第1章 変わり目
第1章 変わり目
「シダさん、また遅刻ですか⁉ 一期生の頃からそうでしたが、二期生になっても変わらないようであれば、今度こそ、留年、もしくは退学になりますよ⁉」
「はい。気を付けます」
一応決まり文句として返事をしたけど、正直こればかりはどうにもできない。現在の時刻は午前の10時近く。二限目も終わりそうな時間なのだけれども、これでも4時間しか寝ていない。眠い。
時間もないし、もはや生活リズムの一つとなったために、この遅刻生活は一生治らないであろう。寝癖が残っているにも関わらず、セットすることを忘れた髪を適当に手櫛で梳きながら、自分の席に座る。窓際であり、春の日差しがちょうどいい具合の高さから降り注いでいる。眠い。
「メリアスさん。毎回遅いけど、もう少し早く寝たらどうかな?」
隣の席から声がする。
栗色のショートヘアに、幼い顔立ちの中に転がる蒲公英色の瞳でこちらを見てくるのは、ミクシェ・アヴァロン。
一期生の初めの時、ちょうど隣にいたため、数回話をした程度の仲。で終わるはずだった。その後良く隣同士になり、何の因果か二期生となってクラス替えをしても同じクラスになり、更には隣同士になるなど、知り合いの枠では捉えきれない何か特別な力が発揮しているような引きで一緒になっている。全四クラスの更に一クラスだいたい四十人の中から隣り合う確率だから、計算するのも嫌になる。偶然か、奇跡とでも呼んでおくべきだろうか?
「ごめん。こればかりは生活習慣というか何というか――無理なことなの」
私は不愛想に答え、眼鏡の位置を整える――仕草をする。整えるというよりも落ちないか心配しただけで、それには立派な訳がある。
私は別段目が悪いわけではない。寧ろいいほうかもしれない。
なら、何故眼鏡をかけているのかと言うと、これ実は眼鏡では無く呪具と呼ばれるきな臭い一品である。名称は『ヘイボン』呪いの効力は〝目立たたなくなる〟であり、私が目立っては困るためにいつもかけている。この無愛想な喋り方も効力の一つであり、人を突っ放す意味があるらしい。元の私の喋り方はもっと砕けている方だと思う。
「あ、ごめん。そういえば夜お仕事してるんだっけ? 両親がいないから大変なんだよね……。私で良ければ何か手伝って――」
「いいわよ。相談乗ってくれたり、話相手をしてくれるだけで十分だから」
嘘である。夜仕事をしている部分は正解であるが、両親はともに健全。今も私や他の人たちが送り届けている物資の分配業に精を出している。
両親の出身地であり、もちろん私の出身地でもある常闇の街ヨミガエルは深い森を抜け、谷を越えてやっと辿り着ける山々に囲まれた陸の孤島と呼ばれる位置にある。
何故そのような場所にあるかと言うと、単純に言えば批難されているからだろうか?
遥か昔。この地には人間と魔物達が互いに共生をしていた。知能は圧倒的に人間の方が上でそれ故に魔物達を見下し、領土の拡大、侵略など好き勝手やっていたそうだ。
そのことを良しとしなかった魔物達が争いごとを始める際、魔物側についた人間がいた。ネクロマンサーである。
ネクロマンサーは死霊を操るほかに、魔物達の体の一部を素材にした呪具の製造によって生活基盤、地位を得ていた。そのことから魔物達が争いごとで滅亡することを危惧したネクロマンサーの長、ルバヌス・アルカードは争いごとを止めようとした。が、他の者たちはそれに聞く耳を持たず、最終的にルバヌス率いるネクロマンサー陣は魔物側についた。
別段人間を滅ぼす気は無かった。両者共に戦争ができないほど疲労すればいいと考えていたルバヌスであったが、予想以上に争いは長引き、最終的に当時の勇者と姫によってルバヌス自身が打ち滅ぼされると同時に戦争は終わった。
しかし、未だに魔物は滅んでいない。
ルバヌスが最後の最後で作り上げた魔物達の為のテリトリー――即ち領土は、魔物達が住み着きやすくする以外にも聖なる力を寄せ付けない力を残し、魔物達にとっては死守すべき絶対領土となった。このテリトリーは聖職者が浄化するにも、並大抵な努力では無理だと言われており放置せざるを得なかった。故に、騎士団と言う物が未だ残っていてここ私立ナンデモ学園にも、騎士部と呼ばれる騎士養成の部活が存在する。
そしてネクロマンサーもまた滅びを迎えたわけではない。しっかりと生き延び、己の素性を隠しながら、今日もどこかでひっそりと暮らしている。私のように。
そう。私はネクロマンサーである。
何故目立たないように心がけながら王族そしてその直属の騎士団が蔓延るヘイワ街にいるのかと言うと、先ほども説明した物資の配達業をしているからである。
常闇の街ヨミガエルは俗世間から孤立した場所にある。けれどもネクロマンサーもまた人間であり、生活に欠かせないものは多々ある。
中でも食料は死活問題。一年中夜のように暗く、日光を得ることができないヨミガエルでは大概の食物は育たないし、家畜をするのも厳しいし、水中生物を取るにしても沼くらいしかない。だとするとどこかで仕入れる必要性がある。故に私のように危険だとわかりながらも表舞台で活躍しているネクロマンサーは少なくない。
とは言うが私が送っているのは食料品ではない。それは収入源である。
食料を買うには、お金が必要不可欠となる。となるともっとも重要になるのは収入源である。が、出稼ぎで稼いだとしてもヨミガエルに住む全員の分を賄うには相当な人数が必要となる。もしそうするのであれば、最初から移住している。
そこでネクロマンサー特有の特産品を作って、それを他国で売り捌く方法が取られた。
特産品と言うと聞こえがいいが、正確に言えば呪具である。もちろんその事実は伝えていないし、ネクロマンサーが作ったものだなど口が裂けても言えない。ばれないのかと言うと別段、人を呪い殺すなどと言った物騒なものではなく、睡眠を促す、人を惹きつけるなどと言った物を作っているため、適当に誤魔化せば結構ばれない物である。私はその材料を仕入れている。
つまり、私が送っている物資は魔物達の体の一部である。
ヨミガエルの近くも魔物達の宝庫ではあるが、何でも揃っている雑貨店のようなテリトリーは存在しておらず、様々なテリトリーの近くに私みたいな調達員が派遣されている。
一応私はネクロマンサーとしてそれなりの素質を持っているため、ここらのテリトリーで後れを取ることは無い。問題はそれ以外にある。日中、あるいはまだ仄暗い時間帯だと腕試しと言った輩がいるため、近づくことができない。
構わずにやれればいいのだが、私が使うのは降霊術。死霊を召喚して戦わせる術であって、そんなことをしたらすぐにネクロマンサーだとばれてしまう。仮に己の腕力だけで戦うとしたら、雑魚相手にでもあっさり死霊たちのお仲間入りしてしまうかもしれない。
だから、私が物資を調達しているのは真夜中から朝方。つまり皆が寝静まっている時間である。
だからこそ、
「眠い……」
「完全に寝てたよ……。私何度か揺すってみたけど、目開けながら無反応だったよ?」
我ながらとんでもない能力を身につけたものだ。思考しながら、目を開けながら、寝られるとは。
「次の時間は何でしたっけ?」
「次は魔物生態学だよ」
「寝よう」
「……いいな、メリアスさんは。いつも遅刻ばっかりなのに頭いいって」
こればかりは専門家なので、知っていて当然である。それ以外の学業もほとんど聞いていないけど、ここに出てくる前にある程度事前学習――とは言っても呪具の力によるもの――しているので赤点で退学することはほぼない。
春の日差しが体温を仄かに上げてくれる。心地が良い。机で寝るのも随分慣れたものである。
(今日はグリズリーの右爪と心臓調達かな……)
学園のことや、心配してくれる知り合いのことなど全く考えることなく、私は今夜の計画を練って寝ることにした。
◇
「はぁー! 良く寝た!」
家に着くや否や、ソファーに全身を放り投げ、眼鏡を外し、素の自分に戻る。こうでもしないと時折自分と言う者を忘れてしまう感覚に陥る。
「また学園でお眠りになったのですか? 折角の機会ですから、もう少し学園生活を楽しまれては如何でしょうか?」
畏まった口調でこの家に住む一人が私に話かけてくる。
「流石にそういうわけにはいかないのブラムハム。一応責務だし。それに、変に高揚して正体がばれでもしたら、それこそ命に関わる問題よ。逃げたら逃げたで何言われるかわからないし」
白髪のオールバックで、彫の入った顔立ちは年季が入っており、さぞ人生経験が豊富でありそうな老人が私の前にコーヒーと菓子を置く。
彼はブラムハム。私の配下であり、もっとも信頼できる相手である。
配下と言うわけだから彼も死霊であり、人生経験豊富と言うのはイメージだけではなく、事実である。私の数十倍は生きている――と言う言い方はおかしいが、存在している。
「ですが、私は退屈になるほどの時間を過ごしてきた故に、そこまで関心のある出来事ではありませんが、メリアスお嬢様にとっては一度きりの体験になるかもしれません。少しは楽しむことを考えたらいかがでしょう?」
「けど……」
「旦那様や奥様なら、メリアスお嬢様の楽しい日々のお話を聞けるだけで、さぞ喜ばれるでしょうに」
「うぐ、そこで両親を使うのは無しでしょ……」
人生経験豊富故に、私を言い包めるのも巧みである。
私は物資を送り届けてもらう際に、一緒に両親へ手紙を出す習慣がある。いわゆる文通である。
母上はともかく、父上は何か問題があると一日中走ってでも、私の元へ駆けつけてくる親馬鹿だから困りものである。私が楽しそうにやっているのであれば、向こうで自分の仕事を頑張れる励みにはなると思うのだけれども。
とはいえ、そういう私も実は学園生活を楽しみたいという思いはある。同じ年頃の子はヨミガエルにはいなかったし、フロースも年代が近いとはいえ、あっちは配下で死霊。
そんな私が学園全体で百人以上も同い年、もしくは近い歳の人がいる中でただ一人仕事に打ち込むだけの学園生活を送るのは、正直淋しい。
今時の話をしたり、おいしいもの食べに行ったり、流行りの場所に行ってみたりしてみたいとは思うこともある。
「やはり、気はあるのですね?」
「えっ⁉ な、何のこと⁉」
ブラムハムが心の中を見透かしたように語りかける。
「メリアスお嬢様は何か悩んでいる時、なにかしら手を動かす仕草がございます。それで十個目の角砂糖ですぞ」
その言葉を聞いた時には固体寸前に煮詰まった砂糖珈琲が完成していた。
「あ、甘い物が好きなんです!」
「それは存じております。糖分の過剰摂取は体に悪いですぞ?」
二度目の敗北である。
やっぱりブラムハムには敵わない。父上や母上が執事兼御目付け役として選んだだけはある。だからこそ、その話を素直に受けいれることができた。
「それもそうかな」
コーヒーカップに伸ばそうとした手をゆっくりと戻し、席を立つ。
「どうされましたか? メリアスお嬢様」
「少し仮眠を取ろうと思います。夜になったら起こしてください」
「左様でございますか」
ブラムハムは、私の行為を単なる怠惰ではないと見抜いていたようだ。
ある程度睡眠時間を取ることによって、眠気を和らげられるのではないかという、浅はかな行為ではあったが、それでもやらないよりかはマシであると考えた。
二階にある寝室に向かう際、踊り場に備え付けられた窓から外の景色を眺めた。
テリトリーが近くに存在し、特に用事が無ければ近寄ることも無い辺鄙な場所に立つ屋敷からは、草原越しに城下町が見え、その奥地に一際目立つヘイワ城、そしてその手前に私立ナンデモ学園のシンボルである時計が、白い建物が整列する中で一つ目立っていた。
〝拝啓 父上、母上へ
二期生となった私は、少し背伸びをしてみたいと思います。〟
◇
日付も変わった頃、起床と共に軽い夜食をとり、私は星々が目を覚ました外へと繰り出した。
戦闘衣装である全身どころか、足の付け根まで覆う黒いローブを羽織り、右手には杖をモチーフにした呪具『マリョクアル』を携え、魔物達のテリトリーの一つ、『カエラズの森』へと予定通りやってきた。
「明日――いえ、今日のことを考えますと、早々に仕事を片づけてしまわれたたほうがよろしいでしょうかね?」
「大丈夫です。程よく仮眠できましたので、一晩頑張っても耐えられます――たぶん」
ブラムハムの提案を私は断った。そんなことで仕事を疎かにすることは許されない。やるべきことはしっかりと全うしてから、私事に勤しまなければならない。
ブラムハムはそれをただ頷き肯定した。ブラムハムはいつも通りの執事服ではあるが、左の腰の部分には黒い柄が備わっている。彼が長年愛用しているレイピアである。
万全の狩り態勢の中、私も今日の学園生活のことは一度忘れ、気合を入れ直す。そのついでにヘイボンの位置も確かめる。真夜中にわざわざテリトリーの中に入る馬鹿は早々いないと思うが、それでも万が一、人とばったり会ってしまった際、私の服装や武器で見抜かれなくても、隣にいる顔面が白を通り越し、真っ青になっているブラムハムを見れば、勘のいい人なら死霊であるとばれてしまうかもしれない。その時、一緒にいた私が疑われないようにするための注意だ。
けど、一期生をしながら仕事をこなして早一年を過ぎたが、幸いにもそういう物好きには一度も遭ったことが無い。
今日も特に心配などせずに、グリズリーの素材を頂いて帰ろう。
そう思っていた。
「しかし、見当たりませんな」
「そうね」
ブラムハムも気付いていたようだが、全く気配がしない。
いつもならば、寝静まっている奴の寝首を狩り取ったり、最悪起きていた奴に遭遇したとしてもそれは好都合で、探す手間を省くことができた。
けど、今日に至っては一切見かけることが無い。集団移住もしたというのか? それもないか。テリトリー外に魔物が大量に出て行った時点で騎士団が討伐令を出して殲滅にかかりに行くだろう。
では何故か。そう考えていた私の前にあるものが見えた。
「……場所を変える必要性があるみたいね」
目の前には漆黒の毛皮を要し、獰猛な牙をむき出しにした体長二メートルはあるだろう熊。探し求めていたグリズリーである。地面に這いつくばっているところを見ると熟睡中かと思われるが、こいつは永眠している。
地面にはおびただしい血痕が残り右腕も肘から上を失っている。その断面を見る限り、よっぽど鋭利な物で掻っ切られたようである。それを見た瞬間、私はここに、しかもこんな時間帯に誰かが来ていることを察した。
「そうでございますな。近場でございますと……ソコナシ沼地辺りがよろしいのではないでしょうか?」
ブラムハムも納得し、違う場所に移すことに賛同した。ソコナシ沼地は明後日の採取場であり、ここからも歩いて行けば一時間は経たないうちに着けるはずである。
「ふう。早速予定が狂いましたね。明日もゆっくり昼ごろまで寝させてもらうことにしましょう」
観念した私はブラムハムからナイフを借り左腕を切り裂く。どうせ目の前にあるのなら一個くらい拾っていってもいいだろう。今度は背中の部分を一刺し。血が腹部から大半抜けきっていたのか、出血はほとんどない。
右手にかかったローブの裾を捲り、まずは左腕を採取しブラムハムへと渡す。
その後、背中からグリズリーの体内へと手を侵入させる。慣れた手つきで心臓を探し当て、邪魔な物をすべて切り捨て、心臓を真っ赤になった右手で持ち上げ、これもブラムハムへと渡す。
ブラムハムがそれを持ち歩いていた袋に詰めている間に私は右腕についた血をブラムハムから心臓と交換するように手渡された布で拭き取る。
同年代の女子は、学園で行われている魔物生体学でやる解剖ですら怖気づいてやらない。そんなビビりで騎士になろうと思うやつもいるからそれは滑稽だ。魔物を討伐した日にはすぐ貧血で卒倒して近くの魔物にリンチされてお陀仏だろう。
「さて、予定が狂いました。早々にここを出て次の目的地へ行き……」
話の途中で森の中に金属音らしきものが響き渡る。その音に私もブラムハムも警戒を強める。
「交戦中ですか。見つからないように撤退しましょう」
「そうね、急ぎましょう」
私とブラムハムは命と両手と心臓を失ったグリズリーを何も弔うことなく、急いで元来た道を逆走しだす。金属音は激しさを増している。途中で魔物の呻く声が聞こえ、その声の主がグリズリーであることに気付く。どうやら先ほどグリズリーを倒した者が連戦しているようだ。何とも面倒なことを。
愚痴りたくなる気持ちを払いのけ、ひたすら足を動かす。
けど、妙なことに呻き声と金属音。どちらも音が大きくなっているような気がする。
と、足の長さから一足先に先行していたブラムハムが草陰に腰を下ろしている姿が目に入った。近づくと静かにするようにとジェスチャーで促されたので、それに従いできる限り物音を消してブラムハムに近づく。
「困りましたな。迂回でしょうか?」
小言でブラムハムが呟く。その目線の先には先ほど見たグリズリーと同種が満身創痍になりながらも敵意をむき出しにして仁王立ちしている。
その真向い、グリズリーと対峙するように立っているのはハーフプレート以外は比較的軽装な鎧と下はスカート。後ろで一本に結い、フェニックスの尻尾のように肩から腰へと下りる赤い髪をした女の姿だった。手には女の体格以上の大剣が備わっていて、それをしまうだけの大きさがある鞘が腰の部分で横に括られている。
騎士団の人間だろうか? こんな真夜中に鍛錬とは騎士としては鏡であるが、ネクロマンサーとしてはただの邪魔者に過ぎない。
そう思っている間にもグリズリーとの決着はついた。
残る力を振り絞った右腕の薙ぎを女は剣で意図も簡単に受け止め、そのまま右腕を押し返しよろめいたところを無慈悲な一撃で仕留めた。大剣とは思えない斬撃からして、よほどの手練れなのだろう。
「終わったね。このまま待ってあいつがどこかへ立ち去るのを待ったほうがよさそうね」
「左様でございますが、もしこちらに向かってこられたら――」
ブラムハムとの密談をしていた時だった。
「誰⁉」
突如凛とした声が私たちの方に向かって放たれた。
そのことに私はびくつき、思わず草陰から身が出そうになってしまう。
一方のブラムハムは特に動揺した様子もなく「見つかりましたね」とぼやいた。
「ここは私が魔物の代役として現れて、あやつと対峙しましょう。お嬢様はそのうちに逃げてください」
ブラムハムが告げる。確かにそうすれば、私は逃げることができる。未だに警戒を解かない女は腕が立つようだが、ブラムハムも負けてはいないと思う。しかし、いくら死霊とはいえ、いくつも傷が付けば体に支障が出る。それにブラムハムにとってもっと恐ろしい事態が訪れないとは限らない。
「いいえ、ここは私が行きます。私なら一般人として見られる可能性があるかもしれません。もしもの時は頼みますが、それまではこれを預かっていてください」
私はマリョクアルを強引にブラムハムに押し付けると、すぐに茂みから出る。長いこと隠れていると余計な疑いをかけられるからだ。
「物音がすると思ったけど。まさか私以外にも真夜中のテリトリーに足を踏み入れる物好きがいるとはね」
「誰です、あなたは?」
魔物で無いことを認識した女が大剣を下ろす。遠くからでは見えなかったが、整った顔立ち、目は髪と同じで燃えるような真紅をしている女は私と同い年くらいだった。
「誰と問いた方から普通は答えるものですが、生憎、今私は答えることができません。王族勅命でして」
「お、王族からの勅命? まさか、あのことについてまだ何か言及する気?」
王族に関して何らかの心当たりがあったのか、女は動揺して大剣を持つ手が若干力んだように見える。失敗だったか。まぁそのことから外れればよいだけか。
「いいえ、あなたの思っているようなことではありません。私がここにいるのはこの森に最近現れる特異な化け物についてです」
「何によそれ? そんなことあたしは聞いたことないわよ」
「当たり前です。これは極秘の調査であり、討伐であるのですから」
完全なでっち上げであるが、女は食い入るように問いかけた。どうやら信じているようだ。王族のこととなれば信じる。騎士とはだいたいこんなものだ。
「とりあえずあなたは早く帰った方がいいと思いますよ? 変にうろつかれて被害者になられては王族も、そして今日調査していた私も、とばっちりを受けますので」
私は一通り警告した後、女を見返す。これで帰ってくれれば一石二鳥。場所を変えず、さらには横に転がっているグリズリーも採取が可能になる。仮に帰らなくても、私は女の前を素通りして外に出ればいいだけ。どうせ女の方もヘイボンの力によって私のことなど覚えてないだろうし。
「ならば、あたしも行く! あなた魔道士なんでしょ? 詠唱中に襲われでもしたら大変じゃない!」
が、予想外の方向へと傾いた。
予想通りと言えば、この全身を覆うローブが今時の法衣ではなく、旧魔道士の法衣であると認識してくれたことである。
ずいっと寄せてきた女の瞳は燃える様な闘志を抱く。グリズリーの返り血が付いていないどころか、その顔には汗が一滴すら浮かんでいない。先ほど見ていた以上に手練れのようだ。
とはいえ、ここで押し負けたら終わりだ。探索しきった末に何も出てこなければ間違いなく疑われる。運悪く今日は現れなかったと言っても、この女がそれで食い下がるような人間ではないと、先ほどの戦闘と協力をせがむ意思で理解できる。
「できません」
ただ一言、ピシリと言い放つ。突き放すような言い方で女が黙るとは思えないが、先制していかないと負ける。第一印象でそう思ったからだ。
「先ほども言いました通り被害者を出すわけにはいきません。私の場合戦闘だけではなく、逃避などの補助魔法も心得ていますが、もしあなたが襲われた際、怪我をした際、どのように対処するのですか?」
「それは事態が危うくなったときに」
「それでは遅すぎます、無くしてからでは遅いのです。だからこその保険が用意できていない人間を同行させるわけにはいきません」
まぁ、死んだら生き返してあげもいいけど、こんな面倒なのはいらないかな?
口答えができなくなったのか奥歯を噛みしめる女、若干大剣を持つ両手に力がこもっているようで、大剣が先ほどより少し浮き上がっている。未だに鞘に納めない点からして、まだ同行を願っているのだろうか。この女は何故そこまで協力的――いや積極的なのだろうか?
私の粘り勝ちか、そう思った時森の中に轟く謎の一声。
呻く声は葉をざわつかせ、鴉を闇の空へと追いやる。
鴉の避難警告が聞こえる中、私と女、ばれないように目線を草陰にやると隠れているブラムハムも警戒していた。辺りを見回したのは一瞬。すぐに声の出がわかった。
木の軋む音。何かが大地を踏みしめる音。不協和音が聞こえてきた一点に、この場にいる全員が視線を向ける。
やがて暗闇の中に動く黒い影が見え始める。二本足で直立する何かは木の枝に手らしきものを当て、木を押しのけるように前へと進む。その際、大きな衝撃を受けた木が次々と悲鳴をあげる。
女が唾を飲む音が、化け物の発てる音以外何も聞こえない森の中で静かに鳴る。まさかここまで都合悪く事が進むとは思ってもいなかった。私は女に見えないように頭を抱えた。
それでも事態はお構いなしに進む。そして女は私がでっちあげたイレギュラーの存在が近づいてきていると信じ、私の警告を一切無視して構え始める。
やがて黒い影は月光を浴び、その容態を少しずつ露わにする。その姿は今日何度も顔合わせをし、本来ならもっと関わりがあったはずのグリズリーだった。
だが、特記すべき点がある。予想通りかなりの大物だ。親とか成長期とかそういう問題の大きさではなく、強いて言うなら突然変異がしっくりその体躯に一瞬驚く。
「意外と普通なんですね」
などと余裕ぶって見せる女だが、明らかに震えている。それもそうだろう。何せ、先ほどまで戦っていた奴と容姿は一緒でも背丈は桁違い。もちろん腕のリーチや歩幅なども計算をリセットしなければならない。
「とりあえず出てきたからには仕方ありませんわね。あちらも敵を前にやる気満々のようですし」
大型のグリズリーは、先ほど女が倒したグリズリーを見て呻いた。それを人間の感情で表すなら嘆きだろう。グループか親族か、はたまた愛すべき者か。奪われた者の怒りを露わにし、こちらに怒りの瞳を向ける。
さて、となると問題はどう戦うかだ。
先ほど戦闘を行えるような物言いではあったが、私はネクロマンサー。本体は単なる魔力の貯蔵庫でしかない。召喚すれば戦うことはできる。が、それではこの女にネクロマンサーであることをばらすことになる。例えヘイボンの力で私が誰だかわからなくても、カエラズの森にネクロマンサーが現れたと知られれば、この辺を警戒されるに違いない。営業妨害もたまった物じゃない。
かといってこの女に任せておくのはどうかと……。
「って⁉」
その女がもういない。
遅れて金属音が響いた。
聞こえてきた方向に向き直ると案の定の光景が広がっていた。
女の大剣をグリズリーが右腕の爪でしっかりと受け止めている。すかさず左腕を振るうが、いち早く気づいた女は大剣を引き、後ろに飛ぶ。左腕の爪が女の赤い髪に擦れ、数本が暗闇に舞う。
「ちょっと何を⁉」
私の言葉は耳に入らなかったようで、女が再度仕掛ける。目の前の敵以外何も視界に入っていないようだ。
「これだから騎士ってのは……」
もう愚痴を零さずにはいられない。迷惑も迷惑、はた迷惑だ。
目の前で熱戦を広げる猪突猛進騎士をどうすればいいのか。保護者役に回された自分の立ち位置が哀れに思えてきた。もういっそのことこの場から立ち去ってしまえれば……。
待てよ?
女は今グリズリーと交戦中。そして私が詠唱していること、ましてやいることなど一切忘れているような戦闘っぷり。
ならば、その後ろをこっそり横切ってこの森から出てしまっても気付かれないのではないだろうか? そうすれば面倒事も無く森の外に出られる。その後女がどうなるかはこの際知ったことじゃない。
激しい打ち合いが続く一人と一体の戦いの様子を伺い、ブラムハムに目線で指示を出すと私はゆっくりと行動を開始する。
グリズリーの巨体から繰り広げられる連撃を上手いこと避わし、逸らしながら懸命に前へ前へと攻め込む女とは相反的にこっそりこっそりと入口に向けて歩く。女が気づいたらもちろん駄目だし、グリズリーの方が気づいてもグリズリーの狙いが変わると同時に、それを追う女の目線も変わる。衣装と平凡さを保護色にし闇に紛れながら歩を進める。
半分を過ぎた辺りでブラムハムが既に向かいに着いていることがわかった。茂みを迂回してきたのだろう、音さえ立てなければ速度に制限の無い茂みの方が早いわけだ。静寂の中に響く激戦の証に耳を立てながら、残りわずかになった茂みに少しばかし速度を上げて歩み寄る。
その時、甲高い音と共に長い静寂が訪れる。
疑問に思ったのは僅かで、残り少しとなった道を歩み進めようとする私の耳に風を切る何かの音が聞こえる。
聞き間違いではなく、その音がどんどん近づいて――、
「ぬぉぁー⁉」
私の目の前に銀色に輝く刃が空から地へと落ちてきた。
突然の災厄にらしくない声をあげ、腰が抜け、尻もちをついてしまう。らしくないというのはヘイボンを付けていながらと言う意味であり、普段の私ならこれ位のリアクションは間違いなくする。
数歩間違えれば頭にぐさっときていた刃物を、ヘイボンがずれたことも忘れて眺める。どう見ても先ほどの女の大剣であることがわかる。
それに気づいた私は遅いと思いながらも激戦区の方へと振り向いた。
(ばれた⁉)
心の中の焦りが、冷や汗と共に溢れる。
だが、女はこちらを向くことなく、未だに健全なグリズリーに得物無しで対峙している。
攻撃手段が無くなった女がどのような行動を起こすかわからない。大剣が飛ばされた方に振り向いたとしても、逃げていると疑われないように詠唱の仕草でもしておくべきかと考えるも、恥ずかしいことに突然の災厄のせいで未だ腰が抜けて動けない。
ブラムハムが腰に手をかけ、いつでも出れるように待機する。そこまで事態は急変していることに緊張感が走る。次の行動を伺いなら何とか立てる様必死に頑張る。そうでもしないと地面に深く刺さったとはいえ、いつ倒れてくるかわからない大剣の前にいるのは正直怖い。
女が持っていた大剣は私の身丈くらいある。それを十メートル以上離れている私のところまで飛ばすほどの怪力を持ったグリズリーに未だ対面している女は私の方を向く気配がない。
それどころか次の行動に驚かされた。
女が腰の辺りから抜いたのは先ほどの大剣を大人とすれば子供、それも幼児に過ぎないほど小さな短剣。たぶん護身用のナイフか何かだろう。刃先が月の光に照らされることによってやっとわかるほどの小ささだ。
まさかと思ったが、そのまさかだった。それを持った女が再度果敢にもグリズリーに攻め込んでいったのだ。
無謀にもほどがあった。手先がわずかに伸びた程度の刃先では、リーチもたかが知れている。そうなると確実に死地へと入ることになり、今迄できていた後方への離脱など、到底叶うはずもない。
「がはっ!」
そして、耐久に物を言わすことができない短剣では圧壊する勢いの腕を到底防ぎきることもできず、女の体は砕け散った銀の破片と共に宙へと舞った。
短剣で直撃を緩和したのか、女は宙で体勢を立て直し、着地する。
幸いにも体へのダメージは少なかったらしい。しかし手持ちの武器を二本失って、更には疲労がたまった女に対抗する術は無いと思われる。
けど、女の闘志は消えていない。今尚グリズリーに向かい合う。
何が女をそこまで立ち向かわせるのか?
女は何故ここまで戦えるのか?
正直訳がわかなかった。けど、心の片隅で変えようと思った変化の兆しの中で、今までの私であれば考えるはずもない結論を導き出してしまった。
騎士の存在意義は守ること。そして今私の前にいる騎士は、私を守もっているのではないか。そう考えてしまった。
「ええい! まどろっこしい! いちいち心配かけるな!」
骨の髄まで抜けていたような腰が軽々と上がり、自噴する私の足元には、真夜中でありながらも、それより黒く輝く光柱をあげる幾何学紋章の召喚陣が浮かび上げる。
ブラムハムが制しようとするよりも早く、私は降霊させる。
「奇術師! リッチ!」
轟音と共に召喚陣の光が勢いを増し、その中央から一体の死霊が現れる。
昔は異彩を放っていたであろう法衣は穢れ、破れ、その隙間から見える肉体は見るも無残に朽ち果てている。それでも内にある魔力の塊は今尚健在していることを私は直に感じる。奇術師リッチ。私の配下の中で最高位の魔力を持つもの。
「かの猛獣を消し去れ」
私の一言がリッチへの命令であり、グリズリーへの弔いとなった。
右手に備わった錆に錆び、それでいて魔力は保たれた化石のような杖に魔力を最高値に高める。その魔力を媒体に黒炎の弾を作り出す。
自然法則の原理では説明がつかない、敢えて言うなら闇を媒体とした黒弾がリッチの左手を覆うほどに膨れ上がり、その手を離れる。
放たれた一撃は一瞬にしてグリズリーの元へと渡り、それと同時に自然発火ではありえない勢いでグリズリーの全身に闇の火が行き渡る。その残虐さは火がついているにも関わらず、温度の上昇どころかグリズリーの呻き、嘆きが辺りを冷たくするような錯覚を起こす。
圧倒的な体躯を要していたグリズリーはあらゆる剣戟を避けながらも、最後は闇の炎を受け、体を炭へと化した。あ~ぁ、素材取り損ねた。
後に残ったのは私と女と草陰でまだ気が気ではない状態のブラムハム。
「何よ、結構長い詠唱して、過酷労働させて。そこまでしてあれほどの大技を見せたかったわけ……」
そして女が振り向いた際にまず目に飛び込んだであろう、私の横に浮遊する骸骨。
そう、こうなることは覚悟していた。
ここからは私と女の戦いだ。
うまくこのことを誤魔化したり、内密にしてくれるよう締結してもらえれば私の勝ち。
もし、女が私の要求に応えてくれなかった場合。それでも私の勝ちだろう。
大剣は今こちら側にある。女が携帯する武器はない。この状態ならブラムハムとリッチでも余裕で取り押さえることはできる。後は家で記憶を失う呪具でも作って飲ませればよいだけ。
どちらにしても私の勝ち。ただ面倒になるかどうかの話だ。
ネクロマンサーであることがばれながらも、私は余裕の表情を見せるそして結果は――
「ふぅぅぅ……」
女の気絶。
「何で⁉」
予想外過ぎる!
今頃になって疲労が限度突破した⁉
っと、冷静にならないと。このような状況に陥っては何が困るのか、えっと、えっと。
「メリアスお嬢様。とりあえずこのお方を安全な場所に運びましょう。ここは魔物のテリトリー、いつ襲われて遺体が発見されるかわかりませぬ。下手に騒ぎになればその後面倒事になるのは私達ですぞ」
やはりこんな状況でもブラムハムは冷静である。私が混乱していることを察し、打開策を提案する。
「それに……もうすぐ陽が上がりそうですし」
木々の天窓から篭れる星の光を眺める。月が来た時よりもかなり傾き始めている。春先の夜明けは冬よりも圧倒的に早い。
「わかりました。ブラムハム、彼女をよろしくお願いします」
「畏まりました」
ブラムハムが倒れた女の腰と肩に手を回し抱き上げる。その間に私はリッチを冥界に戻し、未だ突き刺さっている女の大剣に手を伸ばす。
「ふっ」
…………
「ぬっ! ふっ!」
……………………
「ふぬぅぅぅぅぅぅぅぅー‼」
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「メリアスお嬢様、もう少し腕力をお鍛えになられては?」
「はぁ、はぁ、う、うるさい!」
私が両手で踏ん張っても抜けなかった大剣をブラムハムは軽々持ち上げ、女の腰にある元の鞘へと戻し、重量が増えながらも悠々と歩いて行った。
今夜一番の屈辱を味わった。