第1章-2 アイドルの苦悩
「はぁ……長いわ!」
ディーナさんが大声で愚痴った。
「競技は多岐に渡るっちゅうのに、一回戦始める前から何無駄な時間使っとんのや!」
「それもこれも、元はと言えばあなたの所のネクロマンサーが愚図っていたせいじゃないですか!」
勝手に悪いようにされた。そもそもあなたが勝負など持ちこむから愚図ったのであって、本来はミクシェとぶらぶらしながら適当に終わらせる予定だったし。
「まぁええわ。軍曹が感づく前に終わらせるで」
辺りをきょろきょろ窺っているところを見る限り、王女をも手玉に取る富豪の娘ですら軍曹には対立できないようだ。ならいっそのこと軍曹を味方につけて私の安全を保障させてもらえば――駄目だ、軍曹とのコネが全くないんだった。
「第一回戦徒競走の始まりや!」
ぉ……ぉぉぉー
うわ。流石の応援団も暑さにまいってるようだ。声が明らかに弱っている。
「何だその返事は! それでもナンデモ学園美少女部か⁉」
それとは対照的に未だ元気な燕尾服。
「女性は何かと長い生き物なのだ! 着替えに準備にお花摘み! それを待てずして何がナンデモ学園美少女部だ! 待つことも男の嗜みということをお前たちは知らないのか!」
「確かにそれは正しいんやけどな。お前はんが言うとどうもしっくりこんのや」
おかしいはずなのに妙に正しいことを言っているようにも聞こえるのがタナカイリュージョン。ディーナさんが呆れ果てる。
ところで――
「何でお花摘みなんですか?」
「子供にはまだはやいわ」
「同い年ですよね⁉」
ミクシェに軽くあしらわれた! だからどうしてそうやって謎を残していくんですか! 百合といい、これといい!
「それはそうと、メリアスさん走らなくていいの?」
……へ?
「だってディーナさんがまだ合図してないし」
「スターターはこの子だよ?」
と、指を指した先には、どこのクラスかわからないピストルを上に構えた男子生徒。そのピストルからは硝煙が消えかかっていた。
「えぇぇぇぇぇ⁉」
慌てて前方を見ると既に十メートル以上先をイシュタル王女が駆けているのを視認できた。タナカの独演で聞きそびれたー!
「ディーナさんが仕切るんじゃなかったんですかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!」
このアイドル対決――ディーナさん曰く――の懐疑を吐きだしながら先行くイシュタル王女を追う。
イシュタル王女は決して速くはなかった。明らかにフリルが風を纏い邪魔しているように見える。
けど、数メートルの差が埋まらない。
はぁはぁ……。
限界寸前である。
「おどれ! まだ二十メートルも行っとらんやないか! そんなんでダンスができると思っとんのか!」
ディーナさんの理不尽な喝が聞こえる。
反論しようにも酸素が足りないので脳内で抗議。だってネクロマンサーだし、体力ないし、何より暑いし。それに対してイシュタル王女は魔法使いで、体力はないとか言ってたし、それでも向こうは日陰だから。
……日陰?
「え! それありですか⁉」
思わず貴重な酸素を手放してしまった。前方を走るイシュタル王女。そこに当たるはずだった東陽を完全に遮るように並走していたのはアグロスさんと同様、イシュタル王女の護衛ゼノさんであった。
二メートルを超える長身に巨石並みの体躯を持つ彼。五回り以上小さなイシュタル王女が陰に入るなど朝飯前なほどに立派な日除けだった。
「ゼノはただジョギングをしているだけだ! 偶然お嬢様と鉢合わせただけだ!」
外野で完全にへばっていたアグロスさんが声を張り上げる。いやいや、偶然なわけないでしょ! それにジョギングって言ってますけど、あれは明らかに歩いていますよ! 歩幅が合わない上にイシュタル王女が遅すぎるせいで。
と思っている間に更に差が! これ以上差がついてしまってはまずい。けど、私には対抗する術が。
そうだ! 私も日陰を作れば!
「来たれ! 怒鬼面! 鬼般若!」
私の呼びかけとともに真横の地面にどす黒い紋章が現れる。そこから二本の角が現れ、その下から現れた鬼の仮面に、周りにいた生徒たちが阿鼻叫喚。
鬼般若は家の警備犬のような存在であるが、その実、全く役には立っていない。なんせ必要な時に出てこないのだから。けど、最近は脅しが効いたのか、呼び掛けには答えるようになって今日もまたここに馳せ参じてくれた。そして今回の目的は、
日除け。
「私の日陰になれ!」
「おのれネクロマンサーめ! ヘイワ王族が治めるこの私立ナンデモ学園に死霊を呼び出すとは! 何を企んでいる!」
だから日除けだって。別に害悪を与えるわけでは――あ、でもこいつが出てきて驚いたせいで授業が一時中断してしまったこと自体が害悪かも。主に学校側として。
けど、こいつの今回の仕事は日除け。それさえ終わればすぐに追い返す予定である。
そこへ応援するかのような追い風。涼を受け、少しばかし走るスピードを上げる。
日差しの当たらない快適な陸路を軽快に。
顔が若干日に当たる陸路を軽快に……。
完全に日向となった蒸し暑い陸路を軽快に…………。
「追いかけろや!」
未だに定位置にいる鬼般若。こちらの呼びかけに顔を傾けるも、定点は一切動かない。そうだ、こいつ動けないんだった! 場所を移すにも再度召喚する必要性があるじゃん!
「この役立たずぅぅぅ!」
思いっきり怒鳴ってやると、鬼般若は何一つ表情を変えずに――面だから変わらないけど――そのまま冥界へと帰ってしまった。無駄に魔力を消費した分疲れが溜まり本末転倒。やっぱ鬼般若は駄目だ!
「はっ! 所詮はアイドルなどに現を抜かすネクロマンサー。その程度の小細工でお嬢様に勝てると思ったか!」
人のヘマをあざ笑う下種な男の声が聞こえるも、それに反論できるだけの気力はもはやない。
「見ろ! お嬢様はもうゴール目前! お前が勝てる余地などどこにもない!」
見ろ、と指示されるまでもなく、下を向かない限り前は見える。計測係の待つゴールまで後少しと迫ったイシュタル王女の姿。
正直言うとなぜこのようなことをしなければならないのかと思う点は多々あったが、それでも勝負に負けることはあまり気持ちがよくない。それもネクロマンサーを卑下にする人たちに。
「見ろ! 今お嬢様がゴールラインを踏んだぞ!」
勝負が決まったことをアグロスさんが告げる。
終わった――はずなのだが。
ギャラリー、男子生徒たちが全く反応しない。
主催のディーナさんが一切文句を告げない。
自称司会役のタナカが一切煽らない。
これは一体、と思いながら走っていると前方でもめる声。
「どういうわけですの⁉ 何故ゴールと認められないのですか⁉」
「いえ、それは、軍曹の規則ですので」
「そう言って! あなたもまたネクロマンサーに肩入れする気ですわね、この非国民!」
イシュタル王女の怒声と戸惑う声が聞こえる。どうやら計測係の男子生徒ともめているらしい。
不正行為でもあったのだろうか? と思い当たったのはゼノさんの並走。日差しはともかく風の影響を変えたことが審議にでもなったのだろうか?
けど、これはチャンスである。イシュタル王女が言いくるめられなければ、失格、良くて再度スタート地点から走ることとなる。前者であれ後者であれ私が有利になることは間違いない。
縺れる足を転ばないように踏ん張りながら歩を進める。そしてイシュタル王女の体操服のフリルが事細かに見えるところまで近づく。そして、遂に追いつくところまで来た。
「では、何がいけないというのですの⁉」
「は、はい! どこがいけなかったと言いますと」
「言いますと?」
「1000メートル走っていただくのが原則となっております」
ゴールラインを踏めなかった。
「嘘ですよね⁉ 私サボろうとは考えていましたけど、一期生の時ちゃんと100メートルを走ったのを覚えていますよ⁉」
遂にイシュタル王女に追い付いたと同時にものすごい勢いで追い抜いた。けど、行き先は計測係。
「ネクロマンサーに賛同するのも癪ですけども、私も一期生の頃にヘイワ王族であり、尚且つ王女であるというのに、あの鬼軍曹に100メートル走らされましたわ!」
イシュタル王女と初の連携攻撃が炸裂した。
「とは言いましても、原則は原則ですので、これを守らないとお二人、それに僕も軍曹の怒りを避けることはできません」
しかし、計測係は戸惑うも片や王女というのに事務的な返答をした。その背後には何やら強大な影が見え隠れしている気がする。
「うん、これは軍曹ルールだから従わなくちゃならないよ」
理不尽な説明への怒りが治まらない中、いつの間にか隣まで来ていたミクシェが語りかけてくる。
「……事実なの?」
直接軍曹から任命されている計測係を疑っていたが、友達であり、更にはナンデモ学園TOPクラスの情報通であるミクシェの説明は私を落ち着かせるには十分すぎた。
私の返しに、ミクシェは頷くと同時に心痛な表情で続けた。
「軍曹ルール。それは人間の進化を急傾斜比例できると謳う軍曹の特別法。人体への影響を顧みないルールから学園、果てに王宮からも警告を受けていたものの、それを超人的な力と訳の分からない圧力で押し切ったという、学園七不思議にも含まれる異質な物」
「……えっと、つまりはというと……?」
説明文が辞書にでも乗っていそうな堅苦しいものであったが為に、真意を把握できなかった。
「掻い摘むと、年数が増えるごとに内容がハードになっていくの。この徒競走もその一つで、一期生は100メートルと普通の徒競走だけど、二期生は1000メートル。三期生は10000メートルと距離が伸びていくの」
「一年ごとに十倍ですか⁉」
「三期生に至っては10000メートル走他、徒競走意外にもいくつか軍曹ルールが影響しているせいで体力測定が三日にも及ぶ長丁場になるんですよ」
「こんなことなら無理に出席せずに留年したほうがよかったぁー‼」
私の知らない裏事実がこんなところに! 学校行事など採取業に支障がない程度にいなせばよかったと思っていた自分が馬鹿だった!
ひたすら後悔する横では「どうしてこのことを知らせなかったのですか!」と蹴りを繰り出すイシュタル王女に「自身も存知あげなかったのでっすっっっ!」土下座をしていたところにイシュタル王女の蹴りが鼻へとクリーンヒートしたアグロスさんの姿があった。この二人も同類なのか。
「と、いうわけですので」
ミクシェが項垂れる私の肩に手を置き、
「後900メートル頑張ってね♪」
涙が出てきた。
そのとびっきりの笑顔で言い放たれた残酷な宣告。1000メートル(ルール)を知らなかった自分への励ましでありながらも、どこか勝ち誇ったような顔で私を地獄へと突き放つ。
突如現実に戻され、途端に疲れと今の状況が蘇る。暑い。この暑さの中で先ほど走った量の九倍を走らなくてはいけない。
この勝負。勝ち負けの決着がつく前に、生死の決着がついてしまいかねない……。
私の出した結論は。
「「ギブアップ…………」」
と同時に地面へと突っ伏した。
すぐ近くで同じような限界の声と倒れる音が聞こえたような気がしたが、確かめるだけの力は残っていない。もう無理。
・アイドル体力対決、一回戦引き分け




