第1章-4 アイドルの苦悩
アイドル体力対決は遂に三回戦まで縺れ込んでしまった。
「アイドル対決は遂に三回せ~」
「ぐんそーさーん!」
「言うなぁ!」
これはいい特効薬を見つけた。と言っても校内、しかも体育系の授業オンリーではあるけど。
「とはいえ、これ以上対決に時間費やすわけにはいかんわな」
あれ? 今回はすんなりと受け入れた。人気云々、お金云々でまた愚痴を言うと思ったのに。
「時間が迫って来とる……」
ぼそっと呟いた一言が耳に残った。
ナンデモ学園の中央玄関。その遥か上で時を刻んでいるアンティーク調の時計を見やる。時刻は11時15分。
「現に、あんさんのお連れさんは一人で回り始めおったで」
「ミクシェさーん⁉」
〝拝啓 父上、母上へ
友情とは私が思っていた以上に儚いものでした〟
気づいた時には既に傍らにいてくれた栗色の髪が消えていた。親友だと思っていたのに!
「一,二回で終わるやろう見込んどったんやけどな。まさか午前いっぱいまでかかるとは想像しとらんかった。うちもまだ四つ残っとるし……」
「半分近くも終わらせてたんですか⁉」
まだ二つなんですけど⁉
「とりあえずギャラリーが減る前に終わらせなあかん! 今回は商品作る暇が無かったんや。大急ぎで昼休みのアイドル体力対決大勝利特売会の品を作らな! そして、その品を売るためにも早く宣伝と勝利や!」
「昼休みも潰す気ですか⁉ そもそも私たちに無事な昼休みが訪れるかどうかも心配なんですけど!」
どう考えてもあと45分で事を終わらせるのは不可能な。
「いい加減にしなさいませ! 先ほどから私を無視し続けるだけではなく、既に勝ち取ったような言い方をなさるのは許せませんわ!」
と、そこに横やりが。
「そんなこと言っている場合やないで。軍曹に目付けられたら何されるか分かったもんやない。ここは八百長と行こうやないか」
「誰がネクロマンサーと取引するものですか!」
こんな状況になっても頑なに自らの力を見せつけようとする意固地さ。軍曹の罰を賭けての勝負で無いことが分かった今、自らの体力を見せつけるだけならこの際投了してもいいかもと考え始めた。
「んじゃさっさと走り幅跳び対決に行くで! さっきと先攻後攻変更や! それでええな⁉」
「よろしくてよ!」
が、上司がかなり乗り気。
とはいえ先ほどからのようにぐだぐだと口論合戦があるわけではなさそうだ。
「お嬢様……お気を……つけて」
口うるさい奴も現在はそこら辺の木の棒を杖代わりに死にかけているし。
「皆の者! 我らがアイドル様は苦戦なさっているぞ! もっと、もっと我らの暑い魂を注ぎ込むのだー!」
唯一まだ元気なタナカではあるが。
「「「「「……ぉっぉぉ……」」」」」
炎天下で酸素不足の魚よろしく、息も絶え絶えな男たちはもう限界に近かった。
それは競技者にも言えることであり、イシュタル王女が肩で息をしながらスタート地点まで歩いていくのが種族の敵でありながらも同情せざるを得ない。
無論、私も限界突破中。きつい。
燃え上がりを通り越し燃え尽きた対決はこの走り幅跳びで決定する。いや、してほしい。
「い、行きますわよ!」
返事はない。アグロスさんでさえ返事を返さない。寧ろ返事を返せる人がもういない。唯一頷くことで返答するゼノさん。この人は暑くないのだろうか。
一国の王女であるにも関わらず、誰一人として応援してもらえない悲しい王女は周囲を一睨みした後、走り出す。
走り幅跳びは文字通り走って跳ぶもの。
けど、それはその時に一定の勢い、助走をつけられる人間が意味を成す物であり、そうでない人たちにとっては不要な物でしかない。
では不要になる人たちとはどんな人か。その答えが前にある。
「はぁ……はぁ……」
もういっそのこと踏切板まで歩いて行ったほうがいいのではないかと思えるふらふらな足取り。炎天下で二時間近く競技と口論と無駄なやり取り(割合1:3:6)を繰り返しているのだから私と同じ位の体力で保つわけがない。
そんなこんなでやっと辿り着いたイシュタル王女ここで勢いよく跳べば終わり。何だけど。
「止まった?」
今までの助走はなんだったんだと言わせんばかりの急停止。そのまま踏切板まで徒歩。それじゃもはや立ち幅跳びではないのか?
「ふっ!」
そこで王女がらしくない力み声を放つ。そして足を振り上げる。
「ふぐぅ、んんん!」
右足は踏切板のぎりぎりで踏ん張り、左足はできる限り前に前へとそれでもって地面に着かないように伸びていく。これは、
「大股かいな⁉」
ディーナさんが呆れた。無論、私も驚きはあったが、それを表現できるほどの余裕も体力もない。
「ふぅぅ……ふっ!」
最後の一押し、と言わんばかりの掛け声でほんのわずか、ほんのわずかにだけど距離を伸ばす。
「記録に入ります」
計測係が走る。遠目に見る限り砂地にぎりぎり入ったばかりの記録。一般的な学生では大したこともない記録と言える。立ち幅跳びでも当然越えられる距離に相当する。
「記録1メートル02」
「はん。おなごとは思えん力み方して1メーターギリ越えかいな。これならメリアスはんでも余裕――メリアスはん?」
「1メートル越え……」
「ぉぃ。まさかやけど……」
言うまでもない。ディーナさんも察してくれたと思う。
私は――1メートルを超えたことがない。
「いや、1メートル未満はないで⁉ そもそも未満は均した砂地ですらないやん! 足怪我するで⁉」
「えぇ、しました、しましたとも! 一期生の時に捻挫しましたよ!」
「そんなカミングアウト今はいらんねん!」
仕方ないんですよ! だってほとんど動くことのないネクロマンサーは安全な位置に陣取っていればいいだけなんですから! ここ最近一番よく跳んだことと言えばクリスさんに投げられたことくらいですからね!
「よし! ならここは恒例のマネ作戦で開脚を」
もはや第一回以降定番になりつつあるマネっこ作戦。だが、今回に至っては問題点が。
「私、脚そこまで長くないんですけど」
「だぁ! 何成長不良お越してんねん! 無駄に乳だけでかくせんといて背伸ばせや!」
「あなたに言われたくはありません!」
「あの~。早く終わらせないと軍曹が……」
幼稚レベルの争いが発展しそうになるが、計測係の一言で我に帰る。私たちには時間が残ってないのだ。
ディーナさんがこちらの身体をマジマジとどこが怨念がましく見ているのを尻目にスタート地点に立つ。長い……。
けど、これで跳ぶしかない。私にはイシュタル王女みたいな開脚力がない。助走をつけた飛脚力を生かすしかない。
「アイドル様ぁー! 頑張ってくださぁい!」
タナカがいつ持ってきたのやら、『メリアス』と書かれた応援旗を振っている。その横では疲れ果てている美少女部の面々、その横には嫌味すら言えなくなったアグロスさんと股関節を抑え悶えるイシュタル王女。一名除き皆限界だ。
もう終わらせよう。最悪力を見せつけられるだけなのだから負けてもいい。どこかに飛ばされるわけでもない。
諦めが募る中、私の走りは緩慢なものだった。どう考えても一メートルは跳べない。もう歩いて通り越す勢いのようだ。
残り10メートル。8,7,6。そこまで近づいた時だった。
踏切板に巨大な物体が滑り込んできた。
真っ白な球体。それが先に目に飛び込んできたが、それには手足に顔が。
「メリアスちゃん! 僕の! 僕のお腹を使って!」
それは以前握手会で大きな印象を与えた太った、いや、豚野郎と読んだら喜んでくれた男子だ。首元が遠目からわかるほど湿っていることから、この人も先ほどから見ていたのだろう。
「アイドル様!」「メリアス様!」「C様―!」
男子たちの声が聞こえる。後C様は余計。
「我らが思い受け取ってください! その者は自ら志願し、自らの身体を犠牲にアイドル様に大きな跳躍を約束させてくれます! アイドル様! 今一度、私たちにアイドル様の華麗なる姿を!」
タナカが大声で宣言すると、今まで地に伏せていた皆が立ち上がっていて、親指を立てこちらに笑みをくれた。恐らく彼らがこの……豚野郎を投げてくれたのだろう。
「みんな……」
うざい。暑苦しい。変態。
そうではあるが、皆私を応援してくれている。今回の勝負はどうでもいい、と私が思っていても、彼らはそれでも真面目に――これを真面目と言っていいのか疑問ではあるが――声援を送り続けてくれている。
アグロスさんが嫌な顔をしているが何も言わない。イシュタル王女は絶賛悶え中。
そうだ。負けてられない。これは単なる勝負であると同時にお互いの意地の見せ合い。故郷で暮らすネクロマンサーの皆が劣等させられないように私が頑張らなくてはならない。
足に再び力を入れる。
大…豚野郎はいつでも準備万端とばかりに腹を出しては引っ込めと気持ち悪い動きを見せる。あれに乗れば少しばかし記録は伸びるかもしれない。
場は整った。私の意気込みも十分。だからこそ、いける。
残り2メートル、1メートル、最後の一歩。
そして私は大きく足を前に出し、そして、
こけた。
相手がでかすぎた。足が全く腹の上に行くことはなく、腹の中腹で足が引っ掛かった。そのまま前のめりで腹の上に倒れる。そのまま覆いかぶされば良かったが、大柄な人は「ぐふっ」と声を鳴らした後とんでもない反動力を腹に込めたようで、私は前方へ宙を一回転。そのまま砂地へ背中から。
「うげっ!」
後頭部、背中、お尻に砂地とはいえ猛烈な痛みが走る。そして熱さ。普段は靴のみが大半を触れる砂地は大いに熱せられ、身が焼けるのではないかと言う熱さに悶える。
「ふっ、あっはっは……流石はネクロマンサー……大したオチ」
「アイドル様!」「小太り!」
アグロスさんがようやく振り絞れた言葉はタナカによって打ち消された。後、小太り扱いですが、あの人は。
「計測に入ります」
計測係が私のいる砂地に入ってきた。計測中を邪魔することはタブーなのだろう。私に近づこうとした人たちは皆、小太……豚野郎の方に駆け付けた。
「大丈夫か! よくやったぞ! 我らが美少女部の誇りだ! 勲章ものだ!」
タナカが称賛すると、周りにいた男たちが歓声をあげる。傍から見れば大義を成し遂げたように見えるが、実際は本当に小さな出来事に過ぎない。
「ゃ、ぁ……」
「どうした⁉ どこか痛めたのか⁉」
が、急変。何やら異常事態を察したタナカの声が荒げる。何とか立ち上がり状況を確認する為に振り替えると男たちが何だか騒がしい。
「どこだ。どこを痛めた!」
「ゃ……」
「や、どこだ⁉」
「ゃ、ゃわら……かかっ……た」
聞こえてはならない何かが弾ける音が聞こえた。
「貴様―‼ よくも‼ よくもアイドル様の‼」
「お前その為に自ら土台になりやがったのか‼」
「俺だってまだ触らせてもらったことないんだぞ‼」
先ほどまでの祝いムードが崩落。呪いを通り越し、殺意のたぎった巷がそこにはあった。
一人仰向けになっている男を無数の男たちが蹴り、踏みつける。今まで倒れていたのにどこからその力が湧いてくるのか不思議でならない。
「あのー! そんなに声を荒げないでください! 怪しまれますから!」
「そんなことは知らん! 今は、今はこのタブーを犯した抜け駆け野郎を始末するのが先決なんだ!」
「「「「「そうだそうだ‼」」」」」
計測係が止めようにも止まらない。アイドル対決の会場でも体力測定の会場でも無くなった無法地帯。この光景は異常でしかなかった。
だからこそ目立ったのかもしれない。
「貴様らぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
大地が叫んだ!
と錯覚されるくらい地面の揺れる大声量。ただの一声で誰もが怯むその一撃を放った持ち主は砂煙を巻き上げながらその姿を現した。
「「「「「軍曹だぁぁぁぁぁー‼」」」」」
あ、あれが軍曹……。
まだ遠くに見えるも、その体格はグリズリーを思わせるほどに巨大で赤いベレー帽に森の中では絶対にわからないであろう色彩の軍服。その出で立ちはまさしく軍曹。
「体力トレーニングそっちのけで何をしている貴様ら‼」
遂に目の前までやってきた軍曹。竜かまたは鬼を思わせる顔で睨まれた美少女部の面々は硬直し、一言も発することができなくなる。
「貴様らには根性が足りん‼ この軍曹直々に鍛えなおしてやろう‼」
その一言がきっかけとなったのか、美少女部の面々は八方に散り、逃走を謀った。
「逃げられると思ったか‼」
それを軍曹が人間離れしたスピードで間合いを詰め、捕まえると一般男子学生を片手で軽々と持ち上げ、放り投げた。投げた先にあるのは体力測定で使う器具を持ち運んだリヤカー。その上に男たちが見る見る積み上げられていく。
「「「「「ぐへぁぁぁぁぁー‼」」」」」
そしてその上に重石の如く落ちてきたのはリンチを受けていた豚野郎。あれすら持ち上げる怪力はまさしくグリズリー。
「はっは。いいざまだな美少女部にタナカ! ついでだネクロマンサー。お前も奴らと一緒に」
杖をつきながらアグロスさんが何かを言いかけた時、その体が宙に浮いた。体操服の襟元を掴んでいるのは言うまでもない、軍曹だ。
「何だそのだらしない体たらくは‼ この程度の体力作りでこの様とは、今一度鍛えなおしてやる‼ 覚悟しろ‼」
アグロスさんがまた宙を舞った。リヤカーに新たなる犠牲者が増えた。
「今日は門限超えても帰さんぞー‼」
「ヤダー‼」「助けてくれー‼」「お嬢さまー‼」
男たちに溢れたリヤカーを軍曹は何の苦もなく持ち上げ、現れた時同等の速さでリヤカーがあれよあれよと遠ざかる。これから仕込まれる鶏の如き鳴き声がグラウンドに響き、消えた。
辺りには静けさと幾何か増した熱だけが残った。
周りの生徒たちは男女関係なく皆怯え、中には泣きじゃくる子もいた。
「こ、こっわぁぁぁ……」
いつの間にか私の後ろに隠れていたディーナさんが顔を出す。一連の出来事に呆気を取られていたから気づかなかった。
「すさまじい人でしたね……」
「あんさん大物やで。あれ見て恐怖せんかった生徒はおらんのやで?」
「う~ん。驚きはしましたけど、怖くは無かったですね、それよりも思ったのは懐か」
言いかけた時だった。背後の方で走る音。普段は響かない足音が、この静寂の中ではかなり際立っていた。
足音が近づき背後を見る。ガッ、と木を引っ掻くような音。
そこで見たのは、私が思い描いていたような跳躍だった。
宙を歩くように足を回し、着地寸前に大きく足を前に出す。胴体が足よりも後ろに着かないように体を捻り前方へと転がる。その飛距離は圧倒的で私の物とはお話にならなかった。
長い手で服に付いた砂を落とす。おかっぱと呼ばれる類の黒髪から覗く黒真珠のような瞳は自らが作り上げた足跡を見つめる。その姿に疲れた様子は一切ない。この暑さに何の苦言も無いかのような、寧ろ彼女の周りには暑さ自体失われているのではないかと疑わせる凛とした姿は、見ている自分ですら身が引き締まる思いだった。
「……計測」
彼女がただ一言発すと、軍曹の騒動で心ここに非ずだった計測係が動き出す。確かにこれは彼の仕事ではある。が、今の今まで騒ぎが起きていたのだ。逆に日常に居続けていた彼女の方が異質なのではないのだろう?
不思議な印象を与える少女を観察する気こそ無かった物の、つい見続けていると偶然にも彼女と目が合ってしまった。
その時だった。冷淡に物を進めてきた彼女が眉間に皺を寄せた。それは明らかに嫌悪の顔だった。思い当たるとすればイシュタル王女が常に見せる表情に似ていた。
「記録、4メートル70です」
が、それも一瞬。計測係の測定が終わり、自らの記録が記載されたと確認されると、何の交わりも無かったかのようにその場を後にした。
「……そういや大物はあそこにもおったな」
「ディーナさん、あの人を知っているのですか?」
私の問いかけにディーナさんが頷く。
「トウ・レイハ。うちと同じCのクラスメイトや。普段から何にも動じず粛々と物事に打ち込んどる奴でな、周りがどれだけ騒ごうとやってることのスピードが衰えることはないんや」
なるほど。だから軍曹があれだけ暴れた後でも冷静でいられたんだ。
「さっき見た通り運動神経は抜群。普段の態度も相まってクリスはん同様男子だけやなく女子からも好かれているんやけど、まぁ、性格があれやからな……」
「他には無関心なところですか?」
「うーん。無頓着言うよりも、素っ気ない言うた方が当たっとるかもしれんな」
素っ気ない。確かにそうかもしれない。先ほどの走り幅跳びの記録だって、私にしては夢のまた夢、それこそ歓喜する記録だというのに、彼女はそれに何の興味も持たなかった。余り伸びなかった故に不満があった、というわけでもなさそうだったし、やはり興味が無かったと考えるのがしっくりくる。
ただ、そんな彼女が見せた私への眼差し。あれは一体……。
キーン、コーン、カーン、コーン。
全てが止まったような感覚に襲われた。
憂鬱なる国語の授業、頭を悩ませる数学の授業、眠気を誘う生態学。それらの終了を告げる歓喜の音色であった。が、今は違う。
この鐘の音が私たちの運命を変えた。
「「やってしまった(で)ー‼」」
私たちの昼休みは、こうして無くなった。




