03-1 温泉旅行で貸し切り風呂って……
「さて、こうして温泉にも来られたわけだし。ふいー」
畳の上にがさつに荷物を下ろすと、絵里が奇妙な溜息を漏らした。
「さっそくお風呂ね」
「いやまだ着いたばかりだし。せめて和菓子と茶くらいから始めようぜ。せっかく部屋にあるんだし」
「ちくわ」が入ったトラベルケージを、俺は床の間の脇に置いた。ごあーごごあーごと、今となってはすっかり猫化したケットシーが鳴く。
「気が早いですー」
陽菜も呆れた様子だ。ルナと空が、みんなの荷物を隅にきちんと並べて始めた。あかねがお茶を淹れる。茶道具の横に置かれた茶請けの饅頭に、みんなが手を伸ばした。
「なんだ。割といけるじゃん」
絵里はご満悦だ。
「ほら、空も食べなよ」
「はい」
一口ほおばると、空がおいしそうに微笑んだ。
たしかにこれ、生地はしっとりしてるし中の餡も甘すぎなくて、いい感じだ。苦いお茶によく合う。
「うん。これ栗餡ですね」
「ほっこりした感じで、口に広がる香ばしい栗がまたたまんないわー」
「絵里、あなたポロポロこぼしてるわよ、あんこを」
「いいのいいの。細かいことは気にしないってね」
ルナに注意されると、絵里は豪快に笑い飛ばした。
ここは東京近郊……というか早い話、東伊豆、海沿いの温泉宿だ。某学園部活一同という名で予約し(嘘じゃないだろ)、こうして着いたってわけさ。
男部屋女部屋の二部屋予約したけど、まあ実際のところ、男部屋は使わないと思うんだよな、どうせ。言い訳として取っただけだし。それに、この女部屋のがはるかに大きいしさ。
この宿は、一文字の例の麻子ちゃんのお礼さ。いや招待ってわけじゃなくて、割引ってことだけど。一文字関係のイベントってことで、ルナにはいつもの監視がない。そのためか、ここまでの車中でも、妙に明るかった。あーちなみに運転はもちろん絵里な。免許があるの、当然あいつだけだから。
連休を利用しての二泊三日で、中日だけは割と暇。みんなの希望を聞いてみた。
ルナ:鍛錬に決まってるでしょ
あかね:まーどうでもいいわ。ゆっくりしましょ
空:海岸散歩とかどうですか
絵里:そりゃ朝から飲んで食って昼寝でしょ
陽菜:ケーキのレシピを試作したいですー。お店で出せるように
うーん。例によってバラバラだな。ルナの希望以外は、なんとか帳尻合わせられそうだけど。
「じゃあ行くか、風呂」
みんなが一服した頃合いを見て、切り出してみた。
「へへっ……。貸し切り混浴だよ」
「混浴? 聞いてないぞ」
「今聞いたじゃん」
「絵里。お前なあ……」
絵里の野郎、悪そうな笑顔だ。
見回すと、俺以外、全員当然という顔をしている。こりゃ事前に示し合わせてたろ。
「……たばかったな、貴様ら」
「時代劇みたいなセリフですー」
「そもそもあっちの世界では、みんなで風呂入ったじゃん」
「そりゃ、風呂の最中は無防備で危険だからな」
俺は認めた。
「三交代くらいで、周囲を警戒しながら手早く脱いで入ったわけだし。……でも男子校のシャワーかってくらい事務的だったぞ。一分で洗って一分湯に浸かったら、もう出るみたいな」
「だからさ。この時空なら、ゆーっくりまーったり楽しめるじゃん。それともみんなと入るの嫌なわけ? リーダーのくせに」
「チームの結束を乱すんだー」
「いやあかね。そんなことはだな……」
言いかけて考えた。たしかに絵里の言うことにも一理はある。一理だけだけどな。丸呑みすると危険な感じがするし。
「……まあいいか」
「ほら認めた。じゃあ行くよ、みんな」
どうにも今日は仕切る絵里である。あいつが仕切ると過激になるからなあ……。
●
「いやー、風呂はいいよねえ……」
湯舟の縁に腰かけて、絵里は、遠い海を見つめている。眺めはいい。ただ東伊豆なんで、夕陽が絶景とは行かない。それに景色よりなにより気になることが……。
「絵里お前、全身浸かれよ」
「半身浴くらいがいいんだって」
「でも全部見えてるし」
実際、絵里は俺のほうをちょうど向く形になっている。だからまあ、目のやりどころにちょっと困るというか……。あれとかこれとかが見えてるからさ。
「あらー見たいわけ? はい。……ほら」
これ見よがしに突き出すと、自分で胸を揉んで見せた。
「どう? あっちの世界より、ちょっとだけスタイル良くなったでしょ」
確かに、それだけは認めざるを得ない。なにせ沖縄でバリバリ泳いで育ったからなあ。それに……。
「そりゃお前、あっちだと体中傷だらけだったしなあ……」
ダークエルフだから、絵里はプロポーションもバランスが取れていた。でもきれいな胸に縦横無尽に傷が走ってたりしたし。絵里のドーピングでも治り切らないくらい厳しい戦いが続いたってことなんだけど。
絵里は微笑んだ。
「傷だらけでもお前の体が好きだって、言ってくれてたじゃん」
「そりゃリーダーだから気を遣ったってのもあるし。それに……戦士の向こう傷だ。誇るべき体だっただろ」
「なら……」
色っぽい流し目を飛ばしてきた。
「……こっちの体はどう。傷のない。素直な感想として」
「き、きれいだ」
「よし!」
絵里がガッツポーズ。けどなんか知らんが、赤くなってるな。意外にウブな部分があるのかも。照れ隠しのガッツポーズか。
「……じゃあ、触ってみる?」
「遠慮する」
視線を逸した……先には、あかねとルナ。ふたりとも、こっちを見ている。
肩まで湯に入っているので、さすがにあれこれ「ややこしい部分」は見えてない。が、まあ透けて、いろんなものは感知できる。
「絵里が言うように、パーティー全員でこんなにゆっくり風呂でくつろぐなんて、初めてだよね」
「うん」
ふたりで頷き合っている。
俺は思い返した。あっちの世界では実際、絵里――エリスは出会った当初、すごく荒れていた。ルナはつんつんしてた――まあ、これはこっちの世界でもそう変わらないが。
「陽菜はー?」
陽菜の声だ。洗い場に女の子座りして、ボディソープの泡でモンスターを作っている。
きれいな胸だよ、陽菜も。Aカップでも余る小ささなりに。あーちなみに俺の脇にべったりくっついて腕を取っているのが、空だ。もちろん胸を感じる。
空はなんてかさ、俺は興奮するというより、精神的なつながりを強く感じるんだ。安らぐというか。あるべきものがあるべき場所にはまってる感じ。俺達はほら、武器と使用者だし。
空の側も同じだろう。さっきからずっと無言だし。
「陽菜は……変わらんな」
いろんな意味を込めて答えてやった。
「えーそう?」
「そうそう。あんたは特別。多分このパーティーで一番とてつもない能力を持ってるのに、CPUが腐ってるからミスローディングが多いというか」
「わあ、絵里ちゃんに褒められちゃった」
「いや褒めてないし」
全員で湯舟に浸かった。円陣を組むように。
「……でも不思議。あれほど望んだ平和な日々が、こうして訪れるなんてね」
温まったせいか、湯けむりの向こうのルナは少しほてって、なんだか色っぽく見える。貸し切り温泉とはいえ露天だから、周囲の紅葉が柔らかな風で揺れている。
「ルナの言うとおり。ただお風呂に入ってるだけなのに、こんなに幸せなんて。……夢みたい」
ほっと、あかねが息を漏らした。
「この幸せを永遠にしないとな、あかね。それこそが俺たちの夢だったんだし」
「そうそう。幸い、日本は平和で安全だよ」
「だよねー、陽菜。みんな贅沢はする気もないし、適当に食べてちょっと遊ぶだけの時間的余裕さえあればいいよね」
「そのために会社作ったしな」
「会社と言っても、面倒なことはないでしょうね。多分陽菜の店を運営するのが中心になるでしょうし」
「そこよ、ルナ。ケーキ屋とお菓子教室って、うまくサイクル回せるよね。卒業生がケーキ屋のファンにもなってくれるだろうし」
「そうそう。軽食教室もやって、ついでにケーキ屋のほうでも軽食も出すようにすればいい。食材が余ったら、みんなの飯にできるしさあ」
「絵里さん抜きの当番制ですね」
「あら空。あんたの冗談なんて珍しい」
絵里が豪快に笑った。
「退屈しのぎの『なんでも屋』もあるしねー。こっちはボーナスみたいなもんじゃん。年数回くらいしか依頼がなくたっていいし」
絵里が瞳を回して見せた。
「それに最悪、一文字を使えるしね」
「ルナには悪いからなあ、それは」
「平気よ、思音」
当然といった顔で、ルナが言い切った。
「別にお金をむしるわけじゃない。一文字の人達に告知するだけで、ある程度は繁盛するでしょ」
「でもルナ、お前は一文字の『本家』だ。ふつうはこう、海外留学後に事業のどれかを継ぐのが普通だろ。ケーキ屋経営でたまにはウエイトレスに出ますとか、許してくれるわけないじゃん」
「もう話はつけたし。父は私が世界的なパティスリーチェーンを経営する第一歩だと思ってるわよ」
「はあー。お前また適当な嘘を……」
「嘘とばかりは言えないわ。実際、国内の著名パティシエとは会って話をしてるし」
「はあ? 初耳だよね、みんな」
絵里がちゃかした。
「経営のこととかケーキのこととかね。面白いわよ」
「本当にそっちに進むのか?」
「それは……ない」
即座に、絵里が言い切った。
「だって私たち、まったり過ごすのが目的だもの。国内数十店舗、あちこち回って指導したり問題に対処したり売り上げ管理に頭悩ますとか出店場所を決めるとか、そりゃ楽しそうだけど、私たちの望みじゃないものね」
「……となると、一文字のおっさんをいつまでごまかせるかだな」
なんか悪い気もするけどな。
「平気。一文字にだって変わり種はいくらでもいる。経営の道に進まず、世界中で蝶を追う学者になったり、音楽家として海外で活躍したりとか。私はその『もうひとつの道』を選んだ一文字ってことに、持っていくつもりよ」
「でもそっちの道だって、『世界的ななんとか』ばっかじゃん。場末のケーキ屋ウエイトレスなんて許されないだろ」
「陽菜のケーキ屋は場末じゃないですー」
睨まれた。
「いやたとえだよ」
「それも平気」
笑顔を浮かべたまま、ルナは首を傾げてみせた。
「だって私は思音と結婚するもの」
何気なく口にしたその一言から、まったり温泉の湯船は、過激なクイズ大会へと発展していくことになる。




