第1章-5 アイドルの苦悩
全てが終わったのは午後の授業開始前だった。もちろん昼食など取れるわけも無かったが、蓄積する場所を失った疲労が胃にまで入り込んでしまったのか、空腹は全く感じなかった。
「お、お疲れ様……」
隣でミクシェが労いの言葉をかけてくれた。支える筋力さえ失った全身をどこかに預けないと辛い最中、今は机から顔をあげること自体厳しい。だからせめて返事だけはしておこう。
「ウラギリモノウラギリモノウラギリモノ」
「怖! 怖いから!」
怖がれ、せいぜい怖がるといいです。一足どころか一時間以上早く終わらせていたウラギリモノにはちょうどいい呪いです。
「だ、だって嫌だったのよ! 昼休み潰すのはともかく軍曹に目を付けられるの! あの人謎が多いのよ! 報道部だからこそその謎の多さが怖いのよ!」
ミクシェが何とか取り繕うと頑張っている。まぁ、男どもがあれだけ恐怖するんだからよっぽどの事が行われているんだろう。遠くの魔物やネクロマンサーよりも近くの狂人。以前ミクシェが言っていた事がそっくりそのまま実現していることに疲れているにも関わらず少し笑みになる。机に突っ伏しているから誰にもわからないけどね。
などと考えていると扉の開く音が聞こえる。
チャイムは既に鳴り終わっている。となると残った入室者は先生のみとなる。礼くらいはきちんとしなければならない。ゆっくり顔をあげると予想通り教壇には長身の男性教師が立っていた。
号令がかかる。重い体を持ち上げると周りに空席があることが分かった。軍曹の罰は本気のようだ。
「礼!」
おじき。それから座る。この動作がこれ程長いものとは思わなかった。
再び休息が始まる。アイドル業を強要されて、本来の仕事であった呪具の素材採取はお休みになっているため、普通に夜は寝ることができる。けど、一年続いた癖は早々治るものではなく、いつも通りやる気のない授業は居眠り。そうなるはずだった。
「では、ここを。シダさん読んでください」
まさかの指名が来た。適当な指名で選ばれたのは久しぶり、いや初めてかもしれない。順繰りで選ばれるのであれば仕方がないと諦めるものの、名指しで呼ばれるとは予想外だった。そして、案の定何の準備もできていない。
(……教科書十八ページ)
ミクシェが小声で助け船を出してくれる。ごめん教えてもらって。ごめん呪って。
「え、は、はい。えっと……」
教科書十八ページは初めのほうだからすぐに出せるはず。なのだがそうもいかない。なんせ教科書自体出していないわけだから。
慌てて引き出しの中を弄りだす。その光景が新鮮だったのか、皆が暖かい眼差しを私に送る。ヘイボンの威力を実感させられた。
やっとのことで教科書を取り出すことに成功。席を立ち、教科書で風切音をなびかせる。十八ページ、十八ページ。
「えっと、前ヘイワ歴が終わりを向か――っ」
単純な朗読であれば答えを考える時間も必要なく、ただ単に読み進めていけばいい。けど、そこにはどうしても躊躇せざる文が連なっていた。
「どうしましたか、シダさん」
「ぃぇ……。何でも……」
先生の問いかけに生返事でありながらも答える。再度教書に目を向ける。
「前ヘイワ歴が、終わりを向かえる時が、来た。魔物たちを擁護した、ネクロマンサー。その主たる先導者、ルバヌス・アルカードは、イリス・ヘイワの元、討たれ――た」
ヘイワ王宮の発行したヘイワ街の子供たちを教育するための本。その最初の方に書かれているのは如何にもと言わざるを得ない歴史。
人間が魔物の土地を奪おうとしていたことを揉み消し、自らの領地略奪を魔物が人間を襲い始めたと偽り、それを利用したネクロマンサーの長が討たれた――前ヘイワ歴が終わりを向かえた。
「ルバヌスは、最後に、抵抗を見せ、た。テリトリー、呼ばれる魔の空間。ルバヌス、の手により、人間は、住処を削られた」
違う。削られたのは魔物の方。ヘイワ街の周りに点在する、草原も、山も、湖畔も、何もかもが魔物たちにとって住処だった。それを追い出したのが、ヘイワ街の祖先であり、元を辿れば、人間。私も含めた、この教室、この都市にいる、全ての祖。
言葉が続かなかった。
この後には後ヘイワ歴、変わってしまった世界を取り戻そうと躍起になったヘイワ王宮の輝かしい功績が、ネクロマンサーを皮肉る形で語られている。
「ヘイワ王宮の歴史に灌漑深い所があったのでしょうか、ちょっと朗読が止まってしまったみたいですね。市民として恥じることではありませんよ?」
私のたどたどしい朗読をそう解釈した先生が頷く。この人は私が何なのか理解していないのだろう。ヘイボンの力か。
なら、仕方ない……か。
肩に重く圧し掛かる何かを把握することさえもできぬまま、先生の指示を待つ前に私は席へと落ちた。隣ではミクシェが心配そうに見つめているが、私は今どのような表情をしているんだろ。
このまま微睡が訪れてほしい。そう願い俯くも、故郷にいる皆への背徳感が否応なく襲う。普段行っている無意識の睡眠ができない。
「ネクロマンサーは今でも素性を隠し、テリトリーの拡大や不祥事――」
王宮の功績は続く。ネクロマンサーと言う裏切者を出汁にして。




