02-2 不思議傭兵ミュジーヌ、転生先の日本でも、毎日「本領」発揮中
「いやー凄かったな、今日のは」
エリス――美里絵里先生のトンデモ歴史授業が終わって休み時間になると、吉川は首を回し始めた。
「どえらく肩が凝ったよ。部活の先輩から話は聞いてはいたんだけど、あれが噂の『絶対美里史観』って奴か」
「……そ、そうだな」
なんだか俺が恥ずかしくなった。なんかすまん……。
「四月は入学してすぐゴールデンウイークに入って授業時間少なかったし古墳時代だったから『アバウトな歴史把握ってあるよな』とか思えたんだけど、有史時代に入ると本領発揮というか」
「まあな」
絵里がこの高校に新任として就職したのは一年前。俺達は今年入学だから、どんな授業をしてるのか知らなかったが……。あれでよくクビにならないな、絵里の奴。
吉川は、やたら本ばかり読んでる変わった奴だ。部活もミステリー研だし。その点、俺からすれば共感が持てたし、それに入学して席が隣だった。だからなんとなく仲良くなった。
俺達現代日本生存研究会の面々はここでは「変わった奴」に見られるようで、あんまり近づいてくる生徒はいない。例外は、明るくておせっかいなあかねくらいか。クラスは俺と違うが、あいつは割と級友と仲いいみたいだ。まあ両親を殺された恨みつらみといった前世の闇の部分が出ると凄いがな、あかね。俺でさえ止めるのに苦労するから。
とにかくそんなわけで、吉川は数少ない俺の友達ってわけだ。
「美里先生、現代日本生存研究会顧問なんだろ」
興味深そうに、俺の瞳を覗き込んでくる。
「顧問があれじゃ、そりゃ『現代日本生存研究会は妖怪闇鍋』とか呼ばれるわけだわ」
くっくっと笑った。
「……ちょっと待て、そんな風に言われてるのかよ、俺達」
「なんだ知らないの、お前」
やれやれといった様子で、俺の肩を叩く。孤立しているだけに、俺達は学園内の動向に疎い。吉川から聞ける情報は貴重とも言えるな、今後も。
「顧問が妖怪なら、部員も妖怪。妖怪の集会場所だってさ、あの部室」
「そりゃ多少は変わった目で見られてるとは思うが、あか……美里先生はともかく、俺達まで妖怪はないだろ」
「そうかあ……」
ニヤニヤしている。
「自分ではわからないみたいだけど、お前ら相当ヘンだぞ。学園で超話題の一文字ファミリーのお嬢様は、コクってきた男どもを片っ端から素手格闘に誘うらしいし」
「えっなにそれ」
「聞いてないの? 同じ部員だろ、お前」
あきれている。一文字ルナは、前世ではガーディアンサムライのルーナだ。ガチな戦闘倫理をまだ持っているから、そんなことがあるのかもしれない。
「勝ったら交際してもいい、とか言うらしいぞ。もちろん――」
「いや、そこは聞かなくてもわかる」
体術を今でも比較的キープしているルナが、負けるわけないしな。
「入学一か月ですでに、この学校だけでも八人病院送りだ」
「退学にならないのかよ」
「そりゃ相手の男が揃いも揃ってかばうみたいだし。関節技で腕をキメられたときとか胸が当たって、激痛の中で天国がかいま見えるらしい。それにあの一文字のお嬢様がファミリーの学園でなく、なぜか円城寺に入学したって、春に騒ぎになったくらいだからな。学園も手放さないだろうよ」
「円城寺学園は一文字の傍流ではあるけどな。資本入れて女子寮持ってるくらいで」
俺の言葉に、吉川は大きく頷いた。
「それでも普通は、本家の一文字学園に行くもんだ。あの子、本家の跡取りだろ」
「そりゃそうか」
ルナがここに入学するにあたってのどたばたは、短い間ではあるものの、俺も身近で見ていた。親と縁切るくらいの勢いで交渉してたよ、あいつ。
ひとり娘が頑固でしかも妙に武術に興味を持っていることに、良妻賢母を願うご両親は困惑して持て余してたから、それも本家以外の学園に入る一助になったんだろうけどさ。
「お前にしてもそうだな。一見普通に見えるけどさ、なんか人を遠ざける変なオーラがあるし。醒めた感じとでも言うか……」
「そうかなあ……」
「そうだぜ。お前だけじゃなくて、現代日本生存研究会、全員そう」
「そんなことないだろ」
言いながらも、吉川の言葉には、なにか俺を納得させるものがあった。たしかに、もう俺達をほっておいてほしいんだ、人生や世界から。疲れ切ったんだ。なにもかも、どうでもいい。それくらいの慈悲があってもいいじゃないか、なあ神様よ……。
いわく言い難い俺の表情を、吉川はじっと凝視していた。
「……実際お前、友達あんまりいないじゃん」
「それは……自分でもわからん」
「なっ。それに未由路さんは……」
自分が話題になったのを鋭敏に捉えて、陽菜がキラ目で振り返った。
「な、なになに。陽菜のこと?」
吉川の瞳にかすかだが恐怖と歓喜の色が同時に浮かぶのを、俺は見逃さなかった。
「み、未由路さんは、か、かわいいし」
声が震えている。
「やだー、吉川くんったら正直なんだから……。もっと言って」
「か、かわいいし。オーバーロードのケーキだっておいしいし。そ、それに特異な体型で、一部男子から絶大なる人気を――」
ほめられてうれしかったのだろう。吉川が言い終わる前に、「やだー」と弾む声で、かわいく吉川を叩く仕草をした。
いや仕草がかわいらしかったのは確かだ。それは認める。ただ問題は、なぜかその手に開けたままのポスターカラーの瓶が握られていたこと。吉川の顔に、たちまち黄土色の絵の具が飛び散った。
「――っ!」
「あっ! ごめんなさい。陽菜ったら。すぐ取るねっ」
陽菜が、あわててハンカチで吉川の顔を拭う。しかし左手にはまだ瓶を持っていたから、左手で顔にポスターカラーを垂らしながら右手で塗り広げる「謎作業」の様相に。ハンカチでもみくちゃにされて、吉川はばたばた暴れている。
「あっ!」
陽菜がまた叫んだ。
「吉川くん、かわいいー。だらりんクマさんそっくり。……それ狙ってるの?」
絵の具を落とすという当初の目的はどこかに忘れ去られたようで、いつの間にか「吉川だらりんクマさんショー」になってる。
「ねっねっ、陽菜と自撮りしない? インスタで自慢するから。だらりんクマさんは実在したとかって」
いやお前の存在のが冗談だろう――と俺がツッコむ寸前、吉川が俺を手で制し、魂の底から深呼吸した。そして口を開く。
「か、かわいいでしょ、未由路さん。だからもうなにもしなくていいから、その絵の具しまおうねー」
――漢だ。
――真の男だ。
固唾を飲んで成り行きを見守っていたクラスのどこやらから、そんな呟きが聞こえてきた。
「陽菜お前、なんで絵の具なんか握ってんだよ」
てへぺろっと舌を出す。
「うーん、ちょうど今、だらりんクマさんの絵を描こうかなあって」
そう言えば、机にスケッチブックが広げられている。
「でももういいや、本物が見られたし」
俺にスマホを渡すと、吉川の腕を抱え込んで寄り添い、撮れと急かす。バストAAの胸(あっ今はもう『なんちゃってA』か)を押し付けて。それが気持ちいいのか俺にはわからんが、吉川は泣きの涙ながら笑顔を作った。硬い胸部防護アーマー状態というか震度七の胸だし、うれしいものなんだろうか。
とにかくその画像は陽菜のお気に入りとしてプリントアウトが長く現代日本生存研究会部室に貼られることになったし、俺にしても死んだ吉川を悼み思い返すよすがとなったのだから、良かったのだろう――って、死んでないけどな。
それより、陽菜の実家のケーキ屋での「集団バイト」が、トンデモない事態を招いたわけなんだけどさ。ルナの「対人戦闘用アーマー」が完成したわけよ。いやつまり……。