⁉」
銃声に負けず劣らずの筒抜け作戦会議が中断されると同時に、岩陰から緑A~Dの誰かが飛び出してきた。
「アーチェ撃って」
それに何の躊躇もなく発砲。
「くそぉー! お前らしくじるんじゃねえぞ!」
そう言って緑の人が目の前に丸い何かを投げる。黒光りが陽光に照らされて移り出されたシルエットは小さなパイナップルのようなもので――。
「! みんな目を塞いで!」
銃弾と接触した瞬間発破した。
反応するのが襲った私はまばゆい光に包まれる。うわー! 目がー!
視力を失った私が感じたのはまず何かが巻き起こる音。風か、砂塵か、何かをまき散らす音が轟と唸る。続いて体全体に感じた小さな破片のぶつかる感じ。砂か何かがまき散らされているのだろうか?
それは一瞬で納まる。ようやく目の痛みが引いたことを悟った私はゆっくりと目を開く。
目の前には今も燦然と輝く太陽。そしてそこから落ちてくる三人の人影。
「うぇー⁉」
思わず声をあげる。空から降ってきた者、それは残されたグリース兄弟たちであった。
片手にはサバイバルナイフの用な物が備わっている。奇襲に違いないことはすぐにわかった。けど、問題点はそこじゃない。
飛来する三人。その全てが目標としているのが――どうやら私のようなのだ。
「メリアス!」
クリスさんが叫ぶと共に跳躍。グリース兄弟の一人を下段からの突き上げで上空に送り返した。けど、まだ二人も残っている。
「ディーナ! アーチェ!」
クリスさんが叫ぶ。
「何や、何や! 光った思ったら砂が巻きあげ――ぶえっくしょん! だぁー! 商品が!」
「眼鏡……眼鏡」
「砂埃がレンズに。映りが悪くなる」
「あんたたちは何してるのよ⁉」
バッグから盛大に商品をまき散らす者、落ちた眼鏡を手探りで探す者、汚れた銃をどこからか取り出したハンカチで綺麗に拭く者。それらに怒鳴る者。
そして目の前に迫る刃物を持つ二者。
この状況を表す言葉を選ぶとしたら、絶体絶命。
「ぬぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!」
脳内の優先順位など滅茶苦茶に入れ替わり、明後日の献立は何だろうというどうでもいいことが優先順位のTOP5に入るほどの混乱の中、最優先順位1位がすぐさま実行された。
「来たれ! 鬼武者! カムシン!」
自己防衛だった。
陽光に真っ向から対立するように地から現れる黒い光で描かれた紋章。
その中心部から地面が溶けたかのように波打ちながら這い出てきた1人の〝武者〟。
騎士団で使われている鎧とは全く別物の艶やかな赤い鎧を身に纏い、両腰には両手剣よりも細く、レイピアより若干太めの片刃の剣、刀の入った鞘が納められている。
武者が鞘に収まった刀の柄を掴み、抜き去る。
「「へ?」」
照らされた白銀の刃。二振りの刀は残されたグリース兄弟二人の双刃を意図も簡単に止めてしまった。そして払いのける。間抜けな声で二人は宙に投げ出され顔面着地。
命の危機が去ったことにほっとしたのも束の間、自分がやったことに今更気付いた。
「うわぁー! ストップ、スットープ! 戻って! 今すぐ退却!」
闘技場に突如現れた武者。これだけならまだ召喚術と言う可能性がありうる。
だが、誠に残念なことに兜の下から見える顔は明らかに骸骨。柄を握る手が丸太のように図太くてもただの骨であるために、すぐに死霊であることがわかってしまう。
更に悪いことにカムシンは無駄にでかい。身長三メートル近い胴体は闘技場の中央付近にいても十分に目立つ。すぐさま私は引っ込むように命ずる。が、それは叶いそうにも無かった。喚んだのがカムシンだけに。
「我ニ戻レトナ?」
「わぁっ! 声でかいわ!」
人間と同じく口から発声するカムシンであるが、その声は重々しく、轟くような声質であるために周囲にも畏怖をセットにして聞こえているはずである。つまりカムシンの言っていることは丸聞こえなのだ。
「長イ戦デ朽チ、眠リツイタ我ヲ、マタ新タナル戦地ニ呼ビ起スト約束シテオキナガラ、既ニ一年ハ経ツデハナイカ?」
闘いに身を置く者として1年もの歳月に渡って暇を持て余したカムシンが心外になるのも仕方がない。実はカムシンもブラムハムと一緒で両親、カムシンの場合は父上から護衛役としてつけられた元父上の配下である。一人暮らしをする娘を心配した父上が自らの相棒とも言える死霊を私の護衛として就けさせたのだ。
しかし、気性が荒く敵と言える敵には問答無用なのがカムシン。調達する魔物の部位すら木っ端微塵にするため、調達屋としては迷惑極まりない存在だった。その為ほとんど呼ぶことはなく、夜には知的なブラムハムを連れて行くことが普通となっていた。
「くそ、あんな奴に敵うかよ⁉」
「つうかなんだあれ⁉」
空から落ちてきたグリース兄弟の残り二人がうずくまりながら喚く。
その声に気付いたカムシンが私の方に向けていた顔を後ろへと向ける。二人の瞳には映ったのだろう。骸骨の武者が穴の開いた目の奥で怪しげな光を発する不気味な姿が。顔色が真っ青になっている。
「怯むんじゃねえ!」
その二人とは対照的に勇敢な一声が闘技場に響く。
先ほどの発破で完全に沈黙したと思っていたグリース兄弟の囮係。
「テストの結果は五人揃って最下位独占。家はがたがた、雨漏り上等! 同じテーブルで飯食える仲は俺達五人だけのグリース兄弟がここで逃げたら本当に何もかも無くなっちまうぞ!」
ぼろくそである。
0と言うよりも寧ろマイナス点すらついていそうな駄目っぷりを自ら暴露したグリース兄弟の面汚しが立ち上がる。満身創痍でありながらも勢いよく駆け出し飛翔。ナイフをカムシンに向け降下する。その姿は今まで無駄あり、笑いあり、存在感なしのグリース兄弟とは比べ物にならないほど勇敢であった。
「…………」
だが、これだけは言える。
無謀。
「あれ~?」
もはや笑うことしかできないグリース兄弟最後の男が宙に浮く。手に持ったナイフの先、骨の親指と人差し指で抓んだだけでカムシンは迫りくる凶器を軽々と止めて見せた。
「……」
「あの~下ろしてもらえませんか?」
作り笑いなのがバレバレの顔でカムシンに懇願する。それに毒されたのか、カムシンは飽きれ、そこらへんにゴミを捨てるように手首だけで投げ飛ばす。
が、投げたのがカムシンであったため、
「あぁぁぁ~れぇぇぇぇ~!」
闘技場の内壁、観客席を通り越し、闘技場の外へとグリース兄弟の勇敢で囮役でたぶんまとめ役だった人が飛ばされていった。
「「グリース‼」」
最後になっても名前が分からなかったのだろう。自分たちもグリースでありながら飛ばされた兄弟の名を叫んだ。
カムシンは残された二人に再度目をやる。残った二人の行動は早かった。
「「降参!」」
跪き、両手を空へと伸ばすようにあげ、二人は声を揃えて観念した。
「えぇっと……試合終了……でよろしいのでしょうか? 一人怪我、二人行方不明、二人降参となるともう戦える人はいないはずですよね? あ、はい。試合終了とのことです。勝者」
「終ワリダト?」
「ヒィィ!」
終戦を告げたアナウンスの女性にカムシンが不満げに告げる。
「もういいの! 終わり! 早く散って!そうしないと誤魔化せなくなるじゃない!」
「誤魔化ス必要性ナドナイ。所詮、戦ノド素人ノ集マリ。全テ薙イデシマエバワカラヌマイ」
「そうしたらここにいられなくなるでしょうが! 第一戦う必要性はどこにもない!」
「戦ウ必要ガナイダト? ソレデモ武士ノ端クレカ⁉」
何を言っても聞かないカムシン。だから私は、
「武士じゃないわよ! ネクロマンサーよ!」
大声でカムシンに向けて怒鳴った。
「ネ、クロマンサー?」
それは酷く大声量で、無慈悲なほどに鮮明で。
隠し通すことができないほど手遅れだった。
「あ、い、う、違、違うんです、これは! これは!」
「ジゴウジトク」
骨同士が擦りあいカラカラ笑うカムシンに刃向う言葉が浮かばないほど眼前に起きた自体は深刻であり、もう訳が分からないまま、何故か土下座を始めてしまった。
「すみません! すみません! 悪いことはしていません! 人間に被害の出ることは遅刻、掃除当番のサボり、不用意に窓ガラスを割ったこと以外ありません!」
自らの失態暴露は先ほどのグリース兄弟最後の戦士と酷似していて、何とも情けないことであった。
だが、そんなことで済むわけがない。
ネクロマンサー。遠い昔、人間社会から離反し魔物側についた反乱分子。
今も尚一部地域には魔物が蔓延り、人間社会の拡大を堰き止める厄介者を庇った連中をどう思うだろうか? それは火を見るより明らかだった。
私の取り乱しが原因なのだろうか、客席がざわつき始める。ひそひそ話がそこらかしこで始まるが、地獄耳でない限り話の内容を理解することはできない。
けど、一単語。周囲から何度も聞こえることから、皆が同じ単語を何回も用いていることが理解できた。
――――誰。
誰? 誰あの子? 誰だろ? 誰かな? 誰? 誰? 誰?
「……」
喜ぶべきか、悲しむべきか。ヘイボンの能力がしっかりしていたおかげで、大衆はネクロマンサーである事実よりも、私がどちら様なのかが気になって仕方が無かったようだ。いやいや、そんなことどうでもいいでしょ。というか私の隣の化け物見てどうとも思わないの⁉
誰、誰、誰の木霊があちらこちらに響き渡る。もうわからないならわからないで逃げて終わりにできないだろうか。一回戦を知らぬうちに突破した以上クリスさんが追いかけてきそうだが。
「静まりたまえ諸君!」
大音声が闘技場に轟いた。
「きゃっ。何ですかあなたは……ってジョン・タナカじゃないですか!」
「僕の名前はMr.プロデューサー。それ以外の何者でもない」
アナウンサーの代わりに突如聞こえた声には覚えがあった。今朝初めてのちゃんとした登校で出遭った変質者メガネである。いつの間にか空から帰還していたようだ。
「皆さんもご存じのとおり我ら私立ナンデモ学園美少女部は、常に美少女と呼ばれる崇敬すべき人たちを研究し、あらゆる詳細を得てきた」
「単なるストーカーですよね?」
「例えば先ほどから解説されているアナウンサー。実は極度の格闘技ファンで、ボクシング、プロレス、ムエタイなど、男の肉体美が踊る競技を好き好んで観戦し、間近で見たいがためにこうしてアナウンサーとして仕事をしています」
「きゃー! 何を言ってるんですか! プライバシー侵害です! 教職員の皆様がた! こいつを即座に牢獄送りにしてください!」
「ちなみに最近ハマり出したのが相撲と言う男の肉と肉が激しくぶつかりあう競技……」
「これ以上言うなー!」
放送席が阿鼻叫喚。
プロデューサーを守れ! 放送を中止しろ! 絶対に殺す! など、常闇の街ヨミガエルにも勝る混沌とした闇が渦巻いているのが聴覚だけでわかった。
誰? のガヤ騒ぎなど一瞬で消し去る白熱の攻防戦。
来賓席近くのアナウンサー席に、黒い塊がどっと移動し始める。「助けてくれ我が同胞!」と叫ぶメガネから察するに美少女部の部員であると察する。美少女部乱入により更なる混沌は続く。そして数分後。
「だから、こそ、我らは、この、私立、ナンデモ、学園の、全てをガハッ!」
何か吐いた。
息も絶え絶えなメガネが先ほど一気に雪崩れ込んだ美少女部の人たちに支えられながら演説しようとしている姿が目に浮かぶ。
「失礼。今同胞たちの介護の手によってどうにか事なきを得ました。世の中には自らの気持ちを抑え込もうとする女性も多いのです。それを無理やりこじ開けようとすると激しい抵抗をする。これを我らは『ツンデレ』と称しております」
「ンーンー‼」
メガネの言い分に口籠った抵抗をする声が漏れて聞こえてくる。
「と、脱線いたしました。我らはこの私立ナンデモ学園の美少女全てを崇敬し、知り尽くさなければならない義務がある。しかしだ――」
拡張器越しに息を整えるメガネ。
「私立ナンデモ学園美少女部始まって以来の事件は起きた。我らが知らない美少女が現れた。そう、あの子だ」
誰を指すわけでもなく、指名するわけでもない。指したとしても一般男子の人差し指が示す方向を確実に追える者は少ない。それでも視線は一箇所に集まる。無論私に。
「彼女は今先ほどまで闘技大会に参加していた。となると闘技大会に参加できる参加資格を満たす二期生であると憶測――いや、かの有名なアレクサンダー家の娘、クリス・アレクサンダーですら特例なしに二期生からの参加を強いられていたことから、二期生以上であることは確定となる」
また一呼吸。
「転校生の可能性は低い。私立ナンデモ学園以外は大抵がギルドの運営する専門校。専門校に入っていながら、多分野に分散されたナンデモ学園に入学するなど、何らかの手違いがあった以外に考えられない。それに我らは入学式だけではなく常に転校生もチェックを怠ってはいない! 我らの美語録に空白などない!」
メガネの力説を賞賛する声がそこかしこからあがる。それは全て男子であり、たぶん全員ナンデモ学園美少女部のメンバーなのだろう。興奮冷めやらぬ部員にメガネはわかりやすい咳払いをし、その場を鎮める。
「だが、我らでも捉えきれない事象があった。私はそのことについてあらゆる専門書を読み漁った。女性誌、ファッション誌、エロ――女性の生態に関する本など、その数は数千に及ぶ」
男性の称賛の声と女性の悲鳴がそこかしこから聞こえる。
「そして僕は遂にその存在を見つけた。人知れず世の中から姿を隠し通す人物を」
その言葉に一瞬動揺する。
今迄のような馬鹿話ではない。真剣な物に聞こえた。
既にネクロマンサーであることは隣にいるデカブツによってばれているとは思うが、幻獣を呼び出す召喚士や、具現化と呼ばれる元素で構成された生物を呼び出す高等魔道士と勘違いしてくれる可能性はまだ幾分かある。
しかし、ここで本質を得る発言が、それも今皆の注目を浴びている男が発せば、皆の理解はそれに応じる形になるだろう。本当にカムシンの力に頼らなければならない事態に陥ることだけは避けたいのだが、アナウンサー席までの距離は物理的に考えて止めようがない。ただその言葉を待つのみ。
幾多の暴動と静寂を繰り返した闘技場に最後になるだろう静寂が訪れた。
その後起きるのは、あまりの事実による沈黙か、果ては恐怖による混乱か。どちらにしても今考えるべきことは一つ。逃げることである。
「カムシン……。私の屋敷まで逃げるわよ。あなたの跳躍ならすぐでしょ」
「逃ゲルダト? マダソンナ戯言ヲ」
「断れば魔力供給を切る。父上にもお願いする」
「……ギョイ」
奥の手を切り出した私にカムシンは偉そうな態度から一変、すぐに言うことを聞いた。
カムシンが跪き肩を差し出す。カムシンの肩幅は私が乗れるほどに広い。私はカムシンの肩に手を伸ばす。
「そう、彼女は――」
メガネが遂に確信をつきに来た。
すぐに逃げられるよう、足もかけた。
そして――
「地下アイドルに間違いない!」
――滑り落ちた。
「マヌケガ」
カムシンの肩に取り付けられた甲冑にまず顎を打ち、地面に全身を叩きつけられた。
「地下アイドル。すなわち、その正体を隠していながらも絶世の美を持ちし類まれなる存在。素性を隠す代わりに有り余る歌声、動きで魅せる愛らしい天使たち。しかし彼女は違う。何一つ知られることなく隠し通し、隠者のように全てを隠してきた慎ましき妖精!」
隠者と言う言葉はあながち間違っていないことを鼻から血の臭いがする中、涙目になりながら肯定する。
けど、考え方の根本が間違っている!
「それが今この晴れ舞台に現れたのだ! 見逃すわけにはいかない。お前たちは今すぐ握手会の準備を行うように! 僕はあの方をナンデモ学園美少女部のVIP席に丁重にお連れする!」
はい! という掛け声の後、忙しなく駆け回る音がマイク越しに聞こえた。
その後アナウンサー席から闘技場に飛び降りた人物が一名いた。
そして着地失敗。
人が豆粒に見えるような内壁を飛び降りたのだから無事なわけもなく、足を押さえもがく謎の人物。しかしそれも一瞬でその人物は危なげな足取りでこちらに近づいてきた。陽光を反射する眼鏡からして、あれはメガネに間違いない。
そこで先ほどの言葉が脳裏に蘇った。あのメガネは私をどこかに連れていくために態々遠回りせずに内壁を飛び降りてきたのだと。
けど、ここで捕まっていいのかと言うとそうでもない。
拘束時間が長いとどうしてもぼろが出やすくなる。それに生徒たち――主に美少女部――が好き勝手やっていたのに対して、教師陣がどう出るかわからない。お城に報告するなどして討伐部隊が形成される可能性だってある。
やはりここはあれしかない。
「アイドル様……今迎えに上がりました」
右足を引きずりながら片足で闘技場中央まで少し駆け足で来たメガネ。
「ごめんなさい」
せめてもの謝罪とばかりに口早に告げ、私はカムシンの肩に再度乗る。
手で兜の持ちやすい部分を持つと、カムシンは立ち上がることなくそのまま大きく跳躍した。
「アイドルさま~!」
みるみる遠ざかる地上に対し、その声だけがずっと付き纏ってきた。
闘技場の外壁を優に超える跳躍の最中、再度闘技場を振り返った。
無表情のままこちらを見るアーチェさん、未だに眼鏡を探しているカトリナさん、こちらを見て何故かにやけているディーナさん。そして――何でかまた倒れているクリスさんを見て、心の中で謝るとすぐに頭を切り替えた。
〝拝啓 父上、母上へ
急ですが、実家に帰らせていただきます〟